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四節 「孤独」

 次の日、また食事介護をしている時のことだ。

 外は、雨がざあざあと降っている。

 少し前に内装をリフォームしたこの一軒家でも、雨の音が強く聞こえる。今かなり雨が降っているのだろう。

 この雨は、彼女の思いの大きさだろうかとふと僕は思った。

 彼女の家自体はとても広く、介護もしやすい。

 しかし、完全にユニバーサルデザインになっていないので、少しだけ困るときもある。

 段差が少しあったりするので、車椅子を押す時に少し力がいる時がある。

 そもそも介護されることを家を買う時に誰も想定していなかったのだろう。

 ご飯を彼女の口に持っていこうとした時、「あなたは誰ですか? なぜ学さんはいないのですか? 学ぶさんはどこにいるのですか??」と彼女はいきなり暴れた。

 僕が持っていた茶碗が、床に落ちた。

 それは、穏やかな彼女からは想像できない姿だった。

 もちろん認知症の症状ではあるけど、彼女は、今孤独を強く感じたのだろう。

 全ての物事を認知症という言葉で片付けるのはあまりにも強引だと僕は思っている。

 愛する夫がどこにもいないと急に不安になった。

 それは、パニックになるには十分すぎる内容のことだ。

 夫婦として一緒にいた相手とは、周りの人が思うより強い絆で結ばれている。もうその人は自分の人生の一部なんだろう。

 もしかしたら、その人のために自分を犠牲にしてもいいほど大切な相手だから結婚するのかもしれない。

 僕は結婚をしたことはないけど、なんとなくそんなことを思った。

 そして、自分のことを少し思い出すと、頭が痛くなった。

 あの日も雨が降っていた。

 僕はあの時……。

 今とあの日が徐々にシンクロしていこうとしている。

 雨音がうるさいぐらい耳に聞こえてくる。

 僕は頭を抑えるながら、「淑子さん、落ち着いてください」と小さな声で言った。僕が彼女と同じように大きな声を出すと余計にパニックになるだろうから。それぐらいは今の僕にも判断できた。

 しかし、彼女は全く聞いてくれなかった。

 きつい言葉をたくさん浴びせられ、物も投げられた。

 でも、彼女の力では物を遠くまで飛ばすことができず、それは彼女のすぐ近くに落ちた。

 それを見て、僕はさらに心が痛くなった。

 彼女はもうそんな力さえないのだとわかったから。

 彼女の痛みを少しでも取り除こうとしているのに、いつもなかなかうまくいかない。

 なんというか、実感というものが全く感じられない。

 やはり、僕ではダメなのだろうか。

 でも、彼女にはもう時間はほとんど残されていない。

 こんな些細なことに僕が悩んでいてはいけない。とにかく僕が、彼女を安心させる方法を早く見つけなければいけない。

 「僕が外を探してきますね」と彼女をベットに寝かせ、僕は家から外に出た。

 彼女は、高齢のため一人で起き上がれない。

 ベットには介護用の落下防止の柵もつけてある。

 さらに用心して、僕は家の鍵も閉めた。

 僕は庭で、何をしているのなんだろうと思った。

 生活を支えるだけが介護ではない。精神的不安を軽減させることも介護に含まれる。僕はそのことをしっかりわかっているつもりだった。

 それなのに、僕はさっき何もできなかった。

 ただ逃げてくるかのように外に出てきただけだ。

 介護する僕がしっかりしないといけないのに、僕も同調し戸惑ってしまった。

 愛する人を思う気持ちは海より深いと言われることが多い。彼女の思いを僕はしっかり受け止められるだろうか。彼女の思いに正しく応えらるだろうか。

 僕は空を見上げた。

 雨が体に打ちつけてくる。僕は傘を持って外に出なかったから全身が濡れている。でもそんなことは全く気にならなかった。

「学ぶさんはどこにいますか?」と彼女の声が家の中からまた聞こえてきた。



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