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第18話 警戒と準備

二人はエルドリアの酒場を出て、夜風に当たりながら宿屋へと向かって歩いていた。お腹いっぱいに食べて飲んで、ようやく一息ついたところだった。街の喧騒も夜更けと共に落ち着きを見せ、建物の明かりもまばらに消え、夜空には無数の星が瞬いている。レイは静かな街を眺めながら、充実感と心地よい疲れに包まれていた。


隣で歩くルナもまた満腹の様子で、お腹をさすりながら少し足取りを緩めている。「ふぅ…、食べ過ぎちゃったわね」と呟きながら微笑んでいるルナの顔は、普段よりも柔らかい雰囲気が漂っていた。レイはその姿に微笑を返し、共に無言のまま夜道を歩いていた。言葉はなくとも、自然と伝わってくる静かな安らぎがあった。


宿屋が見えてきたころ、ふいにルナが足を止めてレイに向き直り、真剣な表情で言葉を紡いだ。「今日は本当にお疲れ様」


「お疲れ様」とレイも微笑みながら応え、しばし二人の間に穏やかな沈黙が流れる。


するとルナがもう一度レイを見つめ、「少し話したいことがあるんだけど、いいかな?」と、少し控えめに尋ねた。その声には、普段の何気ない明るさではない、どこか不安や緊張が感じられる響きが含まれていた。


レイは突然の展開に少し胸騒ぎを感じつつも、静かにうなずいた。「もちろん。どこか静かな場所に移動しよう」


二人は宿屋の前から少し歩いて、人の気配がない高台へと向かった。そこはエルドリアの街を見渡せる場所で、昼間には人が集うようなしっかりと舗装された道が続いている。古びた木製の柵が備えられており、二人はそこに立って街の夜景を見下ろした。夜空に星がまたたき、街並みが静かに広がるその光景は、まるで時間が止まっているかのような美しさだった。


ルナは柵に手を添えてじっと夜景を見つめたまま、なかなか口を開こうとはしなかった。レイも、彼女が話し出すのを待つことにした。今まで見たことのないような表情を浮かべている彼女に、どう声をかけていいのか分からなかったからだ。


やがて、ルナは意を決したかのように小さな声で話し始めた。「今まで気づいていたかどうかわからないけど、私は……プレイヤーとパーティーを組めないの」


レイは驚き、反射的に「どういうことだ?」と聞き返す。ルナは自分の指先を見つめながら続けた。


「ほら、私はNPCだから。プレイヤーとパーティーを組むことができない仕様なの」彼女の声は、どこか寂しげで、自分でもその制約を悔やんでいるようにも聞こえた。


言われてみれば、これまで一度もルナがパーティーとしてレイと一緒に表示されたことはなかった。レイは今まで意識していなかった事実に少し驚きつつも、その理由に納得した。


「だから、明日の遺跡探索は私だけパーティーに入らずに、側で戦う形になると思うの。そこだけはわかっておいてほしい」


レイは少し考え込んだが、理解を示してうなずいた。ルナがわざわざこんな場所でそれを伝えようとした理由が少し不思議だったが、それだけ真剣に向き合っているのだと思い、感謝の気持ちも湧いてきた。しかし、彼女の言葉はそれだけで終わらなかった。


ルナは一瞬ためらったが、次の言葉を慎重に選びながら口を開いた。「メフィストフェレスのことなんだけど……彼には気を付けて」


「気を付けてって、どういうことだ?」レイは意外さに眉をひそめた。さっきまであんなに楽しげに食事をしていた相手を警戒しろと言われ、混乱を隠せなかった。


ルナは真剣な表情で続ける。「上手く説明できないんだけど、あの人、何かを隠している気がするの。ずっと表面上は穏やかで、面倒見もいいけれど、本当に全てを見せているかどうかは分からない……直感かもしれないけど、ただの冒険者じゃない気がするのよ」


レイは半信半疑ながらも、その真摯な目に押され、軽く頷いた。「分かった。注意しておくよ。でも、メフィストフェレスが本当に何かを隠しているとしても、現段階では敵ではないだろう?」


「もちろん。それに私も彼が完全に危険な存在とは思っていないわ。ただ……信頼しきるのは少し早い気がするの」ルナの表情には複雑な思いが浮かび、その真剣な目を見て、レイも彼女の直感を無視することはできなかった。


言いたいことを言い終えたルナは、どこか安堵した表情で微笑んだ。そしてしばらく二人は静かに夜景を眺めながら、街の灯りに照らされて、時の流れに身を委ねた。


やがてルナが軽く伸びをしながら、「さ、そろそろ帰りましょうか」と優しい笑みを浮かべ、レイの方に向き直った。


レイも微笑みを返し、「ああ、そうだな」と一言返すと、彼女の後に続くように歩き出した。途中、ルナはふと立ち止まり、少し意味深な言葉を口にした。


「君は、もし私が……」一瞬言葉を探すような素振りを見せたが、すぐに口を閉じ、かすかに微笑んで「……何でもない」と言って歩き始めた。


レイはその言葉の意味が気になったが、彼女がいつか自然に話してくれることを期待し、深くは追及しなかった。そして、二人は静かな夜の道を並んで歩き続け、やがて宿屋に到着した。


静かに部屋へ戻り、やがて眠りについた。


翌朝、いつもより少し遅めの時間に目を覚ますと、ルナはすでに起きていた。窓から射し込む柔らかな朝の光が部屋を包み、昨日の疲れが少しずつ癒えていくのを感じる。


レイが目をこすると、ルナがこちらに気づき、穏やかな笑みを浮かべた。「おはよう、よく眠れた?」


「おはよう。…ああ、久しぶりにぐっすり寝たよ」とレイは眠気を吹き飛ばすように伸びをしながら答えた。


ルナはすでに身支度を整えていて、昨夜の緊張感はどこかへ消え、すっきりとした表情をしている。彼女の目には、どこか期待と決意が宿っているようにも見えた。


「今日は夕方に出発だから、それまでに準備を整えましょう。食事を済ませて、装備の確認もしておいた方がいいかもしれないわね」とルナが提案する。


レイも頷き、「そうだな。しっかり準備しておかないと、何があるか分からないからな」と言いながら身支度を整え始めた。


「そういえば」と、レイがふとルナに尋ねた。「観測者って、武器とかないのか?」


ルナは少し考え込むようにして「ああ、そういえば」と、思い出したように答える。「武器は持てるわよ」


レイはその答えに目を輝かせた。今まで素手や、その場で手に入るものでやりくりしてきたが、武器が使えるなら一度しっかりしたものが欲しい。期待に胸を膨らませながら、「このあと食事を済ませたら武器屋を見に行ってもいいかな?」と聞くと、ルナも「時間はまだあるし、いいわよ」と微笑んで了承してくれた。


身支度を整え、二人で宿を後にして、いつものパン屋で軽く朝食を取ると、そのまま武器屋に向かった。エルドリアの街の片隅にあるその店は、古びていて、建物自体もかなり年季が入っているようだ。


扉を開けると、店内には少し無骨なドワーフが黙々と剣を磨いていた。ちらりとこちらを見やり、「いらっしゃい」と一言だけ言って、また黙々と作業に戻る。その寡黙な様子が、何となく職人らしい雰囲気を醸し出していて、嫌な印象はない。


そんなことを考えている間に、ルナはすでに店の中を歩き回り、何かを探し始めていた。棚をじっくり見つめながら、「これじゃない…こっちも違う」と小さな声でぶつぶつとつぶやいている。


レイも何か観測者に合う武器がないかと棚を見て回るが、「観測者って、そもそも何を持つんだろう」と疑問に思わずにはいられなかった。見慣れない装備が並ぶ中、何が自分に合うのかもわからない。


ルナに質問しようと近づいた瞬間、彼女が「…あった!」と声を上げた。ルナが棚から埃をかぶった古びた短剣を取り出し、レイの前に差し出す。


「これを探してたの!これを買いましょう!」


レイは思わず言葉を失った。まさかカッコいい剣や杖ではなく、こんな埃まみれの古びた短剣とは…。見た目は何とも地味で、全くカッコいいとは思えない。「冗談だろ…?」と思わずつぶやくが、ルナの真剣な表情を見る限り、どうやら冗談ではなさそうだ。


ルナはその短剣を持って足早にカウンターへ向かい、「これください」と店の主人に言う。レイは少し戸惑いながら、「俺の意見は…?」とつぶやいたが、これまでルナの勧めで失敗したことがないのを思い出し、涙を呑んで黙ることにした。


「それなら30ゴールドでいいぜ」と店の主人が言うと、ルナは待ってましたと言わんばかりにレイに視線を送ってきた。ため息をつきながらも、レイは金袋から30ゴールドを取り出し、カウンターに置いた。


「まいどあり!」店主は礼を言い、再び剣を磨き始める。


二人は新たに手に入れた短剣を持って、静かに武器屋を後にした。

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