馬車の中でつみれが言っていた万物の源について、シャウナに聞いてみた。俺は神話はざっくりとしか知らない。大陸の神話についてきちんと学んだことがない。神話を知ったのは旅に出てからだ。あちこちに同じ神様がまつられていて、同じ話が伝わっていることには驚いた。それだけ1000年前にあった出来事が、大陸中を巻き込んだ大事件だったということなのだろう。
万物の源というのは名前の通り、根源となる魔法なのだそうだ。魔法の基本的な出現形態は自然現象に準じて火、水、土、風、雷といったものがある。それらの魔法が発動するには魔力が必要だ。どんなにアフリートが強力な火の魔法の使い手だとしても、魔力がなくては火を出すことはできない。その魔力を何もないところから湧き出させるのが、万物の源なのだそうだ。
「魔法使いが万物の源を持っていれば、魔力切れを気にすることなく延々と魔法を使い続けることができるの。それと万物の源にはもう一つ、利点があるわ。それは火、水、風、土といった四大エレメントより上位に位置する魔法だということよ」
万物の源自体は、それだけで何かの魔法が発動するわけではない。ただ、万物の源が、例えば火の魔法とくっつけば、火の魔法をコントロールする主導権は、万物の源にある。
「神話の本編には出てこないの。全十巻のうち九巻の余録に収録されていて、いわばスピンオフのエピソード集なんだけど、そこで語られている話なのよ。万物の源を手に入れれば、栄養補給したり休息したりせずに魔法を使えるので、1000年前にはこれを巡って魔法使いたちが激しい争奪戦を繰り広げたらしいわ。伝説の魔法として記録されているの。あ、ちなみに神話の十巻は資料集なんだ。図録と統計表なのでみんなあまり読まないけど、これも実はすごく面白くてさ」
シャウナの話が止まらない。どうやらスイッチを入れてしまったみたいだ。でも、よかった。少し元気になったみたいだ。シャウナもそうだし、パインもアルアラムも、無事に元の生活に戻してやらないといけない。何しろ彼女たちは、普通の人なのだから。
だから青薔薇隊のアイシャから、マリシャとアフリートを切り離すための秘策は万物の源だと聞かされた時は、そう来たかと思った。うむ。アイシャにマリシャにシャウナ。似たような名前ばかりで間違えそうだけど、アイシャは西域によくある名前なので仕方がない。
それはともかく、万物の源とアフリートでは主導権は前者にあるわけだから、マリシャを手放すように指示できる。ただ、1000年前に存在した伝説の魔法を、今から探しに行くのか?気が遠くなるような話だ。そういえば、つみれが馬車で「アテがある」と言っていたけど、どこにあるのか知っているのだろうか。
「つみれさんもあんたも簡単にその名前を出すけど、どこにあるんだよ。すぐ見つけだせるようなものには思えないがな」
アイシャは不気味な女だ。ここに来た時から、つみれに並ぶ要注意人物だと思っていた。まず、ただならぬ魔力を持っている。器が見えない。絶え間なく魔力が流れ出しているように見える。普通、こんなことはない。これではあっという間に魔力が切れてしまう。
魔法使いは自分の器を鍛えて、こぼさないようにしている。それに、持っている魔力が一種類ではない。何種類かというか、何人か分を持っているように見える。これも珍しい。普段はテーブルのそばの椅子に座って本を読むかお茶を飲むか、さもなくば窓の外をボーッと見ている。しゃべらないし、表情も変えない。その点はトウマと似ているが、闇落ちしている気配はしない。つかみどころがない。そもそも人間なのか?
そんな彼女が突然、話しかけてきたので、みんな少し驚いた。
アイシャはしばらく黙っていた。こちらを向いているが、視線が合っていない。どこか宙空を見ている。ふと目に光が戻ってきて、視線が合った。くるっと身を翻すと、窓の外を指差して言った。
「あそこにあるわ」
立ち上がって窓の外を見る。トウマもシャウナもアルアラムも立ち上がった。アイシャが指差した先には、井戸があった。
「井戸の中にあるってこと?」
シャウナが聞く。アイシャはまた視線が合わなくなった。黙って椅子に腰掛けると、問いかけに答えなくなってしまった。
間もなくつみれがマルコを連れて戻ってきた。微妙な空気を察したのか「なんかあったんか?」と聞いてくれた。シャウナが、万物の源の話をアイシャがしたことを説明した。
「なんや、あとでゆっくり話そうかと思っていたんやけどな」
「この人、話している途中で電池が切れたみたいになっちゃって」
シャウナが困った顔で言う。つみれはアイシャをちらと見て、そうか!と言いたげに手をポンと叩いた。
「そういえば説明してへんかったな。アイシャは基本的にこんな感じなんや。目ぇ開けたまま寝ているっちゅうか。ちょっと変わった子やねん。時々、起きてしゃべるんよ。別に機嫌が悪くて黙っとるわけやないねん。せやから気にせんといてな」
夢遊病という寝たまま歩き回る病気があるが、似ている。魔力が回復したら、ちょっと診てやらないといけないかもしれない。
もう日が高いから、本格的に始動するのは明日にしよう。つみれはそう言いつつも、俺たちを井戸に連れて行った。
「アイシャは前世の記憶があるねん。それも一人や二人やない。前世のそのまた前世のそのまた前世のみたいな感じで1000年以上前の記憶を持っとるんや。それが日がな一日、頭の中に浮かんでくるんや。黙ってじっとしている時は、昔の記憶が蘇っている時。あまりにも多すぎて一日中、座って自分の記憶を見てるねん」
そうだったのか。全然想像できないけど、なんだか壮絶だな。
「あの子はどれくらい前の前世か知らんけど、1000年前に4人の魔族と戦ってんねん。その時に万物の源と接触したみたい。割と最近、思い出したんや。2カ月くらい前かな。それで、ここに来てん。この井戸の底に封印したっていうから」
つみれは手頃な石を拾い上げると「聞いとってや」と言って、井戸に投げ込んだ。コツン、コツンとぶつかる音がする。なかなか止まらない。どこかにぶつかり続けながら、音は消えていった。
「平たい底じゃないんだ」
シャウナが井戸をのぞき込んで言った。
「そうやねん。この井戸の底、階段になっててな。一度、潜って調べてん。その先にダンジョンがあるんやけど、問題があって」
つみれはそう言うと、俺の方を見てニヤニヤした。
「そこ、めちゃくちゃ狭いねん。少なくともベルナルドは入れへんかった」
なるほど。俺も無理っぽいという話だな。
万物の源は、そのダンジョンにあるらしい。つみれ一行は進入を試みたが、階段が狭くてベルナルドが入れなかった。つみれ、マルコ、エンツォは入れたが、マルコは弓矢使いで、エンツォも職種的には魔法使いで、前衛になりうるメンバーがいない。もし、強力な魔物と出会った場合、対処できない。その3人で進むのはリスクが高かった。
とはいえ、目の前に伝説の魔法があるわけで、自身も魔法使いであるつみれは執着した。魔族も嗅ぎつけたのか、ここ数週間はたびたび襲撃してきた。それに耐えつつ試行錯誤してきたそうだ。階段を壊して穴を広げて入ってはどうか。その策はダンジョンの入り口を破壊してしまいかねず、断念。サイズを小さくする魔法があって、ベルナルドを小さくしてダンジョンに持ち込むという策も考えた。だが、つみれもエンツォもそういう魔法は使えなかった。
魔族の襲撃は日に日に激しくなるし、一度撤退するか?と思っていたところに、トウマと再会した。トウマなら入れる。しかも、前衛にふさわしい戦闘力を持っている。
「入れるかどうか試してみるか?」
つみれの提案でどれくらいの狭さなのか、俺が試してみることにした。
「俺、しばらく風呂に入っていないぞ」
「大丈夫。ちゃんと沸かして飲むから」
ベルナルドは俺より少し大きい。とはいえ井戸のサイズを見るに、あまり期待できなかった。命綱をつけて壁面を降りていく。俺が手足を目一杯伸ばさなくても、井戸の両壁面に手が届いてしまう。すぐに水面に到達した。反転して潜れるだけの余裕はあった。井戸の底に向かって泳ぎ始める。不思議な水だ。飲んだ時には気付かなかったが、魔法の気配がする。神武院で会ったシャナの気配だ。
意外に深かった。底に着いて水面を見上げると、俺の背丈の3倍くらい水があった。底は踊り場のようになっていて、円形に階段が続いている。確かに狭い。井戸の底の4分の1くらいのサイズなので、入り口で早々に体がつかえてしまう。無理だ。
浮上して、引き上げてもらった。
「どうや?」
「ああ、無理だな」
ターバンを外してギュッと絞る。服も軽く絞っておけば、砂漠ではすぐに乾く。
「おっさん、見事な角、持っとるなあ」
俺の髪の間からのぞく角を見つけたのか、つみれがうれしそうに言った。
「ウチのも見せたろか」
「いや、いい」
末裔同士で魔族の名残を見せ合って、楽しいのだろうか。いらないと言ったのに、つみれはターバンを外して髪を解くと「ほらほら」と見せてきた。頭頂部と後頭部の間に、小さな角がある。そこを中心に髪をまとめているようだ。
末裔は魔族の血の濃さによって、身体的な特徴が出がちだ。角はその最たるもので、人間社会で暮らしている末裔は、あまり見せたがらない。そりゃそうだろう。人間らしくないからな。他にも牙があったり、体毛が濃かったり(パインはこのパターンだ)する。いずれもあまりうれしいものではない。
「よっしゃ。じゃあ、これで決まりや!」
つみれは髪をまとめて結びながら、みんなを見回した。
「明日、万物の源を取りに行く。メンバーはウチとトウマ、マルコ、それから」
「はい!」
大きな声とともにエンツォが手を上げた。
「違う。そこの姉ちゃんを連れていく」
つみれはシャウナを指差した。
「えっ!」
エンツォとシャウナが同時に驚いた声を上げた。
「親分、なぜ?」
エンツォはわざとらしく悲しげな表情をして、つみれにすり寄る。
「お前の魔法はダンジョンを破壊しかねないやんか」
「ええ〜っ、そんなぁ〜」
「潜っている間、地上を守っといて」
「親分と一緒じゃなきゃ、寂しい〜」
口では不満をこぼしているが、目は笑っている。こいつもよくわからない。人間にしては結構な魔力を持っていることはわかる。きちんと鍛錬したのだろう。だけど、どんな魔法を使うのか。守護者だから防御系と回復系なのだろうけど、ダンジョンを破壊しかねないって、どういうことだ?守護者のくせに魔法使いの部下になっているというのも、実に胡散臭い。