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第90話 好意

 俺はカモメノにたびたび足を運ぶようになった。みずほに会うのが楽しみになったからだ。最初は怖がって出てこなかった。先生の部屋でメシを食っている間は、台所に隠れていた。


 「先生、俺が悪い人間じゃないって言っといてくれよ」


 「もうとっくに言ってあるわよ。もう少し、あの子の方から歩み寄れるようになるまで、待ってあげてちょうだい」


 そんな時でも薪を割ったりしていると、興味があるのか校舎の角に隠れながらチラチラ見ていた。それがかわいくて、また用もないのに学校へ行った。俺がみずほに好意を抱いたことは、すぐに先生にバレた。


 「トウマちゃん、みずほが好きなのね?」


 恥ずかしかったので「ええ、まあ…」とかなんとか、曖昧な返事をした記憶がある。好きかどうかで言えば、はっきりと好きだった。何が気に入ったのかって?顔かな。あと、いつもビクビクしているところが愛おしかった。守ってやらないといけないと思った。


 俺はゼンジの一件を忘れたことはない。これからも忘れない。ナズナみたいな子を出すのは絶対に阻止しないといけないと思っていたので、そういう意味でも魔族狩りに追われて逃げてきたみずほのことは、気になって仕方がなかった。話したこともないのに日に日にみずほに会いたい気持ちは強くなって、当時はまだゴンズの小屋に住んでいたけど、毎日のようにカモメノに引っ越すことを考えた。


 初恋だったのかって?そんなこと、どうでもいいだろう。何、どうしても知りたい?困ったな。まあ、それまで恋愛はしたことがなかったよ。神武院にいた頃に、かわいいなと思っていた先輩はいたけど、別に告白したりしなかったしな。それが初恋でないと言うのなら、これが初恋だったのかもしれないな。もういいだろう。続けるぞ。


 みずほはしばらくすると年相応(魔族にこの表現が適切かどうかは微妙だ)にふっくらとして、ますますかわいくなった。相変わらず会話はなかったが、笑顔で会釈をしてくれるようになって、それがすごくうれしかった。


 先生はあえてみずほを人前に出さなかった。でも、子供は敏感だ。すぐに先生以外の何者かがいると勘づいて、見つけてしまった。みずほは子供に興味があるのか、裁縫で小物を作ったり、折り紙を折ったりして、学校に来たら見つけられるように教室の棚の上に置いていた。子供たちへのプレゼントというわけだ。こうなってくると先生も隠さなかった。


 「あれは、みずほお姉ちゃんが作ってくれたのよ」


 大変な思いをしたことがあるので、人前に出るのが怖い。だから、静かに見守ってほしいと言い聞かせた。普通、ガキはそんなこと聞かない。押し寄せて、めちゃくちゃにしてしまう。だけど、先生の言い方がうまいのか、ここの子供たちが素直すぎるのか、とにかく子供たちはみずほに無理強いしなかった。それどころか、子供たちも工作や折り紙でプレゼントを作って、教室に置いて帰るようになった。優しい交流だな。理解のある人が多くて、助かった時期だった。


 そんな感じで、みずほは紙を一枚ずつはがすくらいの速度で、周囲の人間に歩み寄っていった。俺も例外じゃない。あんなに足繁く通っても言葉を交わすどころか、目の前で顔を見ることもなかなか実現しなかった。


 みずほがようやく人前に出るようになったのは、先生の家に転がり込んでから1年近く経った頃だ。ある日、例によって夕飯をごちそうになるためにテーブルについていると、料理を持ってきたのでびっくりした。皿を置くと、何も言わずに台所に戻っていく。次の皿を持ってきて、また同じように戻っていった。何が起きたのだろうと先生を見た。


 「何気なく持ってきたけど、あれでもすごく勇気を振り絞っているのよ。ほめてあげて」


 食事をしている間は例によって台所にこもっていたが、終わるとどこからか見ていたのか、皿を下げに出てきた。


 「ありがとう。ごちそうさま」


 こうやって全身を見るのは、学校の庭で初めて会って以来かもしれない。バサバサだった髪に艶が出て、肌の張りも良くなって健康そうだ。もう痩せているイメージはなかった。みずほはチラッと俺の顔を見ると、恥ずかしそうに目を伏せて台所に戻っていって、その日はそのまま出てこなかった。



 この日を境に、みずほは少しずつ人前に出てくるようになった。先生も改めて、彼女を子供をはじめ、村の人に紹介した。1年ほど前に山で倒れているのを見つけて保護したこと。何か大変な思いをしたらしく、怖がりなのでそっとしておいてほしいということ。魔族であることは、あえて言わなかった。言わなければ魔族に見えないし、気付く人がいたとしても、この程度なら末裔だと言い張ることもできる。


 純血の魔族と、魔族と人間の混血である末裔は、人間社会では扱いがだいぶ違う。前者はいまだに拒否反応が強い。特に魔族に苦しめられてきた東方ではそうだ。守護者も目の敵にしている。


 だが、後者はそこそこ人間社会にいるので、そこまで拒否反応はない。少なくとも恐怖や忌避の対象にはならない。東方はそこまでではないけど、中央高地や西域に行くと末裔は結構いる。南方なんて、そもそも入植した時のリーダーが魔族なので、その血を引く末裔は多い。末裔っぽい身体的特徴はほとんど出てないけど、マリシャもそうだ。


 少し脱線してしまったが、先生はみずほを末裔扱いにしようとした。それは間違いじゃなかったと思う。


 みずほが俺と一緒に食卓を囲んで、いろいろ話してくれるようになるまで、さらに1年くらいかかった。なぜ覚えているかというと、最初の会話が強烈だったからだ。


 みずほは手先が器用で裁縫が得意で、料理も先生に負けないくらい上手に作った。俺が行く日の食事はいつしか彼女が担当するようになり、先生とそっくりの味付けの料理を作ってくれた。最初は全く気がつかず、先生が「きょうは全部、みずほが作ったのよ」と言い出して、初めて知った。


 「どう?上手でしょう?」


 驚いた。すっかり先生が作ったとばかり思っていた。皿を下げにきた時に「ごちそうさま。とてもおいしかったよ」と言うと、照れて顔を真っ赤にして、台所に逃げていった。


 それから数日後、ついにみずほが食卓にきた。先生の家のテーブルは円卓で俺の正面にみずほ、2人の間に先生が座った。おっ、ついに出てきたな。胸の内では抑えきれないくらい喜んでいたのだけど、みずほがおどおどして視線を泳がせていたので、あまりジロジロ見たりするのはどうかと思って、何気ないふりをしていた。


 その夜のメインメニューは鶏肉の照り焼きだった。もちろん、みずほの手作りだ。ジューシーで上手に焼けていたけど、初めて一緒に食卓を囲んだことで緊張して味がよくわからなかった。


 「トウマちゃん、味はどうかしら?」


 先生は俺をチラチラ見ながら、ニヤニヤしている。黙々と食べていた手を止めた。


 「えっ、ああ…とても美味しいです」


 「おかしいわねえ。いつもはもっと『うまい、うまい』と言いながら食べているのに。みずほ、何か作り方を変えたの?」


 今度はあっちに振る。みずほは口元を押さえて、首を横に振った。うーん、まずい。このまま先生を介していては、らちが明かない。俺は意を決して「みずほちゃん、すごくおいしいよ」と彼女の目を見て言った。


 みずほはしばらく俺の顔をびっくりしたような表情で見ていたが、口の中のものを飲み下すと、口元を押さえたまま「あっ、ありがとう」と言って、ほおを真っ赤にした。箸を置いて下を向くと、スカートを強く握りしめて「あ、あの」と言ったきり、モジモジしている。何を言うのかと期待して待っていたが、なかなか言葉が出てこない。先生が助け舟を出そうかとしたその時、突然、顔を上げて、勢い込んでものすごい早口で言った。


 「あのっ、ハナヨさんのご飯より、おいしいですか?」


 ちょっと待ってくれ。なんてことを聞くんだ。先生の作るメシより美味いなんて、言えないじゃないか。だが、みずほに俺の好意を示すためには、イエスと答えなければいけない。究極の選択だった。


 ちらと先生の方を見ると、今にも吹き出しそうな顔をしてプルプルと震えている。いいなあ、そうやって楽しめて。みずほに視線を戻す。真剣な顔をしていたが、しばらくしてえらいことを聞いてしまったことに気がついたのか、また赤くなって下を向いてしまった。もう仕方がない。先生、すみません。心の中で土下座した。言い間違いのないように、ゆっくり、はっきりと伝えた。


 「先生のご飯より、おいしいよ」


 言った瞬間、先生が我慢できないとばかりにブーッと吹き出して、涙を流して笑い始めた。みずほは椅子を蹴って立ち上がって、台所に逃げ込んでしまった。どうすればいいのかわからなくなってオロオロしていると、先生はあぁ〜面白い、ひぃ〜お腹の皮がよじれると言いながら、追いかけていった。しばらくして、手を引いて戻ってきた。まだ笑っている。


 「ごめんね、笑っちゃって。でも、我慢できなくて。みずほ、頑張って聞けて、えらいわ」


 椅子に座らせると頭をなでて肩を抱き、ほおに手を添えて、うつむいていた顔を上げさせた。


 「さすが、私の自慢の娘だわ。かわいい私のみずほ。これからトウマちゃんのご飯当番は、ずっとあなただからね。任せたわよ」


 台所で泣いていたのか、みずほのほおに涙が流れた跡があった。


 そのあと、どうしたのかって?なんか気まずい空気のまま食事したよ。俺もみずほも黙ったままで、先生が一人でご機嫌でしゃべっていた。忘れられない最初の会話だ。


 ただ、これでちょっと壁が取り払われたみたいな感じになって、みずほはぼちぼちながら、しゃべってくれるようになった。裁縫や料理以外に花が好きで、庭でいろいろな花を育てていた。ただ育てるだけではなく、これは咳に効くとか、あれは腹痛に効くとか薬効に詳しくて、種や葉を収穫して薬を作っていた。集中するとペロリと舌を出す癖があって、薬を煎じながらそれをやっている姿が、またかわいかった。


 鳥にも詳しかったな。学校のそばにやってくる鳥を見て、あれはシジュウカラだとか、あれはウグイスだとか教えてくれた。うまいかまずいかを必ず付け加えるので、食べたことがあるのか聞いてみると、山にいる鳥は大概食べたことがあると言っていた。そのギャップがまたたまらなかった。


 さっきからみずほがかわいいとばかり言っているような気がするが、実際にそうだったんだから仕方がない。


 そうでなければ、結婚していないよ。

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