エドワードの評判は、この2人の間ではよろしくなかった。
「とにかく魔族のことをよく知っているのよ。こうすればこう動くみたいなことをよく知っていて、何度もハメられた。本当に嫌なヤツだった」
「後から来たくせにマリシャといい仲になっちゃって、おかげでマリシャは全然、私のところに来なくなったわ。本当に嫌な男」
そうなんだ。一応、シャインと一緒に守護庁を立ち上げた人で、北国では偉大な創始者として崇められているんだけど。
ただ、神話では影の薄い英雄だ。王女やシャイン、カイン、ニュウニュウは独立したエピソードがあるのに、エドワードにはない。言及されている部分も少なくて、それゆえに神話を書いたのはエドワード本人ではないかというのが、現在の研究者たちの間では主流の見解だ。
「私がタイタンと訣別することになったのも、そのエドなんとかのせいだよ」
アフリートは苦々しげに言った。
「あの男が万物の源を持ってきたせいで、タイタンの体から出ざるを得なくなってしまったからねえ」
「出ざるを得なくって…。出る踏ん切りがついたというのが正しいんじゃないの」
「そうともいうよねえ」
タイタンは当時、人間側におけるトップクラスの魔法使いだった。その頃はまだ人間も競って魔法を使っていて、よりレベルの高い魔法を探し出して習得することが、ステイタスを上げるには必須だった。
人間たちが血眼になって探し求めていたのが火の魔法、水の魔法、風の魔法、土の魔法、それからそれらをまとめる万物の源だ。火は言うまでもなくアフリート。水はシャナ、風はシェイドだ。
「エントは残念ながら、四大元素じゃないんだよなあ」
「アフリート、土の子の名前は覚えてる?」
「私に聞く? 覚えてるわけないじゃん」
「ベヒーモスだよ」
「顔は覚えているんだけどねえ。面白い顔をしていたから。あの子、パーティーに参加するのを断って、その後、どうなったんだろうねえ」
そうなんだ。ベヒーモスは1000年前の旅には不参加なんだ。
「誘ったのがエントでなければ、来たかもよ。何しろ木と土だからねえ。同類なんとやらって言うじゃないか」
「私と一緒で出不精だから、誰に誘われても行ってないわ」
「そうかねえ」
それはともかく、魔族によってどんどん生活の場を追われる一方で、魔法使いたちは四大元素の魔法と万物の源を巡って、血で血を争う戦いを繰り広げていた。
「バカだねえ。人間同士で殺し合って、何がしたいんだろうねえ。誰かに先に取られたら、それまでなのにねえ」
「理解できないわ。無理なことを、無理になんとかしようとするんだもの」
その中でタイタンはアフリートと接触する。これ幸いとばかりタイタンは巨大な魔力の器を持った自分の体を差し出した。
「あのジジイ、魔法だけは達者だったねえ。器も大きかったし、知っている魔法もたくさんあったからねえ。ただ、あれをやれ、これをやれとうるさいし、何より見た目がよくなかったねえ」
その前にアフリートが使っていた肉体は若い女性で、見た目は気に入っていたのだけど、器が小さすぎたらしい。
「それで乗り換えたんだけど、失敗だったねえ」
とはいえ豊富な魔力を手に入れたことでアフリートは思う存分、炎を撒き散らし、魔族側の最強戦士として大いに人間を苦しめた。タイタンは人間を殺すことも、食うことも全然、抵抗がなかったという。
「もともと殺し合いをしていたからねえ。人間は魔族よりも恐ろしいと思ったねえ」
そんなふうに見られていたんだ。
と、そこにエドワードが万物の源を手に現れた。
「これがあれば魔力が尽きる心配をしなくていいですよ」
アフリートに手渡した。ところが、それは罠だった。万物の源は、四大元素より上位の魔法だ。指揮権を獲得したタイタンは、アフリートの力をわがものにしようとした。
「あれはたまらなかったねえ。離れたらどうしようもなくなるのはわかっていたけど、いいようにされるのはもっと嫌だったねえ」
アフリートは全力でタイタンから離れると、人間に捕まった。離れる時に高熱を発したので、タイタンはカラカラに干からびてしまった。ただ、万物の源を体内に持っていたので死ななかった。乾物みたいに干からびたタイタンを、エドワードたちは砂漠の奥底に閉じ込めた。
これがボクがアフリート本人から聞いた、封印されるまでのいきさつだ。その時になぜ万物の源を回収しなかったのか、それはアフリートも知らなかった。謎だ。
◇
砂漠の旅は、遅々として進まなかった。風景が変わらないので移動した実感がないということもあったけど、実際になかなか進まなかった。だって、エントが歩いているんだから。しかも、エントは少しずつ縮んでいた。小さくなれば歩幅も狭くなる。移動距離は短くなる。いつになればシェイドのところにたどり着くのだろう。あっちは1000年前に出発しているのに。
「シェイドって、馬に乗れるの?」
アフリートに聞いた。
「乗れるんじゃない? 乗っているのは見たことないけど。あの人、私たちと違って、人間みたいな体をしているから」
神話に詳しく書いてなかったので気体みたいな生き物を想像していたけど、違うんだ。馬に乗れるのなら、今のボクらよりも桁違いに速いスピードで進んでいるだろう。なんだか絶望的な気持ちになってきた。
「まあ、そうがっかりしなさんな。あんたが死ぬまでにはたどり着かないかもしれないけど、そうなったらまた別の体を見つけて先に進むから」
慰めているつもりなのかもしれないけど、全然なってない。あんたは簡単に死なないだろう。だけど、ボクの肉体は数十年しかもたない。精霊に乗っ取られているから、老化が止まるわけではない。実際に髪や爪が伸びているので、着実に死に向かっているのだ。
「追いつくめどはあるの?」
もうすぐ夜明けだった。空が紫色になって、日が昇る時間が近いことを告げていた。ボクは夜明け前の砂漠の空の色が好きだ。ここでないと見られない。南方の夜明けの空はもっと緑っぽい。
「めどねえ。そんなもの、あるのかねえ。どうだい、エント?」
アフリートの問いかけに、エントは地面に潜りかけていた手を止めて「ない」と言った。
「ないのに、よくもまあ毎日毎日、飽きずに進むよね」
「そりゃあ、進むしかないからねえ」
「エントは死なないの?」
「そんなこと、考えたことなかったねえ。どうなんだい、エント?」
エントは半分くらい潜りかけていたところから、体を起こした。随分と小さくなっている。もうオーキッドより少し大きいくらいだ。
「そのままどんどん縮んでいって、アリみたいになっちゃったら、シェイドに絶対に追いつかないよ」
エントはこちらを向いた。
「われわれ木の精霊にも、寿命はある」
節くれだった顔には生意気にも髪が生えていて、それが直毛のロングヘアだから、カインを思い起こさせる。一度、本人に直接、「お兄ちゃんはまだそこにいるのか」と聞いてみた。エントは思案した後に「もう食ってしまったので、いない」と言った。
覚悟していたが、聞きたくない言葉だった。アフリートに尋ねると、ボクらのようなパターンがむしろ魔族では例外らしい。アフリートは本来、身動きできない小さな火で、身近な生き物の体を乗っ取って移動する。その生き物が死んでしまったら、離れないといけない。桁違いの魔力を持っているけど、それを使えるかどうかは、乗っ取った相手の器の大きさ次第なのだという。だから、優秀な魔法使いを〝受肉〟の対象にしたがる。
エントの本来の姿は動く樹木で、寄生する相手を必要としない。ただ、今回の場合は双葉に毛が生えたような状態だったため、手っ取り早くカインの肉体を食べて再生した。栄養分として吸収してしまったので、もうカインはいないというわけだ。
「お兄ちゃんを取り戻す方法はないのかな?」
「どうだろうねえ。何かそういう魔法があれば、取り戻せるかもしれないねえ。でも、もう魂が世界の果てを超えてしまっていたら、取り戻しようがないねえ」
絶望的だ。ただ、エントが生きている以上、これはカインを吸収したものなので、取り出す方法があるかもしれない。長い旅になることは間違いないし、その間に何か解決方法が見つかるかもしれない。諦めずに探そうと思った。
ちなみにシャナは普段はただの水だけど、必要に応じて人の形態を取ることができる。だから、日中はエントの体内に水分として存在している。シェイドは人と同じ姿をしているらしい。
エントの一族は樹木なので、寿命がある。長寿の者はとんでもなく長生きして、大きくなるらしい。
「だから、俺も自分がどれだけ生きるかわからない。先のことを考えても仕方がない。今やるべきことはシェイドを追うことだ。俺たちは4人でパーティーだった。4人そろって、世界の果てに行くんだ」
当たり前だけど、考え方が魔族っぽい。人間なら80歳くらいで死ぬだろうし、もう絶対に追いつかないから別の人生を探す。未来を予想してベストの選択肢を探す。だけど、魔族は未来を予想しない。ダメだということが明らかになれば諦めるのは早いけど、それがわからないうちは目先の目的を追い続ける。
「もしかしたら明日死ぬかもしれない。1000年生きるかもしれない。それは、わからない。そもそも旅に出た時から、めどなど立てたことはない」
エントはそう言った。