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第4話 ブチ切れヤンキー様御一行

「……はあ、はあ、ちょっと、休憩させてください……」


ほんの5分も動いていないのにもう完全に息が上がっていた。全力で相手を押したり引っ張ったりするのは、経験のないほど疲れることだった。

でもとても気持ち良かった。

殴られる痛みのない取っ組み合いというのは、不思議な感覚だ。子供の頃父親に遊んでもらったことを思い出す。


その時、ガラリと正面のガラス戸が開く音がした。


「ただいま……体験の人?」


1人の少女が入って来た。

黒髪のショートボブ、大きな吊り目、背は高くもの低くもないけどスラリとした体躯の少女だった。だが何より驚いたのは、彼女が俺と同じ桃林第一高校いちこーの制服を着ていたことだ。


「おお、すず! お帰り! どうだった、学校は?」


「別に。どうもこうもないけれど」


目の色を変えておじさんは少女に駆け寄っていったが、少女の方はその熱量に応える気は微塵もない、と言わんばかりのクールな対応だった。


「ああ、保君。ウチの娘のすずだ。すず、こちらは田村保君だ」


おじさんは俺に少女をそう紹介した。


「あ、どうも……」

「ねえ、もう17時になるけど? クラスの準備は良いの?」


俺はすずと紹介された少女に挨拶しようとしたが、少女の方は俺の方をチラッと見ただけで挨拶も返さなかった。


「おっと、もうこんな時間か! そろそろキッズクラスの子供たちが来てしまうな! 保君、今日はこれくらいにしよう。良かったらまた来なよ! もちろんおじさんとしてはジムに入会してもらうのが一番だけどね、今日みたいに何回か体験練習に来て、それからゆっくり考えると良いよ」


「……ああ、はい……」


もうすぐ生徒の子供たちがジムに集まってくる、ということのようだ。当然おじさんは部外者の俺にいつまでも付き合っているわけにはいかない。俺は邪魔者ということだ。


楽しかった時間が終わり急に憂鬱な現実に引き戻されたような感覚だった。

俺がジムに入会するなんてことは現実的に考えて難しいだろう。当然会費も払わなければならない。それを親に何て言う? 格闘技なんてしてるヒマがあったら将来のために勉強しなさい……という両親の反応が目に見えるかのようだった。

そもそも俺は格闘技をやるような人間ではないだろう。俺が最強になんてなれるわけがないのだ。


だが、その日の夜は久しぶりに気持ち良く寝付けた。

夢の中でおじさんに教わった身体の動かし方を何度も繰り返していた。やはりおじさんとの練習は俺にとって楽しい出来事だったのだろう。それだけで充分だった。




土日が過ぎ、憂鬱だった翌週がまた始まった。

だが予想に反してヤンキーたちは俺に全然接触して来なかった。というかほとんど学校に来ていなかったようだ。後から話を聞くとヤツらはこの週、例によって他校のヤンキーたちとの抗争に明け暮れていたらしい。

このまま、ヤツらが外部との争いに集中して(ヤンキーはヤンキー同士でケンカするのが本分だろうが!)俺のことなど眼中にもない……という状態になれば良いのだが。

というかもう7月に入ってもう1週間が過ぎていた。あともう1週間も経てば夏休みとなる。夏休みの期間が空けば、このままヤツらの俺に対するイジメもフェードアウトするのではないだろうか?




……だが、それは希望的観測に過ぎなかった。


「保~。今日の帰りちょっと付き合えよ! な?」


吉田佳友の声を聞くと胃の奥がギュっと搾り上げられるみたいに憂鬱になった。しかもヤツの声は明らかに不機嫌だ。

もう週も終わろうかという金曜日、今週はこのまま逃げ切れるのではないかと思っていたのだが……。




いつもの花田神社にいつものヤンキーたちだ。

一体この場所はどうなっているんだ? コイツら以外の人間を誰一人として見かけないではないか! 近所の人が散歩に来たりはしないのか?


「お前らなぁ~……自分の不甲斐なさが俺たち桃林第一高校いちこーの看板にどれだけ泥を塗ったか、わかってんだろうな!? ああん!?」

「……うっす」「佳友クンの言う通りっす……」


明らかに不機嫌な吉田、そしてそれに明らかに委縮している手下のヤンキーたち……。よく見ると手下のヤンキーたちの中には顔を腫らしていたり、足を引きずっている者もいた。

どうやら例の他校との抗争の結果が不甲斐ないものだったのだろう、ということは俺にも簡単に予想が付いた。


「気合が足んねえんだよ、気合が~! なあ、そうだよな、保?」

「あ、え……ははは! そ、そうなのかな?」


まさかこちらに話を振られるとは思ってもおらず、俺は曖昧に笑って誤魔化す。……くそ!


「……聞いたか、お前ら? お前らの気合が足んねえからケンカに負けたんだってよ? ……お前ら保にまで舐められてんじゃねえかよ!! つーわけで、保! コイツらの気合を入れ直すために、また練習相手頼むわ!」

「え、や……」


吉田の言葉に手下5人の目の色が変わった。

今までは俺に対する攻撃もどこか遊びの延長のような雰囲気があった。

それはもちろん5対1という人数の差、絶対に自分たちが負けることはないという余裕のなせるものだっただろう。

だがヤツらもそうは言っていられない状況なのだろう。事情は詳しくわからないが、ヤツらもケツに火が点いている状態だということだ。


(なんだか知らねえけどよ、無関係な俺を巻き込むんじゃねえよ!)


俺にとっては堪ったもんじゃない。だが嘆いてもどうしようもない。理不尽はいつものことだ。

ヤツらが例によって5人で俺を囲んで来た。


(……あれ?)


なんだか奇妙な感覚だった。今までとは違う。

ヤツらの動きがとてもスローに見えるのだ。それに対し、俺の身体は俺の意志を離れ勝手に動いているみたいだった。

ヤンキーの1人が俺を殴るために右手を振りかぶる、その瞬間に俺はステップを踏んで横に逃げていた。

別のヤツが、俺を右足で蹴ろうと軸足を強く踏みこむ……その瞬間、俺はバックステップでキックの間合いの外に逃げていた。


「待てコラ、保!」「ちょろちょろ逃げんじゃねえ!」


いつも通りにはいかないと察したヤツらは明らかにイラ立った声を上げた。


「掴め! 掴んで投げろ! お前ら何を学んできたんだよ!」


吉田からゲキが飛ぶ。

ヤツらは集団の利を生かしてきた。いきなり攻撃を当てようとしても今日の俺には当たらないと踏んだのか、1人が右に、1人が左に……と分担して俺の逃げ道を塞ぐ。そして正面に立ったヤツが手を伸ばして俺の肩を掴みにきた。


(あれ? コイツ、俺を投げるつもりなのか?)


あまり逃げても余計にイラ立たせるだけだと思い、わざと肩を掴ませてやったのだが、どうもそいつの力の入れ具合や身体の使い方はぎこちなかった。


(ああ、そっか。おじさんとの取っ組み合いに俺の方が慣れてしまったのか……)


さっきからヤツらの攻撃がまるで当たらないことも含めて、ようやく理由が判明した。

もちろんおじさんはかなり手加減して俺の相手をしていたはずだが、それでもおじさんはその道のプロだ。素人のコイツらと雲泥の差があるのは当たり前だ。


だがまあこれ以上抵抗しても長期的に見れば俺の被害が大きくなるだけだ。吉田も含めると6対1では敵うわけがない。

何とかして上手くヤツらにやられよう……そう思った時またしても俺の身体は勝手に動いた。

たった一回なのに、おじさんとの練習はどうも想像以上に俺の身体に染み付いていたらしい。


肩を掴み、足払いを仕掛けてくるヤンキーだったが、明らかにヤツは力んで自らのバランスを崩していた。

俺の左足がヤツの軸足を軽く払うと、そいつは実にあっさりと地面に倒れた。

そしてその後ろにいたヤツが大振りの右拳を振ってきた瞬間、俺は身体を屈めてパンチを避け、そのまま腰の辺りにしがみついた。

俺がそのまま前に進むように押し込み右手で左膝を払うと、ソイツもバランスを崩してあっさりと尻餅をついた。


「……てっめぇ!」「このやろう、保……」


明らかに今までとは違う俺の動きにヤンキーたちは戸惑っていた。

というか一番戸惑っているのは……実は俺の方だった。俺は別にコイツらを全員倒してやろうなんて微塵も思ってはいなかった。ただただおじさんとの練習の成果で、勝手に身体が動いてしまっただけだ。


「保よぉ……お前今まで俺らのことを舐めてたんだな。よ~くわかったぜ! コイツらのことなんていつでも倒せるくせに、わざとやられたフリして陰でクスクス笑ってたんだな!」


吉田佳友の声だった。

吉田はいつも境内に腰掛けたままヤジを飛ばしてくるだけだったが、いつの間にか俺の前に来ていた。いつもの嘲笑うような表情は消え失せ、明らかに俺を敵として認識している目だった。


「……ち、違うんだって吉田君、今のはホントたまたまで……」

「嘘つけ! たまたまであんな綺麗にタックルまで決まるかよ! ……お前ら下がってろ! 保は俺がやる!」


いつもは腰まで下げて履いているズボンのベルトを締め直し、スニーカーのひもを締め直した。吉田の今まで見たこともない真剣な表情だった。


「もうやめようって! 謝るから!」


本気のケンカなんてまっぴら御免だ! 謝って、多少金銭を渡してでも、2、3発思いっ切り殴られても、それくらいで事態が収まるなら何だって良かった。

俺はそのまま地面に手を付いて頭を下げる……いわゆる土下座の姿勢を取った。


「何で土下座なんかするんだよ、保? 俺にも稽古をつけてくれって言ってるだけだぜ?」


だが吉田は緊張感を湛えた表情でニヤリと笑った。

違うんだって吉田! もう勘弁してくれって!




だがその時、一陣の涼風が吹いた……ような気がした。


「ねえ、なんで自分より弱い相手に謝る必要があるの?」


後ろから不意に澄んだ女子の声がした。





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