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第27話 敗者は忙しい

 オーキッドの治療魔法はすごかった。目覚めて2日目で自力で起き上がれるようになった。鏡を見てみると確かにひどい顔だ。あちこちに赤いあざが残っているし、何より髪が中途半端に燃えてしまって、ただでさえ巻き毛でまとまりにくいのに、ボサボサでめちゃくちゃだ。誰か切ってくれないかな。


 外から子供たちの元気のいい声がする。エント襲来で、多くの神武官が死んだことを彼らも知っているはずだ。よく無邪気にはしゃいでいられるな。


 玄関の引き戸を開けると、すぐ右手でトウマが雫に髪を切ってもらっていた。えっ、ちょっと待って。確かあの時、脇腹にエントの腕が突き刺さってたよね。死んだと思ったんだけど。なぜ、私より先に起き出しているの?一瞬、どう声をかけていいかわからなくなった。固まっていると、向こうも気がついて、チラリとこっちを見た。何も言わない。なんか言えよ、大丈夫か?とか、もういいのか?とか。代わりに、雫が声をかけてきた。


 「もう起きても大丈夫なの?」


 それだよ。そういう優しい言葉をかけられるようにならないと、友達は増えないぞ。あんたは友達なんか要らないと思っているかもしれないけど。


 「ありがとう。まだあちこちヒリヒリするけど」


 そう言って、まだ自分の声がガラガラなことに気がついた。しゃべると肺まで響く。まだ完調には程遠い。小さく咳払いをしてから「リュウは?」と聞いた。


 「大丈夫、生きてるよ。今、後始末に奔走してる。と言っても、走り回っているのは子供たちだけどね」


 そうなんだ。確かに泉の周りには死体がたくさんあるだろうし、木や柵が倒れてめちゃくちゃになっているだろう。埋葬しないといけないし、倒木も取り除かないといけない。


 「力仕事ができる子供たちは、みんな泉に行っちゃった。今、残っているのは、まだ何もわからないチビばっか。だから、こんなににぎやかなんだ」


 雫は再びトウマの散髪に取り掛かりながら言った。よく見ると、トウマの火傷もひどい。赤むけだらけだ。散髪中で大きなエプロンを着けていて体は見えないが、首から顔にかけて火傷の跡が痛々しかった。髪も燃えたのだろう、雫が短く切りそろえていた。終わったら、私の髪も切ってくれないかというと、雫は快く「いいよ」と言った。今まで怒った顔しか見たことがなかったが、笑うと目尻が下がってかわいい。



 夕方になってリュウとオーキッド、そしてアルアラムも帰ってきた。アルアラムも手伝いに行っていたのか。感心、感心。「どうだった?」。かすれ声で聞くと「いつまでたっても死体を見ることには慣れない」とげっそりした顔で言った。そうか、死体処理をしているのか。それはヘビーだろう。特に普段、死体を見慣れていない王子様ならば、なおさらだ。


 泉は干上がってしまったらしい。やはりエントがシャナを持っていってしまったのだ。泉が消滅すると、一夜にして周囲の下草が枯れてしまった。さらにもう一夜明けると、アフリートが焼いた森も朽ち果ててしまったという。「いかに泉がこの辺りの緑を支えていたのか、よくわかったよ」とリュウは言った。


 この辺りだけではないのではないか。1000年前、シャナがこの地に根付いて以降、東方の山々は緑で覆われ、侵略する森となって周辺へ拡大していった。ずっと先の森まで、おそらくシャナの魔力は影響している。戻ってきたいという気持ちがわかる。ここは彼女が耕した土地なのだ。


 リュウは「このままどんどん枯れてしまって、作物が取れなくなったら困るな」と言っていたが、その予測もあながち外れてはいないだろう。飲み水さえ確保できなくなるかもしれない。オーキッドが「食事の前に」と私とトウマの治療を始めた。神武官は自分で薬草を採取して薬を作るそうだ。魔法は使わないので、オーキッドの治療風景は珍しいらしい。いつもこの時間にやっていたのか、治療が始まると見物人が次々にやってきた。


 「見せていいと言った覚えはないんだけど」


 一応、抗議してみた。


 「いいだろう、減るものでもないし。それに、みんな勉強になると言って喜んでいる」


 こんなものを見て、勉強になるの? 私でも文献でしか読んだことがない、古代の魔法だぞ。魔法とは縁もゆかりもない神武官たちが、使えるようになるとは思わないが。



 翌日、早くもトウマが「いつ出発しようか」と言い出した。


 「出発するって、どこへ?」


 アルアラムが不安げな表情で聞いた。そんなのわかっているだろう。次はシェイドのところだ。つまり、西の果て。王子様もわかっていて聞いたのだと思う。誰も聞かないから一応、聞いとくかみたいな感じで。


 「シェイドのところだよ」


 トウマは当たり前のことを聞くなとでもいいたげに答えた。


 「いや、そうはいうけど、まだシェイドは西の砂漠で逃亡中なんでしょう? もう1000年も逃げ続けているのに、今から追いかけて追いつくの?」


 確かにアルアラムの言う通りだ。1000年も逃げ続けたヤツは、それはもう遠い遠いところにいるはずで、世界の果てに到着していても不思議ではない。仮に世界の果てに着いていたとして、シェイドがそこで何を見つけたのか知らないが、帰ってこないということは、よほどそこが気に入って住み着いたのか、そこで死んだかのどちらかだ。たどり着かなかったということは、考えにくい。


 「1000年経っても、他の3人はこうして生きている。シェイドも生きているはずだ。ヤツらはシェイドのところに行くだろう」


 人間なら1000年生きることはまずないが、魔族はそうじゃない。トウマの言う通り、シェイドもどこかで生きている可能性は高い。ここでこれだけ足止めを食った以上、次は先回りはできない。エントたちの足跡を追って行くしかない。


 「ちょっと待って」


 珍しくアルアラムが簡単に引き下がらない。


 「闇雲に追いかけても、こんな広い大陸では、よほど運がよくなければ遭遇することはできないよ。実はイースを出る時に、ゴライアスに手紙を書いた。何か知恵を貸してくれるはずだよ。神武院に向かうと伝えてあるので、ここに返事が来るかもしれない。いや、来る。トウマもシャウナも、まだけがが治っていないんだ。返事を待ちがてら、ここでもう少し静養しようよ」


 現実的な提案だ。というか、ゴリーさんのことをすっかり忘れていた。自分たちでなんとかしないとと必死になって、よほどいろいろ知っていそうな人のことを忘れていた。確かにそれはいいプランだ。トウマを見ると、あまりいい顔はしていなかった。一刻も早く出発したそうだった。


 「そうだよ、トウマ。まだ十分に食べられるほど、回復していないんだ。もう少しここにいなよ」


 雫が後押ししてくれた。いい人が声を上げてくれた。この2日間、この2人を観察していたけど、トウマは雫の言うことに弱い。ほれ、優しく背中をなでられて、なんだか大人しくなってきたぞ。もう断れないだろうと思って見ていたら、やはり「そうだな」と言って目を伏せた。



 とは言ったものの、トウマはゆっくりとはしていなかった。翌日から泉の後片付けに参加して、帰りには例の運動場でオーキッドを相手に稽古を始めた。


 「ルールは鬼ごっこだ。知ってるよな?」


 夕方に見にいってみると、いい大人が汗だくになって鬼ごっこをしていた。作業から帰ってきた子供たちも参加して、十数人で走り回っている。トウマはまだ体が思うように動かないのか、簡単に捕まっていた。鬼になると、いつまでも追いかけている。足が動いていない。たぶん私と一緒で、肺をやられている。そりゃすぐに息も上がるよ。だけど、じっとしていられないのだろう。こうしている間にも魔族一行は西へと向かっている。つまり、マリシャもどんどん離れていっている。


 一瞬しか接触できなかった。もっと準備して臨めばよかった。もっと何かできたのではないか。もう2度と接触できないかもしれない。後悔と不安が次々にわき上がってくる。一人ぼっちで、どんなに恐ろしい思いをしているだろう。一刻も早く追いつきたい。取り戻したい。まだ明確な奪い返すための方法も思いつかず、それどころか思うように動けない自分の不甲斐なさに耐えきれず、胸が張り裂けそうだった。


 ただ一つ救いがあるなら、アフリートは簡単にはマリシャを殺さないだろうという楽観的な見通しを持ってもいいということだ。動き回るには、肉体が必要だ。マリシャは大きな魔力の器を持っているから、おそらく居心地がいい体のはずだ。よほどのことがない限り、手放すことはないだろう。


 運動場横の建物の階段に、リュウが座っていた。その隣に腰掛ける。


 「無茶するなあ」


 走り回っている弟を見て呆れたように、でも、責める調子は一切含まずに言った。


 「今も無茶ばかりしているでしょう?」


 そうかなあ。確かに働き者ではあるけど、あまり無茶をしているようには見えないので、いえ、そんなことはありませんよと答えた。それよりも、だ。


 「結婚しているとは、知りませんでした」


 そっちの方が驚いた。確かに嫁や子供がいてもおかしくない年齢に見えるが、その気配が全くないので独身だと思っていた。リュウは少し驚いた表情をした。


 「今、家族と一緒じゃないんですか?」


 そうだ。一緒じゃない。それどころか、結婚しているという話すら聞いたことがない。ずっと独身だと思っていたので、家族のことなんて聞いたことがなかった。


 「俺も実は全然知らないんですよ、あいつの嫁さんのこと」


 リュウは汗だくになりながら鬼ごっこを続けているトウマを見つめながら、つぶやいた。


 「弟なのに。結婚式にも呼んでくれなかった」


 夕焼けがきれいだった。地平線に沈んでいく太陽が運動場を一面、橙色に照らして、人も建物も染めていた。急激に気温が下がっていく。山間部なので夜は寒い。リュウは弟のことを水くさいと思っているのだろうか。少なくとも、そうやって距離を置かれたことを快くは思っていないだろう。ただ、一方的に責めるニュアンスではなかった。むしろ自虐の色を感じた。


 「ずっと独身だと思っていました。キサナドゥーの衛兵に応募してきて。家族がいる気配すら感じませんでした」


 どう答えていいものか、ピタッとはまる感じの言葉が出てこなかったので、ものすごく事務的に印象を伝えた。


 「いま、どんな生活をしているんですか? 教えてもらってもいいですか?」


 鬼ごっこが終わるまで、私の知っている西域でのトウマについて語った。

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