それからあまり時間をあけずに、メフィストの瞳にわずかな光が戻った。肩から力が抜け、まるで長い悪夢から目を覚ましたかのように、静かに息を吐き出す。
「…ああ…やっと、この呪いから解放されたのか…」
彼の声はかすれていたが、その口調には今までにない穏やかさが漂っている。レイはまだ息を整えながら、少しの距離を置いて彼の顔を見つめていた。
「メフィスト…君は、もう自由だよ」
その言葉に、メフィストはかすかに笑みを浮かべる。普段の気さくな表情とは違い、どこか懐かしさと寂しさが滲んでいた。
「自由…なんて、どれだけ待ち望んでいたか…こんなに重いものを抱えたまま、誰かを傷つけ続ける日々には、もう耐えられなかった」
彼は遠くを見るように瞳を伏せ、まるで自らの内面と対話するかのように呟いた。そして、長く閉じ込めていた心の声を解き放つように、再び言葉を紡ぎ出す。
「実を言うと、あの剣に取り憑かれる前の俺は、ただの平凡な冒険者だったんだ。信頼できる仲間もいて、俺たちはよく旅をしたり、くだらないことで笑い合ったりしていた。楽しかったよ、本当に…」
メフィストの口元がわずかに緩む。しかし、その笑顔は一瞬で陰り、声が震え始める。
「でも…あの剣に触れた瞬間、すべてが崩れたんだ。気づいた時には…俺の仲間は、俺の手で…」
レイはその言葉に息を飲み、メフィストの苦しみを感じ取った。自らの手で仲間を失う痛み、それがどれほどのものか、想像するだけでも心が締めつけられる。
「どれだけ叫んでも、剣の呪縛から逃れられなかった。冒険者をこの遺跡に引き寄せ、次々に殺してしまうたび、俺の魂は少しずつ削られていった。もう、何も感じなくなりかけていた…自分を、悪夢の中で見るような気分だったよ」
メフィストの視線がぼんやりと床に落ち、声は静かに消え入りそうになる。だが、次の瞬間、彼は顔を上げてレイをまっすぐに見つめた。
「でも、君たちが現れて、思い出させてくれた。俺にも、かつては仲間がいたことを。そして、君たちのように信頼し合う心を…もう一度取り戻せたんだ」
その瞳には、今までの苦悩とともに新たな光が宿っていた。それは、再び人としての道を歩むことへの希望であり、長い時間を経てようやく手にした自由の象徴だった。
ルナが静かに一歩踏み出し、言葉をかける。「これから先、君はどうするの?」
メフィストは少し考え込むように黙り、やがて深く息を吸い込んだ。「正直、まだどう生きていけばいいのか分からない。でも、せめて…これからは、誰かを傷つけるためじゃなくて、誰かのために剣を振るいたい」
レイとルナは静かに頷き、彼の決意を心に刻み込むように見つめた。
「ありがとう、レイ、ルナ。君たちのおかげで、俺はようやくこの呪縛から解放された。もし、俺がまた誰かの力になれる日が来たなら、その時は必ず…必ず、君たちの力になるよ」
レイは微笑みながら、メフィストにそっと手を差し伸べた。メフィストもその手を握り返し、穏やかな笑みを浮かべる。
こうして、彼らの間には、新たな信頼の絆が結ばれた。
すると、メフィストの横に転がっていた魔剣が、かすかな光を放ちながらゆっくりと話し始めた。その声には、どこか諦めとも捉えられる冷たい響きがあった。
「やれやれ、3人で仲良く感動の再会ってわけね。私は見向きもされずに転がってるっていうのに…まあ、別にいいけど?」
魔剣の嫌味の混じった声に、レイとルナは思わず表情を引き締め、再び警戒の色を浮かべた。だが、それに気づいたメフィストがすぐに口を挟んだ。
「もう、そいつは危険じゃない」
レイとルナは驚いたようにメフィストを見つめた。彼の視線は優しく、そしてどこか遠いものを見るように柔らかだった。その様子に戸惑いながらも、メフィストの言葉を疑う気持ちが残る。
「本当に…大丈夫なの?」ルナが問いかけた。
メフィストは頷き、苦笑を浮かべながら続けた。「信じがたいかもしれないが、俺が意識を失っている間、不思議な空間にいたんだ。そこではっきりと、こいつと対話していた」
「対話…したって?」レイが問いかけると、メフィストはゆっくりと魔剣に目を向けた。
「ああ、変な話だろう?けど、その空間でこいつの過去も見てきた。そして、こいつと話をしていくうちに…分かったんだ、こいつも相当辛い思いをしてきたってことが」
魔剣が微かに揺れ、沈黙の中で光を宿したかのように見えた。その光にはどこか切なさが滲んでいるようで、レイもルナも言葉を失った。
メフィストは続けた。「もちろん、こいつがしてきたことをすべて許すことはできない。だが…少なくとも、俺はもう少しこいつと一緒にいるべきだと思った」
その言葉を口にするメフィストの瞳には、確固とした決意が宿っていた。彼の視線が、もう一度穏やかに魔剣に向けられると、レイとルナの警戒心が自然と和らいでいくのを感じた。
魔剣が静かに呟いた。「ふん、私に付き合うなんて変わり者ね…」
その呟きを聞きながら、メフィストは微かに微笑んだ。彼の中には、かつての仲間と失ったものに対する悲しみや憎しみが、少しずつ和らいでいるのが分かる。そして、レイとルナもまた、彼の新たな一歩を静かに見守る事にした。
夜が更け、3人は遺跡を後にして少し離れた丘に腰を下ろしていた。満天の星空が広がり、静かな夜風が頬を撫でている。レイとルナは無言のまま、遠くを見つめるメフィストの横顔を見守っていた。
メフィストがふと夜空に視線を向け、小さな声で呟いた。「…俺は、冒険者を殺しすぎてしまった。赤ネームが一生消えないくらいには、な」
その言葉に、レイとルナは驚き、少し戸惑いを見せながら視線を合わせる。メフィストは苦笑いを浮かべ、言葉を続けた。
「もちろん、この魔剣のせいだ。俺の意思じゃなかった…と言いたいところだが、それは違う。俺が剣に飲み込まれたのは、俺の心が弱かったからだ。結局、自分の弱さがこの結果を招いた。」
その言葉に、静かに佇んでいた魔剣がふっと笑うように呟く。「あら、そんなに気にしない方がいいわよ。名前が赤く染まったくらいで何をそんなに問題があるの?逆にカッコイイじゃない!」
メフィストは魔剣を見下ろしながら、ほろ苦い笑みを浮かべる。「そうかもな。でも、お前には分からない人間だけのルールがあるんだ」
魔剣は少しからかうように言葉を返す。「ふ〜ん、人間界の掟には興味ないから分からなかったわ」
メフィストが魔剣を見つめていると、不意に魔剣が提案を持ちかけてきた。
「ねぇ、ちょっといいこと思いついたわ」と、魔剣がくすっと笑う。「このままだと、君もいろいろ面倒なことになるでしょ?だったら、表示されてる赤ネームを…見えないようにしてあげようか?」
その提案にメフィストは驚愕し、思わず口を開いた。「…そんなことが本当にできるのか?!」
魔剣は得意げに微笑む。「ふふ、私の力を甘く見ないで。そんなの、簡単なことよ」と、まるで子供のいたずらでもするような軽い口調で言った。
メフィストは驚きと疑念が入り混じった表情で魔剣を見つめるが、魔剣はさらに続けた。「まぁ、私も少しは迷惑かけちゃったみたいだし。そのくらいはお詫びとして、ね?」
メフィストは、魔剣を見つめながらため息混じりに呟いた。「結果として、こいつと離れられない呪いは続くってわけだな…」と、苦笑いを浮かべた。
魔剣は軽い調子で笑いながら応じる。「あら、そんなに深刻に考えないでよ。お互い持ちつ持たれつでいきましょうってば!」
レイは二人のやり取りを黙って聞きながら、ずっと抱えていた疑問が頭をよぎった。常にふざけた様子のこの魔剣だが、その正体は一体何なのか?
真剣な表情で魔剣に向き直り、レイは問いかけた。
「魔剣、お前の正体はなんだ?元から剣だったわけじゃなさそうだけど、一体何者なんだ?」
魔剣は一瞬、静かに沈黙を保った後、小さく笑いながら答えた。
「アタシはね…元々は魔王軍の将、ヴェシリアルだったのよ」と、どこか懐かしむように続ける。「いろいろあって、今はこんな姿だけど…まぁ、昔はそれなりに強かったのよ?」
おどけて笑う魔剣の声に、レイはすべてを理解するように小さく頷いた。あれほどの力を見せつけた理由が、そして遺跡内の紋章や文字が魔族のものだった理由が、ようやく腑に落ちたのだ。