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第35話 破棄された依頼

朝の静けさを破るように、朧が身じろぎした。彼女の耳がピクリと動き、薄目を開ける。「ん…おはよう。」声はまだ寝ぼけている。


「おはよう、朧。」レイが振り返り、柔らかく声をかけた。「よく眠れたか?」


「うん…まあまあ。」朧は布団の中で体を伸ばしながら答える。狐の耳がピンと立ち、尻尾がゆるりと揺れた。目覚めたばかりの彼女の顔は少しだけ警戒を解いているように見えた。


「ようやく起きたか。」メフィストが腕を組みながら少し意地悪そうに笑う。「待ちくたびれたぞ。」


「何よ、文句でもあるの?」朧がむっとした表情を見せると、ルナがクスリと笑った。


「まあまあ、落ち着いて。まだ朝ごはんも食べてないんだし、喧嘩する元気はないでしょう?」


朧はため息をついて肩をすくめた。「朝からお説教なんて、まるでお母さんみたい。」


ルナは何も言わず、準備していた朝食を差し出した。「はい、これ。さっき作った簡単なものだけど、食べておいて。力をつけないとね。」


朧は渡されたパンとスープを見下ろし、少し困惑した表情を浮かべる。「えっと…ありがとう。」


その間も、レイたちは簡単な作戦会議を続けていた。今朝掲示板で得た情報と昨晩朧から聞き出した情報を突き合わせ、どう動くべきかを議論していたのだ。


「よし、これで決まりだな。」レイが深く頷くと、メフィストも口角を上げて同意する。「ああ、これ以上はないだろう。」


朧が食事を終えるのを待って、三人はその結論を告げることにした。


「朧、話がある。」レイの真剣な声に、朧は少し緊張した様子で顔を上げた。「私たちの計画を聞いてくれ。」


ルナが静かに説明を始める。「まず、メギドとの交渉を試みる。話し合いで解決できるならそれが一番。でも…」


「駄目なら全面戦争だ。」メフィストが言葉を引き継ぐ。その声は冷静だが、強い決意が込められている。


「え…本気で言ってるの?」朧の声は震えていた。彼女の目が大きく見開かれる。


「もちろんだ。」レイは短く答える。その表情には一切の迷いがない。


朧は信じられないというように頭を振った。「でも、あの使者たちは…常識外れの強さだよ!アークウィングのマスターですら…無抵抗のまま弄ばれたのに。そんな相手に勝てるはずがない!」


彼女の声は次第に大きくなり、肩が震えている。レイたちの決意があまりにも現実離れしているように感じたのだ。


「朧。」レイが一歩前に進み、そっと彼女の前に膝をついた。「俺たちを信じてほしい。もし、本当に危険になったら、朧だけでも逃げてくれ。それでいい。」


彼の言葉は静かで穏やかだったが、どこか揺るぎない力を感じさせた。


朧はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。「…わかった。信じてみる。」


「ありがとう。」レイが微笑み、そっと彼女の肩に手を置いた。「絶対に後悔させない。」


メフィストが腕を組み直し、少し気まずそうに口を開いた。「だが、その前にやることがある。冒険者ギルドに行って、被害状況を直接確かめてみよう。」


「うん、それがいいね。」ルナがすぐに同意する。「無駄な戦いは避けたいし。」


「決まりだな。」レイが頷き、三人はその場を立ち上がった。装備をもう一度確認しながら、ルナは朧の方に振り返る。


「しばらくここで休んでいて。無理をしなくていいわ。」ルナの優しい声に、朧は黙って小さく頷いた。


「何かあればすぐ戻る。」レイが力強くそう言い残すと、メフィストが軽く手を振りながら出口へと向かう。


「大丈夫だ、俺たちに任せろ。」その言葉に、朧は少しだけ不安そうな表情を和らげた。


こうして三人は廃墟を後にし、アルメアの街へと向かって行った。


アルメアの街は今日も活気に満ちていた。朝の澄んだ空気の中、石畳の道を行き交う人々の足音や、遠くから聞こえる荷馬車の車輪の軋む音が混じり合う。色とりどりの屋台が通り沿いに並び、パンや果物の甘い香りが漂っている。街を歩く人々の姿は、冒険者とおぼしき武装した者から、商人、観光客、さらには子供たちの姿まで多種多様だ。


「今日はまた一段と賑やかだな。」レイが周囲を見渡しながら言う。


「どんどん冒険者が増えてる気がするわ。」ルナが少し目を細めながら答えた。


確かに、装備を整えた冒険者たちの姿が目立つ。中には初心者とおぼしき装備を身に着けた者もいれば、全身を黒光りする鎧で覆ったベテランもいる。その多様さが、街の活気をさらに増幅させているようだった。


「おそらく、各々が初期地点の街を抜けて、アルメアに集まり始めているんだろう。」メフィストが推測を口にする。大都市アルメアは、冒険者たちにとって一つの目標地点なのだ。


賑わう街を抜けて進んだ先には、冒険者ギルドの大きな建物がそびえ立っていた。石造りの立派な外壁にはギルドの紋章が刻まれており、通りを行く人々からもひときわ目を引いている。


「着いたな。」レイが一言呟き、三人はその荘厳な扉をくぐった。


ギルドの中に足を踏み入れると、街の喧騒が一瞬で遠のいた。内部は広々としており、壁にはギルドの歴史を思わせる古い絵画や、討伐されたモンスターの剥製が飾られている。床は光沢のある石材でできており、歩くたびに靴音が軽く反響する。


「リストンとはまた違う雰囲気だな。」レイが周囲を見渡しながら言う。


「大都市のギルドだから、当然ね。」ルナが冷静に答えた。


視線を巡らせると、ところどころに冒険者たちの姿が見える。カウンターで依頼を確認する者、仲間と次の計画を立てる者、そして酒を片手に朝から談笑している者――まさに冒険者の集う場所だ。


しかし、入口近くのテーブルに座っている二人組はその中でも異彩を放っていた。二人とも鮮やかな装飾が施されたマントを羽織り、どこか傲慢な空気を漂わせている。その堂々とした様子から、彼らがこのギルドで一目置かれる存在であることは一目瞭然だった。


「あれはおそらくアークウィングの連中だな。」メフィストが低く言う。


「間違いないわね。」ルナもその二人を一瞥したが、興味を示さないように視線をそらした。


三人は警戒を緩めることなく、カウンターへと向かった。受付では若い女性が明るい笑顔で迎えてくれる。


「いらっしゃいませ!冒険者ギルドへようこそ!」元気な声が響く。


レイが軽く会釈しながら口を開いた。「今あるクエストを確認したい。」


受付嬢は笑顔を崩さず、「承知しました!」と答えると、素早くカウンターの中から数枚の依頼書を取り出し、丁寧に並べた。その手際の良さに、冒険者たちの出入りが多いことを感じさせる。


その時、ルナが口を開いた。「この中で、レア度の高いアイテムが手に入りそうな依頼はあるかしら?」


その声はあえて大きめに発せられた。入口付近のアークウィングの二人にも聞こえるようにしたのだろう。受付嬢は少し驚いた表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻し、「少々お待ちください」と答えた。


ルナはさらに声を潜め、小声で付け加える。「最近破棄された依頼でもいいわ。何か目ぼしいものがあれば教えて。」


その言葉に、受付嬢はしばらく考え込んだ後、カウンターの奥からもう一枚の依頼書を取り出した。


「こちらは3日前に破棄された依頼です。内容はまだ有効ですが、依頼主のブルーノ様に再度声をかけていただく必要があります。」


「要するに、ブルーノを探してまだ助けが必要か確認しろってことだな。」メフィストが確認するように言う。


「はい、その通りです。」受付嬢が頷いた。


レイがさらに質問する。「そのブルーノって人、今どこにいるか分かる?」


「少々お待ちください。」受付嬢は手早く紙に地図を描き始めた。「こちらがブルーノ様の現在の居場所です。この地図を参考にしていただければと思います。」


「助かるよ。」レイが礼を述べ、地図を受け取った。


三人がギルドを出ようとしたその瞬間、入口近くに座るアークウィングの二人の視線が鋭く彼らに向けられていることに気づいた。無言の圧力を感じたが、二人は特に声をかけてくる様子はない。


「気にするな。」メフィストが小声で言う。


「気にしてないわ。」ルナがさらりと返した。


こうして三人はギルドを後にし、地図を頼りにブルーノを探すために次の目的地へと向かうのだった。

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