何時間、何日、そこでそうしていたのかわからない。気がつくと檻の中だった。鉄柵ではなく木製だ。道路脇に設置されていて、通行人がジロジロとのぞいている。口も喉もカラカラだった。カラカラどころか、乾き過ぎてヒリヒリしている。
神武官の時に、飲まず食わずで何日行動できるかという訓練をしたことがあるが、その時でもこんなふうにはならなかった。手首と足首を縄で縛られている。頭が猛烈に痛かった。真っ昼間で、日向には強い日差しが降り注いでている。小さな部屋くらいの広さがある檻には屋根がかかっているのか、日陰になっていた。
周囲を見回すと痩せて汚れた男たちが転がっていた。2、3、4人。一人は立ち上がって、ぼんやりと檻の外を見ている。後で知ったのだが、そこは西域の東の端にある街で、俺は奴隷商人に売りに出されていた。墓の上で倒れていたところを、拾われたのだろう。檻の外にたくさん通行人が集まっているなと思ったら、奴隷を買いに来た連中だった。
まもなく競りが始まり、商人と買い手が交渉を始めた。
大きな声が頭に響いて、目を開けていられない。檻のすぐそばで商人と交渉している女がいた。最初、子供かと思った。小さかったからだ。よく見ると体格が小さいだけで、大人だった。
黒髪の東方人だ。カーキ色のフードがついた上着に、七分丈のズボン。足元は頑丈そうなブーツという、東方ではあまり見ない身なりだ(これも後で知ったけど、西域の軍服だった)。別の国に来たのだろうか。そんなことを思いながら、意識を失った。
次に気がついた時には、馬車の荷台だった。隣に男が座っている。デカい。ゼンジほどではないが、魔族級の大きさだった。筋肉量もすごい。しかし、男からは魔族特有の匂いがしなかった。赤い巻き毛が背中まで垂れ、顔も半分くらい赤い髭で覆われている。俺が意識を取り戻したことに気がついたのかついていないのか、黙々と剣の手入れをしていた。
体格と同じく、とても長くて太い剣だ。こんなの初めて見た。どこかに連れて行かれているのだろうか。起き上がりたかったが、手足を拘束されていた。仮に自由でも、起き上がる体力がなかった。それくらい衰弱していた。
引き続き頭が猛烈に痛む。馬車が揺れるたびにガンガンと響き、体がふわふわと浮いているようで気持ち悪い。わかったぞ。これは麻薬だ。奴隷商人は、捕まえた奴隷が逃げ出さないように麻薬を飲ませる。朦朧として動けなくさせるためだ。話には聞いていたが、自分がやられる立場になるとは思ってもいなかった。御者台の方から声が聞こえてくる。
「親分、あんな値段、出す必要あったんスか?」
「わかっとらんなあ、マルコ。わかる人が見たら、もっと高い値段がついとったわ。なんも知らんアホしかおらへんかったから、あの値段やってんで」
「へえ」
「あんたは普通の人間やから、わからへんやろな。でも、魔法使いのウチから見たら、あれはごっつい掘り出しもんやねん。そのうちわかるわ」
トン、と足音がして、視界にさっきの小さい女が入ってきた。若い東方人だ。年齢は俺と同じか少し上くらいに見える。鮮やかな青いターバンを巻いていた。ポニーテールにまとめているのか、黒くて腰の強そうな直毛が後頭部から飛び出していた。目が印象的だった。猫のようなつり目なのだが、黒い瞳が時々光を受けて金色に輝いて見える。引き込まれそうだった。
「あっ、意識が戻っとるやんか!ベル、なんで知らせてくれへんねん!」
ペチッと平手で大きな男の二の腕をはたく。俺に馬乗りになると、顔をのぞき込んだ。
「おはよう。あんたはもう、ウチのもんやで。これからよろしくな」
そう言うと、ブチュッと俺の唇にキスをした。何か口に入れているのか、柑橘系の香りがする。そう、これがつみれだ。デカいのはベルナルド。御者台のはマルコ。青薔薇隊との出会いだった。
朦朧としていたので、どれくらい移動したのかわからない。意識を取り戻すと、どこかのオアシスの駐屯地だった。つみれたちは一応討伐隊なので、ムスラファンの軍隊の施設を使っていた。
「親分!なんっスか、それ!」
耳が壊れそうな大声で出迎えてくれたのが、エンツォだ。黙っていれば色男なのに、口を開けば声は大きいし、言わなくていいことも言うし、困ったヤツだった。
「おお〜、さすがエンツォ。マルコとは違うやん」
つみれはうれしそうだ。俺はベルナルドに担がれて部屋まで連れて行かれて、乱暴に床に降ろされた。
「なんっスか、これ!ヤッバ!ヤバすぎ!こんなの見たことない!」
四つん這いになって俺を縦横斜めから観察しながら、耳元で叫ぶ。声のボリュームが壊れているとしか思えなかった。
「何がやべえんだよ。俺には全然、わからねえ」
マルコが荷物をおろしながらボヤく。
「魔力じゃない!でも、何か強いものがある!体内から出ているのか?それとも、まとっているだけなのか?」
エンツォは俺をあちこち触り始めた。やめろ。動けないのをいいことに、人の体を勝手に触るな。部屋の奥にテーブルがあって女が座っていた。全身黒ずくめの長いスカートを履いた、陰気そうな女だ。ああ、これがアイシャだ。
「それ、闇ね」
「闇?これが?魔力みたいに使えるのか?」
エンツォが聞いたけど、女は答えない。前を見つめたまま、沈黙してしまった。
「会話が大事な部分に差し掛かると、いつも〝電池〟が切れてしまうな」
マルコが言う。つみれは台所から何か飲み物を持って戻ってきた。
「なんていうたらええんかなあ。闇っていうのは、怒りとか憎しみとか、そういうネガティブな感情の塊みたいなもんや。普通、そんなになる前に、耐え切れなくなって自殺してまうねん。そんなになるまで生きている人間、珍しいわ。見たことない」
アイシャの隣に座ると、手にしたティーカップに口をつけた。コーヒーの香りがする。
「その闇を使いこなせたら、すごい戦力になるで。マルコ、エンツォ、きれいに洗ってやり。それから栄養補給や」
「合点承知!」
なんなんだ、この集団は。
俺はエンツォとマルコに風呂に入れてもらった。自力で立てないくらい弱っていたからだ。それから、西域の軍服に着替えさせられてメシを食わされた。
まずは水からだ。そのころは生きる気力が全くなくて、何かを口にするつもりも全然なかった。マルコが飲ませる水をダラダラこぼしていたら、つみれがやってきて「飲みい」と言って、なぜか飲まされた。
つみれの目を見ていると、言うことを聞かないといけない気になってしまう。これがあいつの一番の武器、邪眼なんだ。目を見ることで、他人を意のままに操る魔術。気に食わない。
だけど、あれで無理やり水を飲まされて、メシを食わされたおかげで、今こうして生きている。死んでいたら、お前やあいつらに会うこともなかったし、みずほに再会することもなかっただろう。あの時はとにかく嫌で仕方がなかったけど、今は感謝している。
つみれは「離脱症状が出るから」と俺に飴もなめさせた。邪眼で無理やりだ。これも口にして正解だった。麻薬の効果が切れる時、すさまじい苦痛に襲われると聞いていたが、聞きしに勝るだった。頭が割れるように痛いし、吐き気は止まらないし、体の節々は痛むしで、どうせお迎えが来るのなら、もう少し優しくしてほしいと思った。
離脱症状が一段落してぐったりしている間に、つみれは俺の背中に薔薇の刺青を勝手に掘った。あいつは満足そうだったけど、勘弁してくれという気分だった。