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第78話 日没都市で新たな生活が始まっていたかもしれないんだ

 その後、4人で飽きずに〝あの世〟を見ていた。


 全く人が出てこない時間もあれば、わらわらと出てくる時間もあった。近寄ってくる者、関心なく通り過ぎていく者。街角に座って往来を見ているみたいだった。その間に、シェイドがここに来た経緯を話してくれた。


 「魔族でなければ来られなかった。ここは人間が絶対にたどり着けない場所だ」


 カインに追われて、西へ西へと逃げた。多くの魔族を率いていた。彼らは逃げながら夫婦となり、子供を産み、代替わりしていった。何百年も経った頃、広い砂浜に出た。シェイドが魔族で、何百年も生きる生物でなければ、そこに立つことはなかっただろう。


 大陸の端に来たことを示すように、一面の海だった。海面を人が歩いていた。それも、何人もだ。


 「あんなの初めて見たな。水の魔族か?ちょっと呼びかけてみろ」


 「おお〜い!」


 返事がない。


 「私がそばまで行ってみます」


 そう言って海に入った部下は、波打ち際で不意に消えた。


 「何かの幻影か?注意しろ」


 謎はすぐに解けた。その夜、向こうから歩み寄ってくる人が教えてくれたからだ。年老いた人間だった。背の高い老人で、頭がきれいに禿げ上がっている。夜になると海面は鏡のように凪いで、星の光を反射してクリスタルのように輝いた。満天の星の空は深い紫で、こんな色を見たことはなかった。


 「こんなところまで生きている人が来るとは、珍しいこともあるものじゃ」


 老人は言った。


 「ご老人、私たちは波打ち際からそちら側へは行けません。なぜでしょうか?」


 アフリートやエントやシャナは人の形であっても人の姿をしていないので恐れられているが、シェイドは生まれた時から人間と変わらない姿をしていた。何食わぬ顔をして、人間の社会に溶け込んで暮らしていたこともある。だから、人間と話すことに抵抗はなかった。


 「それはここが世界の果てだからですよ。人間も魔族も、死ななければこの海を越えることはできません」


 「無理に越えようとした者が、消えてしまった」


 「かわいそうに。それはおそらく、虚無に落ちてしまったのじゃ。その方の魂は、見た通り消えてしまったのでしょうな」


 そうなのか。無理やりあっちに行くことはできないんだ。


 「そちらには何があるのですか?こちらからは海しか見えません」


 「海に見えますか。ワシは今、自分の畑のそばにいるのですがのう。こちらにも、そちらと変わらない暮らしがありますよ」


 老人はファファと笑うと、手を振ってスッとどこかに消えてしまった。


 死者たちは呼びかけに応える者もいれば、全く無視する者もいた。あの老人はいろいろと教えてくれたので、同じ時間に行けばまた会えるのではないかと思って試してみたが、2度と会うことはなかった。こちらの世界なのかあちらの世界なのか、どっちかわからないが、常に動いているようだ。


 世界の果てに登場する死後の世界は、毎日のように変わった。当然、登場人物も変わる。死後の世界に詳しい者もいれば、死んでいるという自覚すらない者もいた。


 シェイドは揺らぎが少なく、安定して死後の世界を観測できるところに城壁を作った。率いてきた魔族は、そばに街を築いた。大陸の西の端、日が沈むところにあるので、日没都市と名づけた。毎日、世界の果てで死者と交流し、死後の世界を解明しようとした。



 こちらに到着して百年以上経った。随分といろいろなことがわかった。まず、こちらから見えているものと違う世界が、あちら側に広がっているということ。こちら側からは海にしか見えないが、山であったり、海であったり、街であったりした。


 そして、基本的に死なないとあちら側には行けないこと。向こう側からも、彼らが〝虚無〟と呼ぶ境界線を超えてやってくることは、基本的にできない。基本的にというのは、後で説明するけど、例外があるからだ。


 「向こう側からこちら側に来るには、向こうの世界で死なないといけない」


 シェイドはそう説明した。死者の世界で死ぬというのはわけがわからないが、あっちの世界である日、スッといなくなるらしい。


 「実際に消えるところを見た人の話も聞いたし、経験者もいた。死ぬというより転生するといった方が理解しやすいかもしれない」


 死者の世界での生活を終えて、またこちら側に生まれてくるというわけだ。こっちに生まれた時点で、死んでいた時の記憶は原則なくなる。まれに覚えている人がいて、そういう人と出会って話を聞くこともできた。あっちには病気とか戦争とかがなく、そういうアクシデントで死ぬことはない。転生するのが、死者の世界から脱出する一般的な方法なのだ。どんなタイミングでそれが起きるのかは、わからない。


 「それがわかれば普通に死んであっちに行って、帰ってくることもできるんだが」


 で、「基本的に」と言った理由だ。時々、あっちとこっちを自由に行き来できる人が現れる。シェイドが出会ったのは、みんなあっち側で「生まれた」子供だった。死者の世界で「生まれる」という意味がよくわからないが、子供たちに聞くと一様にそう言うのだから、そうなのだろう。


 彼らに蘇生の魔法の気配を感じたシェイドは、実験を重ねてみた(自分の部下に多少の犠牲を強いて)。すると、ある条件が整えば、魔法を使ってあっち側に行けることがわかった。


 条件は、ちょっと複雑だ。誰かが死ぬ場に同席する。死んだ人の魂があっち側に行く時に、自分も仮死状態になって同行する。すると、あっち側に行ける。ただ、自由に動き回れるわけではない。あくまでも死んだ人の魂に同行するだけだ。魂がこっち側から完全に消え去る前に戻ってくるか、誰かに蘇生の魔法をかけてもらわないと、帰ってこられない。シェイドはその方法で何度かあっちの世界に行った。


 「リスクが高い割には実に普通の世界だ。もっと自由に動くことができれば、住民に聞くなりなりなんなりして、どんな仕組みの社会なのか調べることもできるんだが」



 夜になった。


 「ここでは美しさが分かりにくい。外に出よう」


 シェイドはそう言って、ボクたちを連れ出した。海岸沿いに歩く。


 「気をつけてくれ。時々、思わぬところに虚無がある。魔力が揺らいでいるので、注意していればわかる。避けて通ってくれ」


 言われてみれば、浜辺に夜にもかかわらず蜃気楼が立ち上っている場所がある。


 「あれか?」


 アフリートが聞くと「そうだ」とシェイドはうなずいた。少し歩くとヤシの林を抜けた。


 「おお…」


 エントがため息をつく。こんなの見たことがない。濃い紫の星雲が、夜空を覆い尽くしていた。砂漠の夜空は星がたくさん見えるが、その何倍もの星がありそうだ。海は鏡のように凪いで、波がほとんどない。星の光が反射してキラキラと輝いていた。その上を少し透き通った死者たちが、思い思いの方向に歩いている。フッと現れては、パッと消えてしまう。


 「なんだか怖いね。吸い込まれてしまいそうだ」


 アフリートは空を見上げて言った。


 「実際に吸い込まれて虚無に落ちる者がいる。あまり魅了されるなよ」とシェイド。


 「これが、世界の果てか…」


 エントはシェイドの言葉を聞いていなかったのか、魂が抜けたような表情で夜空を見つめた。


 「私たちも、死んだらここに来るのね」


 シャナは海上の人々を見ている。星の光を受けてうっすらと輝くゴーストたちは、死後の世界という薄気味悪い響きを忘れさせるほど、幻想的だった。



 こうして1000年前に頓挫した冒険は、割とあっけなく終わった。


 ボクたちはそれから数日を、日没都市で呆けたようにして過ごした。いや、アフリートはそうでもなかった。毎日、街に繰り出してお店を見て回ったり、住民とおしゃべりをしたり、楽しそうにしていた。そのうち、お金が必要だということに気づいて「よし、何か仕事をしよう」と言い出した。


 シェイドはここのリーダーで、日没都市を計画設計した魔族なので、街の人からただで食事をさせてもらったり、服を提供してもらったりしていた。アフリートもその仲間なので、街の人々は「お好きなものを持って行ってください」と言ってくれたけど、彼女はそれをよしとしなかった。


 「ここの住人になるんだ。ちゃんと仕事をしてお金をもらって、それで買う」


 絶え間なく燃えている女に何ができるんだろうと思っていたら、ガラス工房の職人になった。なるほど。確かに炎の魔力が活かせるよね。


 エントは人生の次の目標をなかなか見出せず、お城の近くの庭園で日がな一日、海を見ていた。ある日、見にいくと、もう完全に庭園の一部になっていた。シャナは「虚無に落ちるのが怖い」と言って海岸に近づこうとせず、街の小さな花屋で働き始めた。


 シェイドは海岸のそばに屋敷を構えていて、ボクたちにもそこに住むように勧めてくれたけど、断った。なんというか、1000年前の冒険にひと区切りをつけて、新しい生活をしてみたかった。そこで、シャナと小さな家を借りて住むことにした。いわゆるシェアハウスってヤツだ。


 街の人はみんな親切で、よくしてくれた。ここには圧倒的に魔族が多いので、隠れたり力を抑えたり、気を遣う必要がない。時々、街で人間っぽい生き物を見かけた。実際には血の濃い末裔で、人間よりも魔族に近いのかもしれない。だけど、そういう見た目が人間という人は、すぐに姿を消してしまった。この魔族だらけの街では、肩身が狭いのかもしれない。


 時々、シェイドの屋敷でパーティーをした。もちろんエントも一緒だ。エントは気分次第で大きくなったり小さくなったりしていて、部屋に入れないこともあった。


 「今夜は食事会だと言っただろう?」


 「すまん。もっと先だと思っていた」


 すっかりボケてしまって、日付の感覚が曖昧になって、約束した日に合わせてサイズを調整できなかった。今日は大きすぎる。そういう時には庭に出て、エントを囲んで食事した。この4人、性格を筆頭にいろいろとバラバラすぎるけど、仲はいい。会うたびに昔話に花が咲いて、いつまでも宴は終わらなかった。


 「エントはこれからどうするんだ?」


 この話題は毎回のように出た。


 「私もシャナもここで働き出したし、あんたも何か次の目標を見つけたらどうだい?」


 話を振るのは大体、アフリートだ。


 「そうは言っても、世界の果て以上の目標なんて、そんな簡単に見つけられない」


 エントは旅をしていた頃のピリッとした感じが完全になくなって、生気を失っていた。


 「何か仕事をしたらどうだい?働くのは楽しいよ」


 「荷物運びでもすればいいわ」


 シャナが紅茶をすすりながら言った。


 「仕事なあ…。気が進まないな」


 エントは膝を抱えてうつむく。


 「俺の仕事を手伝わないか?」


 シェイドは日没都市を今でも作り続けていた。世界の果てを安定させて、虚無に落ちる不安がなく、もっと多くの人にそれを見せることができるようにしたいらしい。お城の外側に回廊を作ったのも、その一環だ。


 回廊は境界上にあって、生きている人は、そこを歩く死者を比較的、近くで見ることができる。周囲にきれいな芝生を敷き、木や花を植えて「市民の憩いの場にする」と鼻息が荒かった。


 「園芸の趣味があるとは知らなかったねえ。エントは木なんだから、ちょうどお手伝いするには都合がいいんじゃないのかい?」


 「確かに俺は木だが、庭造りのことは何もわからない」


 「教えてやるよ。面白いぞ」


 シェイドは日没都市を魔族の楽園にしたいと考えていた。寿命が短い人間が、まずたどり着けない土地。温暖な気候。緑も水も豊かで、街並みも美しい。「魔族が住むにふさわしい」と自画自賛した。


 「カインもここまで攻めてくることはないだろう。仮に来たとしても、叩き潰すまでだ。俺の作った街に指一本でも触れてみろ。ただでは済まさない」


 自分が作った街だから思い入れが強いのはわかるが、愛が強すぎる。


 「まあまあ。カインはもう死んでいるよ。人間だからねえ」


 アフリートがなだめる。もう何度目かのこういうやりとりをしている時に突然、シェイドが遠い目をしたんだ。


 「おい、俺の街に知らない人間が来たぞ」


 アフリートも感知する。


 「あっ、この感じ、覚えがあるぞ」


 「庭園の方だ」


 エントが立ち上がった。


 「行こう」


 ズシンズシンと地響きを立てながら、城壁の角を曲がる。回廊の手前に何人か人間がいた。あっ、懐かしい顔だ。シャウナ、パイン、アルアラムにトウマ、オーキッドも。みんな、ここまで追いかけてきてくれたんだ。


                ◇


 長い話になったけど、そういうわけでイース、神武院、アッシュールに続いて四度目の対決となったわけ。気がついたら両軍入り乱れて、倒すべきはタイタンになってしまっていたけど。


 「早く来て!エンツォ!オーキッド!」


 つみれの叫び声が聞こえる。2人は弾かれたように駆け出した。ボクもパインに支えてもらって後を追う。すぐにオーキッドが戻ってきて「貸してくれ」とボクの手から万物の源を持っていってしまった。そばまで行くと、トウマが倒れていた。


 「トウマ、トウマ、ほら、こっち見て。しっかり目を開けて」


 つみれが必死に呼びかけている。近づいてようやく、大けがをしていることがわかった。右足の太ももから下がない。オーキッドが呪文を唱えながらエンツォとともに一生懸命、肉片をかき集めていた。


 「トウマ!」


 シャウナもそこに加わる。後ろでオエッとアルアラムが嘔吐する音がした。


 「トウマ、死んだらあかん。こっち向いて。目ぇ開けて」


 つみれはトウマのほおをなでながら、懸命に呼びかけている。この2人、古い知り合いらしいけど、どんな仲だったのだろう。ボクは仲間が死にそうな時、こんなに必死になれるだろうか。トウマは目を開いてはいるが、焦点が合っていなかった。


 「父ちゃん、しっかり!」


 胸を揺さぶろうとするヒイロの手を、オーキッドが優しく抑えた。


 「父ちゃんがバラバラになるから、触ったらダメだ。声を出して応援してくれ」


 ヒイロはうなずくと「父ちゃん、まだ行っちゃダメだ!」と耳元で大声を上げた。


 「ああ、こいつにも当たってしまったか」


 気がつくとシェイドが隣にいた。他人事のように言って、トウマを見下ろしている。


 「お前!よう見て撃たんかい!このおたんこなすが!」


 つみれが怒鳴った。涙がこぼれている。おたんこなす。意味は通じるだろうか。シェイドはそれを無視してヒイロに目を止めると、しばらく見つめてから近寄って襟首をつかんで持ち上げた。


 「何するんだ!」


 ヒイロは足をバタバタさせているが、背が高いシェイドに持ち上げられて、完全に宙吊りになった。


 「お前か。最近、あっちとこっちを行き来していたのは」


 「離せよ!」


 ヒイロは腰の刀を抜いてシェイドの横面を切り付けた。ギャンと硬い音がして、手から刀がこぼれ落ちる。防御魔法に阻まれて、物理攻撃は効かない。


 「うるさいな、静かにせえ!」


 つみれが叫んだ。


 「エンツォ、手を出せ。お前もこれを使うんだ」


 オーキッドは手にしていた万物の源を差し出した。「シャウナも手を出せ」。3人で万物の源に触れて、治療魔法を施す。


 「ダメージが深すぎて、回復が追いつかないッ!」


 エンツォがうめいた。


 「トウマ、聞こえる?戻ってきて!」


 「トウマ、頑張るんだ。早く戻ってこい」


 シャウナとオーキッドがちぎれた右足に手を添えてさすっているけど、回復する様子がない。ヒイロはようやくシェイドの手から逃れると、身を翻して回廊の方に駆けて行った。先ほどのタイタンの業火で、回廊はガタガタになって壁が崩れ落ちている。お城はほぼ瓦礫の山だ。


 そして、おお、なるほど。シェイドが「何もない方が美しい」と言っていた意味がわかったよ。お城がなくなった分、空一面、星でいっぱいだ。紫色の星雲が、こちらをのぞき込むように動いている。美しい光景なのに、アフリートと同じように恐怖を感じる。この深い紫の夜空にも、鏡のような海面にも、引き込まれてしまいそうだ。


 ヒイロは回廊跡を飛び越えると、輝く海面に出て、そこでスッと姿を消してしまった。

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