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第22話 恋敵、現れました。

 昼食のAランチがすっかり背中に行ってしまった小鳥は、職員食堂から程近いこぢんまりとした売店に足を踏み入れてクラッカーとチョコレートを手に取った。



(そうだ。議員控室のお茶菓子も少なくなっていた、かな)



 更に和洋菓子の大袋を抱えてレジの列に並ぶと、顔見知りになった女性店員が小鳥にお釣りを手渡しながら真顔で話し掛けて来た。



「はい、20円のお釣り。あ、そうだ高梨さん」

「はい」

「久我議員の秘書さんと付き合っているって本当?」

「だ、誰が、そんな」

「庁舎内では有名よ」

(先週末の今日なんですけどーーーーーーー!)



 そう言われると誰も彼もが自分の一挙一動を見ている様な気がして落ち着かない。エレベーターの順番を待っている時も、その中に立っている時も視線を感じる。特に6階で降りる女性秘書の目は怖かった。



(そ、そんな、誤解です。まだ付き合ってもいないのに)



 理不尽な殺意に背中を押された7階、エレベーターの扉が開く。



(・・・っ!)



 そこに立っていたのは久我今日子だった。豊満な胸を隠す事の無い白いカッターシャツ、くびれたウェストを強調するマーメイドラインの臙脂色の膝丈スカート、深い紫色のパンプス。栗色のゴージャスな巻き毛にチラチラと輝くゴールドの雫のピアス。しっとりと濡れた赤い唇。赤いネイル。大輪の真紅の薔薇。



「お、お疲れさまです」



 大人の魅惑に気圧される。この魅力的な恋人が居るにも関わらず、近江隆之介が本気で自分に声を掛けてくるとは到底思えなかった。やはり遊び。



「ご苦労さま」

「な、何階でしょうか」

「良いわ、自分で押せるから」

「あ、はい」



 入れ違いに匂う、近江隆之介と同じグリーンウッドの香り。



「え、あ。はい」

「隆之介の事、宜しくね」



 余裕の微笑み、小鳥は胸に抱えた菓子が恥ずかしく思えた。スーっと閉まるエレベーターの扉。

 踵を返した小鳥はスカートのポケットから議員控室の鍵を取り出した。チリンと鈴が鳴る。けれど表現し難い感情に指先が震え、鍵穴に鍵が入らない。



「もう、もう!」



ガチャ


 部屋に入った小鳥は後ろ手に扉を閉め、クラッカーにチョコレート、和洋菓子の大袋をぞんざいに応接テーブルの上に置いた。



「もう、もう!もう!」



 あの存在には到底敵わない。近江隆之介の言葉も嘘か本当か理解出来ない。袋の中の餅入り最中はグズグズに崩れて悲惨な状態になっていた。


 あれから小鳥は、今にも泣き出しそうな表情で延々とコピー機のボタンを押し続けていた。吸い込まれる原稿、吐き出される三枚の紙、繰り返し、繰り返し、それでも答えは出ない。


今夜、近江隆之介の部屋に行く?

行って如何なるの?

一番にはなれないんだよ、二番なんだよ?

二番どころかただの遊びなのかも知れないんだよ?



(でも)



 仕事で失敗した時や困った時、色々と助けてくれた。

 土曜日の朝。目玉焼きとクロワッサンを頬張っている姿は、初めて女の子の部屋に上がった男の子みたいに緊張していた。

 隣人だから本性を隠して大人しそうに振る舞っているだけなのかも知れないけれど、近江隆之介は噂に聞いた、女ならば誰彼構わずに遊びで部屋に連れ込む悪い男、不倫という後ろ暗い男女関係に足を踏み入れる男には見えなかった。だけど。



『隆之介の事、宜しくね』



 久我今日子の余裕の微笑みが脳裏に浮かんだ。

議員がただの秘書をあんな風に言う筈ないじゃ無い。



(何を宜しくしろって言うのよ!?)



 自分が近江隆之介の相手が出来ない間、って事なの?二人して馬鹿にしてる。小鳥の想像はどんどん負の方向に傾いて、胸の中のモヤモヤを大声で叫びたくなった。田辺議員や藤野議員が不在で良かった。きっと今の自分はひどく醜い顔をしているに違いない。


キーンコーンカーンコーン

キーンコーンカーンコーン


 ぼんやりしている内に終業のチャイムが鳴った。



(いけない、いけない、仕事中、しっかりして!)



 資料の山を田辺議員、藤野議員、それぞれのクリアファイルに挟む。今日はコピーに専念する事が出来たのでクリアファイルは二部づつになった。バインダーの付箋の枚数はあと僅か、期限の七月中旬には十分間に合う。

 来客用に準備してあったポットの出番は無く、熱湯をシンクに流した。ボコンと地獄の蓋が開いたような音。湯気で白くなった鏡の中の自分は情けない顔をしていた。



「眼鏡を外した位じゃ何も変わんない」



 コピー機の電源を落とし、電気のスイッチ、あ。



「やばいやばい」



 重要なバインダーとクリアファイルをしまい忘れる所だった。近江隆之介と久我今日子、雑念に囚われて大きな失敗をする一歩手前、スチール棚に入れ施錠。



「解雇されるところだった」



 電気のスイッチを消し扉を開け、る。



「よう。遅ぇじゃん」



 そこには腕組みをした近江隆之介が立っていた。

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