宿に戻ったレイが部屋の扉を開けると、ルナはすでに起きていた。しかし、眠気が残っているのか、目をこすりながらベッドの端に腰を下ろしている。こちらに気づくと、ふにゃふにゃとした声で「おはよう」と挨拶してきた。
レイはその姿を見て思わず微笑みを浮かべる。(本当にこいつはNPCなのか…)そう心の中で思いながら、「おはよう」と返した。
するとルナが少しムスッとし、「何がおかしいの?」と不満げに言う。
レイは苦笑しつつ、「別になんでもないよ」と軽く言い流し、ルナの機嫌が悪くならないうちに話題を変えることにした。
「さっき、メフィストフェレスって人に会ったんだ」と言い、レイは朝に出会った人物のことを細かく説明した。高身長で金髪の狐目をした、独特の雰囲気を持つ人物だったこと、そして彼が禁じられた遺跡へのパーティーに誘ってきたことを。
ルナは終始真剣な顔で聞いていたが、やがて考え込むように頷き、「いいんじゃない?」と二つ返事で承諾した。ただし、条件があるという。
「もちろん私も一緒に行くこと、そしてメフィストフェレスとパーティーを組む前にレベル上げをしてから行くこと。それが条件よ」
確かに、遺跡が普通ではない場所であることを考えると準備は必要だろう、とレイも納得し、その条件を受け入れた。
その時、ルナのお腹が鳴った。彼女は恥ずかしそうに目を伏せながらも、「お腹が空いてたら戦もできないわ」と言い、朝ご飯を催促してきた。
レイは思わず笑いをこらえながら、「わかったよ」と答え、朝のパン屋で貰ったパンのことを思い出した。「パン屋の主人にお礼をしていなかったから、朝ごはんはそこで食べようか」
ルナは少し嬉しそうに「いいわね、早速行きましょう」とベッドから降り、伸びをすると、レイの手を引っ張り「ほら、早く!」と急かした。
レイは慌てて仮面をつけ、ルナに引っ張られるままもう一度宿を出た。早足で進むルナの後ろ姿を見ながら、(どうしてこんなに道を覚えているんだ?)と不思議に思いつつ、プレイヤーとは異なる感覚を持っているのかもしれないと考えた。
パン屋に到着すると、ルナは楽しそうに並んだパンを見つめていた。パン屋の主人もこちらに気づき、笑顔で「また来てくれたんだね」と声をかけてきた。
レイは主人に「今朝パンをいただいたのに、何も買わずに来てしまって…」と謝ると、主人は笑って「気にするな、あんなのサービスだよ!」と快く答えてくれた。その笑顔に、レイはどこか心が救われるような思いだった。
「今度はちゃんと買わせてもらいます」と言うと、主人も嬉しそうに「好きなのを選んでいってくれ」と言ってくれた。
ルナは店先で目を輝かせながらパンを選び、まるでしっぽがあったら振っているんじゃないかと思うほど嬉しそうに「これがいいわ」と指差した。
レイはそのパンを二つ頼もうとしたが、ルナはキョトンとした表情で「何を言ってるの?私は三つ食べるから、四つ買うのよ」とさらりと言う。
レイは薄々気づいていたが、どうやらルナは意外と食べるらしい。苦笑しながら「じゃあ、四つお願いします」と主人に注文した。
主人は「了解!」と言いながらトングでパンを紙袋に詰めてくれた。ルナが嬉しそうに紙袋を受け取るのを確認し、レイは1個15ゴールドのパン代を計算して60ゴールドを出そうとしたが、主人が手を振って「一つはオマケだよ。45ゴールドでいいさ」と笑顔で言ってくれた。
レイは感謝を伝え、45ゴールドを渡してパン屋を後にした。
パン屋を後にして歩き始めたところで、レイはふとあることに気づいた。
(エミリーのクエスト報酬で手に入れたのが600ゴールド。今朝、パンを買って残りは…555ゴールド。ということは…宿代は?)
不安な思いが頭をよぎり、レイは隣を歩くルナに尋ねた。
「なあ、宿代ってどうなってるんだ?もう払ってあるんだよな?」
ルナは何食わぬ顔でパンを頬張りながら答えた。「宿代は1泊500ゴールドで、2泊だから1000ゴールドね。後払いだから、よろしく」
その瞬間、レイはピタリと動きを止めた。
「えっ…ルナが払ってくれてたわけじゃないのか?」
「お金ないから」とあっさり答えるルナ。片手でパンを持ちながら、まるで当然のように言ってのける。
レイは頭を抱えた。「…お金がない、どころか宿代も払えないじゃないか…!」
ルナはそんな彼の困惑ぶりを楽しそうに見つめ、「だから今日はレベル上げしながらお金も稼ぐのよ」と、ニコリと微笑んだ。
(計画性という言葉をこの子に期待するのは無駄なのか…)
ルナが楽しそうにパンを食べている姿を眺めていると、突然彼女がパンを強引にレイの口へ突っ込んできた。
「観測者の力を貸してあげてるんだから、そのくらい面倒みてよね」
「確かに…」と、レイは無理やり納得させられ、パンをかじった。焼きたてのパンの味が少しの不安を和らげるように感じた。
二人はしばらくパンを食べながら他愛もない会話を楽しんだ後、ルナがマップを広げながら意気込んで言った。「さて、そろそろ行きましょうか」
「行くって、どこに?」
ルナはマップを指差しながら言った。「確か君、レベル10よね。じゃあ、ここから一番近いのは…推奨レベル20のカタコンベね」
「カタコンベ…?」聞き慣れない言葉に思わず聞き返すレイに、ルナは呆れたように「カタコンベは地下墓地のことよ」と説明した。
「…そうか、地下墓地ね。でも…レベル20推奨の場所に行くのは、ちょっと無理じゃないか?」レイは不安そうに言った。
ルナは余裕の笑みを浮かべ、「普通は行かないわよ」と言う。少し安堵しかけたレイだったが、すぐに続けられた言葉に驚愕する。
「でも君のジョブは観測者でしょ!こんな所、余裕よ」と、腰に手を当ててドヤ顔を決めた。
(…本当に大丈夫なんだろうか)
レイは不安を感じつつも、どこか不思議とルナを信頼したい気持ちがあった。彼女の自信に満ちた態度が、彼の中の不安を少し和らげるようにも感じられた。
「さぁ、うだうだ考えてないで行くわよ!」ルナはマップに目印をつけると、先頭を歩き始める。
レイはひとつ深呼吸をして、彼女の後ろをついていった。
エルドリアの街を出発してしばらく歩いていると、茂みの中からいくつかのモンスターが飛び出してきた。素早く反応したレイは、ヴォイドウィーヴを一発放ってモンスターを仕留める。どれも手応えのない相手で、瞬時に倒れてしまった。
その様子を見ていたルナが、ふと口を開いた。「そういえば、君の戦闘知識ってまだビギナーレベルよね。少し色々と教えてあげるわ」と、軽い口調で言いながら、レイに歩調を合わせた。
「まず、スキルは当然だけどSPを消費するわ。でも、君のヴォイドウィーヴは特殊で、敵に当てるとHPとSPを吸収できるのよ。だからやり方次第では、延々と戦闘を続けられるってわけ」
「そうなのか?!」レイは驚いてスキルウィンドウを確認したが、そこにそんな説明は見当たらない。
ルナは軽く肩をすくめ、「そう、そのスキル自体がいわば禁忌の技なの。スキルの説明なんて最初から設定されてないわ」と続けた。
レイは納得したように頷いた。「そういうスキルもあるんだな…」
「そうよ、観測者のスキルには特別なものがいくつかあるから、よく覚えておきなさい」とルナはにっこり微笑む。
「次に、モンスターのドロップアイテムについてだけど…」と、ルナは話題を変え、戦利品について説明を始めた。「ドロップアイテムには大きく分けて通常ドロップとレアドロップがあるわ。でも、基本的には通常ドロップは拾わなくていい」
「どうしてだ?」とレイは尋ねた。「金稼ぎには拾って売るのが手っ取り早いんじゃないのか?」
ルナはしっかりと説明を続ける。「レアドロップだけを拾うの。通常ドロップを馬鹿みたいに集めても、すぐ重量がいっぱいになってしまって街に戻ることになるから、効率が悪いわ」
「なるほど、確かにそれはそうかもな」レイは納得しながら、ルナのアドバイスを胸に刻んだ。
ただし、通常ドロップにも使い道があるとルナは付け加えた。「クエストの納品用アイテムや、合成素材として使えることもあるの。観測者なら、他にも特別な使い方があるわ」
「特別な使い方?」
ルナは興味津々のレイに寄り添い、「スキルウィンドウを開いてみて」と促した。レイがスキルウィンドウを確認すると、使ったことのない「ヴォイドコンデンス」というスキルがあることに気づく。
「これか?」とスキル名を見ながら、レイはルナに目を向けた。
ルナはうなずき、「そう。それは通常ドロップを10個以上集めて使うスキルよ。物質を圧縮する技で、使うと『賢者の石』ができるの」
「賢者の石…?」レイは驚きながらも期待を込めた眼差しでルナを見つめた。
「そう。賢者の石は、魔法の威力を一時的に高めるアイテムなの。ただし、1回使うと壊れてしまうわ。濃度が高いほど効果も強力になるから、強敵と戦うときに役立つはずよ」
レイは目を輝かせながらうなずき、「観測者って、想像以上に特別な力を持っているんだな…」と、改めてその力の奥深さを感じた。
二人は歩きながら、ルナの勉強会に耳を傾けつつ、次々と飛び出してくるモンスターを倒していった。新しい知識を吸収しながら、レイは着実に成長していくのを感じていた。
やがて、森を抜けてしばらく歩くと、古びた教会が視界に入った。その入口には「死者よ安らかに」と刻まれた古びた石碑があり、不気味な雰囲気が漂っていた。