食事を終えて外に出る。すでに宵闇が街を包んでいた。店の前に並んでいる行燈がオレンジ色の列を作って幻想的だ。
俺たちの金が使えたのはラッキーだった。店の主人は俺たちの貨幣を見て、これとこれをもらおうといくつかピックアップした。すごく安い金額しか取られなかったけど、大丈夫だろうか。もしかしたら、貨幣の価値が違うのかもしれない。ほっこりして、今からマリシャを奪い返しに行くのだという感じがしなかった。
「今からシェイドのところに殴り込むのか?」
俺と同じく、戦う気力が失せてしまったヤツがいるのではないかと思って聞いてみた。つみれがこっちを見ている。
「もう少しこの街を見て回りたい!それからでも遅くないのではないか!親分!」
エンツォはすでに歩き出している。
「おそらくあそこが城!そしてその向こうがビーチだろう!ビーチ!ビーチが俺を呼んでいる!」
夜のビーチか。世が世ならロマンチックなシチュエーションなんだがな。苦笑すると、つみれも笑っていた。
「トウマ、シェイドのところに殴り込むのは、明日でもええんやない?」
つみれはトウマの隣まで行って言った。
「せっかく、ずっと来たかったところにたどり着いたんや。ゆっくり見てからでも、遅くないんとちゃう?マリシャとかいう子がここにおるというのも、わかっとるんやし」
トウマは少し間を置いてからうなずくと「それなら、俺は夜の間に城に行ってくる」と言った。
「ほな、決まりや。じゃあ、どこかに宿を取ろう。物価も安そうやし、ちょっと高そうなところでもええんとちゃうか」
つみれはみんなを見回した。アルアラムがうれしそうだ。そうだ。せっかくここまで来たのだ。噂に聞いていても、誰も戻ってきた者がいないという幻の都市。今、そこにいる。大事な用事を済ませるのは、満喫してからでも遅くない。
手近な宿っぽいところに飛び込んでみると、宿ではなく食堂だった。2階が泊まれるようになっていて、部屋は空いていた。ここでもゴブリンの主人に「旅行者なんて珍しい」と言われた。普段は酔っ払って帰れなくなった客を泊めているのだそうだ。そう聞いていたので、すさんだ部屋ではないか?と用心して入ってみたら、きちんと清掃が行き届いていてベッドサイドに花が飾ってある小綺麗な部屋だった。
この部屋に限らず、この街は何かと小綺麗だ。先ほどの食堂のウエイトレスも、嫌味にならない程度のパステルカラーのドレスを着ていた。それがさっぱりと整っていて、よく似合っていた。荷物を置いて外に出た。
「俺はヒイロと城に行くぞ」
トウマは息子の手を引いている。
「私も一緒に行っていい?」とシャウナ。「パインも行きたいのじゃ!」「僕も…」。みんな少しは気を遣ったらどうだ。トウマは俺を見た。
「お前の家族の話だろう。部外者が邪魔なら俺は他のところへ行っとくか、宿で待っているよ」
意外なことに「一緒に来いよ」と言った。結局、後からつみれが付いてきてエンツォもアイシャも来て、タイタンだけ置いていこうとしたら魔法で俺の背中に飛び乗ってきた。
「置いてけぼりとはどういうことだ!」
怒っているが、どこに行くのかわかっているのか?
宿の裏手が海岸だったので、そこ沿いに城へ行くことにした。南方っぽい黄色いサラサラの砂浜だ。月が出て明るい。海水は底の砂が見えるくらい透き通っている。浜辺にはヤシの木が生えていた。
しばらく行くと広い芝生に出た。低木が整然と生えていて、誰かが手入れしている庭園のようだ。その向こうが城だった。見た感じは4階建てだ。尖塔が一つあり、西域の城塞でよく見る、天井に丸い装飾がなされている。一階の周辺は回廊になっていて人が歩いていた。魔族ではない。遠目に見る限りは人間だ。
「あそこを歩いているのは死んでいる人なんだ。生きている人間は入っちゃダメだぜ。入ろうとしても入れないけど。とにかく、絶対に入っちゃダメだ。少し離れたところから、見といて」
ヒイロは回廊を指差した。
「母ちゃんを呼んで来るから、この庭で待ってて」
そう言うと、駆け出していった。回廊を渡って、入り口から屋内に入っていった。
回廊のそばまで行ってみる。
「ほほう、これは面白い!魔法ではないのに、こんなことができるとは!これも次元の裂け目の一種かな?」
タイタンが俺の背中で感心している。ヒイロは入れないと言っていたが、何か仕切りがあるわけではない。見えない壁か何かがあるのか?と思って手を差し出すと、わっ、なんだ!手首から先が消えた。引っ込めると、また現れた。手を握ってみる。なんともない。魔力の気配も感じない。
「そこの回廊から先は異空間だ。落っこちるなよ。ワシを背負ったまま入るなよ」
タイタンが言う。回廊に入ろうとすると、自分の体が消えてしまう。腕に続いて足を入れてみた。また消えてしまう。地面に付く…と思いきや「うわあ!」。目では床が見えているのに、まるで何もないかのように踏み抜いてしまった。
「だからやめろと言うとろうに!」
タイタンが移動魔法で俺の体を引き戻す。危ない危ない。見えているけど、どうやら生きている俺たちにとっては、ここから先は何もない空間のようだ。顔を突っ込んでみるかどうか迷っていると、すでに隣でエンツォがやっていた。体だけで、首から先がなくなっている姿は気味が悪かった。頭を引っこ抜くと「真っ暗だ!」と言った。
俺も顔を入れてみる。暗い。本当に真っ暗だ。底なしなのだろうか?見ると、シャウナも四つん這いになって回廊側に顔を突っ込んでいる。手も入れているので、地面がどうなっているのか確認しているに違いない。
「地面がないわ」
戻ってきて言った。何も知らずにこの回廊に駆け込んだら、生きている人間は真っ暗闇に落ちてしまうというわけだ。それがどこに続いているのかわからないけど。
「おい、誰かすごい魔力を持ったヤツがこっちに来るぞ」
タイタンが背中を叩いて言った。回廊から離れて左右を見る。回廊の先、城の角から大きな魔族が現れた。背が高い。エントだ。その足元に明るく輝くアフリートがいた。
「アフリートだ!」
タイタンが叫んだ。
「ワシじゃ!タイタンじゃ!迎えに来たぞ!」
背中から飛び降りると、両手を広げてまた叫んだ。
「つみれ、気をつけろ」
トウマがアフリートから目を離さずに声をかける。俺とトウマが前列、2列目につみれとエンツォとパインにシャウナ。最後列にアルアラム、アイシャとなった。タイタンは俺とトウマの前だ。
「あの火のヤツは殺したらアカンのやな」
「そうだ」
どうする。戦う心構えができていないまま、敵と会ってしまった。作戦も立てていない。
「どうするんだ」
トウマに聞いてみた。
「爺さんと俺とシャウナでマリシャを取り戻す。木の方を頼む」
「ウチはどっちに行く?」
「つみれは俺の方。エンツォは木と相性がいいはずだ」
「わかった」
トウマは少しだけ振り返ると、パインに向かって「他の連中を守ってくれ」と言った。
「わ、わかった!」
震えている。そりゃそうだ。前回は腕を切り落とされたのだから。頭をなでてやる。この子の頭をなでると心が落ち着く。自分のためでもあった。
「いいか、とにかく生き残るんだ」
ポンと肩を叩く。パインは唇を結んでうなずいた。