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第77話 ついに世界の果てに到達したんだ

 アッシュールでは、パインにひどいことをしてしまった。到着した時には、すでに戦闘が始まっていた。


 「人間がいっぱいいるじゃないか」


 エントはオークたちに聞いた。


 「ハイ。皆様をお迎えするために最近よくここに来ているのですが、人間も何かを嗅ぎつけたのか、よくここにきて、小競り合いになるのです」


 「追い払ってやろう」


 そう言うと、エントは谷を下り始めた。アフリートは人間のテントに興味津々だ。


 「よくこんな砂漠の奥地までやって来たなあ。どんな装備で来たんだろう?ちょっと見ていかないか?おおーい、エント!」


 先に行ってしまったのに、まだテントを次々にのぞき込んでいる。でも、期待したようなものはなかったみたいだ。


 「チェッ、つまんない」


 その時、背後に魔力を感じた。振り返る。パインだった。シャウナとアルアラムもいる。


 「マリシャ!」


 パインが叫んで、駆けて来た。アフリートが反射的に攻撃する。やめろ!ボクの友達だ!耳元で叫んだが、聞こえていない。


 シャウナが何か言いながら、パインの背後までやってきた。よかった。黒焦げになったかと思ったけど、なってない。防御魔法を使っているのだろう。だけど、さっき結構、本気で攻撃してしまった。もう一発食らったら、命に関わるかもしれない。


 「アフリート!あれはボクの友達だ!攻撃するんじゃない!」


 もう一度、耳元で叫んだ。


 「エントはもう谷を下っちゃったよ。あまり離れないようにしないと」


 「あの子、背後から襲ってこないかい?」


 「神武院で会った人が一緒にいる。あなたの力をよく知っているから、追わせないはずだよ」


 そう言うと納得したみたいで、くるりと向きを変えてエントを追い始めた。あれ?エントはどこだ?先に降りたはずなのに見失ってしまった。視線の先に10人ほどの騎馬隊がいる。月明かりでもはっきりわかる、豪華な装備だ。


 「すごいのがいるじゃないか。ここの大将かねえ。近くまで行ってみようじゃないか」


 そういう好奇心で行動するのは、やめろ。最終的に殺すか食べちゃうかするんだから。エントはどこに行ったんだ。実はこの時、エントはボクたちの後ろにいたんだけど、アフリートはアルバース本隊に一直線に向かっていて全然、気づかなかった。


 パインがエントに切られて大けがをしている時、アフリートは騎馬隊がつけている馬具の装飾を見て「めちゃくちゃカッコいいじゃん!」と興奮していた。当然、なんだコイツはとなって攻撃されたけど、あっさりと炎で焼き尽くすと「日没都市に行く前に、腹ごしらえしようじゃないか」と人も馬も関係なしに、手当たり次第に食べ始めた。


 魔族にとって、人間は捕食対象の一つにすぎない。人間が鳥や豚を食べるのと何も変わらない。だから、ためらいはないし、罪悪感もこれっぽっちもない。だけど、アフリートと一緒にいるボクは人間だ。同じ人間が紙切れのように焼き尽くされていくのを見ているのは、気分のいいものではなかった。


 イースで初めて人間を食べた時から多少、慣れたとはいえ、いつまで経っても、どんなにアフリートと仲良くなっても、こればかりは「やめて」という気持ちに変わりはなかった。目をつぶって耳も塞いで、悪い夢が早く終わることを祈っていた。


 谷底に着くと、オークたちが手招きしていた。後からエントもやって来た。


 「さあ、ここに立ってください」


 指示されたところに、並んで立つ。


 「今から1、2の3で入ります。『こんなので入れるのか?』と疑問に思わないでください。扉があって、そこを通れば必ず日没都市に行けると信じてください」


 「日没都市とやらに行ったことがないから、想像のしようがないねえ」


 アフリートが独り言を言っている。


 「北東部の丘陵地帯を思い描いてもらうと、いいかもしれません」


 「クラクフのあたり?」


 「ああ、いいですね。そんな感じです」


 「じゃあ、それで行こう」


 申し合わせが済み、オークがカウントダウンする。ボクはクラクフを見たことがない。だって、生まれる前に滅んでしまったから。アフリートは見たことがあるのだろうか? 自分で言い出したのだから、見ているのだろう。想像するのは任せておこう。


 「1、2の3!」


 一歩踏み出すと、フワッと風が吹いた。さっきまで乾燥した岩の上にいたのに、足元が軟らかく沈むこむ。水の匂いが鼻腔に押し寄せる。目の前の風景が一変する。


 うわあ、なんて不思議なんだ!さっきまで砂漠にいたのに、この緑と水にあふれた景色はなんなんだ。川があって、水辺に蛍が飛んでいた。夜だけど星がたくさん出ていて、ぼんやりと周囲の光景が見える。対岸は林で、その向こうに城壁が見えた。


 オークが言った。


 「川は浅いので、そのまま渡っていただけます。川向こうの街が日没都市です。あそこでシェイド様がお待ちになっています」


 アフリートは川に入らなかった。浮かんで渡った。そりゃそうだよね。浅いとはいえ、水に入ったら炎が消えてしまう。もしくは川が干上がってしまうか、だ。



 案内されて入った街は、とてもにぎわっていた。キサナドゥーのような背の高い建物はないけど、南方の豪邸のようなテラスのある平家建てが整然と並んでいた。人もたくさん行き交っている。いや、ごめん。人じゃない。ほぼ全員、魔族だった。オークやゴブリンやリザードマンや、獣人もたくさんいた。


 「昔の街みたいだねえ」


 アフリートが目を丸くしている。


 「1000年前は、どこに行ってもこんなふうに魔族がたくさん暮らしていたんだ」


 そうなんだ。


 「あっ、あれなんだろう?ちょっと寄ってみようよ」


 雑貨屋だろうか。テラスに洒落たバッグやカゴが並べられている。


 「リュート、後にしなさい。シェイドに会うのが先よ」


 エントのお腹の中から、シャナが言った。シャナはアフリートのことをリュートと呼ぶ。女性らしい響きが気に入っているのか、アフリートもその呼び方を嫌がっていない。


 「ねえ、シェイドと会ったら、ショッピングに行こうよ。この街、素敵な店がたくさんある」


 アフリートは浮いて進むのをやめると、スキップし始めた。



 街の奥に、石造りのお城が見えてきた。近づくと、えっ!と思うところに建てられていた。3分の1くらい、海に突き出している。今、満ち潮なのか引き潮なのかわからないけど、波打ち際にあって、向こう側は海水に浸かっていた。


 普通、お城は街の中心にあるものだが、ここでは街の端だ。どうしてこんなところに建てたのだろう。海から敵が来るのかな?


 そのお城の前で、シェイドが待っていた。肩まで届きそうな髪が真っ白の、背の高い男だ。肌は白いが掘りは深く、北国人と西域人のハーフに見える。外見は若くも見えるし、それなりに年齢を重ねているようにも見えた。まあ、1000年近く生きているから、人間の尺度で言えば間違いなく年寄りなんだけど。南方の人がよく来ている、黒っぽいゆったりとした上着とハーフパンツを履いているので、どこの国の人かますますわからない。


 「シェイド!」


 アフリートは駆け出すと、抱きついた。うわっ、危ない!焼け死んでしまうぞと思ったけど、そんなことなかった。風の精霊は火の精霊を受け止めると、薄く笑った。


 「久しぶりだな」


 おお、すごい。すごい魔力だ。魔法使いとしてなら、シェイドはこのパーティーで最強だ。器の大きさも魔力の濃さも、これまで見たことがないレベルだ。体の表面を薄く防御しているので、アフリートと接触しても焼けないんだ。


 「なかなか優秀な体を手に入れたようだな」


 シェイドは顔をのぞき込んで言った。アフリートではなく、ボクのことを見ている。エントも歩み寄ってきた。体内からシャナも姿を現す。それぞれと抱き合って再会を喜ぶと「まあ、入ってくれ」と城内に招き入れた。



 シェイドのことを「それなりに年齢を重ねているようにも見える」と言ったのは、物腰が穏やかで老人みたいだったからだ。しゃべるのがゆっくりだったし、反応も少し遅い。感情の起伏も、緩やかだった。


 「早速だが、世界の果てを見つけたというのは本当か?」


 せかせかしていて、喜んだり悲しんだりが極端なアフリートと比べると、老人っぽさがより強調される。聞こえたのか、聞こえていないのか、もう一度、声をかけようとした時にようやく振り向いた。


 「まあ、落ち着けよ。せっかく久しぶりに会えたんだ」


 それどころではないだろう。エントとアフリートは、さっきから世界の果てを見たくて仕方がない。


 「落ち着くも落ち着かないもないだろう。もしかしたら、俺たちは旅の終着点に来たのかもしれないんだぞ」


 エントはいらだちを隠しきれない。


 「相変わらず、すぐに腹を立てるなあ」


 シェイドは手のひらを下に向けて〝落ち着け〟というポーズをとった。明かり窓があちこちにある城内は、とても明るかった。内部はがらんどうで、何もない。外から見た時には少なくとも3階建てくらいで、たくさん部屋がありそうに見えたのに、吹き抜けの巨大な広間があるだけだ。足元は舗装していなくて、浜辺の砂のままだった。


 広間の途中あたりが波打ち際になっていて、波が打ち寄せる音が静かに響いている。こんなに広くて天井も高いのに、柱が一本もない。たぶん魔法で建てられているのだろう。その証拠に、さっきから強力な魔法結界を感じる。このお城そのものが、何かを隔てる魔法なのだ。


 「ようこそ。ここが世界の果てだ。雨が降ると観測がしづらくなるので、屋根をつけた。思い切り趣味的にな」


 えっ、ここが?広間は途中から海に続いている。水はとてもきれいで、底がはっきり見えるほど透明だ。小さな魚が泳いでいるのが、よく見えた。


 「海しか見えない」


 エントが言った。アフリートは波打ち際まで駆けて行く。


 「気をつけろ。あまり身を乗り出すと、落っこちるぞ」


 シェイドの声が聞こえたのか聞こえてないのか、水に触ろうとした。あれ、何だ、これ。指先が消えた。手を引っ込める。確かに指はあるのに、水に差し込むと、指先が消えてしまう。アフリートは恐る恐る、腕まで入れた。おお、消える。波打ち際を境に、透明なカーテンに手を突っ込んだみたいに見えなくなってしまう。


 「何、これ?」


 アフリートの鼓動が高まる。


 「今は〝誰も〟いないので、分かりにくい。もう少し待ってくれ。誰か通りかかるかもしれないから」


 シェイドは砂の上に座った。エントとシャナもアフリートの隣に来て、波打ち際で自分の手を消したり出したりしている。


 「ここから先、何か別の世界みたいだわ」


 シャナが言った。


 「俺たち、入れない」


 エントは顔を突っ込んだ。うわあ、何だこれ。波が打ち寄せるたびに、エントの顔が消えたり元に戻ったりしている。


 「何か見える?」


 「いや、向こう側は真っ暗だ。お前も見てみろ」


 アフリートもシャナと一緒に、波打ち際に顔を寄せてみた。どうやら水際が境界らしい。水に顔を浸けなくても、波の上に持っていけば〝あちら側〟に顔が入った。真っ暗だ。匂いもしないし、空気が動く気配もない。


 「気をつけろ。そっち側に落ちたら、帰ってこられなくなるぞ」


 いつの間にか背後にきていたシェイドが、ボクたちの襟首をつまんで言った。


 「ここは安定しているので、境界が分かりやすいんだ。だけど、他のところは揺らぎがあって、もっと陸上にあったり、海の中にあったりする」


 シェイドは波打ち際を指差して言った。


 「お前たちが見た、その真っ暗な部分はたぶん底なしだ。俺たちは虚無って呼んでいる。一度、縄をつけて部下を下ろしてみたことがあるが、縄がいくらあっても足りなかった。落ちると危ないので、街の者には近づくなと言っている」


 迎えにきたオークたちが「見たことがない」と言っていたのは、そのせいか。視界の端に、動くものがあった。そちらを見ると、海面に人が立っていた。フードのついた軍装姿の、初老の男だ。こちらを見ている。エントが緊張するのがわかった。


 「心配しなくていい。彼らは何もしない。ただ、こちらを見ているだけだ」


 シェイドが言った。よく見ると、男の姿は少し透けている。ゴーストのようだ。


 「あれが、死者なのか?」


 アフリートが聞いた。


 「そうだな。死者とも言うし、魂とも言うし、要するに死後の世界の住民だ」


 男は視線を逸らすと、海面を滑るように歩き始めた。水面には何も波紋が起きない。


 「この海岸線がずっと、世界の果てなんだ。最初、ここに着いて、まだよくわからなかった時には、多くの部下が誤って虚無に落ちて消えてしまった」


 シェイドは2、3歩下がって、砂の上に座った。


 「一番、安定しているのがここなんだ。だから、目印の意味もあって屋根をかけた。本当は何もない方がいい。その方が美しい」


 男は壁際まで歩くと、フッと消えた。


 「消えたぞ」とエント。


 「見えなくなっただけで、まだその辺にいる。彼らからも俺たちが見えていて、話しかけてくることもある。面白いぞ。何百年もかけて、たどり着いた価値があるところだ」


 気がつくと、男が消えたところの少し先に2、3人の子供がいた。こちらを見ている。

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