昼ごはんが終わると、またキャロルの猛烈しごき教室が始まる。今度は武術の練習だ。キャロルは爺さんに槍を習っていて、衛兵も一目置く腕前だった。「槍は剣よりも強し」と言って、槍の使い方を教えてくれた。
剣はテゾが教えてくれた。テゾはトリスタンにいた衛兵のリーダーだ。赤茶けた巻き毛と濃い髭が目立つ60歳くらいのおっさんで、昔は討伐隊に所属していたらしい。顔の老け具合に似合わず筋肉モリモリで、ラシッドをはじめ若者が多いトリスタンの兵士をまとめていた。
キャロルが「槍がいかに強力かを知るために、剣も習わなきゃダメだ」と言ってテゾに頼んでくれた。「教えられるほどの腕じゃないけどなあ」と言いながらも、基本的な両手持ちの剣の使い方を教えてくれた。
テゾはトリスタンに常駐している人間の中では最年長なのに、パインと一緒になってみんなにいたずらを仕掛ける、お茶目な面があった。大体、標的はキャロルだ。キャロルのバッグにガマガエルを忍ばせたり、キャロルのパンの中にカラシを仕込んだり、キャロルのブーツに栗のイガを入れたこともあったな。えっ、そんなことしているからキャロルにキツく当たられたんじゃないかって?そうかな…。そうかも。でも、キャロルは面白いくらいびっくりしてくれるから、いたずらのしがいがあるんだ。大体、その後はパインだけ捕まって、お尻をぶたれるんだけど。
キャロルの槍の稽古は本当にキツくて、基本的な構え方や突き方を習ったら、あとは実践あるのみだった。わかりやすく言えば、試合形式の練習ばかりしていた。本物の槍を使うと危ないから、棒の先に布を巻いた模造槍でするんだけど、毎日、めっちゃくちゃにやられた。叩かれて、突かれて、払われて。普段、パインに感じている不満をぶつけているんじゃないかと思うくらい叩きのめされた。
槍では敵わないから、テゾに剣で槍と戦う方法を聞いて練習した(「難しいこと聞くなあ」と困っていたけど)。おかげでどっちも上達した。パインは1年間でグンと背が伸びて、キャロルには槍では相変わらず敵わなかったけど、ラシッドたちとなら剣で打ち合えるようになった。宮廷に行ってもそれなりに自信が持てるくらいになれたのも、ここでキャロルにしごかれたおかげだと思う。
武術の稽古を終えて、休む間もなく晩ごはんの支度をして、食べ終えて後片付けも済ませると、やっとゆっくりできる時間だ。自分の部屋があったけど、お風呂に入った後は、毎晩のようにアレックスの部屋で本を読んでもらっていた。で、そのまま隣で寝た。
「かわいいパイン、おやすみなさい」
ほっぺにキスしてくれると、一日の疲れが吹っ飛ぶんだ。幸せがあふれてきて、アレックスの胸に顔を埋めて泥のように眠った。毎日、そんなことをしていたからキャロルがカリカリしていたんだと思う。だって、キャロルは小さい頃から侍女として仕えていたんだから、面白くなかったと思うよ。ご主人は後から来たふわふわとべったりなんだからね。
一度、「アレックスとベタベタしているのが気に入らないのか?」と聞いたことがある。昼ごはんの後片付けを終えて、午後の稽古に備えて食堂でひと休みしていた時だった。2人でテーブルに並んで座って、キャロルはオレンジを絞ったジュースのグラスを手にしていた。こちらをしばらく見つめた後、怖い顔をして「そんなこと、ない」と言ってあっちを向いてしまった。
でも、知っているんだ。アレックスがどんなにパインをかわいがっても、キャロルとの間にはそんなことでは揺るがないくらいの強い絆があったことを。アレックスが誰よりも頼りにしているのはキャロルだし、病弱なアレックスが熱を出そうものなら、寝ずにそばにいて看病するのはキャロルなんだ。パインの出る幕ではなかったよ。
王都に行ってから、2人がクラクフの数少ない生き残りであることを知った。クラクフが陥落したとき、王族と家臣団はお城の庭で一列に並ばされて、次々に処刑されたと聞いた。その場にアレックスとキャロルもいた。どんな思いで生き延びたのか、想像もつかない。アレックスがなぜ自分の故郷を攻め滅ぼした国の王様と結婚して、その子供を産んだのかも理解できなかった。
王都に行って、人間の子供がどうやって生まれるのかを知った後では、なおさら理解不能だった。トリスタンに行った時に「どうしてムスラファンの王様と結婚したのか」と聞いたことがある。アレックスは「王様がきちんと謝ってくださったからよ」と言って笑っていた。あなたの父ちゃんや母ちゃんを殺した国の人ですよ?
「そうね。いろいろな考え方があると思うわ。だけど、私は彼に罪の意識があるのならば、それを受け入れて前に進むべきだと思ったの。だって、憎んだり恨んだりしたまま塀の中で一生を終えたら、もったいないでしょう? 私たち生き残った者には、やらなきゃいけないことがあるはずよ。そのために生き残ったんだと思うわ」
わかったような、わからなかったような気がした。とにかくその時に思ったのは、アレックスはすげえ人だということだった。
1年間は、あっという間に過ぎた。しょっちゅうアルがトリスタンにやってきて、宿泊して行った。その時ばかりは午後のお勤めは免除されたので、庭で一緒に遊んだ。
虫を捕まえたり、テゾたちも連れて川で泳いだり、魚を釣ったりした。あの頃からアルはきれい好きで、汚れるのを嫌がった。虫や泥は嫌いだった。料理の腕が上達したところを見せてやろうと思って、釣った魚を目の前でさばいたら、逃げていった。2日たっても帰ろうとしないと、爺さんが馬を飛ばしてやってきて、連れて帰った。そんなにママに会いたいのかと思ったが、後で実はパインに会うために来ていたと知って、赤面した。
キサナドゥーに行くことが決まった日の前夜は、トリスタンの人が集まってお別れ会を開いてくれた。
「お別れ会じゃないの。パインの激励会なのよ。頑張ってねということだからね。いつでも帰ってきていいのよ。ここがあなたのおうちなんだから」
そう言ってアレックスが早々に泣き出してしまったので、パインも悲しくなって声を上げて泣いた。
「やれやれ、今生の別れというわけでもあるまいし」
テゾが苦笑いしている。普段よりちょっとごちそうを食べて、パインが好きだったはちみつドリンクを何杯も飲んで、ラシッドら衛兵たちにキサナドゥーに行っても頑張れよと励ましてもらって、勇気が湧いてきた。お風呂でアレックスに髪を洗ってもらって、夜はもちろん一緒に寝るつもりでベッドに入った。でも、食べ過ぎてしまったせいか、翌日からのことを考えてしまったせいか、なかなか眠れなくて夜中に食堂に降りた。
テーブルにキャロルがいた。後片付けを済ませてから、ずっとここにいたのだろうか。いや、パジャマに着替えているので、お風呂に入った後のようだ。灯りをつけていないが、窓から差し込む月明かりで横顔がよく見えた。
「どうしたの」
パインが入ってきたことに気がついて、椅子に座ったまま声をかけてきた。いつもと同じように、ぶっきらぼうな口調だった。
「水が飲みたくて」
コップを出して水瓶から水を汲んだ。立ったまま口をつけようとすると、キャロルが椅子を指差している。
「座って飲みなさい」
隣に腰掛けて水を飲んだ。
「体に気をつけるんだよ」
そう言いながら、キャロルはパインの髪をなでた。優しくされたのは初めてじゃないかって?実はそうでもないんだな。キャロルはちゃんとほめてくれる時はほめてくれるし、しょんぼりしていたら頭をなでてくれたりする。確かに厳しくてキツかったけど、優しい時もあった。お姉ちゃんってこんな感じなのかもしれない。
「キサナドゥーに行ったら、アルアラム様によくお仕えするんだよ」
そう言って少し微笑んだ。
「あたしね、昔、姫様に命を助けていただいたんだ。その時から、あたしはいつでも姫様のために命を捨てる覚悟で生きてきた。もちろん、今もそうだ。そういう経験がないあんたにわかるかどうかわからないけど、お仕えするということは、そういうことなんだ」
命を助けてもらったという話は、その時、初めて聞いた。
「ちょっと前まで、ここから少し北に行ったところにクラクフという国があったんだ。姫様とあたしは、そこの生き残りでね。みんな処刑されて、あとは姫様とあたしだけになった時、姫様が『私の命は差し出しますから、この子だけは助けてください』って、土下座してくれたんだ。一国の姫様がだよ」
キャロルは椅子に座り直すと、ふうと息をついた。
「そうして助けられた命が、あたしなんだ。だから、あたしは自分の命を姫様のために使う。あんたも、アルアラム様に命を捧げるような仕事をしなきゃダメだよ」
その時は、難しいことを言われていると感じた。まだ命のやりとりをするなんてことを知らなかったから、実感が湧かなかった。だけど、死ぬかもしれないという場面に直面して生き残った今なら、キャロルが伝えたかったことが、少しわかるような気がする。