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第33話 王子という立場の難しさは理解しているつもりなのじゃ

 ゴライアスが出て行くのを待っていたかのように、入れ替わりにシャウナとトウマがやってきた。


 「私たち、マリシャを追いかけるよ」


 シャウナは言った。


 「後任の守護者を寄越してくれるように、イースに手紙を書いた。少し担当者がいなくなる期間ができるけど、王都にいる他の守護者にカバーしてもらうつもりだから」


 なんて頼もしいんだ。もう外は真っ暗になって、ロウソクの灯りがチラチラ揺れていた。そんななかで白く浮き上がるシャウナの背中は、カッコよかった。アルは何か言いたそうだったけど、何を言えばいいのかわからないといった表情でシャウナを見つめた。


 「俺も行くぞ」


 トウマも言った。


 「急ですまないが、そう言うわけで今日限りで仕事は辞めさせてもらう。今日までの給料をくれ」


 ああ、そうか。そういえば、トウマは日没都市を探す旅の費用を稼ぐために働いていたんだっけ。アルはこちらにも何か言いたそうだったけど、机の引き出しから帳簿を取り出すと、何やら計算してお金を数え始めた。


 「パインにも世話になったね」


 シャウナがこっちに向き直って言った。正直、世話をした覚えはないけど、こういうことがいえる人が、ちゃんとした大人なんだろう。立ち上がって歩み寄ると、ハグした。


 「あとから必ず追いかけるから」


 言いながら、なぜか感極まって涙が出そうになった。


 「わかった。でも、無理しないで」


 シャウナは優しい。温かな匂いが胸いっぱいに広がると、涙がポロポロとこぼれ落ちた。


 「お前はどうするんだ」


 トウマはアルから剥き出しのお札を受け取ると、聞いた。


 「ぼ、僕は…」


 アルはお札を渡した手を宙にさまよわせて、即答できなかった。あれ?僕も行くってすぐ言うかなと思っていたんだけど、爺さんの小言が効いたのかな。


 「以前に責任を取れと言ったけど、お前はたくさんの責任を背負っている。これ以上、無理強いはしない。好きにしろ」


 アルは王子だけど、どちらかといえば話しかけやすい雰囲気の持ち主だ。だから、みんな気さくに声をかける。だけど、ここまでずけずけいうヤツはあまりいない。たかが衛兵のくせに、なんて失礼な言い方だ。



 翌朝、学長室に行くと、アルがもう座っていた。無事に主人が戻ってきたことを喜ぶ近習に囲まれているが、浮かない表情だ。「もう本当に心配で心配で。王子が無事に戻ってきてくださって、本当に安心しました」「我らも後を追いたいとゴライアス様に申し出たのですが、許してもらえなくて」。イーサン、エドガー、ゴードン、ヤン…あと、誰だっけ。たくさんいるので覚えきれない。


 話しかけづらい空気だったので、学長室を後にして食堂へ行った。シャウナたちが食糧を詰め終えて、今まさに出発しようとしているところだった。ヴィルヘルムでトリア兄からもらった(借りたんじゃないのか)馬車を引き出しているが、それを使う許可はアルからもらったのだろうか。と思っていたら、シャウナが「勝手に使っちゃうけど、ごめんねってアルに伝えておいて」と言った。やっぱり言ってないのか。


 「必ず追っかけてきて。待ってる」


 シャウナはハグをしながら、ささやいた。昨夜は無理するなと言っていたけど、やっぱりパインのことをあてにしているんだなあ。ちょっとうれしくなっちゃった。うれしくてウルウルしていると、トウマが「そろそろ行くぞ」と声をかけてきた。デリカシーのないヤツだ。「街道を真っ直ぐ行くつもりだよ」。シャウナはそう言い残して荷台に上がった。馬車が動き出す。オーキッドとシャウナが手を振っている。角を曲がって、見えなくなるまで見送った。



 アルは追いかけるだろうか。行かなければ。パインだけでも行かないと。アルがダメだと言ったら?その時はどうしようと思いながら学長室に戻ると、先ほどとは一転、ガランとしていた。イーサンが処理済みの書類を箱に詰めていたので聞くと、ジョシュの家に行ったらしい。アルはお葬式に行っていないから、ご両親は喜ぶだろう。


 アルは昼前にゴードンとヤンと、あと何人かの近習と一緒に帰ってきた。げっそりしている。昼からはたまった手紙を読んだり、書類に目を通したり、王子が戻ってきたことを知って早速やってきたお客と会ったりと忙しそうにしていた。爺さんの言う通り、王子がいなくなると困る人はたくさんいる。そんな光景を見ていると、勝手に冒険に出たり、身に危険が降りかかるようなところに行ってはいけないのだと、改めて感じた。これは、パイン一人で行かなければならない可能性が高い。そう思って午後は準備に時間を割いた。



 夕方遅く、学長室に行ってみた。やっと一段落したのか、アルが一人で明かりもつけずに窓から外を見ていた。学長室は3階にあって、大学の中庭が一望できる。白い石畳の中に大小の花壇があり、さまざまな植物を育てている。とても砂漠の国とは思えない緑豊かな庭だ。周囲を校舎で囲まれた中庭は、夜の闇に覆われつつあった。対面の校舎の向こうにキサナドゥーの街並みがあり、さらに遠くには砂漠が見える。


 「アル」


 部屋に入っても何も言わずに外を見たままなので、声をかけてみた。体の向きを変えてチラッとこちらを見ただけで、また窓の方を向いてしまった。知っているぞ。これは、すねている時の仕草だ。本当はマリシャを追いかけたいのに、ここにいなければならないから、すねているんだろう。


 一応、行かないの?と聞いた方がいいのだろうか。何となく雰囲気は、行かなさそうな感じだ。ただ、こういう時にこっちから声をかけても、ろくな返事をしないこともよく知っている。だから、自分から話しだすのを待とう。そう思ってロウソクに火をつけ始めた。いつになったらしゃべり始めるかなと思っていたら、つけ終わるまでひと言も口をきかなかった。


 火をつけ終わって戻ってくると、やっとアルがしゃべり始めた。


 「どうしたらいいと思う?」


 そんなことパインに聞かなくても自分が一番、わかっているはずだ。アルがこう聞く時には、自分の中ではどうしたいかは大体、決まっているのだ。一歩踏み出す勇気がないから、聞いているだけなんだ。いちいち面倒だなと思うけど、主人なので仕方がない。付き合ってやろう。


 「アルはどうしたいのじゃ?」


 アルは深いため息をついて「マリシャを探しに行かなきゃ」と言った。


 「だけど、ここでやらなきゃいけないこともいっぱいある」


 そう言って窓枠に手を添えた。男子とは思えない、きれいな手だ。白くて細くて長くて、力強さを全く感じない。だけど剣を握ったら意外にイケる。その落差がたまらない。


 「きょう、ジョシュの家に行ってきた」


 知ってる。連れてってくれなかっただろ。まあ、パインを連れて行ったら、また大泣きして、ゆっくりとご両親とお話しすることができなかっただろうな。だから、その判断は間違っちゃいない。ただ、行く前にはパインにひと言、声をかけてほしかったぞ。「留守を頼む」ってな。


 ジョシュのご両親は、アルが無事に帰ってきたことをとても喜んでくれたのだそうだ。自分の息子が死んで、その主人はどこかに飛び出して行って、これで主人も死んでしまったら近習の親として国王に顔向けできないという。アルは申し訳なくて、ただただ頭を下げることしかできなかった。でも、ジョシュの親は「王子が無事にお戻りになられただけで、われわれは十分です」と言ってくれたのだそうだ。


 腹の底ではこの野郎と思っていても相手は王子だし、そんなこと言えないよね。アルはジョシュが死んだ時、悲しいではなく、怖いと思ったのだと言った。本当なら何年も自分に仕えてくれた若者が死んだのだから深い悲しみを感じなければいけないのに、ひしゃげた死体を見て恐ろしいと感じたんだと言った。


 パインにはそんな経験がないので、わかるともわからないとも言えない。だけど、怖がりできれい好きのアルなら、そう感じるのはやむ得ないと思う。それをもって「自分は人でなしだ」と言うのは、自分を責めすぎだろう。ジョシュの話をひとしきりした後、アルは「僕が死んでしまったら、あとはどうなるんだろうな」とつぶやいた。


 ハッとした。そんなことを考えていたのか。いつもそばに仕えている者として、そんなことを考えさせてしまうなんて失格だ。この美しい王子様には、いつも前を向いていてほしい。自分が死ぬ時のことなんて、考えないでほしい。いつまでも生きて、笑っていてほしかった。


 そもそもアルが死ぬということは、パインが盾としての役割を果たせなかったということだ。さもなくば、パインも一緒に死んでいるか。前者は問題外だ。アルが死んで、パインが生き残っているという選択肢はない。パインも一緒に死ななきゃいけない。後者は最悪の場合、あり。ただし、パインにとっては名誉なことじゃない。どうせ死ぬなら、アルを守って死にたい。


 アルはキサナドゥーに戻ってきて、改めて自分が簡単には死ぬことができない人間だということを実感したのだろう。そして、トウマたちと命がけの追跡行をしてきたからこそ、もう一度、マリシャを追う旅に出れば、命を落とす可能性があるということもよくわかっていた。冷静に天秤にかければ、残った方がいい。


 「日々の仕事を淡々とやっている間に『マリシャを救出しました』という知らせを受けるのが一番、楽なんだろうな」


 夜の闇が中庭を覆い、校舎の向こうの街並みにも明かりが灯り始めた。


 「その通りじゃ。マリシャは、ワシが探しに行ってくる。アルはここで待っておれ。アルは死んではいけない人じゃ」


 背後からアルを抱きしめた。悲しい匂いがする。本当は一緒に剣を手にして、マリシャを追いかけたいんだ。その気持ちは痛いほどわかる。アルはパインの腕にきれいな手を添えた。その手が血で汚れたり、傷ついたりする必要はない。ここに王子の盾がおります。危ない仕事はパインが全部引き受けます。

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