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第58話 ダンジョンの向こうには別の世界があった

 確かに、井戸の底は意外に深かった。魔法をかけておいてよかった。泳ぐのはあまり得意ではないし、魔法がなかったらダンジョンの入り口までたどり着けなかったかもしれない。


 底の一角が階段になっていて、先行した3人は頭から潜っていく。しかし、この水、不思議だ。飲んでいた時は普通の水だったのに、ここでは魔力を感じる。強力ではないけど、かなりしっかりとした魔力だ。マルコについて階段に入る。地上の灯りが届かなくなって暗い。少し先の方でポワッと灯りがついているのは、つみれの魔法だろう。それでも灯りの周囲以外は真っ暗だ。光のない水の底に潜っていくのは、怖かった。


 しばらく泳ぐと、階段は折り返して上りになった。と、前にあった灯りが消えた。浮上に備えて消したのか? ほぼ完全に真っ暗になる。足が地面に触れた。不意に何かが追いかけてくるのではないかという恐怖に囚われて急いで進むと、マルコの尻にぶつかった。呼吸を整えないと。焦って深く吸うと水を飲んでしまう。落ち着け、落ち着けと言い聞かせている間に水面に出た。


 プハッと息を吐く。目の前につみれがいたのか、「汚いな」と毒づく声が間近で聞こえた。無視して周囲を見回す。暗くてよく見えない。どこかから明かりが漏れているのか、次第に目が慣れて、状況がわかってきた。


 狭いスペースだ。もう少し階段が続いていて、その先は廊下っぽい。トウマを先頭に階段を上がる。


 「灯りを点けてくれ」


 私がやる前に、つみれが魔法を使った。石造りの通路が浮かび上がる。トウマの身長でギリギリ、幅も2人で並んで歩くことはできない。湿った壁に苔が生えている。とても砂漠の地下とは思えない光景だった。


 「行き止まりになってるやろ?」


 トウマの脇から顔をのぞかせて、つみれが言った。マルコはバックパックからボウガンを取り出してセットしている。奥をのぞくと、壁が行く手を塞いでいた。


 罠がないか注意しながら前進して、壁までたどり着いた。つみれが先頭に出て、あちらこちら触っている。


 「こっちじゃないか?」


 天井の壁を触っていたトウマが言った。どれどれといいながら、つみれはトウマの背中をよじのぼって天井を触る。


 「空洞になっているみたいやな」


 つみれは腰に差していたナイフを抜くと、石の間に差し込んでゴリゴリとこじ開け始めた。横からトウマが手を出して、拳でゴツン!と石を叩く。


 「あっ! 手荒に扱うなや」


 叩いた石は上にズレて、隙間から白い光が差し込んできた。


 「おお、明るいぞ」


 マルコが声を殺してつぶやいた。つみれとトウマで天井の石を取り除いていくと、青空が見えた。そして、草の匂い。植物の匂いだ。地上に出たのか? いや、先ほど潜ってきた深さを考えれば、まだ地下のはずだ。なのに、なぜ空が見えている? 石を取り除いて、人が通れる穴を作った。


 「トウマ、そのまま肩を貸しといて」


 つみれはトウマの肩に乗って、穴から顔をのぞかせた。


 「えらいこっちゃ。こりゃビックリや」


 一人で感心してつぶやいている。


 「早く行ってみようぜ」


 トウマが言うので、つみれは一度、その肩から降りた。まずトウマが穴から上に行き、つみれを引き上げる。続いてマルコ。最後に私が引き上げてもらった。



 ここは何なのだろう? 北国で似たような景色を見たことがある。山脈が連なり、手前に林が広がっている。深い藍色に輝く湖があって、私たちはその湖畔にいた。足元には気持ちいいくらい青々とした芝生が広がっている。あちらこちらにピンクと白の小さな花が咲いていた。


 「なんだ、これは。幻か?」


 トウマ、そうだね。まずそう思うだろう。


 「マルコ、お前には何が見えとる?」


 つみれが聞いた。


 「森と湖。芝生。あと、白い建物が見えやすね」


 「トウマは?」


 「同じだ」


 「姉ちゃんは?」


 「えっ、私? ええと…同じ。同じだ」


 ふうん、とつみれはうなった。ここは魔力をそこここに感じる。接触しないと感知できない私が感じているのだから今、この肌に接している空気そのものに魔力があるのだ。魔法でそろって同じ幻を見せられている可能性がある。湖の反対側を見ると、白い教会があった。教会だと思ったのは、女神シャインの教会と様式が似ていたからだ。白い壁、背の高い建物に尖った屋根。


 「行ってみようぜ」


 トウマがそう言うので、先頭に立たせて向かった。途中で芝の上に墓石のようなものがあった。大理石を四角く切り出して、そのまま横たえたような感じだ。


 「お墓かな?」


 トウマに聞いたつもりだったが、返事はない。つみれが代わりに答えるかなと思ったけど、こちらも黙っていた。


 建物には木製の重そうなドアがついていた。鍵はかかっておらず、ノブを回すとギイッときしんで開いた。屋内に入る。大きな窓があるせいか、すごく明るい。そういえば今、何時くらいなのだろう?外にいた時はそれほど意識しなかったけど、少なくとも夕方や夜ではない。明るいから。日中だとして、朝なのか昼なのか。


 そこでふと思い当たった。太陽が出ていなかったのだ。明るかったけど、砂漠で見慣れたギラギラ輝く太陽が見えなかった。それに、服が乾いている。さっき階段を上がった時は濡れている感覚があったのに、今は水の中を通ってきたとは思えないくらいサラッとしている。トウマの背中を見ると、水中を通ってきたとは思えないほど乾いていた。


 屋内は外から見た印象に反して狭かった。細長い部屋だ。壁も天井も白い。高い窓にレースのカーテンがかかっていて、どこからか風が吹いているのか、緩やかになびいていた。床は木造だ。こちらも壁と合わせたのか白っぽい木材で、部屋全体が白くて目がチカチカする。真ん中に大きなテーブルといくつか椅子があり、白いローブを着た男が座っていた。


 年の頃は60歳くらいだろうか。茶色い髪と髭。ふっくらとした、品の良さそうな男だ。ここの牧師といった風情だった。だが、こんな魔法で充満した空間にいる人間が、まともなわけがない。この男が、ここを作っている魔法使いという可能性は十分にある。



 男はニコニコと愛想よく笑いながら立ち上がった。


 「ようこそ。みなさんが来られるのを、今か今かと待っていました」


 「お前、誰やねん」


 つみれはナイフを抜いたままだ。トウマも腰に差していた金槌を手にした。マルコはまだボウガンを下ろしているものの、緊張感を漂わせている。


 「私ですか? 私はここでずっと助けが来るのを待っていた者です。すでにお気づきかもしれませんが、ここは魔法で作られた監獄です。私は、ここに長い間、閉じ込められていました。どなたかが外から入ってこない限り、出られない仕組みになっているのです」


 男は相変わらずニコニコしながら、一気に自分の置かれている状況を説明した。立板に水のような説明が気持ち悪かった。私たちが来るのを知っていて、準備していたみたいだ。


 「お前、誰や。名前はなんていうんや」


 もう一度、つみれが質問した。男は少し困った顔になった。名前を問われて、何が困るのだろうか。


 「そうですね。もう長いこと囚われていて、自分の名前など忘れてしまいました。ですが、しがない魔法使いであるということは覚えています」


 マルコ、構えろとつみれは小さい声で言った。マルコがボウガンを男に向ける。


 「おっと、そんな物騒なものをこちらに向けないでください。私を殺しても、なんにもなりませんよ」


 男は手を挙げて、攻撃する意図がないことをアピールした。


 「何しろ私は、本体ではないのですから」


 その言葉で、違和感が何なのかわかった。この男、肌が異様にきれいすぎる。人形のようだ。普通、ほくろがあったり、シワがあったり、傷があったりする。だが、この男は人形のように肌がつるんとしている。トウマを前に押しやりながら、つみれは男に近づいた。


 「ウチの知り合いが、ここに万物の源があるというんで探しに来たんや。知らへんか」


 男は手を下ろすと、椅子に座った。恰幅がいい。トウマよりも少し大きいくらいか。魔力で作り出された幻影だとして、どれくらいの戦闘力があるのだろう。それより本体はどこだ? 見えないところから、私たちを狙っているのではないだろうか。真っ白な部屋は、本来ならば清潔感にあふれ、テーブルについてお茶でも一杯ごちそうになりたくなる雰囲気だ。だけど、この男がいるだけで張り詰めた緊張感が漂っている。マルコは少し後退りしながら、四方を警戒した。


 「ほほう、みなさんは万物の源を探しに来られたのですね?」


 男はポンと手を打つと、笑みを浮かべた。


 「ならば話は早い」


 立ち上がると窓辺へ向かい、外を指差した。


 「あそこに白い墓石が見えるでしょう?」


 先ほど、私がお墓かな?と言ったものを指している。


 「あの中にあります。ぜひ、お持ち帰りください」


 そう言って私たちを見回した。


 「どうやって持ち帰るねん」


 つみれは警戒を解かずに聞いた。


 「見ての通り、普通のお墓と同じ作りです。中に万物の源が安置してあります。変わった形をしていますが、まあ怖がらないでください。地上に持ち出せば起動しますから」


 何だか嫌な予感がした。


 「お前、もしかしてタイタンか?」


 つみれが聞いても、男は表情を変えない。


 「先ほども申し上げましたが、私はここに幽閉されている仮の姿です。本体は万物の源とともにあります」


 返事になっているような、なってないような。


 「そうか。まあ、どっちでもええわ。あそこに万物の源があるのなら、持ち帰らさせてもらうわ」


 つみれはそう言うと、くるりときびすを返して、先頭に立って外に出た。



 「あいつの正体、確認しなくていいの?」


 教会から出たところで聞いた。


 「ええやろ。あれは幻みたいなもんや。攻撃能力もないし、あれ自体が魔法を使ってくる気配もなかった。たぶん、この中におる万物の源が生み出した幻影や」


 つみれは墓石のそばまで行って、コツンと白い石を蹴り上げた。


 「しっかり魔法で封印されとるみたいやで。さて、久々に墓掘りをやるか!」


 過去にやったことがあるのか、トウマとマルコが慣れた感じで墓石に手をかけて「せえの!」と声を合わせて動かした。思った以上に簡単に動いて、中が露わになる。墓石と同じ白い石で作られた棺があって、大きな乾燥した木の根のようなものが入っていた。いや、木の根じゃないな。魚の開きというか…。とにかく茶色くて平べったくて乾燥したものだ。長さは1メートル強といったところか。


 「何だこりゃ?」


 マルコが顔を近づけて匂いを嗅ぐ。懐から手袋を取り出すとはめて、触れた。


 「親分、カチカチですわ」


 「それ、ホコリか? ちょっと払ってみてくれへんか?」


 確かに細かい物質で覆われているように見えなくもない。マルコが注意深く手で払うと、下から鮮やかな黄色い何かが出てきた。


 「そこの湖で洗ってみましょうか?」


 「いや、洗ったら壊れたり崩れたりするかもしれへん。このまま、そろっと持ち帰ろう。みんな、油紙を出してくれ」


 全員の油紙を寄せ合って、それを包んだ。私も触ってみたけど、感触は乾いた木の根っこだ。それ以外に例えようがない。何とか全体を包んで、マルコが紐を使って器用に背負った。「ぶつけて壊すなよ」とつみれ。教会を振り返ると、窓からあの男がこちらを見ていた。彼が万物の源が作り出した幻だとして、私たちがこれを持ち去れば、どうなるのだろうか。消えてなくなるのだろうか。この北国を思わせる風景と一緒に。手を振ってみる。なんの反応もなかった。



 出てきた穴から通路に戻ると、急に湿っぽい感覚が戻ってきた。服が濡れている。ということは、この穴を境に幻の空間が広がっていたということか。つみれがまた「気をつけろ。ぶつけるなよ」とマルコに言っている。確かにこのギリギリの広さの通路では、木の根っこ…いや、万物の源か。どこかにぶつけてしまいそうだ。


 「わかってまさあ」


 マルコはそう言って、2番手を進んだ。帰りはトウマ、マルコ、つみれ、私の順だ。行きと同じく、防御と水中行動の魔法をかける。階段を下って再び水に入った。


 「ああ、これ、浮くな。すごい浮くぞ」


 マルコはブツブツ言いながらジャブジャブと音を立てて潜っていった。つみれが続く。水に入る前に振り返った。穴の向こうの空間はまだ消えていないのか、光が降り注いでいる。不思議な体験だった。あそこに戻ることはおそらく二度とない。そんな感じがした。


 行きを経験したためか、帰りは全く怖くなかった。思った以上に簡単に水面にたどり着いて、引き上げてもらった。地上に着くとアイシャ以外のメンバーが井戸端に集まっていた。


 いや、なんか増えている。小さな男の子がいた。10歳になっているかいないかくらいの。髪が長くて一瞬、女の子かと思ったけど、よく見たら男の子だった。髪の色が独特だった。亜麻色というのだろうか、少し黄色がかった褐色の髪だ。肌の色は東方系。クリッとした目がかわいらしい。だけど、眉毛は太くて凛々しかった。痩せているというか、これくらいの年代の子供らしく、きゃしゃだった。黒い着物風の上着を肩までまくり上げて、七分裾の黒っぽいズボンを履いていた。足元は比較的、新しい皮のブーツだ。


 「なんや、この子」


 つみれは男の子をまじまじと見ている。


 「この姉ちゃんがここのリーダーか?」


 男の子は、声変わりしていない甲高い声でオーキッドに聞いた。


 「お前たち、心配したぞ。何しろ潜ってから3日も経っているからな。そろそろ救出に行こうかと話していたところだ」


 オーキッドが言った。えっ? 3日?


 「その間、大変だったんだ。この子は、お前たちがいない間に助けてくれたんだ」


 オーキッドは男の子の頭をなでる。エヘヘッと照れ臭そうに笑った。


 「へえ、これが万物の源か!」


 マルコが背負っているものをエンツォがなで回している。


 「壊すなよ。なんか壊れやすそうな感じだったんだから」


 そう言いながら、マルコは背負ったまま屋内に入っていった。男の子はトウマを見ている。近寄ってきて、尋ねた。


 「あんたがトウマ?さん?」


 なぜ疑問形なんだ。


 「そうだよ」


 珍しく、声を出して返事をした。男の子の顔に満面の笑みが広がる。ピョンと飛び上がると、大きな声を上げた。


 「やった! やっと会えたぞ! 父ちゃん! 俺だよ、ヒイロだ!」


 えっ??? 父ちゃん??? 

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