目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第42話 パインはもっとお役立ちのはずだったのじゃ!

 「マリシャ」


 息を飲んだ。見間違えようがない。マリシャだった。マリシャが燃えている。全身が赤く発光して、かげろうのように輪郭が揺らめいている。テントの中にいて燃えたのだろうか? それならば早く火を消しに行かないと。そう思った瞬間、駆け出していた。


 「パイン!それはマリシャじゃない!」


 アルの声が聞こえたのは随分と後だった気がする。だけど、もう止まれなかった。マリシャ、助けにきたよ。やっと会えた。今、その火を消してあげる。遠かった。ようやく顔がはっきり見える距離まで来たあたりで、マリシャがスッと右手を差し出した。何だろう?と思った途端、炎で包まれていた。


 「うわあ、なんだ、これ?!」


 あまりの明るさに、びっくりして足が止まる。両手で頭を覆って炎を避けようとしたが、燃えていない自分に気がついた。オーキッドの防御魔法のおかげだろうか。顔を上げると、再びマリシャがこちらに向かって今度は左手を差し出したところだった。


 「パイン!」


 背後からシャウナがぶつかってきたのを感じた。ざあーっという耳障りな音がして、再び炎に包まれる。ここにきてやっとマリシャに攻撃されていることに気がついた。えっ、なんで?なんでマリシャがパインを攻撃しているの? 


 2度目の攻撃も致命的なダメージはなかった。とはいえ、顔の皮膚がチリチリと音を立てているし、熱いし、髪が燃えた匂いもしているし、ダメージは確かにあった。とっさに背後のシャウナを抱えて横っ飛びに逃げた。


 「アル!」


 名前を呼びながら、まずシャウナを斜面に放り投げた。ごめんね。でも、少しでも距離を取らないとまずい。ぐるっと見渡すと、同じことを考えていたのか、アルも斜面に飛び込んだところだった。2人で斜面を転がり落ちた。途中でシャウナにぶつかって止まった。


 「大丈夫?」


 「あれはね、マリシャじゃないの!今はアフリートなの!」


 怖い顔で叱られた。ああ、そうだ。すっかり忘れていた。みんなを危ない目に合わせてしまった。アルが駆け寄ってくる。見上げると、マリシャ…じゃなくってアフリートがこちらを見下ろしていた。


 「攻撃してくるぞ」


 アルが谷底に向かって後退する。ちょっと待って。そっちには魔族の部隊がいる。どれくらい距離があるのかわからないけど、あまり谷底に向かうのはよくない。アフリートはこちらを見ていたが、フッと南の方を向くと、アルバースの本隊がある方へと下り始めた。


 「よかった。こっちには興味がなくなったみたいだ」


 アルが胸をなで下ろす。


 「だけど、やっとマリシャと会えたのよ。呼びかけるチャンスだわ」


 シャウナは今にもマリシャの方に駆け出しそうだ。どうしよう。どうすればいい。判断を迫られて頭の中が真っ白になって、反応が遅れた。ヒュンヒュンと音がして、矢が飛んできた。


 「あっ!」


 右の背中に鋭い痛みが走る。防御魔法の効果が切れたのか?見ると、ゴブリンの群れが弓矢を手に斜面を上がってくるところだった。ゴブリンはさっきも言ったけど、オークほど好戦的ではない。だけど、金で雇われればこういう戦闘にも参加する。ただ、戦うこと自体はあまり好きではないので、形勢不利と見ればあっという間に逃げていく。


 厄介なのは、群れで行動するので数が多いということだ。こんな軽い矢なら1本や2本当たっても大したことないけど、そうだな…今は10数人いて、あの数で斉射されたら面倒だ。みんな一丁前に戦闘用の胸当てをつけて、武装している。茶色っぽい衣装で統一しているところを見ると、烏合の衆というわけではなく、ちゃんと組織された部隊のようだ。


 ゴブリンはこちらが3人しかいないことを確認して俄然、ヤル気になったのか、剣を抜いて押し寄せてきた。アフリートが行った方向に逃げるわけにはいかない。もうあの炎の魔法を防げる自信はなかった。とはいえ、北側は上り斜面で、あっちに逃げれば追いつかれてしまいそうだ。とりあえずここでゴブリンを迎撃するしかない。幸いなことに、あちらの剣はゴブリン用なので、パインの大剣の三分の一くらいの長さしかない。子供のおもちゃみたいだ。


 背負っていた大剣を抜いた。アルも腰に差していた片手持ちの剣を抜く。シャウナもガーディアンズスティックを構えた。ゴブリンたちは何やら叫びながら、めったやたらに剣を振り回してきた。全然なってない。当たる間合いじゃない。踏み込んで、峰打ちで2人なぎ倒した。グエッとか声を上げて倒れる。チョロいもんだ。


 返す刀でもう一撃と思ったところで、左の横っ腹に鋭い痛みを感じた。思わず「うっ」と声が出る。見ると至近距離から弓を放ったヤツがいた。しまった。剣ばかり見ていて、それ以外の攻撃への注意が散漫だった。痛みを我慢しながら、剣をなぎ払う。当たらなかった。弓を構えたヤツらは飛び下がって再び矢をつがえる。そっちに気を取られているうちに、右の股に剣の一撃を食らった。


 「パイン!」


 アルが駆け寄って、剣を振り回してゴブリンを追い散らす。飛んできた矢も叩き落としてくれた。だけど、まだ一人も殺せていない。アルも剣を振り回して追い払うばかりで、すばしっこいゴブリンたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていくと、またサッと集まってくる。


 腹に突き刺さった矢が邪魔だった。力任せに引っこ抜くと思った以上に血が吹き出して、左の股が濡れるのがわかった。アルを援護して剣を振る。峰打ちでもう1人倒した。砂虫と違って頭と手足があって、人間と似た姿をしている生き物を殺すことには抵抗があった。どうか、こちらが強いことに気づいて、早く退散してくれ。そう思った時、ゴブリンたちが何か口々に言って、後退し始めた。


 何だろう。シャウナが駆け寄ってきて、パインとアルの肘を引っ張る。恐怖の匂いがする。見ると、切羽詰まった表情をしていた。口を動かしているけど、声になっていない。何事だろう?とシャウナが見ている方向、パインの背後を振り返ると、斜面のてっぺんに人がいた。いや、よく見ると人じゃない。背が高く、長髪だ。だが、服を着ていない。体がおかしい。木の皮みたいなもので覆われていて、ところどころから枝のようなものが生えていた。


 「エント…」


 アルがつぶやいた。目を見開いて、ごくりと喉が鳴っている。この2人がこれだけ強い恐怖の匂いを発散させるのだから相当、怖い思いをさせられたに違いない。だが、エントは聞いていたほど大きくない。4階建ての建物くらいと聞いていたが今、目の前にいるのは少し背の高い人間くらいだ。ただの樹木の匂いに、東方の水の香りが混じっていた。


 「逃げよう、早く」


 シャウナが震える声で言いながら、ジリジリと後退する。アルを先に逃さないと。お腹の痛みはまだ耐えられる。一歩踏み出して、エントからアルが見えない位置に移動した。


 エントとはかなり距離があったはずだ。何しろアフリートから逃げるために、斜面を転げ落ちたのだから。エントは月明かりの中、フワッと浮くような足取りでこちらに踏み出した。剣を構え直したその時、槍のようなものが伸びてきた。何とか弾き返したものの、すごい力だ。ギャン!と大きな音がして、剣を握っていた手がビーンとしびれる。ちゃんと切らないと、吹っ飛ばされそうだ。


 次の攻撃に備えるために構え直したところで、左から強烈な一撃を食らった。1発目は槍っぽかった。だが、2発目は槍じゃない。木刀みたいなもので横殴りされたような感じだった。すごい衝撃で頭が真っ白になる。踏ん張って吹っ飛びそうになるのを我慢して、もう一度構え直そうとした。あれっ? なぜかものすごく剣が重い。それに左腕の感覚がない。



 「パイン!」


 シャウナの声でハッと我に帰った。目の前に構えている剣がある。右手は柄を握っている。左手も握っている…が、何かおかしかった。左手は柄を握ったまま、腕が地面に落ちていた。どうりで重いはずだ。いや、違う。パインの左腕がちぎれて落ちたのだ。それがわかった瞬間、サーッと血の気が引くのを感じた。


 まずい。気絶してはいけない。もう一撃来る。今、気絶したらみんなやられる。アルがパインの前に出て剣を振るって、何だかわからないけど、攻撃をはね返した。勢いでパインにぶつかって、2人とも背中からひっくり返る。頭が斜面の下側に向いていて、すぐに起き上がれない。アルが先に起き上がり、パインの横で膝立ちになった。緊張した表情で斜面の上を見ている。


 シャウナはどこだろう。あ、すぐ横にいた。パインの左腕を押さえている。出血がひどいのか、ベージュ色のマントの袖口が血で黒く染まっている。いいから2人とも早く逃げて。このままでは3人ともやられてしまう。気絶したらまずい。意識を失わないために、自分で自分のほおの内側に噛み付いた。痛い! 血の味が口いっぱいに広がる。こうすれば気絶しないって昔、聞いたことがあるんだけどな。だけど、嘘だ。痛い思いをしたのに、気絶してしまった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?