絶対に乗り込むな、諦めろと言われても、そんなこと、できない。ゴンズが眠った隙にあそこに戻って、夜襲をかけるつもりだった。
ゴンズはゼンジの顔のそばに座った。
「なあ、俺を食ってもいいんだぞ」
ゼンジはしばらく目を閉じて、随分と経ってから開けた。
「ふざけるな」
「俺はふざけちゃいない。お前に万が一のことがあれば、俺はいつでもお前に食われていいと思っている。俺に家族はいない。俺がいなくなったところで、誰も困らない。だけど、お前は違う。人間を食えば魔力を取り戻せる。幸い俺は〝貯蔵〟している方だ。俺を食えば、すぐに回復するはずだ。家族を取り戻せるかもしれない」
ゴンズは体を屈めると、ゼンジの耳元で呪文のようにささやいた。
「冗談はやめろ。お前が死んだら、俺が悲しむ」
ゼンジは泣いていた。声が震えていた。
その夜、さすがに2人は酒を飲まなかった。ゼンジは大けがをして体力が落ちているのか、寝てばかりいた。ゴンズもその隣で、うつらうつらしている。魔族狩りのアジトまで半日以上かかる。朝イチで村に馬を借りに行こう。近くまで行って、夜になるのを待って押し込もう。
台所にあった包丁と、土木工事用に使っているハンマーを持っていくことにした。神武院では棒術や剣術も習ったけど、体術の方が得意だった。大きかったり、長さがある武器よりも、体の動きを妨げないコンパクトな武器の方が使いやすそうだった。
日が昇るのを待たずに村へ行き、馬を借りると中央高地へ向かった。山の麓に馬を繋いで、歩いてアジトまで行った。ゼンジの家族がさらわれてから2晩経っている。もうどこかに移動させられたかもしれない。魔族狩りたちがどんなスケジュールで動いているのか知らなかったので、突入して誰もいなかったらどうしようという不安があった。
それ以前に、ここの魔族狩りがゼンジ一家を襲ったとは限らない。見当はずれの可能性もある。ゴンズが何もせずに立ち去ったのは、それがわかっていたからかもしれない。いろいろな憶測が頭の中を巡ったが、ここまで来て何もせずに帰るわけにもいかなかった。
近くの茂みに隠れて様子を見ていると、警備は手薄だった。正面に1人、裏口に1人。それも、ずっと張り付いているわけではない。屋敷の周囲を移動していて、襲撃する機会はいくらでもありそうだった。
夜がふけて、部屋の明かりが消えてしばらくしてから行動を開始した。
比較的、フィジカルの弱そうな正面玄関の護衛を狙った。やせた50歳くらいの男で、あっちを向いている時に後から襲いかかって締め落とした。裏口の護衛は、とりあえず放っておくことにした。筋肉ががっしりついた若い男だったので、わざわざ倒しに行って騒がれるのは嫌だった。
玄関の鍵を調べる。侮ってもらっちゃ困る。神武官はなんでも屋なんだ。通常の鍵なら開けることができる。ところが、内側からも鍵がかかっていて、開かなかった。仕方ない。裏口に行こう。
息を潜めて裏に回る。若い男は、木箱に腰掛けて煙草を吸っていた。ボウガンを持っている。この暗い中で飛び道具か。よほど夜目が効くのか、それとも馬鹿なのか。とにかく肉弾戦にならなさそうなのは救いだった。
足元に落ちていた石を拾って、奥の茂みに投げ込む。その音に気を取られている隙に接近して、締め落とした。裏口は外からの鍵を開けただけで入ることができた。暗い。廊下にロウソクが灯っているようで明かりが漏れていて、小上がりのようになっていた。廊下は狭い。挟み撃ちにされたら、逃げ場がなさそうだ。
奥へと進んでいくと、どこからか血の匂いがする。たどっていくと、ドアのついていない広い部屋に出た。
台所か?
それにしては広すぎる。血の匂いは、この部屋からだった。テーブルの上に紙か布で巻かれた、ひと抱えはありそうな何かが置いてある。血糊がついていた。嫌な予感がする。見なかったことには、できなかった。
外側はやはり紙だった。ビリビリと破いてみると、人間の胴体が現れた。いや、人間じゃない。薄暗がりでも色が違うのがわかる。この色、この深緑色。見慣れた肌の色だ。内臓を抜かれている。あばらの部分が見えていて、小さな乳房が見えた。信じたくはないが、これはナズナだ。
吐き気がするのではないかと思っていたが、意外に冷静だった。腹の底からわき起こってくる怒りを、静かにコントロールする時間すらあった。誰かやってくる。足音がする。何か明かりを持っているのだろう。廊下の方がぼんやりと明るい。
「誰だ」
背後で声がした。ためらいはなかった。こいつらは殺さないといけない。こいつらこそ排除すべき魔物だ。腰の帯に差していた包丁を抜くと、振り向きざまに襲いかかった。初老の男だった。単に様子を見に来ただけのようで、汚れたシャツにくたびれたパンツ姿だった。燭台を手にしている。首に深々と突き刺す。思った以上に簡単に入った。
「ぶっ」
男は妙な音を発して、一拍置いて口から大量の血を吹き出した。引き抜いて突き倒すと、次の敵に備える。燭台がガランと音を立てて廊下に転がる。ロウソクの火は消えた。これで火事にはなるまい。人を殺すという神武官の禁忌を犯しながら、そんなことを判断する余裕があった。声に反応したのか、若い男が2人、廊下に出てきていた。
「侵入者だ!」
1人が叫ぶ。2人とも部屋に戻っていった。武器を取りにいったのか?手にされるとまずい。その前に始末しないと。ドアに手をかけるのと同時に、あっちから開いた。2人とも剣を持っている。狭い廊下に並んで、しゃにむに切りかかってきた。小さい包丁では受けきれない。振り上げたところに踏み込んで、とりあえず1人を転ばせた。もう1人が打ち込んでくる。包丁で受けたが、押し込まれる。
もっと大きな刃物を持ってくればよかった。後ろから複数の足音がする。挟まれるのはまずい。前面の男を押し返し、膝に蹴りを放った。ギャッと叫んでうずくまる。顔面を蹴り上げ、2人を踏み越えて前進した。
前方の廊下の角からまた2人現れた。今度も若い男だ。2人とも長い棒を手にしている。刺股のように先が二つに分かれていた。後ろからの足音が迫る。振り返って見ると、同じく若い男が2人、棒を手に迫っていた。その後ろにスウィーニーがいる。前後4人に囲まれて、抵抗したものの、棒をうまく使って壁に押し込まれて、身動きできなくなってしまった。
「殺すな!」
スウィーニーの声がする。
「ちょっと静かにさせておけ」
ボウガンを持った男が現れた。こちらに狙いを定めている。避けたくても、押さえつけられて身動きできない。声も出さないうちに腹に一発、食らった。初めての痛みだった。焼け付くようだ。刺さったところから、血がにじみ出しているのがわかる。痛みには強いつもりだった。この程度なら、失神せずに耐えられると思った。しかし、何か塗ってあったのか、間もなく意識を失った。