サラマンドルまで1カ月とサラッと言ったけど、まあいろいろなことがあった。
まず、とにかく退屈だったね。日中は日差しが強烈で、馬車から出られない。交代で御者台に座るのだけど、マントがなければ数分で干上がってしまうのではないかと思えるほどだった。まもなく「サラマンドルまで1カ月」と言われる理由がわかった。馬が暑さでバテてしまって、進まないんだ。トリア兄が北方の整備された道を素早く走るために用意した馬なので、砂漠向きではなかった。途中で何度も休憩しないといけないし、ただならぬ量の水を飲ませる必要もあった。数日で水代が恐ろしいことになると気がついて、盗賊に出会うリスクを承知で夜に移動することにした。
夕方に出発して、朝方にオアシスがあれば立ち寄り、なければ日差しを避けられるところで日が沈むのを待つ。日差しを避けるところがなければ?そうならないように気をつけてはいた。砂漠で遭難したくないからね。盗賊は基本的に夜に出る。日中は、何もない砂漠では遠くからでも発見されやすいからだ。夜ならば闇に潜んで接近できるし、何より暑くないので長時間、活動できる。日中は相手と戦闘に突入したら、相手以上に暑さが敵になる。こっちもそうだけど、盗賊側もリスクがあるんだ。夜は毒を持っている虫に出会うという危険性もあったけど、移動中はほとんど馬車から降りなかったので、刺されたりしたことはなかった。
馬はガブガブ水を飲むし、暑さでバテやすいので、途中でらくだに買い替えた。砂漠用の馬を買うという手もあったけど、らくだより数が少なくて高価だったので、比較的安く手に入るらくだにした。砂漠は基本的に売り手市場で、買う方はどこまで妥協するかがいい買い物をするための秘訣なんだけど、トリア兄からもらった立派な馬だけに、思ったよりいい値段で買ってもらえた。それにパインたちの馬車には王家のエンブレムがついていたから、これに乗っている人間相手にあこぎな商売をしたら、まずいと思ってくれたのかもしれない。
とにかく、6頭の馬を売って4頭のらくだを手に入れた。らくだは馬ほど速くは走れない。これも、サラマンドルまで1カ月の理由の一つだ。でも、らくだは一度、水をしっかり飲ませればその後、しばらく飲まなくても活動できるし、暑さでバテにくいので、馬に比べてお金がかからなくていい。お金はアルが無尽蔵に出してくれるだろうと思っていたら、トウマが断った。「王子という立場をいいように使うのは良くない」のだそうだ。格好つけてる場合かなあ。トウマはことあるごとに節約を主張したけど、アルは室内で眠りたいし、水やちゃんとした食事もしたがったから、そこはお金を出した。
ああ、そうそう。食事がどんどん粗末になるのは辛かった。砂漠は乾燥しているから、みずみずしいものがないんだ。主食は乾燥させたとうもろこしだよ。持ち運びが便利だし、砂漠で流通している穀物の中では一番、美味しいからね。水を加えて、煮て食べるんだ。果物とか野菜とかは基本的にない。乾燥させたというか乾燥した果物はあったけど、食べたら果汁が飛び散るようなもぎたては食べられない。キサナドゥーで普通に食べていたブドウやキウイが懐かしかった。
肉も基本的に干し肉だ。干し肉にしているんじゃない。乾燥しているから、解体して置いておくと干し肉になっちゃうんだ。そのままかじるか、あぶって食べる。だけど、アルは嫌がって、煮てシチューにしていた。よくトウマに水を無駄遣いするなと叱られていたけど、王子様の口には干し肉は合わないのかもしれない。
風呂に入れないのも辛かった。そもそも砂漠には風呂がない。体を洗いたい時は汲んできた水でタオルを濡らして、拭くんだ。頭も水で濡らしてゴシゴシするだけ。石けんを使うと洗い流すのにたくさんの水を使うから、砂漠では使っている人をほとんど見かけない。汚いなと思うかもしれないけど、砂漠はすごく乾燥しているから、汗をかいてもすぐに乾いてしまう。
夜はすごく寒くて、汗はかかない。つまり、体が汚れることが自体があまりない。いや、汚れてはいるんだろう。ただ、東方に行ったときみたいに汗臭くなって、自分が汚れていることを実感することが少なかった。逆に乾燥で、顔を中心にお肌がカピカピになる。それを防止するために油を塗る。これを洗い流したくないから、風呂は要らない。
だけど、アルは違った。うわごとのように「ああ、風呂に入りたい」と言って、宿舎に泊まることができた日は大きなたらいを借りてきて、水浴びをしていた。その姿を見ていると、小さい頃を思い出す。パインも村に住んでいた頃にはよくたらいで水浴びをした。ピレオラは川のそばにあって、南方にも近いから湿度も高くて、毎日汗だくになった。母ちゃんに洗ってもらった日々を思い出す。
そんなわけで、砂漠では昼夜逆転の日が多かった。昼間に寝て、夜に起きているというのにはなかなか馴染めなかった。御者台に座った翌日は午前中は眠っていたけど、そうでない時は荷台で寝ているので、昼間は目が冴えて眠れない。そういう時は留守番を残して狩りに出かけた。
狩りと言ってもウサギやネズミを捕るわけじゃない。砂虫というでかい魔物がいて、それを倒すんだ。砂の下を移動している大きな蛇みたいな生き物で、人間を襲って食う。口の部分だけで、人間の背丈くらいある。移動した跡は砂の表面に浮き出してくるので、見つけたら旅人は絶対に近寄らない。馬やらくだも食べてしまうからだ。
移動した跡の上に立って、地中に剣を突き立てる。コンコンと叩くと、感知した砂虫が地表まで出てくる。砂が盛り上がって、ドパッと口から登場するんだ。ボケッとしていると、そのまま丸呑みにされる。地中に住んでいる生き物なので目や鼻はない。細かい歯が並んだ大きな口と、その周囲に振動を感知する髭みたいな器官がビッシリ並んでいる。
ちなみに砂虫は食べられる。硬い甲羅をはぐとピンク色の肉が出てくる。これを乾燥する前に焼いて食べると、鶏肉に似た味がする。めちゃくちゃ美味しいわけではない。鶏肉よりも水分が少ない感じで、味も薄いから。だけど、砂漠では貴重なみずみずしい食材だ。だから、これを専門で狩る人もいる。一匹捕まえたら、たくさん肉が取れるからね。
簡単な狩り方としては、顔を出したところを大きな斧かなんかで叩き切る。ただ、それでは訓練にならない。砂を割って出てきたところを、飛びさがって逃げる。砂虫が追いかけてくるので、そこを剣で仕留めるというわけだ。獲物としては迫力があるし、失敗したらちょっとしたけがでは済まないという緊張感もあるので、実戦に備えてという意味ではちょうどよかった。まあ、パインは全く失敗しなかったけど。毎回、砂虫に一撃のチャンスをやった上で、ひらりとかわして叩き切ってやった。
砂虫の肉は一食分ずつに切り分けて、幌の上で干しておく。あっという間に干し肉の完成だ。オアシスであまり高くはなかったけど買い取ってくれたし、水代の足しになった。そういう作業はオーキッドが率先してやってくれた。シャウナとトウマもやったけど、アルは青い顔をして嫌がっていた。
オーキッドは大きな体に似合わず手先が器用で、幌を修理したり、らくだの手綱を手入れしたりと細かい作業をたくさんやってくれた。「俺は見た目以上に長生きしているので、いろいろなことをしたことがあるんだ」と言っていた。オーキッドは末裔だ。パインより背が高いんだもの。背中や肩が人間離れして大きいところも、魔族っぽい。身近な末裔といえば爺さんがいるが、このおっさんも魔族の血が濃い感じがする。パインが全然使えない魔法も使うくらいだから。
オーキッドとシャウナは、砂漠に出てからもずっと魔法の練習をしていた。オーキッドは地声は低いんだけど、魔法を唱えると、そんな声が出せるんか!と思わず突っ込みたくなるような高い声を出す。高速呪文というらしい。シャウナに教えてもらった。すごい速さで呪文を唱えているので、甲高い声のように聞こえる。必ず唱えなければいけないから、魔法が発動するのに時間がかかる。防御魔法は、攻撃されてから唱えていては間に合わない。
そこで、先に唱えて発動させた魔法を、維持できるように練習していた。物理攻撃から守る魔法は、旅に出た当初は3秒くらいしかもたなかったけど、そのうちに10秒くらい効果が続くようになった。それをかけてもらって砂虫に攻撃させてみた。噛まれても透明な鎧を着ているみたいで、全く痛くない。こりゃすごい!
攻撃魔法もシャウナの指導で使えるようになった。シャウナは接触しないと魔法が使えないので、アフリートの螺旋の炎みたいな飛び道具は扱えない。だけど、オーキッドは魔力を放出することができた。高速呪文を唱えてからという条件付きだけど、魔力を細く、矢のようにして指輪から打ち出した。結構、遠くまで飛んでいくし、威力もある。
ああ、指輪と言ったけど、オーキッドは男のくせに両手に指輪をいっぱいつけているんだ。なかなかお洒落だ。手首にはブレスレットもつけているし、耳にはピアスもあった。「治療したお礼にもらったものがほとんどなんだ。この右の人差し指のはな…」と、それぞれにまつわる話をしてくれた。
このおっさん、結構経験豊富な冒険者だ。いろいろなところに行っている。聞けば聞くほど、方々で人助けをしてきている。だけど、嫌味な感じはしない。ガッハッハと豪快に笑って、指輪をはめた大きな手でよく頭をなでてくれた。パインの頭をなでられる人なんて、そうそういないぞ。何しろそこらの男よりもよっぽど大きいからな。ああ、だけど、嫌じゃない。オーキッドは大きな体からは想像もつかないほど細やかな気遣いができる、パーティーの中では大人な人だった。ちなみに、爺さんと同じで長生きだった。
「生まれた年月が分からないから何歳なのか自分でも分からないけど、医者になってから80年くらい経ったので、百歳は超えているだろうな」
助けた子供の孫を診察したこともあるという。オーキッドは人間で言えば40〜50歳くらいに見える。パインはどうなのだろう。同じく末裔だから、長生きするのだろうか。アルはそのうち誰か妃を迎えて、父親になって、死ぬ。その時、パインが今のままの姿だったら、おかしくないか?一緒に年を取って、アルがおじいさんになったら、パインもおばあさんになりたい。若いまま、年取ったアルが死ぬのを見ることになるかもしれないと思うと、辛かった。長生きはしたい。アルよりも長生きして、ちゃんとお葬式を挙げて、盾としての役目を果たして死にたいと思う。