サラマンドルは大きなオアシスの周辺に作られた街だ。住宅や商店であふれていて、にぎわっている。これだけ多くの人がいるということが、ここの水源がいかに豊かであるかをよく表していると思うんだけど、どうだろう。
到着した時は夜中だったので、例によって料金を払ってキャンプ地に入り、馬車(らくだがひいているので駱車?)の荷台とその周辺にテントを張って寝た。アルが起きていれば夜中でも宿に入りたいと言っただろうが、幸いなことに眠っていたので、そのままにしておいた。ちなみにパインも隣で寝ていたので、サラマンドルに到着した時のことは全く覚えていない。翌朝起きたら前夜の当番だったトウマとシャウナが眠っていた。2人とオーキッドを留守番に残して、討伐隊の駐屯地に行ってみた。
このオアシスの水場は、街の北西にある。砂漠の水場の大きさはさまざまで、小さいものは井戸くらいだけど、ここはちょっとした池くらいの大きさがある。浅いところは底の赤茶色い岩盤が見えているが、中心部は深さが結構あるようで、水草が生えていることもあって、暗くて見えない。顔を洗っても拭くまでもなく乾いてしまうほど、めちゃくちゃ乾燥している砂漠だということを忘れさせてくれる光景だ。
駐屯地は水場のすぐそばに設営されていて、小規模な砦といった趣だった。ここは建物を造るための石材が少ないので、木材で骨組みを立て、そこに分厚い布を張り巡らせて壁にしている。簡単に分解して運搬したり、建て直したりできるのでオアシスにある駐屯地は大抵、こういう造りだ。ただ、ここは他で見かけないくらい大きい。2階建てで、屋上には見張りのやぐらが組んであり、オアシスに接近するヤツらをすぐに見つけられるようになっている。
アルがフードを取って門衛に身分を明かすと、すぐ室内に通された。分厚い布とはいえ、砂漠の強烈な日差しを全て遮断することはできない。屋根に近い明かり採りのスペースにも布がかけてあったが、それでも内部は十分に明るかった。
しばらくすると見覚えのある男がやってきた。砂漠の砂と同じ色のフード付きのゆったりした上着に、同じ色のゆったりとした7分丈のズボン。足元は皮のブーツの上にゲートルを巻いていた。砂漠の兵士の服装だ。胸板の厚いがっしりとした体。厳格そうな顔つきをした初老のこの男、アルバース兄の手下の一人だ。それに、昔はパインの近くにいたこともあるぞ。名前は例によって忘れた。
「イズマイル、久しぶりだ」
アルが腕を広げると、男は険しい表情をくしゃっと崩して笑顔になり、抱き合った。
「王子、お元気そうで何よりです」
ああ、そうそう。この男の名前、イズマイルだ。アルはアルバース兄のことは苦手だけど、イズマイルとは仲がいい。昔、アルの近習の一人だったからだ。アルバース兄が討伐隊の指揮官になった時に引き抜かれて、サラマンドルに赴任した。パインも宮廷に来たばかりの頃、世話になった。槍も剣術もできるし、書類の作成や客人対応もできる、なんでも屋さんだ。そう、ひと言で言えば、優秀な人だな。
でも、イズマイルが一番、得意なことは、料理なんだ。何を作ってもうまい。アルのいた宮殿では近習兼シェフという人が何人かいて、料理は彼らの輪番制だった。ランチ、ディナー、翌日の朝食までが一回の担当だ。
イズマイルが当番の時は、そりゃもう楽しみだった。焼き鳥が得意なんだ。焼き具合と塩加減が絶品で、ひと口噛めば肉汁がほとばしる。まぶしてあるスパイスも配合も絶妙で、他の人とは違って一工夫してある。それがまた食欲をそそるんだ。だから料理当番はみんなイズマイルに作り方を習っていた。ちなみに煮物も上手だ。パインはイズマイルの作る羊肉のトマト煮込みが大好きだった。
イズマイルはアルとパインのために、お茶を入れてくれた。
「パインも随分とお姉さんになったものだなあ」
覚えていてくれたのか。イズマイルが王宮にいた時には、パインはまだたくさんいる近習の一人に過ぎなかったのだけど。まあ、傍目から見たらそうだっただけで、心の深いところでは一番、アルと繋がっていたけどな。
久しぶりに口にした水以外の水分は、砂糖を入れていないのに甘く感じて本当に美味しかった。お菓子も出た。たぶん小麦粉かなんかをハチミツかなんかでこねて焼いたものだ。クッキーみたいだけど、もっとカリッと硬い。噛み締めると甘みが口いっぱいに広がって、幸福エキスが脳天から突き抜けそうだった。キサナドゥーにいた時には、こんなお菓子、普通に毎日のように食べていたはず。1カ月も食べていないと、ものすごく美味しく感じる。
お茶をごちそうになりながら、アルはこれまでの経緯を話した。エントたちを追ってきたけど、追い越したのか、それともまだ追いついていないのかが分からないこと。エントたちは必ずシェイドのところにいくだろうから、できれば先回りしたいこと。そのために、とりあえずサラマンドルまで来たこと。
イズマイルは黙ってうなずきながら聞いていたが、アルの話が終わると「王子、おそらくあなた方はその木の怪物を追い越していると思いますよ」と言った。そういえばイズマイルはアルのことを「王子」と呼ぶ。では、アルバース兄のことは、なんと呼んでいるのだろうな。同じく「王子」か?
近習を離れても、アルのことを「アルアラム様」とか言わずに王子と呼んでくれるのは、うれしい。それはともかく、サラマンドルは前線基地なので砂漠の情報が集まってくる。東の方には街道沿い以外にもオアシスがあって、中央高地で起きたような神隠し事件が起きているのだそうだ。
「たぶん、エントたちのしわざではないでしょうか」
シェイドのいる場所は分からないとも言った。「王子もご存知でしょうけど」と前置きして、いまだにここを中心に魔族と押したり引いたりという状況が続いていること、なかなか魔族を殲滅するに至っていないこと、次々に魔族が湧いてくるところを見るに、どこかにシェイドの本隊がいるのだろうけど、そこを突き止めるには至っていないことを教えてくれた。
「大きな声では言えませんが」とイズマイルはこちらに顔を寄せると「私が思うに、ここが人間の限界なのではないでしょうか。もう1000年もこんなことを繰り返しているのです。これ以上、先に進むには環境が厳しすぎます」と言った。
イズマイルは頭のいい人だから、ここで働いているうちに、わかっちゃったのだろう。1000年間も魔族を追っているのに、たかが王都から1カ月程度の距離までしか進めていない。実はここが「人間の限界」なんだ。これ以上、先に行くと水がなくなる(あるかもしれないけど、分からない)。食糧がなくなる。魔族と戦って兵士の数が減っても、すぐには補給できなくなる。だから、王都からの補給がとりあえず届くここが、これだけ多くの数の人間が行ける限界なんだ。
さらに西に行くには王都そのものを西へと移動させたらいいのだけど、キサナドゥーがある場所は水や食糧がふんだんに確保できる地域の西の端なので、それ以上、西に行くと王都そのものを維持できなくなってしまう。ここから先は魔族の世界で、人間が踏み込むことはできないんだ。
「それは僕も薄々気づいてはいたけど」
アルはイズマイルに同意した。
「でも、西の魔族を討伐するという名目でムスラファンは代々、西域を支配してきたわけだし、『実はそれはできないことでした』なんて今更、言えないだろ」
うん、そうだ。そういうことなんだ。だから、西の辺境地帯では、いまだに「ムスラファンの大義名分は嘘だ」と言って、支配に抵抗している小国や部族がいる。1000年も経てば、気づく人が出てきてもおかしくない。そいつらを黙らせるためにも、討伐隊をやめるわけにはいかない。
「バース兄さんはどう思っているの」
アルはアルバース兄のことをバースと呼ぶ。あんなヤツをそんなかわいらしい名前で呼ぶなと思うのだが、その辺が宮廷育ちのおぼっちゃまらしい。
「アルバース様は、ただ魔族と戦えればいいのです。大きな声では言えませんが、あのお方は戦(いくさ)狂いなだけなので」
また大きな声で言えないことが出てきた。アルバース兄は自慢話が大好きな唯我独尊野郎なので、イズマイルもなかなか意見したりはできないのだろう。その鬱憤を今、吐き出しているに違いない。
「私が悪口を言っていたって、言わなないでくださいね」
「言うわけないだろ」
で、肝心のアルバース兄はどこに行ったのかな?姿が見えないのでまだ寝ているのかと思ったら、イズマイルが「実は」とまた大きな声では言いにくそうに切り出した。2カ月ほど前から魔族の反撃が強力になってきたため、自ら部隊を率いて遠征しているのだという。危ないところに自ら飛び込みたがるのは、この兄弟の共通点かもしれない。
「私もここに来てもう十年ほどになりますが、こんなに押し寄せてくるのは初めてです。サラマンドルは比較的、安全な場所だと思っていたのですが、最近はこの近くにも結構な大軍が出没するようになって。ヤツらがここを奪って、本気で王都に侵攻を開始するつもりなのではないかと思うくらいです」
へえ、そうなんだ。それ以前はむしろ、こちらから討伐隊を派遣して、小競り合いをして、魔族が撤収するという感じだったらしい。
「以前は見かけるのはオークばかりだったのですが、珍しかったドラゴンが最近は出てくるようになって。それも、あまり見たことがないタイプが多いのです。オークの体にドラゴンの顔が乗っているというか。どちらかといえばトカゲ男ですね。そんな魔族が出没するようになってですね。ヤツらが火を吹くもので、文字通り手を焼いているのです」
サラッと駄洒落を言いやがった。だけど、面白そうじゃないか。母ちゃんから聞いていたドラゴンと、割と近いところで会えそうだ。
「とにかく一度、バース兄さんに会いたい。どの辺にいるのか教えてくれないか?」
そうだ。パインはあまり会いたくないけど、とりあえず先に進むしかないと思うぞ。