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第80話 約束

 ヒイロを初めて見た時、直感的にあの時の赤ん坊だと思った。サイズは全く違ったけど、触った感触がそっくりだった。後頭部から首にかけて何度も触って確認したから、間違いない。何よりみずほによく似ていた。髪の色や、愛嬌のある丸っこい顔がそっくりだ。


 死んだ子供が甦って迎えに来るなんて、めちゃくちゃな話だけど、ずっと追いかけてきたことは、そういうことだった。だから、信じることができた。この子に会えるまで、本当に日没都市なんてあるのだろうか?と疑ったことは何度もあった。疑いだすと、自分が生きている意味がなくなってしまう。だから絶対、表には出さなかった。


 ヒイロが迎えにきてくれたことで、間違いなくあるという確信を得ることができた。ヒイロには感謝しかない。この広い世界で、よく俺を見つけ出してくれた。さすがはわが息子だ。


 「ヒイロ、お前のおかげでみずほに会えた。もうどこにも行かない。ずっとここにいる」


 俺はヒイロの手を取って、できるだけ優しく言った。


 「ここで3人で暮らそう」


 ヒイロは手を振りほどくと、びっくりするほど大きな声を上げた。


 「あっちでは父ちゃんを助けるために、みんな必死になっているんだぞ!」


 ひとつ、大きく息を吸い込むと、俺の手を引っ張った。 


 「父ちゃんを連れ戻すために走ってきたんだ。さあ、帰ろう。あっちに戻らないと」


 振りほどいたり引っ張ったり、忙しい子だ。


 「待てよ、ヒイロ。ここにはお前の母ちゃんもいるし、俺がここにいれば、3人で暮らせるじゃないか」


 「父ちゃんは、母ちゃんを見送った時、どんな気持ちだったんだよ!」


 ハッとした。


 みずほは突然、命を奪われた。俺は、それをいつまでも受け入れられなかった。このまま死んでしまえば、あっち側に残してきた仲間たちも、そうなるかもしれない。


 俺は無愛想で、好かれていたようには思えないから、そんなことはない…。いや、ないとは言い切れない。マリシャは悲しんでくれるかもしれない。つみれは悲しみそうだな。エンツォやマルコはどうだろう。悲しんでくれそうだ。悩んでいると、みずほがそっと俺の腕に触れた。


 「まだあっちにあなたに死んでほしくない人がいるのなら、帰った方がいいわ」


 そうだよ!とヒイロがプンスカしながら言っている。


 「帰ってしまったら、君と一緒にはいられない。俺は、そばを離れたくない」


 みずほの手を握った。そうだ。もう2度と、この手を離さない。みずほは微笑みながら困った顔をした。


 「あなたと一緒にいなかったことなんて、あった?」


 あったさ。君を失ってから、ずっともう一度会えると信じて旅をしてきた。ずっとずっと、胸の内にその笑顔を思い描きながら。


 「ずっと一緒にいたはずよ」


 みずほは俺のほおに触れると、背伸びしてチュッと口づけをした。俺の胸を人差し指で突っついて、ここにね…と言った。


 「これからもずっと一緒。あなたは、まだこっちに来るべきじゃない。だから、帰ってあげて。ずっと待っているから。その時が来たらもう一度、探しにきて」


 嘘だろう。なぜだ。ようやく会えたのに。また君のいない世界に戻らなきゃいけないなんて、そんなのないよ。


 ガサガサと音がして、ヒイロが飛び出してきたところからシェイドが現れた。こいつ、死後の世界に入ってくることができるのか?身構えると、両手を上げて「何もしない」と言った。


 「お前も死んだのか?」


 「違う。生きている。お前の魂を追いかけてきただけだ」


 「何しに来た」


 「仲間がお前の死を悲しんでいるぞ」


 そんなことを言うために、わざわざやってきたのか。


 「まだ戻れる。帰ってやらないと、かわいそうだ」


 自分の庭を守るために、仲間を切り刻んだヤツに言われたくない。


 「父ちゃん」


 足元でヒイロが見上げている。どうしたんだ。いつも以上に透けているぞ。


 「私の分まで寿命を全うして」


 隣でみずほがささやく。違う。俺の寿命はここで終了だ。もう死んでいいだろう。ずっと辛い思いを抱えていた。ずっと罪の意識を背負って生きてきた。みずほにまた会えて、それを下ろすことができた。ならば、もういいじゃないか。ふと見ると、ヒイロの姿が世界の果てで見た死者くらい透けていた。


 「ほら、お前の息子もあっちに戻り始めている」


 シェイドが言った。


 「えっ、なんだ、これ?!」


 ヒイロも驚いている。


 「それがいわゆる転生ってヤツだ。その子はあっち側にもこっち側にも行ける中途半端な存在だったけど、基本はこっち側だったということだな。間もなく、あっち側にきちんと生まれてくるだろう」


 姿が、どんどん透けていく。


 「ヒイロ」


 みずほが駆け寄って抱きしめた。俺もそばに行って2人を抱きしめる。まだ体の感触があった。


 「父ちゃん、俺、あっちでもう一度、ちゃんと生まれるから。だから、探しにきてよ。絶対に探しにきて」


 すがるような目で言う。そうしたいのは山々だが、そうするためにはあっちに戻らないといけない。そうなると、ここに、みずほを一人で置いていくことになる。


 「わかったって言ってよ!」


 「わかったよ」


 ヒイロの剣幕に、思わずそう言った。返事を聞くと、ヒイロは満足げにニコッと笑った。笑顔も母親によく似ている。


 「母ちゃんのことも、あっちで待ってる」


 「後から行ったら、ヒイロの子供として生まれてきちゃうかもね」


 みずほは自分と同じ色の髪を、愛おしげになでた。頬を伝って涙がこぼれる。


 「ありがとうね。パパをここに連れてきてくれて、本当にありがとう。ちゃんとパパは送り返すから、安心してね」


 腕の中でヒイロの姿はどんどん薄くなって、やがて消えてしまった。みずほは深いため息をつくと「先に生まれ変わるだろうなあと思っていたけど、実際にその時が来ると、寂しいね」と言った。


 転生ってこんなに突然、起きるものなんだ。


 「おい、そろそろ帰らないと、本当に帰れなくなるぞ」


 シェイドがイライラしている。ヒイロと約束した以上、あっちの世界に戻らないといけない。みずほを一人で残していくのは、心残り以外の何者でもなかった。


 「なんでヒイロって名前にしたんだ?」


 もっとたくさん話したいことがあった。


 「あなたに似て、良くも悪くも言うことを聞かない、頑固者だったわ」


 みずほは俺の質問に答えなかった。違うよ。頑固なのは、君に似たんだ。久しぶりに見た妻の笑顔を、目に焼き付けようと見つめた。


 「何?恥ずかしいよ」


 照れている顔がかわいい。もう一度、抱き寄せた。


 「必ず探しに行くから待っていてくれ。何度生まれ変わっても、必ずまた見つけだすよ」


 強く、強く抱きしめた。


 「うん。待ってる。必ず見つけにきて」


 この感触、匂い、肌触り、全て絶対に忘れない。また会える。必ず。

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