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第26話 お部屋でデート

カタカタカタ カタカタ


 冷房の室外機が回る音。

ミーンミンミンミンジーと暑苦しいアブラゼミの鳴き声が響く。結局、小鳥は色々と思いを巡らせ、悶々と眠れぬ夜を過ごした。羽毛の掛け布団に抱きついてベッドの上でゴロゴロとしているとインターフォンの音が鳴った。



(・・・・お、近江隆之介か?)



 玄関ドアの外に音が漏れ聞こえる筈も無いのに、小鳥は忍者のように忍足で廊下のインターフォンに向かった。応答ボタンを押す。



「は、はい」

「よ、おはよう!俺、今から髪、切って来るわ」

「は、はぁ」

(な、なぜにそのような事をいちいち断りを入れるのか)

「2時間くらいで帰るから、じゃあな!」

(そ、それは待っていろと!?)



 画面からフレームアウトする近江隆之介は満面の笑顔だった。



(ううむ、昨夜の今朝でこの余裕、てか、2時間後に何を!?)



 取り敢えず歯を磨き、顔を洗って気分一新、化粧水を頬に叩きながら気を沈め、髪の毛を梳かした。寝癖、ちょいちょいと水で指を濡らし、整える。

クローゼットを開け、ハンガーに手を掛け、ううーんと悩むこと一分。



「え、なに、嬉しそうな顔してるのよ!」



 パイン材の姿見に映る小鳥の頬は緩み、何気に機嫌が良さそうだ。

一旦、ワンピースを手に取ったがこれではまるで『お待ちしておりました。』と言わんばかりで気恥ずかしい。小鳥はがっ!とチェストの引き出しを開けると、黒の半袖パーカーと、半ズボンを取り出してそれに着替えた。



(普段着、普段通り、平常心、日常感・・・・2時間)



 時計を見遣ると長針と短針がコチコチと9:30を指している。



(ちょうど、お昼ご飯時だな。暑いし、お素麺で良いかな)



 フライパンを取り出し、ガスコンロの上に置く。戸棚から黄緑色のボウルを手に取ると冷蔵庫の卵を一つ割り入れ菜箸でかちゃかちゃとかき混ぜ、オリーブオイルを敷いたフライパンに流し込む。着火。

ジュワ

くるくると持ち手を傾け、薄焼き卵を焼いた。次に野菜室から生姜を取り出しすりおろし、小皿に盛る。茗荷みようがを二個、水洗いして縦に薄切り。



「て!何料理してんのよ!?」



 自分にツッコミを入れながら、冷めた薄焼き卵を細切りにして中皿に盛る。冷蔵庫には市販のそうめんのつゆ。大きめの鍋に水を張り、ザルとガラスの器を取り出して準備万端。



「て!何で鼻歌!?」



 丸いリビングテーブルの上に、水色のギンガムチェックのランチョンマットを2枚敷き、その上に箸を二膳。エアコンの風に生成りのカーテンがふわりと揺れる。



「お迎えする気、満々じゃん」



ピンポーン

 2時間よりもやや早く、インターフォンが鳴った。



「よっ!!」

(た、ただいま!?)

「は、はい」



 その手には、缶ビールが入った白いポリエチレンの袋が握られていた。


 近江隆之介は一旦部屋で着替えて来たらしく、黒い半袖シャツに黒いハーフパンツ、黒いクロックスを玄関先で丁寧に揃えると裸足でペタペタと部屋に上がった。



「あっつ、まじ暑かったわ」

「そ、そう、ですか」

「ビールと冷凍枝豆買って来たし、飲もうぜ」

(もう、飲む事、前提)

「あ、じゃあ温めるから、袋、下さい」

「ほれ、よろしく」



 すぐその先、寺町大通りの向こう、春日町のコンビニエンスストアで買って来たのだろう。冷たくてパリパリした袋に霜が付いている。ざらざらと大皿に開けて電子レンジに放り込む。

プシュ

 缶ビールのプルタブ、キリンラガービール。



「近江さん、お素麺で良いですか?」



 ベージュのカーペットに胡座をかく近江隆之介。テーブルに皿に盛った生姜、茗荷、薄焼き卵の細切りを並べた。



「え、最高じゃん。卵、小鳥が焼いたの!?」

「まぁ、一応」

「すっげ、うっす、ほっそ、感動」

「ちょっと待っていて下さい、今、お素麺茹でますから」



 ガスコンロの火を点け、火力を調節する。菜箸でお湯をぐるりと回し、素麺を束ねている赤く薄い紙を剥がす。



「近江さん、何束食べ、ま、す」

「俺も手伝う」



 近江隆之介はいつの間にか小鳥の背後に立ち、腕で抱えるように手を伸ばした。背中に着衣越しの肌の熱、襟元に息遣いを感じる。


 近江隆之介の息使いを感じる。


「え、あ。ちょ」

「小鳥」

「あ」

「小鳥」

「え」



 小鳥の耳たぶをその薄い唇が喰む。心臓が跳ね上がり、そのいつもより低い声色に、背筋がピンと仰け反った。



「お、近江さん。危ないです。お湯、沸いてます!」

「お、すまん」

「何してるんですか!」

「何って、抱擁?」

「!」


チーン


 電子レンジが枝豆の存在を知らせた。安堵のため息を吐いた小鳥はその皿を近江隆之介に持たせた。



「あ、あっち!あちち」

「罰です」

「何の罰だよ」

「とにかく罰です!」

(い、いかん。このまま近江隆之介に押し倒されるのは嫌だぁ!)



 いくらがあったとしても、やはり小鳥的には、デートして手を繋いで歩く、キスをする、その後は、という恋愛の段階を踏みたかった。そんな事はお構いなしの近江隆之介は、素麺を啜りながら足の親指で小鳥の膝を撫でて叱られ、皿を洗う小鳥を背中から抱きしめて突き飛ばされた。



「何だよ、まだボーダーラインありかよ」

「近江さん、もう越えてるじゃ無いですか!」

「チューしたい」

「それは駄目です!」



 そんな事をしようものなら、なし崩しにあのベッドへと引き摺り込まれるに違いない。こんな真昼間から、いや、そんな理由ではなくとにかく恋愛の段階を踏みたい小鳥は断固拒否した。



「お、そうだ」

「何がですか」

「LINE登録しようぜ」


ピローん


「なぁ、俺、かっこよくない?」

「はぁ!?」

「ほれ、髪の毛」

「あぁ、短いですね」

「そんだけかよ!」


 そして夕方17:00のチャイムが流れると、近江隆之介は帰って行った。


LINE!


 初めてのメッセージが届いた。小鳥は携帯電話のLINE画面を開いてウンザリした。



今度は小鳥も食べたいな♡

既読



 赤いハートが乱れ飛ぶ画面。小鳥は身の危険を感じずにはいられなかった。




 日曜日、小鳥はなんとなく人待ち顔をしていた。



「な、何、期待してるのよ!」



ピンポーン

 インターフォンが鳴り、冷静を装って応答ボタンを押すと、濃灰に臙脂のネクタイを締めたスーツ姿の近江隆之介が手のひらを顔の前で立てていた。



「悪ぃ、姉ちゃんに呼ばれたから行くわ!」

(な、何故、いちいち断りを入れるの、必要なくない?)

「行って来ます!」

「あ、行って、らっしゃい」

(て、何返事してるのよ!?)



 そう思いつつもスリッポンを突っ掛け、玄関ドアを開けて外廊下を覗いた。

自転車のサドルに跨る後ろ姿が見える。何となく気が抜けたというか、物足りない、そんな気がした。夕方もなんとなく外廊下からエントランスあたりを覗き込み、夜もソファに腰掛けて壁の向こうの気配に側耳を立てた。


(21:35。遅いなぁ)


 小鳥的にはもう既にベッドに横になっている時間だ。


(あーあ、会いたかったなぁ)


 月曜の朝は何となく気怠い。


 けれど今日は、いつもとはちょっと違う。小鳥はパイン材の姿見で髪の毛の流れをチェックし、スカートの裾のほつれ糸をハサミで切って身なりを整えた。

 目が覚めると、近江隆之介からラインメッセージが届いていた。



おはよう

既読


 可愛らしい鳥のスタンプが朝の挨拶を告げている。あの、近江隆之介が鳥のスタンプ、小鳥を意識して購入したものに違いない。


おはようございます

既読


準備できたか、行くぞ

既読


 相変わらず上から目線だがそれにも慣れた。


出来ました

既読



カチャン、鍵が回る。

ドアノブがギィと鳴る。

部屋の玄関ドアが施錠される。


 小鳥も鍵を握り、黒いパンプスを履いて玄関ドアを開けた。蝶番の向こう側から近江隆之介が顔をひょいと覗かせた。頬が近い。グリーンウッドの香りが鼻を掠めた。思わず、胸が高鳴る。



「よう、おはよう」

「お、おはようございます」

(キス、されるかと思った)



 近江隆之介の唇は、小鳥の唇に触れる事なくあちら側を向いてしまった。小鳥は少し残念な自分が居る事に気付き、思わず顔を赤らめた。その目まぐるしい表情の変化に気が付いた近江隆之介は、小鳥の顔を覗き込んだ。



「何、キスされるかと思った?」

「ち、違っ」

「ボーダーラインありだろ、嫌がる事はしねぇよ」

「え、ベ、別に。い、嫌じゃ」

「ほれ、行くぞ」



 そう言うと近江隆之介は左手を差し出した。小鳥が戸惑っていると『ほれ。』と言ってその手を握り、ぐいっと引き寄せた。



 指と指が絡み合う手繋ぎ。ふと、が頭を過ぎった。



 小鳥が近江隆之介の顔を見上げると、近江隆之介はニカッと笑って繋いだ手を前後にブンブンと振った。



「こっとり〜こっとり〜」

「何の歌ですか」

「愛のうた」

「馬鹿ですか」

「コトコト、こっとり〜」



 とても嬉しそうだ。思わず頬が緩む。汗ばむ手と手。それは暑い夏の所為だけではない。二人は手を繋いで桜橋を渡り、犀川を越えて市役所へと向かった。


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