トウマによれば、たいまつ担当というのは夜の戦場でたいまつを掲げて、周辺の味方に灯りを提供する役割なのだそうだ。ただ、それは建前。砂漠の夜は明るい。月が出ていて目が慣れれば、たいまつなんかなくても敵は見える。そう、今夜は月が出るから本来、たいまつなんて要らない。
本当のところは、たいまつ担当は灯りを掲げて進むことで、あえて真っ先に敵から攻撃を受ける役割なのだ。そうすることで相手がどのあたりにいるのかはっきりとわかるし、運が良ければ相手を誘導することもできる。
危ないと思えばたいまつを投げ出して逃げればいいが、味方の勝利に貢献するには、できるだけ長い時間、たいまつを掲げて相手を引きつけて、味方の攻撃を有利にする必要がある。ある意味、勇気が試される役割だ。
「早々に逃げ出させて、アルアラムの評判を落とすつもりなんじゃないの?」
シャウナは面白くなさそうに言った。それが正解だと思う。アルバースにとって、パインたちはもともといなかったメンバーなのだ。どうでもいいところに配置してもいいのに、注目を浴びるところにしたあたりに「お前らにやれるかな?」という上から目線のいやらしさを感じる。
配置されたところは幸いなことに、北の端だった。とはいえ最前線だ。ここからたいまつを掲げて接近して、相手をおびき出す。待機場所は陣地から斜面をかなり下ったところで、峰と谷底の中間くらいの位置だった。日が沈みかけていて影になっていたが、谷底の方を見ると魔族であろう人影(魔影か?)が見え隠れしている。
オークというのは割とよくいる魔族で、見た目は大型の人間だ。身も蓋もない言い方をすれば、オーキッドとかパインみたいな…。ただ、同じ褐色でも肌の色が明らかに違うし、牙や角が生えている者もいるので、パッと見で魔族だとわかる。人の言葉を話すヤツもいるので、東方では人間との交流があるところもある。とはいえ、基本的に凶暴で力も桁外れに強い。少数ながら魔法を使う者もいる。
ゴブリンは逆に小型の魔族だ。人間の子供くらいのサイズで、すばしっこくてチームプレーがうまい。ただ、好戦的なオークと違って、基本的に性質は臆病なので、勢いを止めてしまえば怖くない。こいつらも牙や角を持っていて、見た目からして人間ではないとわかる。
ドラゴンは、簡単にいえばデカいトカゲだ。こいつらは炎を吐く。アフリートの炎ほどではないけど、接触したら人間なら普通に焼け死ぬくらいの威力がある。鋭い牙と爪を持っているので、噛まれたり引っ掻かれたりするとただでは済まない。毒を持っているのもいる。尻尾も強力だ。吹っ飛ばされたら最悪死ぬ。オークは生で見たことがあるけど、ドラゴンは話でしか知らない。パインの乏しい知識ではこれくらいしかわからない。あのへんで動いているのは、おそらくオークだろう。他にどんなのがいるのかな? イズマイルはトカゲ人間みたいなのがいると言っていたが、それもいるのだろうか。
ふと見ると、トウマの帯にハンマーが2本差してあった。触ってみると、鉄製っぽかった。触られたことに気がついたのか、こちらを向いたので「こんなので戦うのか?」と聞いた。トウマは小さくうなずいた。
「剣みたいに折れたり欠けたりしない割に殺傷能力が高いから、便利だぞ」
そしてオーキッドの袖を引くと「たいまつを持ってくれ。敵と接触する寸前で放棄していい」と言った。オーキッドも腰に普段は持ち歩いていない大きなナイフを差している。みんなに防御魔法をかけてくれた。
「結構、長い時間もつと思う。ただ、ダメージを受けると効果は薄れていく。矢くらいなら防いでくれると思うけど、剣で切り付けられたり、強力な魔法を食らったりしたら2、3発で効果がなくなると思ってくれ」
トウマとオーキッドはターバンを巻いて、首にもアルバース隊であることを示す白いマフラーを巻いていて、まるで兵士みたいだった。母ちゃんもこんな格好で砂漠で大暴れしていたのかと思うと、何だかジーンとした。
もうすぐ日が沈む。トウマがみんなを呼び集めた。額を寄せ合うと、言った。
「いいか。シャウナとアルとパインは絶対に戦わなくていい。いや、戦うな。逃げろ。北に向かって走って離脱したら、陣地に戻って移動手段を確保しておけ。後から合流するから。でも、俺たちが戻ってくる前に危ないと思ったら、迷わずにサラマンドルに向かって出発しろ」
分かったか?というように人差し指を立ててシャウナ、アル、パインと一人ずつ指差した。敵と一度も斬り合うことなく離脱するのは納得いかなかったが、そんな不満を口に出させない気迫があった。これが討伐隊で何度も実戦を経験している人なんだ。朝、恐ろしい暴行を目の当たりにして以来、ずっと元気が出ないパインとは大違いだ。待ち焦がれたはずの実戦の場なのに、ドキドキもワクワクもしない。逆に怖くてお腹が痛い。いざ敵が動き出した時に、ちゃんとアルを守って走れるかどうか、自信がなかった。
砂丘の向こう側に太陽が沈んだ。峰沿いに真っ赤な一筋の光を残したかと思うと、瞬きした直後に夜の闇が一気に空を覆った。ドーンと合図の太鼓の音がする。オーキッドが火種を使ってたいまつを灯した。槍くらいの長さの棒の先に付けられていて、これを掲げて進むのだ。
「よし、行け!」
トウマの合図でアル、シャウナ、パインの順番で駆け出した。斜面を北に向かって駆け上がり、戦場を離脱する。背後でガン!ガン!と弓矢隊が火矢を放つ音がした。アルバースの弓矢隊は、みんな強弓を使う。座って足を弓にかけ、両手で弦を引いて放つタイプで、やじりは巨大な鉄製だ。当たればオークでもただでは済まない。今はそこに油を染み込ませた布を巻いて火をつけ、相手に打ち込んでいる。当てることが目的ではない。相手の陣地を見やすくすることが目的だ。
ちらっと横目でみると、火矢が落ちた相手の陣地に、灰色のドラゴンらしき魔族がいるのが見えた。あちらはアルバース隊ほどの強弓がないのか、撃ち返してくる気配はない。それとも、近づいてくるのを待っているのだろうか?
それにしても、油の燃える匂いがすごい。鼻が効かなくなりそうだ。少し北に離れてから、斜面を上へと向かう。完全に戦場を斜め上から見渡せる位置まできた。手前の方にトウマとオーキッドらしき人影が見える。すでにたいまつを放棄したようだが、あの大きな人影は見間違えようがない。取り囲んでいるのはオークだろうか? 数が多い。助けに行かなくて大丈夫だろうか。と、思ったその時、2人のそばでブワッと炎が立ち上った。ドラゴンっぽいのがいる!
「大丈夫かな?」
思わず素の口調に戻ってしまった。
「2人を信じましょう。私たちが戻ったら、逆に足手まといになるかもしれないわ」
立ち止まっていると、シャウナに手を引かれた。戦場がこんなに怖いところだとは思わなかったし、自分にこんなに勇気がないとは思わなかった。魔族との戦争なんて、自分一人の力で終わらせてやると息巻いていたのが、嘘みたいだ。もう2度と言わない。
息を切らせて峰にたどり着いたところで、信じられない光景を目にした。アルバースの陣地が燃えている。たくさんあったテントが炎を上げていた。魔族がもう攻め寄せてきたのか? それとも別の部隊に背後を突かれたのか?
「まずいぞ、伏せろ」
アルに促されて、近くの窪地に隠れた。
「敵はどこだろう」
シャウナが周囲をうかがっている。下にいた魔族がここまで攻め上がってきているなら、彼らがいるはずなのに、誰もいない。
「あそこには水も食糧も馬もらくだもいた。このままでは全部なくなっちゃう」
シャウナが少し腰を上げる。テントが燃えている匂いがすごい。でも、油の匂いはしない。ということは、誰かが火をつけたのではなく、純粋にテントの布地や骨組みの木材が燃えているのだ。もう少しよく見えるように腰を浮かしたところで、急に炎の中から人影が現れた。