日没都市の話を聞いて、みずほにもう一度、会えるかもしれないと思ってから世界が一変した。真っ暗だった頭の中が妙にはっきりして、見るものや聞くものの輪郭がくっきりした。
感情も戻ってきた。うれしいとか悲しいとか思えるようになった。みずほのことを思い出すと涙が出るようになったのも、この頃からだ。ただ、そう思うのは心の中でだけで、表情や態度に出なかった。
「いま、楽しいのか?」
エンツォやマルコにそう聞かれるようになったので、そばで見ていてそう見えるようになったのだろう。ただ、表情に出ないのでわかりにくいのだ。昔はみずほに「思っていることが顔に出る」と言われるほど、喜怒哀楽が表面に出るタイプだったのだが。
翌日、改めてエンツォに日没都市の話を聞いた。顔を洗い終えたところを見計らって話しかけると、またすごく驚いた顔をして「ゴンベイがしゃべっているぞ!」とわななきながら言う。違う。昨夜、トウマと訂正したし、本名で呼ぶ方針も確認したはずだ。
エンツォはよくも悪くも感情に中途半端なところがなく「少し驚いた」とかがない。驚く時は常に全力だ。喜ぶ時も悲しむ時も一緒。そばで見ていて快いこともあるが、鬱陶しいこともあった。とりあえず落ち着かせて、本当に死者と会えるのか聞いた。
「自分で見ていないので断言はできない!が!ゴブリンの話は妙に細部までしっかりしていて、作り話にしてはよくできている感じがした!だから、俺は日没都市はあると思うし、そこに行けば、死者にも会えると思う!」
どうしていちいち「!」がつくくらい大きな声を出すのだろう。いずれ聞いてみようと思う。それはともかく、みずほに会える場所があるんだ。「ただ」とエンツォは俺が思いを巡らしているところに割り込んできた。
「魔族たちが西へ逃げて行ったのが1000年前。俺たちが3カ月くらい西へ行っても、世界の果てにはたどり着かない。どれくらい遠いのか?すごく遠くにあるとして、どうやって魔族たちは日没都市から来ているんだろうな?旅をしてやって来ているのか?あまりに遠いと長寿の魔族とはいえ、年を取ってしまうぞ。不思議なことだらけだ!どこにあるかは、どうしても口を割らなかったんだ!」
確かに不思議だ。まあ、後でヒイロのおかげで次元の扉というものがあって、それで長い距離をひとっ飛びにしていることがわかるわけだが、当時はそれがわからなかった。とにかく西へ行く。オアシスがあろうがあるまいが、できる限り砂漠の奥地へ行く。そうすれば日没都市へたどり着くだろう。
長い旅になる。居ても立っても居られなかった。自分だけでもすぐに日没都市に向けて出発したかった。みずほに会って謝罪する。守ってやる、ずっとそばにいると言いながら、そうしてやれなかったことを謝りたかった。
その日の夕食の時に早速、つみれに日没都市に行くと言った。
「構わへんけど、万物の源を探しながらやで」
オークのシチューを口に運びながら、つみれは言った。そうじゃない。俺は万物の源には興味がない。青薔薇を離脱して一人で行くというと、スプーンを持った手を置いて怖い顔をしてこっちを見た。
「離脱ぅ?出ていくってことか?」
そうだ。それ以外に何がある。
「何言うてんねん。あかん。あかんで。あんたは奴隷商人から買うたんや。あんたはウチの所有物やねん。出ていくとか、そんな自由ない。高い金、払うたんやから」
明らかに怒り出した。だけど、怒ろうがなんだろうが、出ていくと決めていた。ただ、世話になったことは確かなので、後ろ足で砂をかけていくような真似はしたくなかった。では、俺を買った金を払う。それでどうだ。いくら払ったんだと聞くと、指を2本立てた。思いついたように3、4本と増えて最終的に全部の指を立てた。
「5万マニーか。わかった」
「ちゃう!桁が違うわ!500万マニーや!」
そう言ってテーブルをバンと叩いた。マルコがゴホッとむせる。エンツォも驚いた顔をした。
「つみれ、俺だって奴隷の相場くらいは知っているぞ」
奴隷はタダみたいな値段から上は天井知らずだが、当時の俺のようにボロボロの成人男子は、健康な状態で10万から30万マニーと言ったところだ。100万を超えるのは高価な部類で、美形の若い女性や子供なんかにしかつかない。500万なんて珍しい値段で、競っていたとしても、あの頃の俺にそんな値段がついたはずがない。
「500万や!金払うて出ていくっていうんなら、耳そろえて出してみい!」
興奮してテーブルをバンバン叩いている。無茶な金額だ。大体、討伐隊の兵士の一日の日当が5000マニーくらい(一日三食付)。約3年分に相当する。だけど、つみれがそう言うのなら従うしかない。本当はそんな値段で買ってないだろうし、問題は金じゃないこともなんとなくわかっていたけど「じゃあ、500万用意するから待っててくれ」と言った。踏み倒して出ていくのは、嫌だった。
それからは青薔薇隊以外でも働いた。青薔薇の勤務が終わったら、他の部隊の勤務に参加した。睡眠時間が格段に減ったけど、そんなこと気にしてはいられない。移動中には神武官時代の技術を生かして革細工を作って、売ったりもした。いろいろなものの修理もできたので、オアシスに到着すると「仕事はないか」を聞いて回って、小銭を稼いだ。
つみれは最初は黙っていたが、俺が着々と金を稼いでいるのを見て、次第に邪魔するようになった。移動中にはずっと横に来てしゃべりまくって作業を邪魔するし、オアシスに着くと何かを用事をこしらえて俺を連れ出した。
「本当は2万マニーだったんだぜ。めちゃくちゃだ。俺から親分に言うわ」
寝る間も惜しんで働いているのを見て、マルコが助け舟を出してくれた。ありがたかった。ただ、つみれが簡単に聞くまいと思っていたら、思った通りだった。
「なぜ、トウマは日没都市に行きたいんだ?」
エンツォが聞くので、俺の妻は殺されて、最後に会話することもできなかったので、もう一度会って話をしたいと説明した。
「悲劇!君は日没都市に行くしかないッ!」
説明したのは本当にそこに書いた1行ちょっとくらいの内容だったんだけど、エンツォはそう言った。
金を積めば解放してくれるとは限らない。だって、つみれは金に執着がないから。青薔薇の日当はつみれが一括して受け取っていたが、マルコに全部渡して運用を任せていた。金を貯めている素振りは全くなかった。500万なんて嘘だろう。俺を手放したくなくて無茶を言っているんだ。それはマルコもエンツォも、たぶんベルナルドとアイシャもわかっていた。
「なにしろ出て行きたいなんて言い出したのは、お前が初めてだからな」
マルコは討伐隊に入った時からつみれの部下で、独立した時に一緒について来た。青薔薇隊を創設時から知っている。大きな作戦の時に一時的に他の部隊と合流して部下が多くなることはあったが、青薔薇の紋章を背負わせた自分の部下は独立以来、誰一人として去ったことがなかった。うん、4人しかいないからな。俺が初めての離脱者というわけだ。
「親分は見ての通り、部下がかわいくて仕方がない人だから、お前が出ていくことが受け止められないのさ」
マルコはよくわかっている。この部隊で一番、まともな人間だ。
つみれの我慢は1カ月しかもたなかった。
俺はオーバーワークがたたって戦闘時に負傷することが増えた。見た目にもやつれてきて、見ていられなかったのだろう。マルコを通じて「もう金は要らない。他で働くのはやめろ」と言ってきた。では、俺が部隊を去るのを認めてくれるのか?と同じくマルコを通じて聞くと、3日くらいして「仕方がない」と返事がきた。
円満と言えるかどうかわからないが、とにかく承知してもらえた。これで胸を張って出ていける。幸いなことに、他で働いたことで少し蓄えがあった。それを使ってキサナドゥーに行こう。あそこなら仕事がたくさんある。兵隊みたいに危険ではなく、なおかつ稼げる仕事に就いて、金を貯めて、長期の旅に耐えうる装備をそろえよう。
荷造りをすると早速、つみれに明日、発つと伝えようとしたが、俺が近づくと逃げていった。夕食にも「忙しい」と言って出てこなかった。
翌朝、駐屯地を出発した。エンツォとベルナルド、意外なことにアイシャも見送りに来てくれた。だが、つみれとマルコがいない。大方、つみれが見送りたくないと言い出して、マルコが説得しているのだろう。
「体に気をつけろ!病魔はいつ襲ってくるかわからないからな!」
エンツォ、それって旅立つ仲間にかける言葉か?ベルナルドは大きな手を差し出して、握手してくれた。その時、宿舎からマルコがつみれの手を引いて出てきた。つみれは泣いているのか、うつむいて目を拭っている。
「すまんな。親分がごねちゃってよ」
いや、ごねたというレベルじゃないだろう。つみれはもうかなり泣いたあとなのか、ぐしゃぐしゃの顔をしていた。涙はもちろん鼻水も垂らしている。
「ほら、親分。昨晩、話しましたよね。笑顔で見送るんだって」
マルコが身をかがめて、つみれにささやいている。丸聞こえだ。つみれは顔を上げた。見る見るうちに、また涙があふれ出す。
「イヤや…」
そう言うと、うわあ〜んと声を上げて泣き出した。「イヤや〜!トウマとお別れするなんて絶対にイヤや〜!」。通行人が振り返って見ている。
「イヤや〜!!!」
…子供か。
こんなに泣かれると、申し訳ない気持ちになる。
「すまない。あんなに世話になったのに」
膝をついて抱きしめた。つみれは俺の首にしがみついて「謝るくらいなら、出ていくな〜!」と叫んだ。
その通りだ。俺は謝ってばかりだ。ゴンズ、ゼンジ、ナズナ、リュウ、雫、ハナヨ先生、みずほ。そこにつみれ以下、青薔薇の仲間たちも加わってしまった。いつか誰にも謝らずに済むようになるのだろうか。誰にも謝らないような生き方ができるようになるのだろうか。そんなことを考えながら、つみれの背中をポンポンと叩いていたら、だんだんと落ち着いてきた。
「本当にごめん。でも、俺、行かないと」
青薔薇で何も知らなかったことにして暮らしていけば、それなりに楽しい日々が送れるかもしれない。俺を必要としてくれる仲間がいて、彼らは俺に価値を見出してくれている。だけど、知ってしまった。みずほにもう一度、会えるかもしれないということを。その可能性がある以上、それを追い求めずにはいられなかった。つみれは首に回した腕をほどくと俺の両肩に手を置いて、俺の目を見つめた。
「はよ行け。目的を果たすまで、死んだらあかん」
鼻水を垂らしたまま、ニコッと笑った。ああ、邪眼を使いやがった。未練がましくならないようにしたんだ。俺は立ち上がるとバックパックを手にした。マルコが歩み寄ってきてハグしてくれた。そこにエンツォとベルナルドも加わった。
「いつでも帰ってこい。お前はいつまでも青薔薇の仲間だ」
油でいぶした匂い。いつも料理当番のマルコの匂いだ。うれしかった。エンツォとベルナルドともう一度、握手をした。
「じゃあ、行ってくるわ」
口をついて出た言葉は、さよならではなかった。
「大丈夫よ。また会えるから」
アイシャがそうつぶやいたのが聞こえた。
つみれがまた声を上げて泣き始めた。だけど、振り返らなかった。邪眼のせいで、振り返れなかったという方が正しいな。