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第79話 死者の国

 よくここにいることがわかったな。まあ、座れ…。なんだ、もう座っているのか。


 何か飲むか?と言っても、そんな大したものはないけど。お茶とお茶とお茶と、あと、お茶だ。いろいろある。種類は違うけど、どれを飲んでもそんなに変わらない。


 それではたくさん種類をそろえている意味がないって?その通りだ。でも、俺がそろえたんじゃないから仕方ないだろう。シャウナが来るたびに置いていくんだ。あいつは味の違いがわかるみたいだけど、俺にはわからない。適当に淹れるぞ。


 それにしても、よくここにいることがわかったな。誰にも言ってなかったんだけど。何?パインに連れてきてもらった?匂いを追いかけて?相変わらず犬みたいなヤツだな。あいつ、もうそんなことをしているご身分じゃないだろう。パインにそんなことをさせたらダメだ。ゴライアスに聞け。あの爺さん、教えてないことも全部、知っているから。


 みんなに話を聞いてきたのか。じゃあ、あの一件が最後にどうなったかも知っているだろう。知らない?最後どうなったのか、俺に聞きにきた?なんで他の連中に聞かないんだ。マリシャとかパインとかオーキッドとか、話したがりがたくさんいるだろう。


 俺しか見てない?言われてみれば、そうだな。あっち側には俺しか行っていないし、他の連中にはわからないか。それで、どこまで聞いた?俺がやられたところ?そこから話すと長いなあ。だから、省略。俺はこうやって戻ってきて、今も生きている。そしてお前にも会えた。以上だ。


 「話せば長い」が聞けてよかったって?みんながお決まりのフレーズと言っている?そんなに使ったかなあ。正直、話をするのは苦手なんだ。うまく伝わっているかどうか、自分でわからないから。今のところ、よくわかるって?それはありがとう。


 とにかく話すのは苦手で…。ああ、もうわかったよ。そう言うな。言葉にしておかないと、後で後悔するって言うんだろう?確かにそうだ。身に染みてわかっているよ。みずほもよく言っていたからな。長い話になるぞ。ひと晩で終わらない。たぶん。



 あそこでヒイロが出てきたのは単なるラッキーだったのか、それともつみれの計算だったのか、わからない。後で聞こうかと思ったけど、面倒だから聞かなかった。とにかく、タイタンから改めて万物の源を取り戻したところまではよかった。だが、そこからまたあの爺さんが必死の反撃に出て、逃げ遅れてしまった。


 つみれは優秀な魔法使いだけど、実は使える魔法がすごくマニアックで偏っている。治療魔法は痛み止めが中心で、回復系はあまり使えない。簡単な傷や病気の治療ならできるけど、切断された手や足をくっつけたりはできない。俺がやられた後、エンツォやオーキッドに助けを求めたのは、そのためだ。


 攻撃魔法や移動魔法もほとんど使えないんだ。どこが優秀な魔法使いなんだって顔をしているけど、本当に優秀なんだよ。よく聞くような魔法は使えない代わりに、壁をきれいにするとか、花を咲かせるとか、使い道があまりない魔法を、それはそれはたくさん知っているんだ。


 あいつが「楽園を作る」と言っているのは、それができる魔法を知っているからだ。寒いところを暖かくするとか、草木を茂らせるとか、地下水脈を見つけるとか。そうそう、温泉を湧かせるというのもあったな。そういう戦場で役に立たない魔法をいっぱい知っているんだ。


 まあ、へんてこりんな魔法使いだ。ああ見えて、隊長としても優秀なんだぜ。なんかどんどん脱線していくな。つみれと初めて会った時の話は、別の機会にしよう。本が一冊書けそうなくらい、長い話になるから。


 シェイドは、炎でタイタンが見えにくかったのだろう、かなり大雑把に攻撃してきた。おかげで右足をやられてしまった。結構な時間、炎の中で動き回ったため、防御魔法の効果はほとんどなかった。


 それ以前に最初にタイタンを攻撃した時に熱気を吸い込んでしまって、喉や肺をやられていた。出血もひどくて、足を切られた時にはなんとかする体力は残っていなかった。懸命に治療してくれているのはわかったし、声も聞こえたよ。だけど、どうしようもなかった。どんどん視界が暗くなって、眠りに落ちるように意識を失った。


 気がつくと、それまでと全く異なる景色の中に立っていた。見覚えがある、よく知っている風景だ。急峻な山と山の間、狭い谷にこびりつくように作られた村。目の前に木造の小さな家があった。夕暮れで、太陽が西の山の稜線に差し掛かろうとしている。


 冷たい風が吹いていた。東方の秋の風だ。人の気配を感じて振り返ると、小柄な若い女が立っていた。懐かしい顔だ。亜麻色の髪に夕日が当たって、キラキラ輝いている。愛嬌のある丸顔に黒目がちの瞳。グレーのセーターは、俺が誕生日に贈ったものだ。薄桃色のスカートが、風に揺れていた。


 「みずほ」


 久々に、その名前を呼んだ。


 感情が胸の奥から突き上げてきて、止められなかった。泣くまい。ようやく会えたのだ。笑って「会いたかった」と言いたかった。だけど、出てきたのは嗚咽だった。申し訳ない。申し訳ない。申し訳ない。守ってやれなくて、本当に申し訳ない。それを伝えたくて、ここまでやってきた。


 「トウマ」


 みずほは少し驚いたような顔をして、駆け寄ってきた。涙で顔がよく見えない。何度ぬぐっても、涙は止まらなかった。


 「大丈夫? ここにいるってことは、もしかして死んじゃったの?」


 みずほは俺を抱きしめた。小さな肩を抱き寄せると、懐かしい匂いがした。山の湧水の香り。みずほの匂いだ。みずほ、本当にすまない。君も、俺たちの子供も、守ってやることができなかった。みずほは「よし、よし。もう大丈夫だよ」と言いながら、俺の背中をなでている。その声を聞いていると、今まで押し殺してきた思いがあふれ出して、恥ずかしいくらいに声を上げて泣いてしまった。


 「大変だったね。もういいんだよ。頑張ったね」


 そんなふうに慰めるのはやめてくれ。俺は、死んだ妻に謝るために、ここまで来たんだ。


 ひとしきり泣いて、ようやく涙が収まって、やっと「みずほ」ともう一度、名前を呼ぶことができた。


 「なあに?」


 ニコッと笑う。本当に心安らぐ笑顔だ。


 「君と赤ん坊を守ってやれなくて…本当にすまなかった」


 吐き出すように言うと、また唇が震えて涙がこぼれた。いい加減にしろ。大の大人が、こんなにだらしなく泣き続けて、本当にみっともない。みずほは優しく微笑んだ。


 「いいんだ。ちゃんと探しに来てくれたでしょ?うれしかった。感謝しているよ」


 「え…」


 ギョッとした。聞くのが怖かった。


 「もしかして、まだ息があったのか?」


 みずほは少し不思議そうな顔をしたが、俺が言わんとすることを察して笑みを浮かべた。


 「なかったよ。もうダメだった。でも、わかったんだ。来てくれたことが。だから、安心してこっちに来たんだよ」


 よかった。いや、よくない。それでも、ずっとつかえていたものが取れた。もしあの時、まだみずほが生きていたのなら、後悔してもしきれない。生きていたんじゃないかと、ずっと引っかかっていた。やっと答えを聞けて、少し安心した。


 「あの日、出かけなければよかった。家にいれば…」


 「うんうん、そうだね。だけど、それはもう仕方のないことだよ」


 「仕方がないでは済まされない」


 「そうだね…。だから、ここまで会いにきてくれたんだよね」


 みずほの頭をなでる。触り慣れたところに、角があった。みずほは魔族だ。末裔ではない。純血の魔族だった。体格はパインのように大きくないし、身体能力が高いわけでもないが、しっかりと魔族の証拠がある。


 「あっ、父ちゃん!」


 左手の道の奥、背の高い雑草をかき分けて、ヒイロが現れた。


 「あら、ヒイロ。どこに行ってたの? パパの方が先に来てしまったわ」


 「違うんだ、母ちゃん!父ちゃん、今、あっちで死にそうなんだ!」


 なんだか衝撃的なことを言われたような気がしたが、その時はああそうなんだくらいにしか思わなかった。みずほに再会できた喜びでいっぱいで、直前まで自分が何をしていたか、頭の中から全て吹っ飛んでいた。


 「あ、やっぱりそうなんだ」


 みずほは俺の顔を見た。


 「こっちの人と、ちょっと違うなと思っていたんだ」


 ヒイロが駆け寄ってきた。また体が透けている。俺の帯を引っ張った。


 「父ちゃん、今ならまだ間に合う!早く戻らないと、本当に死んじゃうよ!」


 何を言っているんだ。ここには愛する妻がいて、生きていればこんなに大きく成長したはずの息子もいる。あっちに帰る必要など、全くない。帰らなくていい。

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