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第39話 その案、可決します♡

 小鳥は冷蔵庫の扉を開け、青白いライトに浮かび上がるガラスの器を取り出した。手に持ち、底を見て確認。カラメルソースも良い加減で二層になり、上出来だ。ひんやりと心地良い。ベージュのギンガムチェックのトレーに木製のスプーンを添えてリビングへと運ぶ。ふと見下ろすとカーペットの上で胡座を組んだ近江隆之介の髪からは水滴がポタポタと垂れていた。



「もう!近江さん、髪の毛ちゃんと拭いて下さい!」



 小鳥は焦茶色のフェイスタオルを近江隆之介の顔を叩くように投げ渡した。



「おい、おまえ、最近雑だな!」

「そうですか?」

「初々しいおまえは何処に行ったんだよ。ん、此処か?」



 そう言って小鳥のルームウェアの裾を指先で摘むと、顕になった突起を円を描くようにツツツツと撫でた。



「あ、ん!も、もうっ!やめて下さい!」

「へっへっへっ」

「その変な笑い方、やめて下さい!」

「へっへっへっ」

「近江さんこそ、シュッとしてキッとした近江さんは何処に行っちゃったんですか!?もう、詐欺ですよ!詐欺!」

「シュッシュッ」



 近江隆之介は両頬ので手のひらを握って、開いてを繰り返した。それはまるで頭に枝分かれしたエラが伸びた両生類にも見える。



「変なポーズやめて下さい!もう!」

「シュッシュッ」

「もう!」



 テーブルの上ではたまご色のプディングが器の中でプルプルと揺れ、早く口に運んで欲しいと笑っている。



「これ、作ったのか」

「はい、誰かさんに朝早く起こされて時間があったので」

「ふーん」

「時間があったので!」

「何、あの続き、する?」

「た・・・・食べてからにして下さい!」

「食べてからするんだ」

「しなくても、良いです!」

「ふーん」



 近江隆之介は木のスプーンですくった欠片を小鳥のぽてっとした唇に運んだ。冷たくて甘い、バニラビーンズの香り。その向こうに微笑みかける柔らかな眼差し。何度見ても頬が赤らむ。



「美味い?」

「美味しいです、て、私が近江さんの為に作ったんですよ!」

「俺の為」

「はい」

「シュッシュッ」



 また近江隆之介はウーパールーパーの真似をしてふざけている。どうしたのだろう、いつもに増して


 小鳥は無言でプディングを口に運び、近江隆之介はその姿を頬を緩ませて眺めている。なんとも言えない空気感に耐えかね上目遣いで睨んだが効果はなかった。



「お、近江さん。温くなりますよ!」

「おう」

「早く食べて下さい!」

「小鳥が食べたい」

「もう、何、言ってるんですか!もう!」

「へいへい。ありがたく頂きます」

「そうして下さい!」



 近江隆之介がなかなかプディングに手を付けないので苦手なのかと小鳥は肩を落としたが、結局、冷蔵庫の中の残り4個もペロリと平らげてしまった。これには驚いた。



「それにしても、皆さん、格好良かったですね」

「あぁ、議会ね」

「田辺さんも、藤野さんもすごく嬉しそうでした」

「そうだな、敵対政党が協力し合うなんて前代未聞だからな」

「そうなんですね」


「楠木議長はどうなるんでしょう」

「まぁ、他の議員たちと暫くは大人しくしてるだろうけど、すぐにデカいツラして威張り散らすだろうよ」

「納得出来ません」

「まぁ、それが政治だからな」



 シンクでガラスの器を洗っていると抱擁妖怪が背後に立った。腕を小鳥の腹に回し、ぎゅっと抱きしめて顔を首筋に埋める。ここまで来ると小鳥も慣れたもので、平然とした顔で凸凹した部分に詰まったプディングを黄色い小鳥型のスポンジで擦り取っていた。



「小鳥、俺らもおんなじだと思わね?」

「何が、ですか?」



 器で弾いた水滴が頬に飛んだ。



「敵対政党の秘書と事務職員とか、ドラマチックじゃね?」

「初めからドラマチックでしたよ」

「そう?」

「起きたら全身素裸で知らない人のベッドの中、とか。有り得ませんよ」

「ま、それはそうだわな」

「それに近江さん、コソコソ逃げ回るし」

「それは、おまえが追いかけたからだろ」



キュッ。

 水道を止め、キッチンペーパーで手を拭く。小鳥はそのまま振り向くと、抱擁妖怪の薄い唇に口付けた。それは深く重ねられ、舌が絡まり合い互いの口腔を所狭しと舐め堪能する。はぁ、と熱い吐息がキッチンに篭った。



「おっと、いけねぇ。危うく流されるとこだったわ」

「何がですか?」



 近江隆之介はリビングに戻るとテーブルを抱え、廊下へと運んだ。猫の額だったリビングが少しばかり広くなった。



「あぁ、久しぶりに見た床!」

「まぁな。ま、ちょい座れ。」

「はい?」



 2人は向かい合い、カーペットの上に座った。



「近江さん、なんで正座なんですか?」

「お前も正座しろ。」

「偉そうですね。」

「良いから、早く、足が痺れるだろ!」


チリーーーーーン

 階下のベランダの舌がくるくると回る。



「ど、どうしたんですか。真剣な顔、変ですよ」

「俺、変?」

「はい」



 近江隆之介はスーーーーーゥと大きく息を吸い込むと深く吐いた。



「一つ議案があるんだけどな」

「議案?議会ごっこでもするんですか?」

「ウルセェな」

「うるさいって」

「議会中は私語は慎めよ、基本中の基本だろ」



 小鳥はまた面倒な事を言い出したと思い、ゲンナリした。



「資料を配布します。目を閉じて下さい」

「その丁寧な言葉使い、気持ち悪いですよ」



 何かを開ける音。ゴソゴソと動いている気配が伝わる。温かな近江隆之介の手のひらが小鳥の左手を持ち上げ、次の瞬間、硬く冷たい感触が薬指に伝わった。



(え、もしかして。これって)

「目、開けてもいいぞ」

「は、はい」



 小鳥の薬指には細かい輝石が散りばめられた銀色の指輪が嵌められていた。



「これ」

「石はダイヤモンド、本体はプラチナ」

「素材じゃありません!」


「サイズ、ぴったりです」

「おまえがグースカ寝ている間に測ったからな」

「グースカって」

「喜べよ」


「ぎ、議題はなんですか?」


 近江隆之介のニヤニヤした口元がキュッと引き締まった。




「議題は”俺と小鳥が結婚する案”、賛成の議員は挙手で」




 小鳥は目を見開くとスッと息を吸い、おずおずと右手を上に挙げた。




「遅ぇな!」

「さ、賛成、です」

「それでは全員一致でこの案は可決します」

「い、良いんですか」

「良いも何も、おまえしかいらねぇって言ったろ」




 小鳥の目が潤み、次の瞬間ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。




「ちょ、待てよ。泣くなよ、そういうの苦手なんだよ!」

「へ、へたれですね」

「泣くなって!」

「あ、あの、あ、ありがとうございます」

「お、おう」

「う、嬉し・・・い」

「泣くな!頼むから!マジでやめてくれよ、そーゆーの!」




 小鳥の嬉し泣きに耐えられなくなった近江隆之介は頭からタオルケットを被って顔を隠した。涙を堪えながら小鳥はタオルケット越しの隣の彼の唇に軽く口付け、ふふっと笑みを浮かべた。


 302号室での9月定例議会は無事可決された。

”隣の彼” はこれからもずっと小鳥の隣でことりの歌を口ずさむ。


 終わりよければ全てよし。そんな高梨 小鳥と近江 隆之介の恋の物語。


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