村のはずれに墓地があって、先生は小高くなったところに埋葬された。独り者の女性に最後まで敬意を払ってくれた点は評価できる。この村も捨てたものではない。
学校に戻って2人きりになると、みずほは「お腹が空いたね。何か作ろうか?」と言い出した。通夜の時も葬儀の時も、近くの食堂(ここも俺がよくいろいろなものを修理したり、手伝いに行ったりしていた)が参列者に自腹を切って炊き出しをしてくれた。みずほの分も作ってくれていたが、手をつけていなかった。先生が亡くなってショックを受けていたのもあるだろうし、たくさん人が来たので緊張していたということもあるだろう。俺も忙しく立ち働いていて、握り飯を数個食べた記憶しかなかった。
「そうだな。でも、大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
みずほは笑顔でそう言って台所に消えた。しばらくして何か切っている音や、湯を沸かしている音が聞こえてきた。こんな時でも腹は減るんだな。そして料理もするんだ。ただ、みずほに料理をする元気があるとは思えなかった。俺がいるから、無理をしているのではないか。
台所をのぞきに行くと、しゃくり上げて泣きながら鍋をかき回していた。大丈夫?なんて聞いたことを後悔した。大丈夫なわけがない。傷ついていた自分を助けて、立ち直るのを手伝ってくれた母親代わりの人を失ったのだから。どう慰めていいかわからなくて、後ろから抱きしめた。
「大丈夫。大丈夫だから。ずっとそばにいるから」
そう言うと、みずほは声を上げて泣き出した。こんなにわんわん泣いたところは見たことがなかったので、ちょっと驚いた。俺も泣きたい気分だったけど、これでは泣くわけにはいかない。頭をなでて、背中をさすって落ち着くのを待った。しばらくして、みずほのお腹がぐう〜と鳴った。ハッとした顔をして、こっちを向く。みるみるほおが赤くなる。悪いかなと思いながらも、思わず吹き出してしまった。みずほも笑っている。
「ごめん。ありがとう」
涙をぬぐって、調理を再開した。鶏肉と野菜くずの味噌仕立ての汁にうどんを入れた、ありあわせの料理だったけど、とても美味しかった。今でも忘れられない味だ。食事をしながら俺が毎日、学校を手伝うと改めて言った。みずほはうん、うんとうなずいて、また「ありがとう」と言って少し笑った。その夜は2人とも早々に寝た。もちろん別々だ。気が早すぎる。まだ結婚していない。
その後、みずほと結婚した。結婚生活は楽しかった。なんだ、話をさえぎるなよ。プロポーズした話を聞きたい?それ必要か?さっきから全然、進んでないから早く先の話をしたいんだけど。
仕方ないな…。みずほには葬儀の翌日、早々にプロポーズしたよ。「学校を手伝う」と言ったけど、それだけでは他人事みたいだったから。本気で人生を支えるつもりなんだと、早く意思表示したかった。
翌日は休校にして、後片付けをした。朝食をとった後、庭の掃除をして、ひと休みした時にテーブルで隣に座って「結婚しよう」と伝えた。指輪とかはなかった。用意してなかった。みずほは少し驚いた顔をしたけど、なんとなくそんな予感を抱いていたのか、優しく笑って「よろしくお願いします」と言って俺の手を取った。ヒューヒュー言うなって。茶化すんならこの話はやめるぞ。
一緒になるにあたって、知っておいてほしいことがあった。俺が人殺しだということだ。そして、魔族殺しでもあるということも知らせておきたかった。後になって、実は殺したことがあると言いたくなかった。
たぶん、みずほは俺のいいところはたくさん知っていたと思う。でも、悪いことはあまり知らなかったはずだ。あえて言わなかったから。夫婦になるのなら、そういうところも含めて知っておいてほしかった。
「俺は人を殺したことがある。魔族もだ」
ゴンズとゼンジの話をした。淡々と話そうと心に決めていたが、ナズナやゴンズの死体を見たところと、ゼンジを殺してしまったところで、堪えきれずに泣いてしまった。
俺は、価値のある人になりたかった。生まれてすぐに捨てられるほど、なんの価値もない人間だった。そのまま世界の隅っこで誰からも愛されず、必要とされないのは耐えられなかった。認められて、必要とされる人間になりたかった。だけど、その過程で先輩が死に、友人を殺してしまった。
なんのために生きてきたのだろうか。振り返ってみると周囲に迷惑ばかりかけて、いまだに俺は価値のある人間ではなかった。結婚して、みずほを支えて、みずほの人生で大事な役割を果たした人間になりたいと伝えた。抽象的な話になってしまって、理解してくれるだろうか?と思うようなところまで脱線してしまった。
みずほは黙って聞き終えると、立ち上がって俺を抱きしめた。俺は座っていて、みずほの胸に顔を埋める形になった。温かい。心音が聞こえる。めちゃくちゃになりかけた心が、平静を取り戻すような気がした。
「あなたは価値がある人間よ、トウマ」
頭を抱えていた手を背中に回して、優しくなでてくれた。昨夜とは立場が逆だ。
「だって、私が必要としているもの。私が安心して生きていけるのは、あなたのおかげだもの。大丈夫。これからも、私がいる限り、あなたは生きている価値のある人だわ」
何も言わずに受け入れてくれたこともうれしかったが、それ以上に俺が小さい時からずっと抱いていた劣等感を包み込んでくれたことが、うれしかった。
その日のうちに、簡単な結婚式を挙げた。俺は神武官なので、泉の女神を信奉している。シャナのことだ。東方はあちこちにシャナを祀る祠があって、神棚を備えている家も多い。学校にもあった。夕方、近くの小川からきれいな水を汲んできて、神棚の前でこれからの人生をともにすることを誓った。
初めてキスしたのはいつか知りたい?勘弁してくれ。話を進めないと、いつまでたっても終わらないぞ。
俺はゴンズの小屋を引き払って、カモメノの学校に引っ越した。といっても家財なんかないし、神武官の仕事道具を担いできただけだ。一緒に住むとなれば、これまでのようにあちこち巡回して仕事をするのは難しい。神武官を辞めようと思って、退職願いを書いた。何より、俺は神武官の禁を破って人を殺していたから。
いずれ落ち着いたら神武院に行って直接、報告するつもりだったけど、先生が死んだばかりで新しい生活も軌道に乗っていなかったので、とりあえず手紙を出した。そのまま長いこと行けなくなってリュウや雫を心配させてしまうことになるんだけど、当時はそんなことになるとは思ってもいなかった。
学校はみずほが先生になって継続した。だけど、収入は正直、こんなに少ないのかという金額だった。2人で慎ましく生活している分にはなんとかなりそうだったが、いずれ子供をつくるとなると、もう少し必要だった。
そこで神武官時代のツテを使って、いろいろなところへ仕事に行った。退職願いを出したにもかかわらず、代わりの神武官が来ないので、神武官がやるべき仕事は全部、俺に回ってきた。おかげで仕事にあぶれるということはなく、将来に不安を感じなくてもいいくらいに稼げるようになった。
遠出した時には中央高地に足を伸ばして、魔族狩りの動向を調査した。もう神武官の制服は着ていなかったので、素人のふりをして狩人たちと接触したこともある。腹の底では殺したいくらい彼らが憎かったけど、何食わぬ顔をして情報を引き出すことができた。ゴンズもきっとこんなことをしていたのだろう。
引き続きゴンズの担当地域の魔族とも交流があったので、警戒を怠らなかった。そもそも妻が魔族なのだ。見た目はそうは見えないが、どこからどう情報が漏れるかわかったものではない。出張すると2、3日と家を空けることもあって、そういう時は心配で仕方がなかった。みずほも俺がいないと不安なようで、戻ると明らかにホッとした顔をしていた。
さっきも言ったけど、結婚生活は楽しかった。誰か待っている人がいる家に帰るというのは、すごく心が弾むものだということを知った。俺がいるおかげで笑顔になる人がいて、自分には生きている価値があるのだという実感があった。
今まで神武官の仕事をして感謝されて「ああ、よかった」と思うことはたくさんあったけど、それとはまた違う。それは他の神武官でもできる。でも、みずほを笑顔にできるのは俺だけだ。毎日が楽しくて充実していた。こんなのは生まれて初めてだった。
日々があわただしく過ぎていき、あっという間に3年経った頃、みずほが妊娠した。文字通り、飛び上がって喜んだ。捨て子の俺が父親になる。家族のいなかった俺に、血を分けた子供ができる。想像しただけで、叫び出したくなるくらいの喜びだった。
もちろん、父親を知らない自分に子育てができるだろうかという不安はあった。だけど、みずほが赤ん坊のために小さな服や手袋や帽子を作っているのを見ていると、そんな不安は遥か遠くに吹っ飛んでいった。
俺はそれまで以上に一生懸命に働いて、金を貯めた。子供が大きくなって愛する人を見つけて新しい家庭を築くまで、ずっとそばにいてやろう。これまで経験したことを一つ残らず教えて、幸せな人生が送れるように導いてやろう。幸い、俺は失敗ばかりしてきた。成功したことといえば、みずほと結婚したことくらいだ。何をしたらまずいかということを、たくさん知っている自信があった。
魔族は多産だ。そして人間よりも早産の傾向がある。みずほの腹の中の子供も、どんどん大きくなった。あまり早く出てこられても困るけど、早く会いたかった。毎日、みずほと一緒に大きくなっていくお腹をなでて、動いているのを感じて喜んでいた。
幸せだった。あの頃が、人生で一番、幸せだったよ。