どうしてトウマじゃないの?という顔をしているなあ。そうだよね。この流れでいくと次はトウマの出番のはずだ。でも、しゃべりたがらないんだから仕方がない。本当はオーキッドからトウマにバトンタッチするはずだったんだけど、どこかに行っちゃった。
というわけで、またボクが登場したというわけだ。
まあ、そんな顔するな。最後はちゃんとトウマに締めてもらうから。でも、本当にどこに行ったんだろうね。探しに行かないと。
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アフリートとの別れ方は、思いもよらない形になってしまった。もう少し平和的にお別れするんじゃないかと思っていたから、あんな有無を言わさぬ形になるとは想像もしていなかった。彼女とは長い旅をともにしてきたし、きちんとお互いに納得した上で、別々の道を進んでいける仲になれたと思っていた。
シェイドの魔法で体を切断された後、ボクは一度、死んだと思う。そうでなければ、あんなふうにアフリートが出ていくこともなかっただろう。鋭利な刀で切られると、切られたことに気づかないまま死ぬと本で読んだことがある。あの時はまさにそんな感じだった。シェイドの魔力が体を突き抜けていったと思ったら、どんどん視界が暗くなっていった。体が傾いて、自分が倒れていくのがわかった。
「ヤバい、まさかこうするとは」
近くでアフリートの声がする。トウマの声も聞こえる。こちらは耳元だ。
「戻ってこい!」
戻るよ。戻るから手を貸して。真っ暗で何も見えない。再びアフリートの声がする。
「マリシャ、あんたが死んだら一度、あんたから離れなきゃいけない。そうしなきゃ一緒に死んでしまう。だけど、手を離しちゃいけないよ。私がどこかへ行ってしまうからね。しっかり捕まえておいておくれよ」
そうしたいのは山々だったけど、体が動かない。アフリートと同居している〝頭の中の世界〟も真っ暗だ。どうすればいい? アフリートに返事をしないと。それが最後に考えたことだった。そこで意識が途切れた。
あそこが死後の世界かどうかは、わからない。気がつけば、見渡す限りの海だった。遠くに小さな雲がちらほらと見える。それが水面に映るくらい、凪いでいた。
ボクは小さな船に乗っていた。大きな木をくり抜いて作った、南方の伝統的な漁船だ。これに2〜3人一組で乗って漁に行く。帆が、ボクが座っているところに影を落としていた。向かい側に乗っているのはカインだ。
「お兄ちゃん」
そうだ。エントが破壊されて、お兄ちゃんを取り戻す手立てがなくなったと思って、怒りで我を忘れたんだ。
随分と長い時間、アフリートと一緒にいて、彼女から肉体のコントロールを奪うことがあった。アフリートが意図的にボクに譲っているのだと思っていたけど、違った。あの時は自分の意志でシェイドを攻撃した。だけど、反撃されて、死んだ。結局、お兄ちゃんを助けられなかったという後悔が、胸の奥から湧いてきた。
「マリシャ」
カインは、南方のお葬式で死者が着用する黒いローブを着ていた。
「こんなところまで追いかけてきてくれて、ありがとう」
寂しそうに笑って、ボクの頭をなでた。ああ、やっぱりここは死後の世界なんだ。涙があふれてきた。ようやく会えた。話したいことがたくさんあったのに、言葉が出てこない。
「泣くな。人間はいつか死ぬ。俺の場合、それがたまたまきょうだっただけだ」
お兄ちゃんはローブの裾で涙を拭いてくれた。ツルツルとした肌触りが心地いい。南方の太陽の、暖かな香りがした。抱きついて、胸に顔を埋めた。
「すぐそばにずっといたのに、助けることができなかった」
やっと声を絞り出すことができた。悔しかった。魔法使いの素質があって、周囲からも認められて、自分でもそうだと思っていた。だけど、いざという時に何もできなかった。
「いいんだ。お前と違って俺は最初に寄生された時から、完全にエントに蝕まれていた。引き離すことはできなかったよ」
赤子をあやすように、ボクの背中をぽんぽんと軽く叩く。
「最後にこうやって伝説の魔族の一部になって旅ができて、楽しかった。何よりお前が一緒だった」
ボクの肩をつかんで引き離すと、顔をのぞき込んで言った。何か言おうと開きかけた唇に、人差し指を置いて制した。
「マリシャ、あまり時間がない。帰れなくなってしまう」
何を言っているんだ。ボクも、もう死んでしまった。
「いいか、よく聞くんだ。この海の底は、あっちの世界に繋がっている。少し潜れば、お前の仲間が戻るのを助けてくれる。そこまで頑張れ」
気がつけば、ボクはアフリートと一緒になる前の服装をしていた。白いシャツにネイビーのベスト。同じ色のスカート。トウマにキサナドゥーで買ったもらった、お気に入りだ。ボク、黒いローブを着ていない。
「早く行け」
お兄ちゃんは船上で座り直すと、微笑んだ。行かないと。でも、お兄ちゃんをここに置いたままで? 水面を見て、カインを見る。
「また会える。あっちで待っているから」
お兄ちゃんはそういうと、遠くの水平線を指差した。
立ち上がって、抱きしめた。力強いストレートの髪、たくましい太い首。広い背中。この感触、忘れない。笑って別れようと思ったけど、無理だった。涙でぐしゃぐしゃになった顔なんて見せたくなかった。だけど、最後に向けたのはそんな顔だった。
「お兄ちゃん、ごめん」
そう言い残すと、身を翻して飛び込んだ。
海の中は暗かった。南方の海はこんなんじゃない。もっと明るくて、よほど深いところまで行かない限り、海底までよく見える。一瞬、この暗い水を潜っていったら、何か得体の知れないものが出てくるのではないかという恐怖心が湧いてきた。
と、底の方に明かりが灯っているのを見つけた。海中にあるはずないけど、何かに例えるとすれば、たいまつだ。ゆらゆらと揺れている。そちらに向かって泳いだ。泳ぐのは得意だ。南方に泳げない人間はいない。みんな海辺で生まれて、海は生まれた時からの遊び場だから。
たいまつに近づいていくと、流れが発生しているのがわかった。引き込まれていく。どんどん近づいてくる。たいまつのようだと思ったけど、ゆらゆらと揺れている明かりだった。うーん、それってたいまつだよね? でも、もっと明るいんだ。真っ白に見えるくらい。流れに身を任せて、そこに飛び込んだ。
底に向かって泳いでいたのに、いきなり落下した感覚に襲われて、同時に鼻と喉の奥から何か吹き出してきた。むせて咳き込む。息ができない。鼻の中いっぱいに広がった鉄臭い匂いで、血だとわかった。ゴホゴホと吐き出して、息をしようとする。
「マリシャ!」
トウマの声が聞こえた。熱い。それもすごく。もう一度、血を吐くと、やっと息ができた。ヒューヒューと喉を鳴らして胸一杯に息を吸う。激痛に襲われて悲鳴を上げた。上げたと思っただけで、実際には声にならなかった。
何、これ。すごく痛い! 首から胸にかけて、ちぎれたみたいに痛い。それにこの熱さ。アフリートに違いない。だけど、手を握れなかった。離してしまった。今、どこだろう。火傷しそうだ。
周囲でみんなの声がする。状況がわからなくて、混乱する。誰かに背負われているようだ。この感触はトウマだ。目を開けた。炎が見えた。一面の炎だ。首が痛くて、顔を上げることができない。目だけ動かして、必死にアフリートを探した。いない。そばにいない。どうしよう。
「で、どうするんだ」
トウマが誰かに話しかけている。目の前にいるのは北国の修道服を着た若い女性だ。黒い直毛も、顔立ちも南方風なのに、肌がやけに白い。見たことがない人だ。新しい仲間だろうか?
「さっきも言ったでしょ?あの魔法使いに万物の源を出させて、取り上げるの」
オーキッドが割り込んできた。
「簡単に言うけど、この炎の海の中、どうやって近づくんだよ」
「それはあなたたちで考えて」
シャウナもそばにいた。
「近づけたところで『出せ』と言って、簡単に出してくれるものなの?」
「そこは私がやるわ。だから、私もあいつのそばまで連れて行ってちょうだい」
無茶をいう。今、目に入る範囲だけでも、どこもかしこも火の海だ。突っ込んで行ったら数秒後には大火傷だろう。ボクが知っているアフリートの炎なら、一瞬で黒焦げだ。今は強い魔法の力で守られているみたいだけど、それが消失すればみんな焼け死ぬ。
「おい、人間をどこまで投げ飛ばせる?」
トウマが聞いた。オーキッドは何を考えているのかピンときたみたいだ。
「そうだなあ、あの辺かな?」
少し先の城壁が崩れたところを指差した。
「魔法使いの目の前まで一気に行けないか?」
「それはちょっと自信がないな」
「よし。じゃあ、お前とパインで、俺とこの女をあの魔法使いまで投げ飛ばしてくれ」
ワシもやるのか?とパインが驚いている。
「空中で撃墜されたらどうするんだ」
「そんな暇はないだろう。髪が白いヤツに夢中で、こっちのことなんて気にしていないみたいだ。白髪の方も、魔法使いから逃げ回るのに精一杯で、俺たちまで手が回らない」
膝をついて座っていたオーキッドは、少し姿勢を高くして周囲を見回した。
「俺が城壁のそばまで行くから、パインはそこまでトウマを投げてくれ。できるか?」
パインは立ち上がってオーキッドが指差した方向を見る。
「できると思う」
いつもなら目をキラキラさせて「お任せあれじゃ!」と言うのに、あまり自信がないのか、表情も緊張気味だ。
「私が先に行くわ」
さっきの謎の女が言った。アイシャって名前なのは、後で聞いたよ。
「アイシャの意識があるうちにやった方がええで」
隣から小さな女性が出てきた。こっちはつみれ。この人のことも、後で聞いた。
「静止モードに入ってしもたら、いつ戻ってくるかわからへんから」
あの時は、何を言ってるのか全然わかんなかったね。
「いや、パインが力加減がわからないかもしれない。俺が先に行く。シャナ、防御魔法をかけてくれ。オーキッドにもだ」
わかってないな。シャナはアフリートと魔法的には相性がよくないんだ。水と火なんだから。今でも大変な思いをしているはずなのに、そんな余計なことさせちゃいけない。アフリートとしてシャナと旅をしてきたボクにはよくわかる。シャナ、断っていいんだよ。
「いいわ。ただ、いくら私の魔法でも、この炎の中では制限時間があるわよ」
シャナは親切な人だ。いや、魔族か。まあとにかく、彼女が敵でなくてよかったよ。