僕はある日彼に個展を開きませんかと提案した。
彼のためにもっと何かしたいと思っているし、彼の実力なら、他の人も賞賛するはずだ。
最近風が強く、天気も悪い。
彼の方を見ると、彼は涙を流していた。
絵も描かず、なぜ泣いているのだろう。
それからすぐに涙を拭いて、返事をしてくれた。
一体どうしたのだろう。
「簡単に言うけど、俺は何のコネもないよ?」
彼の言っている『コネ』とは、所謂芸術関係者や会場を貸してくれる人との繋がりだ。
「それは僕が用意するので、安心してください。煩わしいことは全部僕がやります。尊君はいつも通り絵を描いていたらいいんです」
「えっ、任せちゃっていいの? じゃあもちやりたいよ。画家への一歩だからね」
彼は嬉しそうしていた。
彼は感情が表に出やすい。きっと素直なんだろう。
「はい、任せてください」
個展の準備はもちろんしたことがなかった。しかし、何としてもすると思った。
彼の言う通り、個展は画家への大きな一歩だ。画家として食べて行くためには、どこかで賞をとったり作品が有名な人や影響力のある人の目に留まることも必要になってくる。
それらを得る絶好の機会が個展なのである。
画家になるにはいくつかの方法がある。海外に行ったり、パトロンを見つけて援助してもらったりなどである。
しかし、画家として幸せで楽しいのは個展だと僕は感じていた。絵はたくさんの人に見られてこそ輝くから。
また、彼の夢である自分の絵を見て幸せになってほしいというのを叶えられる可能性もある
彼を一歩でも画家に近づけてあげたかった。もちろん夢も叶えてあげたい。
僕は急いで、準備をし始めた。
しかし、事態は思うようにはいかなかった。
ある日のことだった。
僕はいつも通り、絵を描いている彼を見ながら、コーヒーを作っていた。彼が絵を気持ちよく描ける空間作りも僕の役目の一つだ。
「生きたいよ」
彼は急に筆を置いて、僕を見つめてきた。
急にどうしたんですかという言葉を僕はぐっと飲み込んだ。毎日死に直面してる彼にとってそれはきっと突然ではなく、いつも思っていることだろうから。
それを口にするのはあまりにも彼に失礼すぎる。
「歩、俺もっと生きたいよ! だってしたいことがまだまだある。描きたい絵だって山ほどある。個展を開いたら、また新しい個展をすぐに開きたい。なんで俺は生きられないの?」
彼は大粒の涙を流していた。
それは今まで我慢していたものがあふれだしたかのようだった。
夢は確かに大きいほど生きる希望となる。
だがしかし、大きいほどもっと生きたいという気持ちがでてくる。
彼がそう考えたのは何もおかしなことではない。
彼はまだ二十歳にもなっていない。大人ではなく、まだ子どもなのだ。
そんな彼が、死の宣告を受け入れるなんて到底できるはずがないことなのだ。人生これからの時に死ぬなんて悔しくて仕方ないだろう。
また、年老いても、死を受け入れられるものではないことを僕は知っている。
ここで「大丈夫。まだまだ生きられますよ」と僕は言いたくないし、実際に言わなかった。
なぜなら彼の命は、個展が開かれる前に絶えてしまうから。作品はちゃんと出来上がったけど、個展開催日には間に合わなかった。
つまり、無事個展は開催できるけど、どんな人かきているかなどを彼が見ることはできない。
「僕がそばにいますから」
僕は彼の手を握った。
僕にはそれぐらいしかできないから。
彼の手は震えていた。
この言葉や行動だってどれくらい彼の辛い気持ちを軽減させるかわからない。
人は、死に対してあまりにも無力だ。それは支える人も同じだ。
死を前にした人に、何ができるだろう。
彼の辛さは彼にしかわからないかもしれない。
それでも、僕は諦めたくないと思った。
「じゃあ、なんとか俺を助けてよ」
彼の手に力がこもった。
僕はまっすぐ彼を見つめることしかできなかった。
それは僕には叶えられない願いだった。
僕には最期を迎える人を看取ることしかできない。自分の力の無さを恨んだ。
しかし、彼には最期まで希望をなくしてほしくなかった。
「気持ちはわかります。まずは、個展を素晴らしいものにしましょう」
僕は彼が見ることができない個展の話を持ちだしてしまった。
それはあまりにもずるいやり方だ。
そう話せば、彼がまた元気が出ることを僕は知っているから。
でも、僕は最期まで、彼には元気でいてほしかった。