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第8話


 男たちから逃げ帰ったあの日から、フィリやフィンはずっとリンの後ろをついて回っていた。

 細かい傷が出来ただけなのに、立ち仕事をしていると慌てて座らせて来たりして、あまりの気の遣われようにリンのほうが気まずく思えるほどだ。


(怪我もほとんど治ったし、べつに平気なのにな……)


 と、昼間は平然としているリンだったが、無意識にあのときのことがトラウマになっていたのか、連日夢見が悪かった。

 夢でリンは、真っ暗な闇の中を毎回全速力で駆け抜けていた。それなのにどれだけ進んでも光りは見えてこない。背後からはなにかが追ってきていて、リンは恐怖で泣きそうになりながら叫んだ。


 ――誰か! 誰か助けて!


 確かに叫んだのに、悲鳴は音になることなく暗闇に消えていった。より絶望がリンの胸に押し寄せる。


 ――フィン! フィリ!


 縋るように家族を呼んだとき、不意にリンは温かく手を引かれるような感覚を覚えた。

 まるで母の胸に抱かれたときのような安心感に、ふっと体が軽くなる。

 その浮遊感にリンはそっと体を預け、そして心地よさに目を閉じて夢から覚めた。


「……だれ?」


 真っ暗な寝室を、カーテン越しに白い月光が淡く差し込んでいる。その光に照らされた大きな影に、リンは夢うつつに問いかけた。

 起きると思わなかったのか、ビクリと震えた影は身じろぐ。リンよりも大きい体は明らかに男のもので、本当なら驚きと恐怖で飛び起きただろうに、なぜかそんな気は起きなかった。


 眠るリンの手を優しく包んでくれていたこともそうだが、なによりその深い赤い瞳が、家族であるフィリと同じだったからかもしれない。

 男はリンとそう変わらない年頃に見えた。若く引き締まった体に、さらさらと細く揺れる黒い髪。すっと通った鼻筋や切れ長の瞳は整っていて怜悧な印象を持たせるが、声をかけられた途端にビクビクして瞳を彷徨わせるから全然怖くなかった。


「あ、いや……俺は……その……」


 挙動不審に言い淀んでいた男は、しばらくして「フィリの知り合いだ」と答えた。


「きみが夜中にうなされているが、自分はドラゴンだから代わりに手を握って宥めてやって欲しいと頼まれてな」


 本当に? と思わず訊き返しそうになるほど男の瞳は泳いでいたが、リンを心配して気遣っているのは本当のようだ。


「フィリが、友人のあなたにわざわざ?」


 そこまでするだろうか。そもそもフィリと家族であっても、その友人となればリンとは無関係だ。顔も知らない家族の友人に慰められるなんて、一体どういう状況だろう。

 いくつも疑問が浮かんできて、リンはひどく困惑してしまった。


 それに罰を悪くした男がぽつりと「家族は助け合って支え合うものなんだろう?」と口にした。その瞬間、リンは自分でも不思議なほどにストンと、この男はフィリだと思った。

 なんの根拠もないことだ。けれど、それが正しいと思えた。

 よくよく聞くと声もフィリにそっくりで、リンはますます確信を持つ。


(誤魔化したってことは、バレたくない理由があるのかな……)


 教えてもらえないことに淋しくも思えたが、きっとリンには分からない事情があるんだろう。

 そう思ったリンは、ただ「ありがとう」と伝え、フィリの手をそっと握り返した。

 フィリはリンが握り返すと思っていなかったのか、ギクリとして驚いていたが、横になったリンが「寝るまでそばにいてくれる?」と訊くと、生真面目な顔で深く頷いてくれた。


「ありがとう……」


 フィリがいてくれるなら、安心できる。そうして眠りについたリンは、悪夢を見なかった。



 その後、すぐに雪が降ったのでしばらく街に行くこともなく平和に日常が過ぎていった。

 数日のうちは夜中に目を覚ましてしまうこともあったが、そういうときは必ず「知り合い」と言い張る男――フィリがいてくれて、寝るまで手を繋いでくれていた。そのおかげか、ここ最近はぐっすり眠れて悪夢をみることがなくなっていた。

 フィンとフィリと一緒に食事をして温かくした部屋の中で一日穏やかに過ごす。けれど、そんな日常もそろそろ一区切りしなければいけなくなった。


「……そろそろ買い出し行かないとなあ」


 家にある食料の在庫を見ながら呟くと、フィンとフィリも大袈裟に動揺し始めた。


「お姉ちゃん、今度は僕が買い物行ってくるよ」

「フィン一人で行かせられるわけないでしょ?」

「じゃあ俺がついていく」

「フィリの姿を見たらみんなビックリしちゃうわよ」


 さすがに小さなドラゴンを連れて街には入れない。注目を集めるようなことは、出来れば避けたい。


「雪も溶け始めてるし、明日少し行ってくるね」


 不服……というか心配そうな二人に、有無を言わさぬようにニッコリ笑って言えば、フィリがおずおずと申し出た。


「じゃあ、俺の知り合いの……あの男ならどうだ?」

「彼? ……まあ彼ならいいかな」


 若い男女なら並んで歩いてたって違和感はないだろう。男と一緒にいることで、この前みたいな者に目をつけられることもないはずだ。


「でも、その知り合いさんも忙しいんじゃない? 明日急にお出かけなんて……」


 あの男がフィリだと察していることは気づかれないほうがいいかと、それらしいことを言ってみたが、フィリが気にしなくていいというのでありがたく付き添ってもらうことにした。


(暗い中で顔はみたけど、明るい日中に会うのは初めてね)


 夜の闇の中で妖しく光る真っ赤な瞳は、昼間にはどうやって輝くのだろう。

 それに二人で買い物だなんて……考えると、リンの胸はドキドキしてこそばゆかった。

 初めての感覚に戸惑い、気を紛れさせるために昼食作りに勤しむ。

 その間、フィンとフィリは日課になっている魔法の授業のために一度外に出た。

 芋をふかし、スープの具材もほろりと崩れるまで煮込んだところで調理は一段落し、ふと室内を振り返ったリンは暖炉の薪が少ないことに気づいた。


「いけない……陽が落ちるともっと寒くなるのに」


 フィンたちに見つかると手伝うからと言って授業を中止するかもしれない。だからリンは、こっそりと小屋の裏手にある薪置き場へと向かった。

 重たい薪を両手に抱えて往復していると、不意に藪がガサガサと音を立て、そこからひょこりと年配の男が顔を出した。

 裕福そうな質の良い服を誂え、ふくよかな体を重たそうにした男の穏やかな面差しに見覚えがあったリンは「オーナーさん?」と驚いて声を上げた。


「おお、よかった。元気そうだね」


 付き添いとみられる使用人の若い男に支えられた年配の男は、リンの姿にほっとした様子だ。彼こそこの小屋の持ち主であり、今は使わないからと無償でリンたちを住ませてくれている人の良いオーナーなのである。


「どうしたんですか、急にこんなところまで」

「いやね、街でこの辺りで若い女性を襲ったという男たちの話を耳にしてね……もしかしてきみになにかあったんじゃないかと思って顔を見に来たんだ」


 そう言って汗を拭うオーナーのニコリとした温かみある笑みに、リンもほっこりとする。

 だからうっかりしていたのだ。本当なら、すぐにでも来訪者の存在をフィンたちにも教えなければいけなかった。

 そのことに気づいたのは、若い従者の男が顔を青くしてオーナーに呼びかけたからだ。


「だ、旦那さま……あれは……」


 怯えた男に倣ってオーナーの目が向く。リンも同じように顔を向け、玄関先で魔法を使うフィンの姿にザッと血の気が引いた。

 顔色を変えたのはオーナーも一緒だ。


「魔法使い……? しかも子どもの……!」


 驚き目を瞠ったオーナーの額には冷や汗が浮かび、顔が真っ青になった。


「あの、違うんです……たしかにフィンは魔法使いですが、決して危ない者では」


 宥めようと伸ばした手は、「旦那さまに触れるな魔女め!」と従者の男に叩き落とされた。

 じんとした痛みが鈍く頭に伝っていく。目眩のようにぐるぐると回る視界で、従者とともに身を翻すオーナーの姿が見え、リンは慌てて呼び止める。


「待ってください! どうかこのことは他の方には内密に!」

「魔法使いなどこのまま住まわせておけるわけないだろう!」


 さっさと出て行ってくれ! と、ここに来たときの温和な顔つきは跡形もなく、ひどい恐怖と怒りを宿した顔でオーナーは転がるように去って行った。

 今までよくしてもらっていただけに、彼からの言葉は頭を金槌で殴られたような大きなショックをリンに与えた。


「おねえちゃん……」


 呆然と立ち尽くすリンに、騒ぎに気づいたフィンがおずおずと声をかける。

 振り返ると、同じように真っ青になった弟の姿にリンの頭はやっと働き出した。


「フィン、すぐに荷物をまとめましょう」

「ど、どうするの?」

「とりあえずここを離れましょう。そのあとのことはそれから考えるわ」


 言いながら、リンはとりあえずとばかりにフィンに上着を着込ませ、必要最低限の食料と荷物をバッグに詰め込んでいく。


「あの二人を街まで戻さなければほかの人間にバラされる心配もないぞ」


 と、それまで傍観していたフィリはぽつりと言った。思わず顔をあげたリンは、こちらの様子を窺うように見下ろすフィリに

釘付けになる。


(いま、なんて……?)


 つまり、言いふらされないようにあの二人の口を封じてしまうということか。言外に匂わされた逃げた二人への殺意に、刹那背筋が粟立つ。そして、次の瞬間にはそれだけ自分たちを案じてくれるフィリに対して、ほのかな温かみを感じた。

 リンはそろりと小さなドラゴンの頭を撫でる。


「大丈夫よ。……なにより、フィリにそんなことさせたくない」


 微笑むリンに、フィリはそう言われるのが分かっていたように静かに受け止め、荷物をまとめる準備を手伝い始めた。

 ものの十数分でどうにかまとめあげ、リンたちは荷物片手に小屋を飛び出す。

 二人が街に戻って警備隊に話を通すまで余裕はある。そう思っていたけれど、離れたところから大人数の足音が聞こえた。

 目をこらしてみると、雪の残る白い森のなか、木々の隙間から甲冑姿の男たちが見えた。


(あれって王都の騎士団だわ……!)


 どこの所属かを示す男たちの纏う鮮やかな色のマントに、リンは息を呑んで驚いた。

 そういえば第二王子を探して騎士団が街を点々としていると、少し前に聞いたことを思い出す。まさかタイミング悪くオグウェスにいただなんて……。


(どうしよう……騎士団相手に逃げ切れるかしら……)


 いっそ大人しく身を預けた方が安全が確保できるだろうか。数秒の間にリンの頭にさまざまな考えが巡るが、なにが最適なのかわからない。

 近づいてくる仰々しい甲冑の集団を前に、恐怖が打ち勝ち、一先ず逃げようとフィンを抱えた。しかし、足を踏み出したところでフィリがいないことに気づく。


「フィリ? 早く逃げないと」

「リン。王都の者は魔法使い相手の戦闘にも慣れているから、まだ経験の乏しいフィンと人間のお前では勝ち目はない」

「……じゃあ大人しく掴まった方が安全?」


 その場合、フィンの待遇はどうなるのだろう。契約を結ばされて放免されるならいいが、子どもだからとどこかに閉じ込められるようなことになったりなんかしたら……。

 どうしても嫌な想像ばかりが膨らんでいく。

 不安を滲ませたリンの瞳に、フィリは難しい顔で黙った。その間にも騎士団は刻々と迫ってきている。

 冷や汗とともに、心臓が緊張でバクバクと大きく鳴り続けている。けれど、フィリを置いていくことも出来ない。


「フィリ、早く逃げなきゃ……あなただって魔法が使えるんだから危ないわ」


 不安そうに涙を浮かべたフィンをぎゅっと抱きしめ、リンは震える声で呼んだ。すると、フィリは思案気な真っ赤な瞳でリンを見つめ返して訊ねた。


「騎士団は一時的に魔法を使うことの出来る魔導具を持っているし、まず逃げ切るのは無理だ。かといって、身柄を拘束されてもお前とフィンはバラバラになるだろう」

「じゃ、じゃあどうすれば……」

「俺の力ならこの場から逃げることは出来る。ただ騎士団から永久に捜索されることになる危険もある」


 そして――。と、フィリはそこで言いにくそうに一度口を閉じた。


「フィリ?」

「お前たちが一緒に……かつ安全に保護される道もある。ただ、直接的な害はなくとも、心ない言葉で今まで以上につらい思いをするかもしれない」

「それは……一体どういうこと?」

「ずっと逃げ続けるか。それとも針の筵のような生活をするか……ただ、後者を選んでくれたら決してお前たちを危ない目にあわせないと誓う」

「そりゃ逃げ続けるよりも安全な保護のほうがいいけど……フィリ、でもどうやって……?」


 そんなことが出来るの?

 混乱した頭が追いつかなくて、リンはただ問い返すことしか出来ない。

 訊ねれば、フィリはふと淋しそうに赤い瞳を眇め、「なにがあっても俺を信じてくれないか」と零した。

 視界の隅で、すぐそこまで騎士団が来ているのが分かった。「あっちだ!」と立ちすくむリンたちを見つけたと思しき声が聞こえ、焦りでリンが目を離した一瞬だった。


 羽ばたいて宙に飛んでいたドラゴンは消え、そこには美しい面差しの青年がいた。

 サラサラと流れる黒い髪に光が反射して艶めく美しい姿に、リンは刹那、恐怖や焦りを忘れて息を呑んだ。

 腕の中のフィンも、思わず「わあ」と歓声をあげている。

 どうして急に――そう言いかけ、目の前のスラリとした長身が膝をついてリンの手をすくい上げるから、呆然と目で追ってしまう。それほど一挙一動が優雅で美しいのだ。

 美しい男の唇がそっと己の手の甲に押し当てられ、リンの頬にカッと熱がのぼった。


「今まで黙っていてすまない……でも、どうか俺のこと信じてくれ。家族だと言ってくれたフィリのことを信じてくれ」


 泣きそうに震えた懇願に、思わずリンの胸も切なく震えた。


 ――大丈夫。前から知ってたよ。


 そう宥めようとしたが、騎士団が周囲を固めていることに気づいて警戒を強める。

 子どもの魔法使いとでも報告を受けたのか、騎士たちはリンの腕の中のフィンをとくに警戒した眼差しでジロジロと見ていた。しかし、敵意のあった視線が、不意に驚きと混乱でざわめいていく。


「ユ、ユシウス殿下、どうしてこんなところに!」


 悲鳴のような声を始め、ざわざわと怯えるような気配が騎士たちに伝播していく。

 フィンに注がれていた視線は、今やフィリ――ユシウスに向けられている。

 騎士の言葉に応えるように。そして、リンやフィンを守るようにユシウスは立ち上がって背を向けた。


「ユシウス……?」


 それも殿下って……。唖然としたリンの頭の中で、情報が繋がっていく。

 王都から消えたという第二王子。殿下と呼ばれる目の前のユシウス。そう考えなくてもリンは答えに行き着いた。


「あなたが、第二王子さま?」


 リンの呟きに、ユシウスが躊躇いがちに振り向いた。騎士たちを牽制するようだった鋭い眼差しが、困惑したリンを見た瞬間に不安に苛まれた子どものように揺れる。


「……言えなくてすまなかった。もし逃げたいのなら、今すぐ二人とも逃がしてやれる」

「フィリは?」


 二人という言葉に、リンは間髪入れずに訊き返した。


「俺が一緒に逃げれば、それこそ一生追われることになる。俺が王宮に戻って偽装した契約書でも見せれば、ひとまず落ち着くだろう」


 だから安心していいと微笑む彼を、リンは痛ましく感じた。けれど、目の前にもたらされた安全な逃げ道に心が揺れる。

 フィンはまだ幼い。せめてこの子が自衛できるぐらいに大きくなるまでは、逃げた方がいいんじゃないか。

 ルシウスが言っていたじゃないか。王族は自分の家族でさえ化け物と呼ぶのだと。魔法使いをひどく恐れていると。

 そんなところに言って、フィンは無事でいられるだろうか。

 ぐらぐらと揺れる心情のリンを推し量ったように、ユシウスは諦念を忍ばせた笑みで見据えた。


「安全な場所に送ると約束する。……だが、一度だけ会いに行ってもいいか?」

「え?」

「王宮に戻ったら、魔法使いのための教育の場を整えるつもりだ。いつになるかは分からないが、それが実現できたなら……そうしたら、フィンを迎え入れたい」


 そしてリン……お前にもう一度だけ会いたい。

 苦渋の決断とばかりに告げられた、あまりにささやかすぎる願いに、リンは胸をつかまれたような息苦しい切なさを感じた。

 自分よりも上背のあるユシウスが、どうしてか小さく儚く感じられる。

 一人であったなら、リンはすぐさま彼を抱きしめていただろう。けれど、腕の中の重みいのちがそうはさせてくれない。あくまでリンを理性的であれと留める。


 リンは無意識に縋るようにフィンを見下ろしていた。すると、不思議なことにフィンはさっきまでの不安を一抹も感じさせず、澄み切った揃いの橙の瞳でリンを見つめ返した。


「お姉ちゃん」


 震えも不安もない真っ直ぐな声と眼差しが、リンの背中を押した気がした。

 顔を上げれば、ユシウスは嘘でもいいから頷いて欲しいと切望した顔でリンを待っていた。騎士たちはよほどユシウスが怖いのか及び腰で一向に動きは見せない。

 もう一度フィンと目配せし合い、うなずき合うことでリンの心は決まった。


「フィリ」

「ああ」


 まるで罪人が罪状を言い渡されるような恐々とした彼の顔に、思わず笑ってしまう。そして、フィンを抱いたままユシウスの胸に飛びこんだ。

 すり寄るようにユシウスの胸板に額を押し当てると、頭上で息を呑む気配がした。


「家族は、一緒に支え合って助け合うものでしょ」

「……それじゃあ」

「うん。一緒に行く。私たちは、ユシウス様と一緒行くよ」


 だからちゃんと守ってね、と軽口を続けようとしたが、それよりも早くユシウスが二人まとめて抱きしめてきたので言葉が出なかった。

 リンとユシウスに挟まれて苦しそうなフィンは、「ありがとう」と繰り返すユシウスの涙に濡れた言葉に、仕方がないとばかりに息をついた。その姿がどっちが子どもなのか分からなくて、リンはおかしくって笑ってしまった。

 そのうち落ち着いたユシウスは、リンの肩に腕を回して騎士団を睥睨しながら言った。


「二人は私の大事な客人だ。指一本たりとも触れるな」


 状況を理解し得ない騎士たちはひどく困惑していたが、それでも一声もユシウスに訊ねることなくこくりと頷いた。

 ユシウスが王都に戻ると宣言すると、騎士は剣を収めてぞろぞろと隊列を組み直す。

 ユシウスに肩を抱かれたまま歩き出したリンは、「魔法使いの学校を作るのって本気なの?」とそろりと耳打ちした。


「本気だ。魔法使いが組織化することに反対意見はあるだろうが、暴走する危険性のほうがはるかに大きいからな。制御を学ばせ統率を図るためだといえばなんとかなるだろう」

「それってフィンも通えるかな?」

「年単位で時間は必要だろうが、必ず間に合わせる」


 学校の件は、以前リンと話をしてからずっと考えていたらしい。それを聞いたリンは、感極まって泣きそうだった。フィンも「学校に通えるの?」と目をキラキラさせている。


「私にも手伝えることがあったら教えてね?」


 なんでもするから、と涙ぐんだ声でそっと肩にすり寄ると、ユシウスは赤みのさした頬を嬉しそうに緩ませた。


「お前にかかれば、愛されたことのない魔法使いはすぐに骨抜きにされてしまうだろうな」



 この数年後、王都からほど近い領地に大陸初の魔法使いのための学園が建設された。

 魔法使いであれば誰でも受け入れるという異例の試みに、当初は魔法使いも人間も問わず距離を保ち、警戒したように様子を見ていたが、痺れを切らした建設者であり理事を務めるユシウス・デグランが居場所の分かる魔法使いを片っ端から引っ張ってきては在籍させたという。


 そのうち魔法使いが生まれれば学園が引き取り手として機能するようになり、制御の効かない子どもの魔法使いの被害も減少。

 魔法のコントロールを覚え、他者との交流を持つようになった魔法使いたちに、次第に人々が向けていた畏怖の視線は和らいだ。

 なにより、己以外を信じられない魔法使いたちの傷ついた心を癒やしたのは、学園に唯一在籍する非魔法使いであり、理事長ユシウスの妻である一人の女性だった。



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