シャウナは何年か前から大学周辺を担当している守護者だ。賢い人だよ。いろいろなことを知っているし、話がわかりやすいな。美人で明るくて、周囲にたくさん人が集まってくるタイプだ。
大学で雇われているけど、これと言って担当している仕事があるわけではない(実際にはあれこれ監視するのが仕事みたいだけど)ので、割と暇そうにしていることが多い。そのせいもあって、いつも誰かそばにいて、話を聞いてあげたり、相談に乗ってあげたりしている。パインも、あんな頼り甲斐のあるお姉さんになりたいと思っていた。
トウマはシャウナが連れてきた人だ。ほとんどしゃべらなくて何を考えているのかわからないけど、匂いが独特で、いつもすごく悲しい感じだ。なぜ悲しんでいるのかよくわからないけど、楽しい匂いがあまりしない。マリシャと一緒にいるときは少しだけ楽しんでいる匂いがする。なんなんだろうね。あんなに年の離れた女の子が好みなのかな。ちょっとヤバくない?
それはともかく、この時まではこんなに有無を言わせない人だとは知らなかったよ。それまで黙っていたトウマは「そうだな、一度、キサナドゥーに帰ろう」と言った。強い決意の匂いがした。反抗しても絶対に意思が変わらないと思ったので、とりあえず言うことを聞いておこうと思った。そもそもこの装備ではマリシャを追えないし、馬もどこかへ行ってしまったし。帰って態勢を整えて、再出発しよう。たぶん、シャウナもトウマもそのつもりだ。あと、このオーキッドというおっさんも。
神武院をその日の午後に発つことになった。急な出発だったみたいで、見送りに来た人の多くが驚いていて、名残惜しそうだった。こういうことはちゃんと先に言っておいた方がいいと思うぞ。みんな心構えというものがあるからな。パインなら3日前には言って、前夜はお別れパーティーをするな。
知らなかったけど、ここはトウマの故郷だった。きょうだいがいることも知らなかった。なんとかという兄ちゃんと、なんとかという妹も見送りに来ていた。いや、ごめん。名前を覚えるのは得意じゃない。覚える気もあまりなかったし…。さっきも言ったけど、パインはあまり頭がいい方じゃないから。違う、バカじゃない。賢くないだけだ。なんてこと言うんだ。もう少しリスペクトしてほしいな。
お別れは感動的だったよ。妹さんが泣いちゃってさ。トウマをハグして「必ず帰ってきて」って言うなり、ボロボロって。そばで見ていて、一緒に泣いちゃった。兄ちゃんが「死ぬなよ」って言うのを聞いて、我慢できずに声を上げて泣いちゃった。いや、ごめん…ちょっとだけ人より涙もろいんだ。よくアルに「泣き出したら止まらない」と言われるんだけど、仕方ないだろ。感受性が豊かなんだ。
トウマと妹さんが驚いた顔をしてこっちを見ていてすごく恥ずかしかったけど、泣き出したら止まらないんだから仕方ない。気がついたら、パインが妹さんと抱き合って泣いていたよ。トウマは先に馬車に乗っちゃってるし、一体何やってるんだろう。恥ずかしい。
一夜目は野営になった。5人で入るにはテントが狭かったので、オーキッドは馬車の荷台で寝た。パインも外で毛布にくるまって寝ることにした。寝相があまり良くないから、アルを蹴って、けがをさせてしまったら大変だからね。火の番はトウマがやると言ったけど、みんなすぐには眠れないみたいで、焚き火の周りに集まっていろいろな話をした。主に、どうやってマリシャを助けるかという話だった。
「だいぶ離されただろうな」
口火を切ったのはオーキッドだ。
「遅れたのは1週間くらいかな。彼ら、どこまで行っただろう」
シャウナの話によれば、エントという魔族は体が大きくて、移動するスピードもかなりのものがあるのだそうだ。
「シェイドがどこにいるのか、わかるのかな? シャナがどこにいるのか、たぶんあの2人は知らなかったはずだ。どうやってわかったんだろう?」
「神話を読んだんじゃないか」
アル、そんなわけないだろ。もちろんジョークだってわかるよ。でも、笑えない。
「魔力を追って行ったというのが、妥当なところだろうな」
オーキッドは魔法使いだ。医者だと言っているけど、マリシャとよく似たお香の匂いがする。
「魔力は匂いと同じで、痕跡が残るからな。あれだけ強い魔力の持ち主なんだ。1000年たっても感知できただろう」
パインは魔力のことはわからないけど、匂いのことならわかるぞ。確かに山ひとつ隔てたくらいなら、知っている匂いなら追跡できる。魔力もそんなもんなのだろうか。
「匂いを追って行けばいいというのなら、パインにおまかせじゃ」
マリシャの匂いは独特だ。他にない匂いの持ち主だから、それを追っていけばいい。
「アフリートと一体化してしまったから、以前とは変わっているかもしれない」
シャウナの言葉を最後に、みんな黙り込んでしまった。シェイドがいるのは西の方だということはざっくりとわかっていても、エントたちがどんなルートで向かっているのかはわからない。
そもそも西のどこにシェイドはいるのだろう。じっとしていないかもしれないし、今でも世界の果てに向かって移動しているかもしれない。もしそうなら、パインたちも1000年間、西に進み続けないと追いつかないぞ。
トウマは薪を使って、焚き火の形を器用に整えた。野営慣れしている。火を起こすところから、やたら上手だった。そういう特技があるのも知らなかったな。火の粉がフワッと舞い上がって、火勢が強くなる。
「魔力や匂いを追う必要はない。ヤツらは絶対に痕跡を残す」
妙案があるみたいな言い方だった。
「アフリートは最後、魔力切れを起こしていた。人間を食べていなかったんだろう。エントもあれだけ大きくなれば、魔力を補給するために人間を食べる必要がある。どこかで人間を襲う。襲ったところを調べて追っていけばいい」
なるほど。
「だ、だけど」
アルが口を挟んだ。
「僕たちとしては、できれば彼らが人間を襲う前に阻止したい。黙って見ているわけにはいかない。襲われた集落を追いかけて行くなんて、ちょっとひどくない?」
確かにそうだ。アルは王子様らしい、いいことを言う。
「何の目印もないものを追って行くのは至難の業だぞ」
トウマが切り返した。アルが心配したところで今頃、どこかの村が襲われて、人間が食われているかもしれない。どこにいるかわからないのに、どこの集落を襲うかを事前に察知して先回りするのは、ちょっと難しいと思うぞ。パインはアルの味方だけどな。
アルは膝を抱えて「キサナドゥーを襲ったりしないだろうか」と不安そうに言った。それはあるな。あそこは人がいっぱいいるから、食うものには困らない。ただ、兵士もいっぱいいるから、魔族も覚悟して入ってこないといけないだろう。「それはないな」とオーキッドも言った。
「都にはたくさん衛兵がいる。人を襲えば反撃必至だ。食事という意味ではリスクが大きすぎる。単に人をたくさん殺したいなら、襲うかもしれないがな」
パインが魔族でもやらない。捕まって逆に殺されてしまうだろう。
「小さな集落を襲いながら西に向かうのが、現実的だろうね。今までは森の中だったので、エントは目立たなかった。昼間にじっとしていれば、自分を守るための魔力は蓄えることができた。だけど、今はアフリートがいる。この前みたいに、エントがアフリートを守らなきゃいけない場面もあるはずよ。ともに継続的に魔力を補充しないといけないだろうし、そうしながら進むとなれば、それほどスピードが出るとは思えない」
シャウナは魔族のことをよく知っている。
「理想は、どこか砂漠の最中で出会うことだ。水がないから、エントはシャナを連れているとはいえ、無理はできない。人間も少なくて栄養補給できないだろうから、アフリートも神武院の時ほど大暴れしないはずだ。そこを叩く」
トウマが後を継いだ。そんな好都合よくいくかな? パインなら砂漠のど真ん中は通らずに、人間が通るところを進むぞ。だって、人間と出会う機会が多いからな。