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第53話 アッシュールの戦い

 アッシュールでのトウマは、凄まじかった。


 「援護してくれ」というと、谷を駆け降りていった。たいまつを掲げて追いかける。夜目が効くからたいまつは要らないだろうし、援護といっても何の援護が必要なのだろう?と思っているうちに敵と接触した。


 オークだ。たくさんいる。皆、革製の鎧を身につけて、両手持ちの剣や斧で武装していた。上から見た時よりも、もっと多い。谷の中は小さな砂丘があちこちにあって、物陰が無数にある。そこに隠れていたのだろうか。


 トウマは躊躇しなかった。突然、駆け降りてきた人間に相手がびっくりしている間に、金槌を振るった。横面に叩き込んで、あっという間に2匹、倒した。さらに飛びかかって2匹。いずれも横面を、何のためらいもなく打ち抜いた。


 砂虫のように人間以外の生物が相手なら、まだわかる。だが、オークは頭があって腕と足が2本あり、形状は人間とそっくりだ。それをあっさりと表情も変えずに殺してしまうというのは、ちょっと神経を疑う。討伐隊にいたと聞いていたが、殺し慣れすぎている。


 オークはたくさんいすぎたせいで、逆にトウマ一人に浮足だった。これが1対3くらいなら立て直しやすいのだろうが、味方が多いと逆に混乱する。「いけ!」「逃げろ!」と口々にバラバラの指示が飛び、右往左往している間に次々にトウマの餌食になった。


 そばにたどり着いた時にはオークたちは散り散りに逃げ始めていて、もう援護は必要なかった。


 「もう一つ、奥に行くぞ」


 うなずいてたいまつを掲げると、キラリと光るものが目の端に入った。ドラゴンだ。夜中にこんなにキラキラ光るのは、ドラゴンしかいない。右の方を見ると、小さな砂丘の向こうに赤い頭がのぞいていた。


 「トウマ、ドラゴンがいる!」


 早くも砂丘を登り切っている。足の速い男だ。見晴らしのいい場所に出るのはまずい。と思っていたら早速、ゴオーッと耳障りな音がしてドラゴンブレスが襲いかかってきた。トウマは砂丘の谷間に身を隠して逃れる。這うようにしてそばに行くと「今の見たか?」と聞いてきた。


 見たとも。長い炎が吹き出ていた。ああいうブレスを吐くドラゴンは、次に吹くまで時間がかかる。逆に火の玉みたいなのを吐くヤツは、あまり時間差がなく連発してくることが多い。吐いた直後はチャンスだ。それを見極めるために、あえて火を吹かせようと見晴らしのいいところに自分の体をさらしたのか? そうだとすれば、イカれている。


 「もう一発吐かせて、その次で攻撃する。体の方を抑えておいてくれ」


 そういうと、また砂丘の高いところに登って行った。トウマとは別の方向に出ていく。目の前にオークがいたので、顔面を殴って気絶させておいた。ゴオーッ!あっちも先ほどは試していたのだろう。今度は結構、本気のブレスが来た。それを避けてトウマが走っていくのが見える。


 ドラゴンがトウマに気を取られている間に、死角に回り込んだ。そこまで大きくない。エントが初登場した時くらいの大きさだ。俺でも何とかなるだろう。遠目にトウマが見えた。チラリと視線が合った気がした。よし、行くぞ。走って一気に接近すると、胴体に組み付く。鱗が鋭くて皮膚に食い込んでくるが、刺さるほどではない。


 「捕まえた!」


 言い終わらないうちに、トウマが飛んでくるのが見えた。ドラゴンは火を吹けない。鋭い牙で迎撃しようと口を開けたところに、トウマの金槌が炸裂した。バキン! 牙にでも当たったのか、分厚いガラスが割れるような音がした後、もう一発、今度はガシャン!という衝撃音が聞こえて、トウマがゴロゴロと落ちてきた。ドラゴンの体から力が抜ける。


 「引き倒せ!」


 トウマも胴体に組み付く。その時だった。あいつの背中から、闇が吹き出したのは。黒い煙が、燃え上がるように吹き出した。人間とは思えない腕力で、トウマはドラゴンを押し倒した。すぐさま馬なりになると顎の下にもう一度、金槌を打ち込む。ドラゴンはそこに急所があるんだ。


 しかし、信じられない。神武官と末裔という、ちょっと人間離れしたコンビで相手も小さかったとはいえ、人間2人でドラゴンを倒してしまった。普通は5〜6人のパーティーで倒すものなのに。いやはや、驚いたよ。



 その後もトウマの戦いぶりは、目を見張るものだった。俺は医者だから、戦闘そのものに参加することは少ない。西部戦線は治療であちこち行って、すぐ横で戦っているのを見ていたこともあるけど、実際に自分も戦った経験というのは狼団にいた頃を除けば、ほとんどない。だから、余計にそう思うのかもしれない。


 まあすごかった。何が一番かって、ためらわないのがすごい。あっさり殺すからな。相手が魔族だから容赦しないということもあるのかもしれないけど、これが闇落ちした人間の力かと思ったよ。あと、疲れを知らない。集中力が落ちないんだ。戦場にいる間、スイッチが入りっぱなしという感じだった。終わった後の反動が心配だったよ。


 エントとアフリートが現れた時も、迷いがなかった。


 「行くぞ」


 そう言って、方向転換するわけだ。めちゃくちゃだ。オークの群れに囲まれていて、他のサラマンドルの兵士たちも入り乱れて大混戦になっているのに、突っ切ってアフリートに接触しようとした。止めても聞くヤツじゃない。最大限に援護するしかない。アフリートたちは谷の上からやってきたが、同時に谷底から再びドラゴンが出現した。今度のは俺が一人で組み付ける大きさではなかった。


 「谷底からドラゴンが来るぞ!」


 トウマだけではなく、他の兵士にも聞こえるように大声を出した。ドラゴンは首をもたげて狙いを定める。まずい。火を吹く前の態勢だ。トウマはどこだ。目で探しながら、南へと走る。パウ、パウという音がして、夜の闇を火球が切り裂いた。このドラゴンは弾丸タイプの炎を吐くヤツだ。ということは、連発する。


 「回避! 回避!」


 どこかで声がする。火球は地面に落ちると、油をぶちまけたように燃え広がった。直撃を免れても、近くにいれば大火傷しそうだ。


 トウマはオークの群れを切り裂いて、どんどん前へ進んでいた。オークたちはあいつがちょっと他の兵士とは違って、厄介な相手だと気がついたのだろう。立ち向かわずに、避けるようになっていた。その向こう側にアルバース本隊がいる。いや、いたはずだった。アルバースが自ららくだに乗って、周囲もらくだの騎馬(騎駱?)隊で固めて、戦況を見守っていたはずだった。


 だが、今、そこには焼けこげたらくだの死体しかない。ゴオーッと音がして、先ほどのドラゴンの炎とは比較にならないくらい大きな火柱が、砂の上を蛇のようにのたうち回った。アフリートだ。本隊を攻撃している。南に向かって逃げているのがアルバースたちだろうか。


 炎が夜の闇に溶けて消えると、今度はこちらに向かって火柱が襲いかかってきた。必死で谷底に向かって回避しながら、あとどれくらい防御魔法がもつかと考える。物理攻撃を多少受けただけだから、火柱一発くらいなら大丈夫だろう。けど、2発、3発と食らったら一瞬でおだぶつだ。接近する前にもう一度、魔法をかけた方がいい。


 谷底のドラゴンは青かった。夜の闇に溶け込むような色をしているので、思った以上に近づいたことに気づかなかった。まずい。逃げることに手一杯になり始めている。幸い、ドラゴンは俺のように単独で行動している兵士を狙っていないないようだった。隊列を組んでいる兵士に向かって、再び火球を吐いた。助かった。今のうちに合流だ。


 トウマは少し上がったところで、足止めを食っていた。いつの間にか谷の上の方にゴブリンの弓矢隊が回り込んでいた。


 「刺さったぞ。魔法が切れたのか?」


 そう言いながら左腕を見せてきた。刺さった矢を引き抜いたのか、二の腕の肉がえぐれて血が出ている。手を当てて高速呪文を唱える。とりあえず傷口をふさいでおかないと、雑菌が入ったりしたら大変なことだ。


 「もう一度、防御魔法をかけてくれ。マリシャに接触する」


 そういうだろうと思っていた。だが、上から弓矢隊が距離を詰めてくるので、ジッとしているわけにはいかない。弓矢隊と一緒にアフリートもこちらに降りてくる。火柱の攻撃も、弓矢並みの飛距離がある。


 「少し安全なところまで後退しないと」


 未練がましそうにしているトウマを引きずって谷底に避難した。エントとアフリートを知らないのか、それとも戦闘でハイになってしまったのか、よせばいいのにアルバースの兵士たちが剣を振り上げて挑みかかる。その度に、アフリートの火柱で焼き尽くされていた。


 いや、よく見ると焼き尽くしているのではなかった。火柱で捕まえて、食べているのだ。火柱に接触した人間から、魔力を吸い取っている。マリシャの口のサイズで人間の大人を咀嚼していたら、時間がかかって仕方がない。ああやって捕食した方が効率はいい。アフリートの左後方にエントがいる。こちらは人間を捕まえて頭からかじっている。腕に見える枝にも何人かの兵士を突き刺して、血を吸うようにして魔力を吸収していた。


 エントは神武院で見た時よりも小さかった。あの時は大木といった感じだった。魔力と水分を十分に吸収して大きくなっていたのだろう。だが、今は南方の村で見た時よりもずっと小さい。俺と同じくらいだ。しかし、あれだけ手当たり次第に人間を食っていれば、間もなくまた大きくなるに違いない。


 一方、アフリートは神武院で見た時とは比べ物にならなかった。両腕から直径が人の背丈ほどある火柱を放出して、四方の人間を次々に取り込んでいる。宙に浮いているのか、スーッと滑るように移動していた。スピードが速い。捕まえるのは骨が折れそうだ。


 トウマの背中に手を当てて、防御魔法をかける。魔力で全身を薄い膜で包むようにするので、完了させるまでに少し時間がほしかった。アフリートとエントの出現で俄然、勢いづいた魔族が盛り返してきて、その暇がない。ゴブリンの放つ矢を避け、ドラゴンやオークたちの攻撃を受け流しながら、接近を試みる。


 「トウマ、まだ防御魔法が完了していないから、ダメージを食らったら終わりだと思ってくれ」


 背中越しに声をかけると、急に立ち止まって「盾みたいに魔法を展開できないか?」と言った。できる。できるが、それで突っ込むつもりなのか? うなずくと「じゃあ、それで」と言って、また進み始めた。


 「マリシャー!」


 聞こえるだろうか。そもそもアフリートの中にいるマリシャに聞こえるのか。


 「一緒に呼んでくれ!」


 トウマが俺の腕を引いて言った。


 「マリシャ!」


 こっちを向け!と強く念じて声を上げた。


 「マリシャ!」


 「マリシャ!」


 どこかで「撤収!」という叫び声が聞こえる。怒号と悲鳴が飛び交う戦場に、野郎二人が女の子を呼ぶ声が響くのは、なんだか場違いな感じがした。だけど、チャンスだ。逃すわけにはいかない。


 「マリシャー!」


 名前を呼びながら、トウマは手にした金槌の一つをアフリートに投げつけた。おいおい、ぶつけてけがをさせたらどうするつもりだ? 金槌は正確にアフリートの後頭部に向かって飛んでいき、ぶつかる寸前でシュッという音を残して煙とともに蒸発した。


 あれのそばは、あんなに熱いのだ。トウマがもう一本を投げようと振りかぶったとき、アフリートが振り返った。マリシャだ。あらゆるものを焼き尽くしながら進撃している魔族とは思えない、かわいらしい少女がこちらを向いている。トウマが走り出す。防御魔法で盾を作る。透明なので、あいつにはたぶん見えていない。防御している範囲から飛び出さないでくれよと祈りながら、あとを追う。


 マリシャがスッと右手を払った。目の前がパッと明るくなる。まぶしくて目が潰れそうだ。同時に熱風が吹き付けてきて、皮膚がチリチリと焼けるのを感じた。フルパワーの防御魔法越しでこれか! トウマから焦げた匂いが立ち上る。吹き飛ばされないように踏ん張っても、押し返されそうだ。防御魔法の盾がビリビリと震えて、もうあまりもちそうもない。


 「トウマ、もうもたない!」


 視界が真っ白になって見えないので、たぶんこのあたりが耳元だろうと思われるところで叫びながら、手を伸ばした。肩に触れた。両肩をつかむと、横っ飛びに熱風から逃れた。なるほど。あの火柱を食らうと、まずこうやって視界を奪われるのか。それで戸惑っている間に焼き尽くされるなり、魔力を吸い取られる=食われるなりしているのだろう。


 トウマを捕まえたまま、斜面を転がり落ちた。早く視力が回復しないとまずい。目を見開いて、周囲を見渡す。視界の周辺部分から次第に暗くなって、徐々に見えるようになってきた。


 都合のいいことに、オークやゴブリンが待ち受けるところに落ちたわけではなかったようだ。小高い砂丘の下だった。この向こう側がアフリートらがいる主戦場のようだ。砂丘の向こうから火柱の赤い光が漏れ出していた。少し離れたところにトウマがいる。四つん這いになって、起き上がるところだった。


 「大丈夫か」


 そばに言って背中に手を置く。随分と熱いし、焦げ臭い。先ほどの魔法にやられたか。ゴホゴホと咳き込むと「治療してくれ」と言った。


 「どうするんだ。あの火力では近づくのは難しい」


 手を当てて、高速呪文を唱える。ん? 少し魔法が発動した手応えがあったが、すぐ消えてしまった。どうやら魔力を使い尽くしてしまったらしい。途中で止まったぞという顔をしてこっちを見ているので「魔力が切れてしまったみたいだ」と言った。


 2人で砂丘を上って、身を潜めながら様子をうかがった。アフリートはかなり谷底の方に行ってしまった。時々、パッと明るく火柱が上がるが、先ほど対峙したところからずっと下にいる。ほぼ谷底と言っていい。エントの姿が見えない。だが、おそらくそばにいる。周辺からオークやゴブリンがいなくなっていた。まだ視界が霞んでいるが、目を凝らしてよく見ると、アフリートに従うようにして谷底へと移動している。


 「追いかけるか?」


 声をかけてみる。さすがのトウマも徹夜で戦って疲れたのか、すぐに返事がなかった。しばらく火柱の行方を目で追ってから「行こう」と言って立ち上がった。


 「気をつけろ。残党がまだそこらにいるかもしれない。もう防御魔法の効果はないし、治療魔法も使えない。次にやられたら致命傷になる」


 こんなに説明しなくても、わかっているだろう。だけど、言っておかずにはいられなかった。また闇が背中から立ち上っている。もうトウマの体力は限界だ。だけど、闇が体を突き動かしている。反動が心配だ。命に関わるかもしれない。医者としては、すぐに休ませなければならないと思った。だけど、そんなこと聞くヤツじゃない。


 砂丘を越えて小さな谷を越え、再び谷底が見える場所まで上ると、もう火柱は見えなかった。魔族の気配がどんどん消えていく。トウマも気づいているはずだが、お構いなしに下っていく。おかしいぞ。死体がゴロゴロ転がっているはずなのに、まるで何もない。先ほどまでの争いが幻だったみたいだ。谷底に着いた。地面に岩盤が露出していた。足で砂を払うと、ゴツゴツとした岩が現れた。


 「消えた」


 トウマがつぶやいた。確かに消えたという表現がふさわしい。さっきまであんなにいたオークもゴブリンもドラゴンも、いない。もちろんアフリートとエントもだ。谷の逆側に上ったのだろうか? だが、それならここから姿が見えるはずだ。まるで谷底に吸い込まれたかのように消えた。トウマは地面にはいつくばって、岩盤をなで回している。


 「ダンジョンの入り口は、ない」


 なるほど。洞窟の入り口を探していたのか。ただ、相当に大きなダンジョンがなければ、あれだけの大軍が短時間で消えたりしない。まるで狐に化かされたみたいだった。だけど、この体の痛みが幻ではなかったことを物語っている。アフリートの炎で焼かれた皮膚はヒリヒリと痛んだ。布をしっかり巻いていてよかった。剥き出しだったら今頃、大火傷だ。


 谷の向こう側の砂丘から、朝日が昇ってきた。明るくなってきた谷底を見渡す。武器が落ちていた。剣や矢や、斧とか。もう死んでいると思われる魔族が、ちらほら見える。だが、夜間に見た数を思えば随分と少ない。


 「シャウナたちは無事かな。探しに行こう」


 マリシャをまた逃してしまった。だけど、まずは別れた仲間の安否を確認しないと。トウマは谷底の探索に執着するかと思っていたが、意外に素直にうなずいて、先に立って谷を昇っていった。

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