エントはもともと東方の山の中腹に生えていたという。周囲には同じような仲間がいた。
「エント」と呼んでいるが、それは木の精霊の総称で、個別に名前があるわけではない。あっちに生えているのもエントだし、こっちに生えているのもエントだ。
毎日、梢を揺らす風の音を聞きながら、日が昇り、沈むのを見ていた。そこから山の頂が見えた。毎日、見ているうちに山の向こうには何があるのだろう?と考えるようになった。
「なあ」
隣のエントに声をかけた。
「なんだ」
「あの山の向こうには何があるんだろう」
そのエントは枝をガサガサと揺らすと「知らない。でも、きっと山だ」と言った。
「誰か知らないか?」
「誰も知らないだろう。俺たちはここでこうやって生まれて、大きくなって、朽ちていくんだ」
その夜、森の中で最も長寿なエントのところに行った。幹は抱えきれないくらい太く、根が盛り上がって地上に小山を作っている。枝が広々として、堂々たる姿だ。
「あの山の向こうに、何があるか知っているか?」
巨木は枝を揺らすと「そんなことを知って、どうするつもりだ?」と逆に聞いた。
「知りたいんだ。あの山の向こうには、俺たちの仲間がいるかもしれない。見たことがない景色が広がっているかもしれない。俺は、それが想像できない。見たことがないからだ。だから、知りたい」
巨木はしばらく考えてから「あの山の向こうにあるかどうかはわからないが、ずっと先まで行けば、世界の果てがある」と言った。
「世界の果て?」
「この世界の果てだ」
「世界の果てはどうなっている?」
「ワシも行ったことがないので、わからない。だが、伝説によれば、世界の果てで、ワシらの世界は行き止まりだ。そこから先は、死んだ魂の世界だ。生と死の境目が、世界の果てだ。伝え聞くところによれば、息を飲む美しさだという」
「死んだ魂の世界」
「そうだ。だから、魔族は死ねば、必ず一度は世界の果てを通る。その時に、お前も見ることができるだろう」
「どんなふうに美しいんだ?」
「それは知らない。ワシも行ったことがないからな」
「俺は今、世界の果てを見たい」
巨木は、またざわざわと枝を揺らした。
「世界の果てを見て帰ってきた者はいない。エントはもちろん、他の魔族でも聞いたことがない」
数百年は生きているであろう巨木が言うのだから、そうなのだろう。ではなぜ、そんな伝説があるのか?誰か見てきた者がいるから、そんな話が広く伝わったのではないか?そう問いかけると、巨木は困ったようにざわざわとうなった。
「エントは森に生まれ、森を作り、森に死ぬ。それがエントの運命だ」
そう諭された。だけど、そんなの納得がいかない。
「誰も見たことがないのなら、俺が行って見てきてやろう」
こうして、山の頂を越える旅が始まった。
◇
砂漠に出て、もう何日経っただろう。まずいぞ。この人たち、ただ西に行くというだけで何の計画もない。食事はどうする?どこで眠る?全く考えないで歩き続けた。飢え死にするんじゃないかと心配したけど、幸いなことにアフリートが人を食べれば、ボクもお腹はふくれた。
ただ、なんというか、エネルギーが充填された感じがするだけで、おしっこやうんちは出ないんだ。便秘になった時みたいにお腹が張ることはなかったので、気にしなければそれはそれで構わない話だったのだけど、自分の内臓がどうにかなってしまうのではないかと気になることはあった。
まあ、砂漠にはトイレがなかったし、ここでおしっこやうんちをするとなれば、それはそれでストレスを感じて困ったと思うのだけど。
お風呂にも何日も入っていなかった。これも、常に体表が魔法で燃えているので、気持ち悪さを感じることはなかった。汗もかかなかったしね。とはいえ、夜になると、お風呂に入りたいと思うことはたびたびあった。
「アフリートはお風呂って知ってる?」
「何、それ?」
やはり知らない。まあ、炎の精霊が水に入るなんて、そりゃないよね。
「人間の習慣なんだ。体をきれいにするために、お湯に浸かって体を洗うんだよ」
へえ〜と感心している。
「体をきれいにしたいのなら、こうすりゃあいいじゃないか」
そう言って、右手で左腕をパッパッと払った。そうだね。まあ、あんたはそれできれいになったと感じるんだろう。
「人間は汗をかいたり、汚れたりするんだ。だから、お風呂に入るんだよ」
「気持ちいいのかい?」
「いいよ。特に疲れている時は最高だ」
「疲れるって、どういうこと?」
「魔力が切れてヘトヘトになっている時と似ているかな」
「ああ、それならわかる。オフロに入ると魔力は回復するのかい?」
笑ってしまった。うーん、どうだろう。
「わかんない。でも、疲れが取れるから、きっと回復していると思う」
「そうなんだ!でも、お湯ということは、水なんだろう?私がお風呂に入ったら、消えてなくなってしまうかもしれないねえ」
もしくは、湯船の水が蒸発してしまうかだ。
「ねえ、機会があったら、一緒に入ろうよ」
「いいよ!でも、私が消えないようにしておくれよ」
笑っちゃう。炎の精霊と一緒にお風呂に入る、か。ちょっと想像できないな。
アフリートは砂漠に出てから2度、花火を打ち上げた。樹木が生い茂る東方の空に打ち上げたのとは違って、さえぎるものが何もない砂漠の空で見る花火は、また違った美しさだった。空の端から端まで花火で埋め尽くされるんだもの!あてのない旅だけど、こんなものが見られるのなら、もう少し頑張ってみようと思えた。
◇
2度目の花火を打ち上げてから何日か経った夜、近づいてくる人影があった。夜中に動いているのは大体、盗賊だ。こっちを旅人と勘違いして襲ってきたことが何度かあったので、返り討ちにして食べてしまった。これもそうかなと思っていたら、違った。
「こんばんは」
あいさつして近づいてきたのは、オークの3人連れだった。3人ともオスだ。たくましい肉体を皮の鎧で包み、腰に剣を差している。戦士の装いだった。
「探しましたよ、伝説の方々」
ホッとした顔をしている。
「もしかして、シェイドのところから来たのかい?」
アフリートが聞いた。ワクワクしている。
「ハイ」
オークたちも笑顔になってうなずいた。
「すごく遠くまで行っているんじゃないかと思っていたけど、そうでなくてよかった」
エントが言う。
「いえ、実はすごく遠くから来たのです。アフリート様の花火を見た者から連絡があって…」
「ほれ見ろ!」
アフリートが我が意をえたりとばかりに、エントの腹をポンと叩いた。エントではなくシャナに言ったのだろう。
「シェイド様は今、日没都市という、世界の果てにあるところにいらっしゃいます」
「えっ!」
エントとアフリートが同時に声を上げた。
「シェイドは世界の果てにたどり着いたの?」
「たどり着いたのか?」
2人が同時に質問するので、オークたちは目を白黒させて「ええ、ハイ」と答えた。
「とても遠いので歩いて行くのは難しいのですが、ざっくりと言うと、魔法で行く方法があるのです。アッシュールという谷に、その魔法陣があります。そこから日没都市までお連れします」
エントは背筋を伸ばして、鼻息を荒くした。
「ということは、お前たちは世界の果てから来たのか?」
オークたちは顔を見合わせると、リーダー格っぽいのが「そういうことになりますね」と言った。なんだ、その他人事みたいな言い方は?このメンバーが1000年かけて探している場所からきたんだろう?もう少しもったいぶったらどうだ?エントは頭を抱えた。
「そ、それで」
アフリートも興奮している。胸が高鳴っているのを感じる。
「世界の果ては、そんなに美しいところなのか?」
「いや、それが」
リーダー格のオークは、申し訳なさそうな顔をした。
「どうなんだ?」
アフリートが詰め寄る。火力の抑制を忘れたのか、バッと炎が立ち上り、オークたちは後ずさりした。
「す、すみません。私たちはきちんと見たことがないんです」
「なんだと?」
今度はエントが凄んだ。
「世界の果てから来たのに世界の果てを見たことがないというのはどういうことだ?」
ちょっと落ち着こうよ。オークのみなさん、だいぶビビっちゃってるよ。アフリートに落ち着いてと言おうとした時に、エントのお腹の辺りからシャナが顔を出した。
「2人とも落ち着きなさい」
「とにかく、見ていただければわかると思います。なんて説明したらいいのかな」
オークは額を寄せ合って相談を始めた。
「アッシュールって遠いの?」
アフリートが突然、質問を変えた。オークたちは一瞬、びっくりしたような顔をしてから「いえ、私たちはそこから来ましたので、歩いて行ける距離です」と答えた。
エントはムフウと鼻を鳴らした。
「早く行こう。ここでゴチャゴチャ話しているよりも、世界の果てまで行って、この目で見た方が早い」
「そうだね。よし、じゃあ行くぞ!」
アフリートのスピードが速い。一人で先に行ってしまいそうな勢いだ。