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第32話 お仕事中です

 エレベーター左上の電光掲示板、久我今日子、田辺五郎、藤野建のランプはグレー、消えている。彼らはこの議員控室にはのだ。今日も7階一番奥の自主党の議員控室には鍵が掛かり、天井の蛍光灯も消されている。


 小鳥は物音を立てないようにFacebookの更新と、暫く前から始めた自主党金沢市議団のインスタグラムに掲載する為の画像を選んでいた。



(これも良いけれど、これはポスターが写り込んでいるからバツ)



 ここ暫く、田辺議員と藤野議員の政治活動量が増えた。毎朝、街頭に立ち、地盤の公民館などで市政報告会を精力的に行なっている。そして午後3時になると議員控室に籠り、久我今日子が『これは9月定例議会の爆弾になるの。』そう言い切る資料を派閥を超えた三議員でまとめている。

 当然だが近江隆之介も久我議員の第一秘書としてこの作業に携わっている。



(こうしていると、確かに冷酷と言われるだけはある。別人)



 とてもトランクスを頭に被って戯けていた男と同一人物とは思えない。そして同じ部屋に住んでいる男と、は。小鳥は土曜の晩の激しいキスを思い出し、手元が狂いパソコンのマウスを机の下に落としてしまった。



「うわ、わわわ」

「あら、小鳥ちゃん、大丈夫?」

「は、はい!」



 昨夜は。小鳥のセミダブルベッドで一緒に眠った。

初めは良かったが近江隆之介のいびきが激しく、また互いの身体から放つ熱に耐えきれずに小鳥は隣のインダストリアルなベッドに横になった。



(この匂い)



 小鳥は近江隆之介の匂いを堪能しつつタオルケットを頭から被った。


 そんな熱い夜を思い返して慌てふためいている小鳥をよそに、近江隆之介は淡々と仕事をこなしている。藤野議員が電卓を叩くとそれを確認した近江隆之介がピンクの付箋を隣の書類に貼り替え、シャープペンシルで数字を書き込む。



(やはり別、別人)



 そんな小鳥の様子をチラチラと眺めた久我今日子は腕を組んだ。



キーンコーンカーンコーン

キーンコーンカーンコーン



 終業のチャイムが議員控室に響く。近江隆之介は書類の束を茶封筒に入れ、軽く封をした。



「すみません、これ、預かって下さい」

「は、はい」



 小鳥の背後のスチールラックに片付けて施錠をして欲しいと手渡した。普段、聞き慣れない敬語と真顔の近江隆之介に戸惑った小鳥は受け取った茶封筒を落とし、まとめた書類をフローリングの床にばら撒いてしまった。



「あ、すみません!」



 不幸中の幸いで書類は数束づつクリップで留めてあり、慌てた小鳥は床にしゃがみ込み必死に拾った。近江隆之介も自然な動きで床にしゃがみ、書類を集める振りをして小鳥の指先をキュッと握った。



「・・・・・!」

「あら、どうしたの」

「え、いえ!何でもないです!」



 驚いて立ち上がろうとした小鳥はスチールデスクの下で頭を強打し、ゴン!と鈍い音がした。痛い、かなり痛い。近江隆之介め、フェイント過ぎる。



「今日はなんだか小鳥くんは忙しないねぇ」

「どうしたの、小鳥ちゃん。落ち着いて」

「あ、す、すみません!」



 腰に手を当てていた久我今日子が顎をくいっと動かした。



「近江くん、ちょっと来なさい」

「あ、はい」

「じゃあ、田辺さん、藤野さん、また明日お願いします」

「はい」「こちらこそ」

「お、お疲れ様、です」

「またね、小鳥ちゃん」



 ボディコンシャスな黒いタイトスカートの背中を追いかける近江隆之介は小鳥に目配せした。



(あーあ、今日は一緒に帰れないんだ)



ボコン

 小鳥は熱々のポットのお湯を排水口に流した。


 久我今日子はマホガニーの重厚な机に寄り掛かると、近江隆之介に議員控室の扉を閉めるように促した。栗色の巻き髪に指を当て、くるくると円を描く。



「議員、何か」

「姉ちゃんでいいわ、プライベートよ」

「は、はい」



 何やら言いたげな姉の顔を見遣る近江隆之介は身構えた。こんな時は必ずギャイギャイと小言を言われるからだ。



「何だよ」

「坊や、今、あなた何処に住んでるの?」

「え」

「不動産屋から連絡あったわよ。水浸しなんですってね」

「ええ、と」

「引っ越した?」

「え、それは議会が、終わったら」

「隣に引っ越したって聞いたわよ」



 終わった。



「何でも、ショートカットの男の子みたいならしいわね」

「そ、それは」

「何だか思い当たる節、あるのよねぇ」

「何、何がだよ」

「ショートカットで、綺麗で、男顔の女の子」



 近江隆之介の目線が上下左右に動き、右耳をしきりに気にして揉んでいる。



「誤魔化さないで」

「え」

「耳」

「坊や、小鳥ちゃんの部屋に転がり込んだのね」

「そ、それは。小鳥が」

「何、女の子のせいにするの、ちっさ!」

「何が小さいんだよ」

「器よ、何、も小さいの?」

「せ、セクハラだぞ、それ!」

「一緒にお風呂に入ってたじゃない。セクハラも何もあったもんじゃないわ」

「幼稚園までだろ!」



 久我今日子はクックックと笑いを堪えていたかと思えば急に真顔になった。


「隆之介、気を付けなさいよ」

「何がだよ」

「何かあったら責任取りなさいよ」

「責任て、何だよ」

「ちゃんと避妊してるの」

「そ、それもセクハラだろ!」

「お黙り!」



 真っ赤なネイルの人差し指をグイグイと近江隆之介の鼻先に付け、いつになく真面目な表情になった久我今日子は語気を強めた。



「小鳥ちゃんの事、遊びじゃ無いでしょうね」

「そんなんじゃねぇし」

「さっさと腹括って指輪の一つも買って来なさい」

「お、おう」

「結婚式場のパンフレット取り寄せなさいよ」

「何、1人で盛り上がってんだよ」

「うるさい!」

「うるさいって」



 ジリジリと壁際に追い詰められる。それはまるで女豹の標的にされたガゼルのようだ。



「35歳、賞味期限はギリギリよ!」

「失礼だろ!」

「男なんて、婚期逃したら惨めな老後まっしぐらよ!」

「お、おう」

「小鳥ちゃん逃したら一生独身よ!」

「お、おう」

「とにかく逃げられないように尽力しなさい!」

「お、おう」

「家まで送って!」

「お、おう」

「敬語!」

「は、はい」



 女豹に急き立てられたガゼルは地下駐車場へと走った。

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