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第18話 定例議会お疲れさまの会

 6月定例議会も無事終了した。ただ一つ、小鳥には疑問が残った。



「田辺さん、どうして田辺さんも藤野さんも質問しなかったんですか?」



 そうなのだ。あれ程、市政報告会を開催したり、毎晩遅くまで議員控室に残り、重要な資料を整理してを探しているのに自主党議員が議会壇上に上る事は無かった。不思議そうに湯呑み茶碗をお盆で運ぶ小鳥に狸の田辺議員がズズズとお茶を啜りながらゆっくりと答えた。



「人数なんですよ」

「人数、ですか?」

「議員数が一定数以上でないと代表質問が出来ないんです」

「え、そんなぁ」



 海苔巻き煎餅を頬張った藤野議員が口元のカスを親指で拭うとパクリと口に含んでゴクンと飲み込んだ。



「だから、議員の人数は多ければ多い方が良いんだよ」

「そうなんですねぇ、変なの」

「変だよね」



キーンコーンカーンコーン

キーンコーンカーンコーン



 終業のチャイムが鳴る。小鳥の足元がソワソワとし始め、心ここに在らずといった雰囲気だ。その様子に気が付いた藤野議員が、空になった湯呑茶碗を差し出した。



「小鳥ちゃん」

「はい」

「今日はもう良いよ」


 狸の田辺議員はあぁ、という顔をして頷いた。



「今夜は“おつかれさん会“か」

「はい」

「楽しんでおいで。でも、羽目を外し過ぎないように」



 小鳥は前回の大失態が知れて居るのかと内心冷や汗ものだった。そうだ、気を付けよう。またまたお持ち帰りなんて最悪すぎる。いや、まてよ。もしかしたら前回のが接近して来るかもしれない。



「はい!では行って参ります!」

「小鳥くん、いやに気合いが入ってるねぇ」

「これからいくさに行きますみたいな顔だよ?」

「そ、そうですか?」



 小鳥は今夜の為に準備した開襟、七分袖、ウエストをリボンでキュッと調節出来る膝丈のワンピースに着替えた。黒地に細かい白のドット、襟と袖口は白でフェミニンな感じだ。焦茶のショルダーバッグを肩に斜め掛け。黒のパンプス。そして初めての賞与で買ったアクアマリンのピアス。



(いざ、出陣!)



 会場は前回と同じ、片町の古民家風居酒屋。301号室のも参加するに違いない!高梨小鳥は鼻息も荒く、正面玄関の自動ドアを跨いだ。


 小鳥は間口の狭い古民家風居酒屋の引き戸を開けた。



「ヘィ、らっしゃ〜ぁい!」



 ジャラジャラした暖簾を潜ると、威勢の良い掛け声。そうだ、この店だ。



(お酒は飲まない!注がれても一口、二口!飲んでも呑まれるな!)

「あ、高梨くん、こっちこっち」

「はい?」



 今回は親睦を兼ねてくじ引きで席を決めるのだと言う。まぁ、宴席が進めば彼方此方に移動するので意味があるのか否かは定かでは無いが、取り敢えず酔いどれ親父に周りを囲まれる不安は回避された。



「はい、高梨くんは1番ね。あぁ、端っこの席、あっち側の」

「分かりました」



 既に着座している職員も多く、その背中と板張りの壁の間をすいません、すいませんと避けて1番と書かれたカードの前に座った。



「高梨さん、初めまして」

「初めまして、えと」

「楠木議長の秘書をしている大宮と言います」

(あ、あぁ。あのセクハラ議長)




 お通しは金時草の酢の物に細切りの生姜。九谷焼の小鉢に入った紫色のネバネバした葉っぱをモグモグズルズルと口にしていると、左頬に痛いくらいの視線を感じた。



(ん?)



 顔を上げて見てみたが、ワイワイと賑やかに酌み交わすビール瓶と汗をかいたグラス、山盛りの鶏の唐揚げに枝豆、切り分けられたマルゲリータピザから伸びるチーズ、後はシーザーサラダ。こちらを見ている顔は無かった。



(気のせいか)

「大宮さん、どうぞ」

「あ、ありがとうございます。気を遣わないで下さい」

「いえいえ」



 小皿に鶏の唐揚げを取り分けて大宮さんに手渡す。やはり視線を感じる。



「高梨さん、どうしましたか?」

「え?」

「何だか先程からキョロキョロと、誰か探してるんですか?」

「いえ、何だか・・・視線が」

「高梨さん、美人だから」

「やだぁ」



 思わず大宮さんの肩をバシバシと叩き、互いに笑い合いながらのあれやこれやを話していると、やはり視線を感じた。小鳥はやや中腰になり首を伸ばすと一直線の長テーブル、十九人向こう、その角で誰かがサッと身体をのけ反らせた。



(んん?)



 暖色系のペンダントライトに照らされて確かではないが綺麗に刈り上げられたツーブロックに緩いパーマヘアー。



「あれは」

「あぁ、久我議員の秘書の近江さんですね。お知り合いですか?」

「え、いえ。特には」



 その微妙な動作をしたのは一直線の長テーブル、十九人向こう、小鳥から対角線上に座る近江隆之介だった。



(近江隆之介が見て、た?いやいやいや、まさか)



 小鳥は鶏の唐揚げを頬いっぱいにモギュモギュと噛みながら、その後頭部を凝視した。



 近江隆之介は間口の狭い古民家風居酒屋の引き戸を開けた。



「ヘィ、らっしゃ〜ぁい!」



 ジャラジャラした暖簾を潜ると、威勢の良い掛け声。そうだ、この店だ。遅刻して汗だくでこの黒い木の階段を上った。靴下の裏が気持ち悪かった。



 今夜の宴席に遅れてはならない。近江隆之介は久我議員の制止を振り切って走った。



(クッソ!)



 何故なら昼休憩の職員食堂で男性職員たちが高梨小鳥について囁き合っているのを聞いてしまったからだ。



「高梨って可愛いよな」

「俺、狙っちゃおうかな」

「マジで?」

「隣の席に座れねぇかなぁ」

「飲ませちゃう?」


「お持ち帰りってか、それ犯罪だろ」

「そんな事するかよ」

「直球で告っちゃおうかな」

「マジで?」



 議会事務局のジジィの次は、秘書かよ。何でこう、の周りにはウジャウジャ訳の分からない奴が集まるんだよ!



(今更、他の男に掻っさらわれてたまるかよ!)



 ところが、だ。



「あ、近江くん、こっちこっち。この箱から一枚引いて」

(席順がくじ引きとか、小学校の学級委員会か!)



 事もあろうか高梨小鳥の席は1番、近江隆之介の席は19番と対角線上、長テーブルの端と端だった。


 恨めしい、いや、羨ましいのは狐の秘書、大宮。ついつい視線が高梨小鳥に着いて回り、どうやら小鳥がその視線に気が付いてしまったようだ。気不味くてつい後ろを向いてしまったが、いよいよ挙動不審だ。


でも、気になる。



「ほら、近江くんも飲んで、飲んで」

「は、はい」

「近江くんが参加するなんて珍しいなぁ、飲も、飲も♡」

「お、おう」



 普段から宴席に参加しない近江隆之介の周りには議会事務局長をはじめ、狙いの女性秘書がビール瓶や日本酒の徳利を手に、人垣が出来始めた。



(・・・・み、見えねぇ)



 これでは高梨小鳥の現在の状況が把握出来ない。



「まぁ、飲んで、飲んで」

「頂きます」

「ぐいっと。良いねぇ、近江くんイケる口だね」

「はぁ」



 上戸の議会事務局長が次々と近江隆之介の持つお猪口に熱燗の日本酒を注ぐ。周囲に勧められるままにグイグイと酒を飲んでいた近江隆之介の二の腕に、如何にもボディラインに自慢があります的な秘書が形の良い胸を押し付けて来る。そんな事はどうでも良かった。高梨小鳥の動向が知りたい。



(あ、あいつ等)



 そう、昼休憩の職員食堂で下世話な会話に花を咲かせていた四人組が、狐の大宮を押し退けて高梨小鳥の隣に座っていた。



(まじか、おい、おい、おい、おい)



 高梨小鳥は前回の宴席の教訓は何処へやら、グラスに注がれたビールをごくごくと美味そうに飲んでいる。



(高梨、の脳みそはツルペカなのかよ!?)



 議会事務局長のお酌を丁重にお断りし、その場で立ちあがろうとしたが足元がふらつきその場に尻餅を着いてしまった。



「おいおい、近江くん、大丈夫か?」

「や、大丈夫っす」



 とは答えたものの顔が火照っているのが分かった。手のひらも真っ赤だ。この数日間、業務が立て込み疲れていたのかもしれない。近江隆之介がここまで酔う事は珍しい事だった。



 近江隆之介はおしぼりで顔を拭くと目の前にあった水をぐいっと飲み干した。カランと氷が音を立て、グラスを少しばかり力を入れてテーブルの上に置いた。



「すんません、ちょっとお手洗い」



 手洗いのボウルに弾く冷たい水、それを両手ですくいバシャバシャと顔を洗う。ハンドペーパーが切れていた。頬の水気を手のひらで払い、残りの湿り気はジャケットの袖で拭った。



(今、今しかねぇ)



 頬をパンパンと叩いた近江隆之介は、胡座をかき大笑いしている男性事務職員や、おでんの蟹面の上で携帯電話を縦や横に構えている女性秘書の背後をやや覚束ない足取りで歩き、長テーブルの一番端、高梨小鳥が座る1番の席を目指した。

高梨小鳥の両橋にはよこしまな面持ちの四人組が陣取り、予想通りに次はお猪口を持たせて徳利で日本酒を注いでいた。



「おい」



 四人組の一人が降り仰ぐと逆光の中に、やや目の座った近江隆之介が険しい顔で見下ろしていた。席の中央にはほろ酔い気分の高梨小鳥がお猪口に口を付けている。



「何だよ、近江じゃねぇか。何、何こえぇ顔してんだよ」

「替われよ」

「は?」

「場所、替われよ」

「はぁ?まぁまぁ、お前も高梨と飲みたいんだろ?」

「退けよ」

「後から来て何言ってんだよ。俺の隣に座れよ」



 座布団に膝を下ろした近江隆之介がその男性職員の手首を持つとグイッと捻り上げた。完全に目が座っている。



「いててて、痛ぇよ」

「替われよ」

「分かったよ、だから放せよ」

「早く、替われ」

「お前、何なんだよ」

は俺んのだよ、手ェ出すな」



 その様子を見ていた小鳥の酔いは一気に覚めてしまった。



(お。俺のだ!?)



 小鳥の頭の中で繰り返される『俺のだ』発言。



「マジか、先に言えよ」

「替れって」

「はいはいはいはい、替わる替わる」



 四人組は酔っ払いに絡まれちゃたまったものではないと席を立ち、次に可愛いと評判の新人事務職員の隣に座りワイワイとグラスにビールを注ぎ始めた。

 周囲は日頃の鬱憤を晴らすかの様に声量も大きく皆それぞれが話に花を咲かせていたが、小鳥と近江隆之介が座る長テーブル一番端の席はペンダントライトの温かな光も届かず、静かだった。



(お、俺のだとは如何な。ええと。俺、のだ)



 ふわりと広がったスカートの中で座る小鳥、その隣には壁に寄りかかって胡座を掻く近江隆之介の左手。その中指が小鳥の右手の指先に触れた。熱い。



「あ」



 小鳥の喘ぎ声にも似た声が漏れる。近江隆之介の胸は高鳴り、今にも耳の中から心臓が飛び出しそうだった。指先が絡み合い、テーブルの下でしっかりと結ばれる。


所謂いわゆる恋人繋ぎというアレだ。


「おい」

「あ、はい」

「は、はい」

「俺ら付き合わねぇか?」



 近江隆之介のうつろな目は、長テーブルの遥か遠くを真っ直ぐに見つめたままだ。何処に向かって言っているのか分からない。



「え」

「付き合わね?」

「え、ええええええええ!?」



 周囲の視線が高梨小鳥に集まった。



「い、いえ。何でもないです。はい」



 小鳥が左手で団扇を扇ぐ様にひらひらと手を降り、ふと見ると肩にもたれかかった近江隆之介は目を瞑っていた。



(ええええええ、こ、これどうしろ、と)



 長テーブルの下の恋人繋ぎはしっかりと握られたままだが、小鳥は自分の名前ではなく『おまえ。』と呼ばれただけ。しかも視線は何処か遠くを見つめ、気が付けば寝息を立てている。



って私の事?いやいやいやいや、な訳ないでしょ)



 そうして突然の交際申込で宴は終わりを告げる。その後に衝撃の出来事が待っていた。


 だんだんと汗ばむ手のひら、互いの脈が触れ熱い。小鳥は長テーブルの下の恋人繋ぎを一本、二本、ほどいて帰り支度をしていると、議会事務局長が声を掛けて来た。



「高梨くん、近江くん階下したまで僕らで連れて行くから、悪いんだけどタクシーで送ってくれない?」

「た、タクシーです、か?」

「春の時は高梨くんが酔い潰れちゃってねぇ。近江くんが送ってくれたんだよ」

「は、はぁ」

「同じ方向だから」

「て、寺町ですか?」

「そうだよ、知らなかった?」

「は、はい」




 小鳥が狐に摘まれた様な顔をしていると、男性職員が近江隆之介の肩に手を回して階下したまで降りて行った。近江隆之介は靴べらを持つ頃には幾分か酔いが覚めたのか口調は明るくなり、足取りも確かになった。



「近江くん、大丈夫かね」

「はい!」

「いやに元気だねぇ、起きてる?」

「はい!」

「じゃぁ、高梨くん、頼んだよ」

「は、はい」

「これタクシーチケット、北陸交通使ってね」

「分かりました」



 近江隆之介はご機嫌でポケットに手を突っ込み、軽やかに飛び跳ねながら片町のアーケードを進んでゆく。街灯を一本越える毎に通行人にその肩がぶつかりそうになり、小鳥は平謝りをして後に着いて歩いた。



「近江さん、大丈夫ですか?」

「ん?大丈夫」

「それなら良いですけど」

「手、繋いじゃう?」

「え、いえいえいえ、それは結構です」



 片町スクランブル交差点を渡り金劇パシオンビルのタクシー乗り場に着いた小鳥は北陸交通の行灯を探して助手席の窓をノックした。


 何故だろう、そのドライバーは後部座席のドアを開ける前から不機嫌そうな顔をした。近江隆之介を座席の奥に押し込み小鳥が乗り込むと、行き先を告げる前にドライバーがため息を吐いた。



「やっぱりお客さん達ですかぁ」

「はい?」

「前にも乗りましたよねぇ」

(え?知り合い?)



 タクシー乗務員証には『北 重忠』とあった。やや年配のドライバーだが近江隆之介の知人なのだろうか。乗車料金メーターのボタンを押すとまたため息を吐く。



「寺町までってワンメーターですよ。稼ぎにもならないですわ」

「あ、はぁ。ごめんなさい」



 ハンドルを握り直すとウィンカーを右に出す。


カチカチカチカチ



「いや、二人でくっついているもんだから、ボーイズ何ちゃらかと思って見てたんですよ」

「はぁ」

「お客さん女の人で驚きましたわ」



 赤信号、ほんの少しだけ横断歩道の白線を踏んで停まった。タクシーの窓の外の煌びやかなネオンサイン、喧騒が今夜は金曜日なのだと自己主張している。肩を組んで歩く集団、あれは議会事務局の男性職員達だ。



「あ、あの」

「あぁ、プラザ寺町ですよね?」

「あ、は、はい。ご存知なんですか?」

「ご存じも何も、送って行ったんですよ、覚えてますわ」



覚えてますわ?


 覚えていますどころか小鳥にはその金曜日の晩の記憶が全く無い。近江隆之介が寺町に住んでいる事も、マンションまで送り届けてくれた事も覚えていなかった。さて、困った事に自分は近江隆之介の住所が分からない。このままこの『北 重忠』さんにお任せすれば良いのだろうか。


 タクシーは確かに迷いなく広小路交差点を左折し、寺町大通りを一直線に東へと向かって走っている。

 隣の近江隆之介は心地よいタイヤの揺れで再び寝息を立てている。

小鳥は思い切ってドライバーに尋ねてみた。



「あ、あの」

「何でしょうかね」

「あの、この人の家、私、分からないんですけど、運転手さん、覚えていらっしゃいますか?もう、寝ちゃってて。」

「はぁ?」



 ドライバーはルームミラー越しに小鳥の目を見ながら、素っ頓狂な声で笑い飛ばした。カチカチカチカチ、タクシーは古い写真館を左折して暗い路地を進んだ。マンション前、駐車場の白いLEDライトの下に浮かび上がるタクシーの影。



「何、言ってるんですかお客さん」

「え、と。何を、とは」

「お客さん、二人で降りたじゃないですか」

「はい?」



 プラザ寺町。

春の歓送迎会、近江隆之介と小鳥が此処で二人で降りたとドライバーは言い残し、暗い路地に赤いテールランプを灯して消えた。



「え、どういう事!?」



 小鳥の頭の中は混乱状態に陥っていた。

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