川嶋 美優。
三十五歳。
ネガティブで、極度に自分に自信がない。
それは、彼女の幼い頃に原因があるようだ。
彼女の親は、彼女が小学生の時に離婚する。母親が再婚した際に、母親はそれが当たり前であるかのように新しいパートナーとの生活だけを選んだ。父親も親としての責任を全く果たそうとせずダメな人だった。彼女を躊躇うことなくある施設に預けた。いや、両親が彼女を捨てたと言っても過言ではない。
彼女は、それっきり両親と一度も会っていない。会いたいかどうかもわからない。いや、こんなことをされて良い感情で、会いたいと思う人はいないだろう。
子どもの世界には親しかいない。
そんな無条件に愛していた親が突然いなくなる感覚はどれほどのものだろう。とても他人がわかるようなものほど簡単な感情ではないだろう。
その後、彼女はその孤児院で育つ。
学生時代、ずっといじめにあう。人と違うことは本来おかしなことじゃないのに、子どもの無邪気さはよく鋭利な刃物になる。子どもたちは自分たちと違うところを見つけると、すぐに攻撃したり仲間はずれにする。それを『無邪気』という言葉で、片付けていい気が僕にはしない。
彼女には友達は一人もいない。
好きな人ができても、本当にこの人はいい人なのかとどうしても疑ってしまい、恋を前に進めさせることが一度もできなかった。
彼女の人生は、どの角度から見ても不幸に埋もれていた。
困っているときに誰も彼女を助けてくれる人はいなかった。相談に乗ってくれる人さえもいなかった。
心と体に傷をおっても、さらにどんどん孤独になっていくだけだった。負の出来事は残念ながら連鎖を起こすことが多いから。
彼女は、傷だらけでもう空っぽで、独りっきりだった。
人は、信じられるものがあるから辛い時も頑張れる。
彼女にとって、それはまだあるのだろうか?
ただ耐えるだけの人生だったとしたら、僕に何ができるか頭をフルで働かせた。
「あなた、私の何を知ってるの?」
彼女はキリッとした目つきで僕を見てきた。
彼女からしたら、いきなり自殺を止められたことになる。きっと今はなんとも形容し難い不思議な気分だろう。
まずは少しでも話せるようになりたいと僕は思った。そうでなければ、彼女の自殺を止めることは到底できないだろうから。
ひとまず高層マンションから外に出た。
空を見上げると、雨が降りそうな雲が浮かんでいた。
「全て知ってます」
そう言っても、彼女はあまり驚いていなかった。
きっと今までの人生で落胆することばかりだったから、これぐらいではさほど驚かないのだろう。
感覚が完全に麻痺してしまっている。
「知ってて自殺を止めたのね。あなた性格悪いね」
「どうしてですか?」
彼女の言ってる意味が純粋にわからなかった。
僕は優しさから声をかけたけど、彼女目線だと違うように見えるのかもしれない。
「世の中にはどうすることもできないことがある。私はどう転んでも幸せになれない。それをあなたも知っているのに、わざわざ声をかけてきた。あなたには私を救えるはずもないのに、希望をもたせ優しくするなんてひどいと思わない?」
彼女は苦しそうに笑った。
それはあまりにも、歪んだ笑顔だった。
彼女は、本当は幸せになりたいのかもしれない。そんな思いが僕の中でなぜか浮かんだ。
「僕はあなたに生きてほしいです」
「こんなダメな私にそんな風に思う人なんているはずがない」
彼女は震えていた。
それでも僕は言葉を続けた。諦めないことを尊君から教えてもらったから。
「私は、あなたが孤独のうちに自殺してしまうのを止めに来ました」
「孤独で死ぬ。やっぱり私なんかは最期まで誰にも大切にされないまま死ぬのね」
彼女の手には力が入っていた。きっと握りしめた指は腫れているだろう。そして、彼女の小さな腕には無数の切り傷があった。何度も自殺未遂をしたのだろう。
僕がすぐに言葉が出てこないでいると、「どうせあなたもすぐに私のことを見捨てるんだろうし、どうでもいい」と彼女は言った。
その言葉は、僕の行動を許可したとはとれない。
それでも僕は、「必ずあなたを孤独から救います」ともう一度言った。
どんなことがあっても、彼女には孤独な思いをさせたくないと思った。
例え僕が犠牲になっても、彼女を救いたいと思った。
それぐらい今は看取る人にたいして強い思いをもっていた。
こうして、彼女と関わっていくようになった。
僕と彼女の距離はまだだいぶ離れている。
僕は、彼女の本当の気持ちに寄り添うことができるだろうか。
ただ彼女に生きていてほしい。
生きていれば、不幸の連鎖から抜け出せるかもしれない。
その時にどう感じるか、僕は彼女の口から聞きたかった。