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第17話 6月定例議会

 6月末には6月定例議会が開催される。

全議員が市長や副市長を交えて質問、回答、討論し、その始終を金沢市民(市民以外でも可)が傍聴する。その定例議会に向け、高梨小鳥は自主党/市政報告会の準備に追われていた。


 14:00の市政報告会開始まであと30分。

議会事務局で第一会議室の鍵を受け取りホワイトボードに赤いマグネットを付けた。給湯室のバケツにお湯を張り、ぎゅっとダスターを絞ってせっせと机を拭いている所で声を掛けられた。



「すみません、ここ」

「ん?」



 机の黒いシミ取りに夢中になっていた小鳥が目線を上げるとそこには一人の男性が、ノートパソコンと山ほどの資料を抱えて立っていた。聞き覚えのある声。


(高梨小鳥ーーーーーーー!)

(近江隆之介ーーーーーー!)



 一週間ぶりの顔合わせに、互いの動きが凍りつく。思わず頬が引き攣る。



「・・・・な、なんでしょうか」

(ま、また睨んでる)


「や、ここなんだけど」

(か、可愛い)


「ここ、が如何しました・・・でしょうか」

「うちが使うんだけど」



 近江隆之介は一台の長机の上にノートパソコンを置き、資料を手際よく並べ始めた。



「えぇ!?」

「第一会議室、うち久我議員が使うんだけど」

「う、嘘」

「本当だよ、議会事務局行ってみたら?」

「えぇぇ」



 小鳥は慌てて議会事務局に走り、会議室予約簿をペラペラと捲った。予約日を一日、間違えていた。



「どうしよう。」



 その場で頭を抱えていると、議会事務局の女性職員が声を掛けてくれた。



「高梨さん、参加人数は何人?」

「ろ、60人くらいです」

「なら、第三会議室でも机を移動すれば大丈夫よ」

「そ、そうなんですか?」

「田辺議員にお伺いしてみたら?」

「あ、ありがとうございます!」



 議員控室で最終打ち合わせをしている狸の田辺議員は『それで良いよ。』と頷き、藤野議員は『これからは気を付けてね。』と笑顔で承諾してくれた。



(よ、良かったぁ。)



安堵した小鳥は近江隆之介が腕組みをして待つ第一会議室に急いだ。息が上がる。脇の下に嫌な汗が滲んだ。



「す、済みません!間違えて居ました!今すぐ移動します!」

「おう。そうしてくれ」

「ごめんなさい!」



 頭を下げた小鳥はペットボトルが入った段ボールをよいしょ、と二段重ねにするとその上に資料の束を乗せ、第三会議室へと向かう長細い廊下をよろよろと歩いた。



(お、重い)


 急に手元が軽くなった。

近江隆之介が段ボールの箱を軽々と持ち、顎で議会事務局の方を指した。



「ほれ、資料は見ねぇから。早く鍵、借りて来い」

「あ、は、はい」

「早く行けよ、ここに俺が居たらまずいだろ」

「はい!ありがとうございます!」

(近江隆之介、良い人、説)



 小鳥は踵を返してその場から離れ、議会事務局で諸々の手続きをして第三会議室の鍵を開けた。ムワッと空気が澱み、あと十数分しか無いのにこの会議室を一から準備するのかと思い、愕然とする。



「ほら、ボケッとすんな。エアコンつけて窓開けろ」

「は、はい!」

「何人来る予定なんだ?」

「60、60人です」

「60人だぁ?ここ、入んのかよ」



 近江隆之介は腰に手を当てると、一、二、三と列を数える様子で右手の人差し指で何かを確認している。



「おい、そっち持て」

「え」

「さっさと持て、グズグズすんな」

「は、はい」



 ヨイショ、と二人で長机を一本、二本と持ち移動させる。きっと一人ではここまで準備出来なかった。近江隆之介の真剣な横顔に気を取られた小鳥は、左手の甲を机と机の間に挟んでしまった。



「あ、い、痛ったた!」

「お、おい。大丈夫か」

「え、よそ見していただけで。大丈夫です。」

「すまん」

(近江隆之介、良い人説、第二弾)



 残り5分。

ざわざわと人の気配がして、有権者や自主党支持者が連れ立って会議室に集まり始めた。



「おい、あれ」



 見慣れないスーツ姿の近江隆之介をジロジロと遠慮なしに眺める参加者、その中には『国主党の議員秘書だ。』と小声で指差す人も居た。




「ありがとうございました」

「俺、もう行くわ。早く資料配れよ」


「ありがとうございます」

(近江隆之介、良い人説、第三弾)


「じゃぁな」

(くぅぅぅぅ、困った顔の高梨小鳥も良い!)



 ふと、目と目が合いお互いを見つめ合った時、藤野議員が二人の間にヒョイっと顔を出した。近江隆之介の顔をマジマジと見る。



「あれ?変わった顔がいるね」

「机を一緒に並べてくれました」



 近江隆之介も藤野議員も上背が有り、と称される二人だけに並んだ姿からは何やら押し迫るものがある。



「ふぅん」

「じゃ、俺行くわ」

「ありがとうございました」



 小鳥が深々とお礼をしたその背中に、藤野議員が声を掛けた。



「小鳥ちゃん、今夜も付き合って」

「あ、はい」

(今夜も!?)



 次の瞬間、壁に積み上げられて居た椅子がガタガタと崩れ、会議室の視線がそこに集まった。突然の事に小鳥も思わず目を瞑った。近江隆之介が藤野議員を壁に押しやり腕を突いた。所謂いわゆる、壁ドン状態である。



「何、やってんだよ」

「君こそ、今、何しているのか分かってる?」

「何って」

「僕にキスでもするのかい?」

「な、訳ねぇだろ!」



 そこへ手にノートパソコンを抱えた狸の田辺議員が近江隆之介の肩をポンと叩いた。



「近江くん、久我議員があちらでお待ちだよ」

「田辺議員」



 近江隆之介が第一会議室を横目で見ると、その入り口で久我議員が仁王立ちになり、エルメスのスカーフを巻いた首の前で親指を立てて左から右へとスッと横に線を引いた。



「如何やら君を首にするって言ってるみたいだね」

「はい」

「早く行きなさい」

「はい」



 近江隆之介はヘラヘラと笑う藤野議員の顔を睨みつけ、第三会議室を後にした。



(クソ藤野!姉ちゃんだけじゃなく高梨小鳥にも手ぇ付けてんのかよ!)

「坊や、楽しそうな事やってくれるじゃない」

「申し訳ありません」



 その後近江隆之介は久我議員に延々と嫌味を言われ続けた。

しかしそれはうわの空。



(二股野郎のどこが良いんだよ!)



 近江隆之介は本日、の藤野建のチラシに三本の鼻毛と目から涙と頭に花を咲かせ、グシャグシャに丸めて渾身の力を込めゴミ箱に投げ捨てた。


6月定例議会。

 議場は6階、その場所から階段状に左右に分かれた議員席が連なり、一般傍聴席は7階に位置する。その出入り口は小鳥が勤務する自主党議員控室の斜向かいに有り、いつもは静かなこのフロアが賑々しくなる。



(議会って、どんな感じなんだろう)



 小鳥は議員控室のテレビを議会中継局に合わせて初めての議会が始まるのを待っていた。狸の田辺議員も藤野議員も、小脇に資料やバインダーを抱えて神妙な面持ちで議場へと向かった。



(まだ始まらないのかなぁ)



 壁に掛けられた白く大きなプラスティック製の時計の秒針とTV画面を見比べ、廊下をキョロキョロと覗いた。その時、一般傍聴席受付辺りで押し問答が始まった。



(何、何!?怖っ!)



 そこには迷彩服に迷彩帽、過激な言葉がプリントされたTシャツに下駄を履いた男性二人組が大声を出し、職員に怒鳴り散らしている。着衣が議会傍聴に不適切だと入場を断られて激昂していた。



「何で俺らが中に入れねぇんだよ!」

「これか!?表現の自由だろ!」




 議員控室の扉から顔を出していた小鳥とそのうちの一人の目が合ってしまった。迷彩服が憤った表情で、安全靴を鳴らして小鳥に向かい歩いて来た。



「おい、お前、議員秘書か!?何で俺が中に入れないのか先生に聞けよ!」

「え、あの」

「聞こえねぇのかよ!」

「あ、の」



 その時、迷彩服の帽子がフローリングの床に落ちた。男の肩越し、黒いスーツに臙脂のネクタイを締めた近江隆之介が険しい顔で立っている。



「済みません、ブンブンうるさい虫が飛んでいたので叩いてしまいました」

「はぁ!?」

「虫、大丈夫でしたか?刺されませんでしたか?」

「何、言ってるんだお前」


 迷彩服は憤りお前は誰だと騒ぎ出した。



「久我今日子の秘書、近江です。何かご不明な点があればお受けします」



 胸のネームタグを手に持って見せた。



「俺はこの秘書に聞いてるんだ!」

「その女性職員は事務員です」

「そうなのか!?」

「は、はい」


「なら先に言えよ!」

「す、済みません。」



 近江隆之介は小鳥に詰め寄る男の間に割って入った。



「今回の傍聴はご遠慮願えますか?」

「何でだよ!」

「着帽、下駄、サンダルでの傍聴は出来ません」

「なら脱げば良いんだろ!」



 二人は帽子と下駄を激しく紺色のカーペットの上に叩き付けた。



「迷彩服、過激な内容の書かれたプラカードやTシャツの着用もご遠慮して頂いて居ります。勿論、素裸もご遠慮下さい」



 近江隆之介は冷静に声掛けをしながら、厳しい面持ちで二人を見下ろした。

そしてゆっくりと床に屈むと、落ちた迷彩帽と下駄を拾い上げ、ズイズイとその鼻先に押しつける。それは容赦無くグイグイと押し付けられた。



「お帰り下さい」



 騒ぎを聞き付けた警備員と議会事務局員に囲まれ、不適切な二人の背中はその場を後にした。その後ろ姿を見送った近江隆之介は小鳥に向き直り、口角を少し上げた。



「大丈夫か」

「あ、はい」

「怖かっただろ」

「はい」

「時々こんな事も有るから」

「はい」

「議会の日はなるべく部屋の中に入って戸、閉めとけ」

「は、はい」



 小鳥は言葉に詰まりながら、近江隆之介の顔を見上げた。



「ありがとう」

「同じ職場だし、当たり前だろ」

(同じ職場、そう、だよね)

「はい」



 当然の事なのだが小鳥は少しばかり落胆した。



(うん。ただの同僚、って事だよね)



「じゃ、またな」



 近江隆之介は後ろ手で手をヒラヒラさせて6階へ降りる階段へ向かった。



(怯えた高梨小鳥も萌える〜、たまら〜ん)



 ふと自分の机を見ると、見慣れない色の回覧板が置かれている事に気が付いた。議会事務局職員の『6月定例議会お疲れさまの会』の配布物が挟まれていた。普段は飲み会には顔を出さない近江隆之介だったが、参加者名簿をペラペラと捲って確認する。


○高梨小鳥


 それはもう電光石火で、近江隆之介は自分の名前の欄に丸印を付けた。






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