冒険者ギルドの重厚な扉をくぐり、三人が街の通りに戻ると、緊張していた空気がふっと和らいだ。魔法の光に満ちた街並みは相変わらず賑わいを見せ、行き交う人々のざわめきが耳に心地よく響く。
レイは軽く肩を回しながら、溜め息を一つ吐いた。「いやー、やっぱりギルドの中は重いな。特にアークウィングがいると余計にピリピリする。」
「そう?私は普通に振る舞ったつもりだけど。」ルナは冷静に返しつつも、その表情にはわずかな疲れが見えた。
「いやいや、ルナ。お前の殺意、隠しきれてなかったぞ。」レイはわざとらしく深刻な顔を作りながら、からかうように言った。「あれじゃ敵にバレバレだ。」
ルナは眉をひそめる。「そんなわけないでしょ。冗談でも変なこと言わないで。」
メフィストがそれを聞いて吹き出した。「はは、確かにルナの視線は鋭かった。まるで敵を睨みつける猫だな。」
「何それ。」ルナは呆れたようにため息をつきつつ、微かに頬を膨らませた。
「まあまあ、冗談だよ。」レイは笑いながら手を振る。軽口を叩く二人を見て、ルナも徐々に表情を和らげた。
そんな軽い会話を交わしながら、三人は地図を頼りに街の外れへと進んでいく。途中、魔法の光が反射する川が見えてきた。透明な水面には青空と街の影が映り込み、そこだけ時が静かに流れているように感じられる。
「ここだな。」メフィストが地図を確認しながら言った。
三人が足を止めたのは、川沿いにぽつんと建つ焼け跡の民家だった。壁の一部が黒く焦げ付き、屋根は半分以上崩れ落ちている。かつて生活感に満ちていたであろう場所は、今や荒廃し、静けさの中に悲しさを宿していた。
「随分とひどいな。」レイが周囲を見渡しながら呟く。
「これがブルーノの家か。」メフィストがつぶやき、無意識に拳を握る。
「人が住んでいるようには見えないわね。」ルナが冷静に言ったが、その声には微かな憂いが含まれている。
三人は慎重に足を進め、半壊した民家の中を覗き込む。焼け焦げた木材の匂いが鼻をつく中、周囲の気配を探るように視線を走らせた。
「ブルーノさん、いますか?」レイが声を上げる。しかし返事はない。
「いないのか、それとも警戒してるのか。」メフィストが低い声で言い、剣に手をかけた。
「とりあえず、少し待ってみましょう。」ルナが提案する。「近くに隠れて様子を見ている可能性もあるわ。」
三人は慎重にその場を見渡しながら、次の行動を考える。空気は一転して緊張感を帯び始めた。誰もいないはずの民家で、不意に風の音が耳元をかすめた――まるで誰かが三人を観察しているような気配を感じさせる中で。
建物の影からゆっくりと人影が現れると、三人の警戒心は一層強まった。メフィストはヴェシリアルを抜き放つ準備をし、レイは瞬時に身構えた。ルナはその人物を鋭い目で観察しながら、何かを考え込むような表情を浮かべていた。
しかし、人影の正体が明らかになると、三人の緊張は少しずつ和らいでいった。出てきたのは明らかに人間だった。武装もしておらず、敵意も感じられない。
だが、その人物――おそらくブルーノと思われる男の様子には何か違和感があった。顔は俯いたまま動かず、静かにその場に立ち尽くしている。わずかに聞こえる息遣いは荒く、どこか不安定だ。
少しの間、場を沈黙が支配した。ブルーノも三人も、互いに動くことなくただじっと見つめ合っているだけだった。
「様子がおかしいわ…どうしたのかしら。」ルナが小声で言う。
「近づいてみよう。」レイが短く答えた。
メフィストは静かにヴェシリアルを鞘に戻し、足音を立てないよう慎重にその人物へと歩み寄った。彼の落ち着いた声がその場に響く。
「初めまして。俺たちはブルーノさんの依頼を冒険者ギルドで見て、ここに来ましたが――」
その言葉は途中で止まった。メフィストが突然口を閉ざし、立ち止まったのだ。
「どうした、メフィスト?」レイが急いで彼に駆け寄る。そして目の前の人物を見て、彼もまた言葉を失った。
そこに立っていたのは、ひどく傷ついた男だった。顔の半分は火傷で爛れ、皮膚がただれている。着ている服もボロボロで、ところどころ焼け焦げた跡が見える。その姿は、絶望と喪失の象徴のようだった。
言葉を探している二人を尻目に、ルナが静かに前に進み出た。躊躇することなくその男――ブルーノに近づくと、はっきりとした声で問いかける。
「あなたがブルーノさん?一体何があったの?」
その声が届いたのか、ブルーノはゆっくりと顔を上げた。彼の目は虚ろで、その奥に深い悲しみが宿っている。
「すみません…冒険者様でしたか。」ブルーノの声はかすれ、聞き取りにくいものだった。「なにぶん、目も耳も悪くしてしまいまして…。声をかけられても気づけず…失礼を。」
ブルーノはそう言うと、背を向けて家の中に歩き始めた。彼の動きはどこかぎこちなく、足取りは重い。
「立ち話もなんですので、中でお話しましょう。」
三人はただ事ではないと感じ、その言葉に従って家の中へ足を踏み入れた。
家の中はひどく焼け落ちていた。壁には黒い焦げ跡が広がり、家具らしきものはほとんど形を失っている。床には焼け残った木材や瓦礫が散乱し、足を踏み入れるたびに軋む音がした。まるでそこには、かつての温かな生活の痕跡が一切残されていないかのようだった。
「随分とやられてるな…。」メフィストが低く呟く。
ブルーノは焼け焦げた何かに腰を下ろすと、三人に「どうぞお掛けください」と壊れた椅子を指して言った。
しかし、レイとルナ、メフィストは顔を見合わせて黙ったまま立ち続ける。
「俺は大丈夫だ。」メフィストが先に口を開くと、レイとルナも「このままでいい」と続けた。
「そうですか…」ブルーノは俯いたまま小さく頷き、低い声で話し始めた。
「ここ最近、この辺りでモンスターを大量に引き連れた冒険者が目撃されることが増えてきたんです。増えたと言っても、全部同じ冒険者でした。」
ブルーノの声は震えていた。
「その冒険者が引き連れて歩くモンスターがあまりにも危険だということで、この一帯を代表して私が注意をすることにしました。しかし、その冒険者は話を聞くどころか、いきなり殴りかかってきたのです…。」
彼の言葉には怒りというよりも悔しさが滲んでいた。
「情けない話、私はそこで気を失ってしまいました。そして、次に目を覚ました時、この一帯は壊滅していたのです…。私は無我夢中で家に残してきた家族のもとに走りました。…でも、遅かった。」
ブルーノの拳が震えている。
「家には火の手が回り、手が付けられない状態でした…それでも、私は家族をどうしても救いたくて家に飛び込んだんです。」
彼は言葉を詰まらせた。目から涙が流れ、その声は次第にかすれていく。
「結果、何も救えず…自分だけが火に焼かれて、この有様です。妻や子供が死に、なぜ自分だけが生きているのか…。本当に情けない…。」
ブルーノは涙を流し、拳を握りしめた。指先から血が滲むほど力を込めている。その姿には、愛する者を失った喪失感と、どこにもぶつけられない怒りが渦巻いていた。
三人はその感情を痛いほどに感じ取りながらも、掛けるべき言葉を見つけられなかった。ただ、ブルーノの悲しみと怒りを正面から受け止め、立ち尽くすしかなかった。
すると、突然周囲から不気味な雄叫びが響き渡った。それはまるで獣と何か異形の生物が混じったような奇妙な声で、あたりの空気を震わせた。三人の間に緊張が走る。
「今のは…?」メフィストが低い声で呟きながら、咄嗟にヴェシリアルに手を掛け、周囲に鋭い視線を送る。
「様子を見てくるわ。」ルナが即座に立ち上がり、迷いなく外に向かって足を踏み出した。その表情は冷静そのもので、彼女の身軽な動きが周囲に信頼感を与えた。
「気をつけろ。」レイが声をかけると、ルナは軽く頷いて外へと消えていった。
一方、残されたレイは、動揺するブルーノに視線を向けた。ブルーノはまだ拳を握り締めたまま、先ほどの話の続きを考え込んでいるようだった。
レイが落ち着いた声で尋ねた。「ここには何軒か民家があったようですが、もともとモンスターの生息地だったんですか?」
ブルーノは疲れたように首を横に振った。「いいえ、そうではありません。このあたりにはもともとモンスターはほとんど現れませんでした。しかし…」
彼は一度言葉を切り、目を伏せた。
「問題は、あの冒険者です。彼はこの周辺で、大量のモンスターを連れて歩いていました。何の目的かはわかりませんが、まるで意図的に集めているように見えました。」
「集めていた…?」レイが眉をひそめる。
ブルーノは続けた。「そしてある時、何かのスキルを使い一気にそのモンスターたちを攻撃していました。おそらく、何かの訓練だったのかもしれません。でも、その行為がこの土地を荒らし、モンスターを凶暴化させてしまったんです。」
「凶暴化…」メフィストが低く呟き、拳を握りしめる。
「ええ。一度刺激されたモンスターたちは制御を失い、アクティブ化してしまいました。それだけではなく、人の話し声に過剰に反応するようになったのです。恐らく、彼が声を出してモンスターを引き寄せていたせいでしょう…。」
ブルーノの声は徐々に震え始めた。「私たちの生活はめちゃくちゃにされました。家を失い、家族を失い…そして、私も…。」
その時、外からルナの詠唱の声が響いてきた。それは鋭く、力強い魔法の詠唱だ。
「ルナ!」レイはすぐに立ち上がり、メフィストと共に外へ駆け出した。
扉を開けた瞬間、外の光景が視界に飛び込んできた。ルナは魔法陣を展開し、その中心で複数のモンスターを睨みつけている。周囲を取り囲むように現れたのは、アクティブ化したモンスターたち――その姿はどれも異形で、鋭い牙と爪を持ち、凶暴な唸り声を上げている。
「どうやらブルーノの言う通りだな。」メフィストがヴェシリアルを抜きながら低く言った。「このあたりを彷徨う残党ってやつか。」
「こいつらが襲ってきたらブルーノを守るのは難しい。」レイが短く判断し、剣を構える。「ルナを援護するぞ!」
その瞬間、ルナの詠唱が完成した。青白い光が魔法陣からほとばしり、次の瞬間――強力な魔法が解き放たれ、迫るモンスターたちに直撃した。