目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第10話4月10日 月曜日 職員食堂での遭遇

(携帯電話、隣人、携帯電話、ううーん)


 小鳥はいくら考えても答えの出ないを抹殺し、会派のインスタグラムとFacebookを更新していた。すると狸、いや田辺先生が一本のUSBメモリースティックを持ってニコニコと微笑んだ。



「小鳥くん、これアップしておいてくれない?」

「はい、これは」

「あ、今朝の街頭挨拶の様子。場所は兼六元町交差点で、僕の一番かっこいい画像を選んでね。あと、のぼり旗もフレームインね」

「はい!」



 第三の仕事を意気揚々と、パソコンのUSBポートにスティックを差し込んだ所で狸が踵を返し、振り向いた。



「あ、小鳥くん」

「は。」

「お昼はで食べても良いからね」

「はい!」



 とは金沢市役所の食堂で地下一階にある職員食堂の事だ。ここは職員だけでなく一般市民も利用出来、低価格で美味しいと評判だ。小鳥は本館のエレベーターのボタンを押した。


 エレベーターは6階で停止した。ワイワイと国主党の事務員や議員秘書が押し寄せて来た。



(ちょ、狭っ)



 小鳥がぎゅうぎゅうと後ろに押し潰されていると、前方からチラチラと背後を見遣る視線とボソボソと潜んだ声が耳に届いた。



「あれが自主党の、見てみろよ」

「へぇ。狸んところのか」

「確かに綺麗な顔だな」

「でもなぁ、男みたいだし俺はゴメンだな」

「俺より脚が長いのは勘弁」



 丸聞こえである。しかし、やはり田辺議員は狸。その見立は合っていたのだと小鳥は納得した。


 ただひとつ気になるのは発言。

 小鳥には苦々しい思い出がある。高等学校の卒業式に初めてキスを交わし、クリスマスイブに生まれて初めての夜を共にした恋人に20歳の誕生日を目前にして別れ話を切り出された。



「俺、お前と顔を比べられているみたいで辛いんだ」



 恋人に振られる理由が”顔の優劣”とは、理不尽極まりない。



(就職して尚、同じ評価とは、残念すぎる)



 あぁ、これでまた恋人が居ない歴を更新するのか。


(いや、ちょっと待って。5年ぶりに致したアレは一夜の恋に値するのでは!?)


 小鳥は気付いた。


(このエレベーターの中にもそのが居るのかもしれない!)



 金曜日の甘い時間を過ごした相手がこの金沢市役所庁舎内に居る。GPS検索では、確かにこの広坂一丁目に小鳥の携帯電話は存在していた。



(やはり携帯電話、は探さねば)


ポーン


 そして小鳥は食券販売機までの長い長い行列の最後尾に並んだ。


金沢市役所新館6階


 国主党(与党)の38名の議員控室がずらりと廊下の両脇に並んでいる。議員の中にはスパスパと煙草を吸う喫煙者も居る為、このフロアは何処となく煙たい。その中に、近江隆之介の実姉、久我今日子議員の控室がある。


 豪奢なマホガニーの机の上で、住民から寄せられた陳情書の山に埋もれた久我今日子が(もう飽きた)と言わんばかりに、座り心地の良い立派な椅子からガタッ!と立ち上がった。椅子がくるくると回り、数枚のA4版の書類がひらひらとフローリングの床に舞い落ちる。



「ねぇ、近江くん」

「何ですか、先生」



 近江隆之介が床の書類を拾い上げ、端をトントンと揃えて机の上に戻した。



「お昼ご飯、食べに行きたいなぁ」

「何処にですか?」

小立野こだつのの狸でブラック炒飯とかぁ」

「遠いから駄目です。」


 近江隆之介は久我議員の要求を跳ね除けた。



「何よ、ご機嫌斜めじゃない」

「いいえ」

「眉間に皺、寄ってるわよ」

「いいえ」



 流石、血の繋がった姉。勘が鋭い。


 それもその筈、相思相愛かと思った思い人小鳥の携帯電話を盗み見たが為に、彼女が本当に好きな相手が自らが所属する自主党(野党)の藤野 建ふじのたける議員だったと知って愕然、気分は最低最悪だからだ。

 あの清廉潔白そうなポスターの鼻に、鼻毛を3本づつ極太の油性ペンで書いてやりたい衝動に駆られる。



「地下の職員食堂に行きましょう」

「え、やだ」

「やだじゃありません」



 近江隆之介は無言でブラインドをザッと閉め、議員控室の電気のスイッチをパチパチと消してしまった。


 皿を洗う音、楽しげなお喋り。小鳥は一人、窓際の温かな春の日差しの中で半ばウトウトしながらランチA定食のほかほか湯気の立つ白いご飯を頬張っていた。



(301号室とか、もう如何でも良い様な気がする。)



 そして白地に緑の模様の小鉢に手を添え、黒いひじき煮のふっくらとした大豆を口に運ぶ。甘い、美味しい。



「ね、ちょっと見て」

「議会事務局の人、だよね」



 そんな背後から小声が漏れ聞こえる。振り向くと長四角のテーブルには数名の女性職員が座り、こちらを見ている。その一人とばちっと目が合い、彼女は急に顔を赤らめて目を逸らした。



「かっこいい」



 丸聞こえである。もう慣れたが、出来れば静かに見守って欲しい。




 すると食券販売機の行列も疎な職員食堂の入り口が急にざわめき始めた。

小鳥が何だろうとあじの開きから視線を移すと、異空間が広がっていた。


赤い議員バッジ。

白いカッターシャツに、ウェストをキュッと絞った膝下までのマーメイドラインの黒いタイトスカート。肌色のストッキングに黒い艶消しのパンプス。

そこには肘までの栗毛の巻き髪を掻き上げた久我今日子議員が仁王立ちしていた。背景に真紅の薔薇が乱れ飛ぶ、そんな錯覚に陥る。



(うわぁ、うちの狸とは違いすぎる)



 と、また背後から小声が漏れ聞こえる。



「久我さんが食堂に来るのって珍しいね」

「うん、超違和感」

「別世界だよね」

(・・・確かに)



 そして久我議員はカツカツと小鳥の脇を通り過ぎ、少し離れた机に赤いネイルの爪先でパイプ椅子を引き出すと背もたれに寄り掛かり、細く美しいラインの脚を組んだ。



(あの人が、久我今日子議員。初めて見た。大人の女性の色気)

「あ、じゃぁ居るんじゃない?」

「きっと居る、居る」

「あ、並んでる」



 と、また背後から小声が漏れ聞こえる。何が居るんだと思いつつ、小骨を避けながら鯵の身をむしり口に運ぶ。



「来た、来た」



 長身の黒いスーツ、黒い革靴。グレーのYシャツに黒に臙脂のストライプのネクタイを締めた男性が、そのゴージャスな職員食堂の一角へと湯気の上がる銀の皿と丼を乗せたトレーを持って歩いて行く。背中を向けた男性の顔は見えない。



 背後からまた女性職員の声が漏れ聞こえる。



「近江隆之介、こっち向かないかなぁ」

だよねぇ、うちの課に来て欲しいわ」

「抱かれてみたい」

(あれが近江隆之介)



 金曜日の歓送迎会で得た議員秘書の長野さん情報によれば、6階エレベーターホールで小鳥と目が合ったの名前は、国主党市議の秘書だという事が分かった。

 ところがその宴での姿を目の当たりにする事も無く、議会事務局の男性陣ジジイのお酌を次々と受けている内に小鳥の記憶はすっかり飛んでしまっていた。



(どんな声で話すんだろう。やっぱり冷たい感じなのかな)



 豆腐とわかめの味噌汁を啜りながら近江隆之介の背中を目で追う。食堂内の賑やかな声や皿を洗う音、パイプ椅子を引く音で近江隆之介の声はすっかり掻き消されてしまって此処までは届かない。


 ところが背後からとんでもない情報が流れて来た。



「でもさぁ」

「うん、何、何」

「あの二人って、デキてるって噂だよ」

「久我議員って独身?」

「ううん、不倫、不倫」


(え、え、不倫!?)



 その衝撃に思考回路は停止。小鳥の恋は儚くも散ったかの様に思えた。


 小鳥は思わず味噌汁茶碗と箸をトレーに置き、その言葉を脳内で反芻はんすうした。ついでに口の中のわかめとネギも反芻した。



(議員と秘書が、不倫。あぁ、あれね。ドラマとかであるあるパターン。)



 何となく喉がジワリと熱くなり、込み上げて来るものを感じた。前頭葉が頭蓋骨の中でグルングルン回っている様な気さえする。



(え、何これ。何でこんなにショックなの)



 震える手で箸を持ちご飯茶碗に手を添えるが重くて持ち上がらない。ふぅ、と思わずため息が出て、この場から一分一秒でも早く立ち去りたかった。トレーを眺め、両手を合わせる。



(ごめんなさい、残します)



 初めて食べたランチA定食は少し味気の無い物になってしまった。椅子を引いて立ち上がろうとした時、久我議員が彼に水を取って来てとでも頼んだのだろう。近江隆之介が両手にプラスティックのコップを持ってくるりと此方に振り向いた。



 小鳥はそんな事が有る筈も無いのに、近江隆之介が仕草をような気がした。


 一歩、二歩と近江隆之介が近づいて来る。


 丁度、小鳥と近江隆之介が斜向かいになった時、二人の目と目が合った。

小鳥は思わず身構えたが、近江隆之介は口元を緩め、冷たそうな目尻を少し下げて見下ろした。


微笑んだのだ。


 何が何だか良く分からなかったが、取り敢えず引き攣った笑顔でそれに応え軽い会釈、近江隆之介もぺこりと頭を下げた。背後の福祉課の女子職員が囁く。


「何、あれ。半端ない破壊力」

「笑った顔とか初めて見た」

「ドキドキしたぁ」


「誰を見たの?」

「後ろのにじゃない?」

「あ、秘書仲間、とか」



 ムカムカと気分が悪い小鳥はガッと立ち上がった。椅子の背もたれに顕になったのは、膝丈のタイトスカート。



「じょ、女子?」



 そんな良く有る勘違いも、意味深な笑顔も、不倫も全部、残飯専用のゴミ箱に捨てて皿が乗ったトレーを配膳棚に戻した。



「ご、ごちそうさまでした!」



 高鳴る心臓、意味不明の微笑み。



(破壊力、半端ない笑顔とか!)



 そしてゴージャスな久我今日子議員の微笑み。



(そ、それに不倫関係とか!)



 この訳が分からない状況に戸惑う小鳥は、その黒いショートヘアをボリボリと掻きながら足早に、旧館のエレベーターのボタンを押した。






 片や給水機でタポタポと水滴の付いたプラスティックのコップに水を注いでいた近江隆之介は肩を落とし、大きなため息を吐いた。



あいつ、覚えてねぇじゃん)



 高梨小鳥はあの甘い一夜の出来事も、近江隆之介の愛の告白も覚えていない様子だった。


 ただ一つの救いは、自分が301号室の住人である事が発覚している確率が低いという点だ。


 白い携帯電話は玄関ドアノブ返却で決定。後は野となれ山となれ、と言いたいところだが、こうなれば可能な限り301号室の住人が誰であるか隠し通すで決定。



「で、その後如何すれば良いんだよ」



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?