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第25話 いざ、アフリートの中へ!

 さすが神武官、手際がいい。日が替わるまでに準備が終わり、エントの接近を確認するための斥候も周囲に派遣した。夜明け前、雫がやってきた。ヘルメットをかぶり、制服の上に革製の胸当てをつけている。トウマは起きて、握り飯をほおばっていた。


 「防具つけた方がいいんじゃないの」


 「いらない。動きにくくなる」


 指についた米粒をなめ取って「メシは食ったのか」と聞いた。雫はスッと息を大きく吸うと、その問いに答えずに「昨日はいきなりぶって悪かったな」と言った。


 女の子なのに、男みたいな口の利き方をする子だ。しばらく気まずい沈黙。トウマは立ち上がると「黙って出ていって悪かったな」と言った。怒っているように見えた雫の表情が、見る見るうちに崩れていく。歯を食いしばって、泣くのを我慢しているようだ。


 トウマは少しためらってから、雫の頭をなでた。黒髪をなで、それからほおに手を当てた。耐えきれず、雫の目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。トウマの手に自分の手を添えて、声にならない泣き声を漏らす。


 昨日、リュウの話を聞いて、すれ違った思いがまた交わればいいのにと思っていたが、早速そうなったみたいでよかった。ここにいていいのかな。2人だけにした方がいいんじゃないかなと、オーキッドと顔を見合わせた時、雫が「死なないで」と絞り出すように言った。トウマは「わかってる」と小さな声で返事した。


 エントとアフリートは日が昇ってから活動を開始したのだろう。昼前くらいになって、斥候から発見したことを知らせる狼煙が上がった。泉の北側、つまり神武院の裏手からこちらに向かっている。よく見つからなかったものだ。死なずに離脱してくれることを祈った。


 しばらくすると「来たぞ!」という声が聞こえた。そして、木々をなぎ倒すバリバリという音。怒号は聞こえるが、悲鳴はないので、おそらくそこそこ互角に戦っているのだろうと思っていたら、ドスドスという地響きがして、エントの姿が見えた。周囲の木とそう変わらない。イースで見た時より、少し縮んだ気がする。


 「撃て!撃て!」


 号令と同時に、ヒュンヒュンと火矢が飛んできた。エントの頭部というか、頭上の部分にある枝葉の部分に当たって、パッと明るい炎が上がる。しかし、着火するには至らない。エントはゴオーともガアーとも聞こえる咆哮を上げると、設置した柵の周りを横に移動し始めた。障害物を設置したのはやはり正解だ。斧を手にした神武官が、走って後を追う。前回、退治した時と同様、削り落として倒す作戦だ。


 「撃て!」


 リュウの声がする。木々の間をぬって、さらに火矢がエントに迫った。今度は幹に何本か突き刺さったが、やはり着火するには及ばない。


 「じゃあ、行ってくるぜ」


 オーキッドは肩をぐるぐる回すと、森の中に飛び込んでいった。


 アフリートはどこだろう。エントと一緒に登場すると思っていたが、いない。一緒に現れたらそれはそれで厄介だと思っていたけど、こうして姿が見えないと逆に不気味だ。


 自分が触れないと感知できないのが、もどかしい。守護者の中には匂いや気配で魔力の接近を感じられる人もいる。そういう人ならば今、アフリートがどこにいるかわかるかもしれない。エントは柵の向こうを回って、破壊して中に入ってくる気配がない。両側から神武官が取り囲んで、斧を振るっていい感じに攻め込んでいる。


 一斉に襲いかかればいいと思った、その時だった。エントの頭上、こんもりと枝葉が広がった部分から、炎が地上に向かって吹き出した。周囲にいた神武官に当たったが「熱っ!」というくらいで守護庁の時のように一瞬で燃え尽きない。


 「気をつけろ、中にいるぞ!」


 オーキッドが叫んだと同時に、エントの頭上からアフリートが飛び降りてきた。火力を落として多少、エントを傷つけるのを覚悟の上で隠れていたのか。


 まずい、みんなエントの周りに集まっている。オーキッドが進み出て両腕を前に突き出し、空中に指で円を描いた。アフリートが腕をひと振りする。ゴオッと音を立てて炎が吹き上がり、今度は周囲をあっという間に焼き尽くした。神武官も森も、一瞬で炭になった。防御魔法の発動が間に合ったようで、オーキッドとその後ろにいた神武官は無事だ。アフリートが腕をもう一度振る。柵の一部が一瞬で焼け落ちた。エントが侵入してくる。


 「エントの方にいけ! アフリートは俺に任せろ!」


 オーキッドの指示を待つまでもなく、神武官は一斉に木の怪物の方へと走った。


 「行くぞ!」


 トウマも駆け出した。急いで遅れないようについていく。アルアラムは大丈夫だろうか。まあ、いざとなったら離脱したらいい。アフリートは次々に螺旋の炎を放出して、森ごと柵を焼き落とした。物が焼け焦げる嫌な匂いが鼻をつく。パチパチと音を立てて、泉の周囲がどんどん開けていく。


 エントは森から完全に抜け出すと、思った以上の素早さで泉のそばまで到達した。


 「撃て!」


 声がして、また火矢が飛ぶ。何本か突き刺さったが、相変わらず燃え広がるには至らない。エントは足に見える根っこの部分を泉につけた。水を吸い込んでいるのだろう。またゴォーという咆哮を上げると、見る見るうちに巨大化した。人間の身長の2倍くらいの高さだったのが、どんどん伸びていく。


 「ひるむな!」


 足元にたどり着いた神武官が斧で切りつける。ガツンという音がして食い込みはするものの、決定的なダメージを与えているようには見えない。四階か五階くらいの建物くらいの大きさになったエントは、根っこを振り回して足元に食らいつく神武官を蹴散らした。大きすぎる。その脇を通り過ぎて、やっと防戦一方のオーキッドのそばに到着した。


 「すまん、防ぐので精一杯だ」


 「木の方に行ってくれ」


 トウマの指示にオーキッドは軽くうなずいて、泉の方へ走っていった。


 神武官の多くは森から脱出して、周囲に獲物がいなくなったことで、アフリートは次にどうするか思案しているようだった。そういうタイミングで対峙できたのはラッキーだった。


 トウマは迷いがなかった。アフリートに駆け寄ると、小さな体を抱きしめた。マリシャのサイズなので、トウマの腕の中にすっぽりと収まる感じだ。あっという間に炭になってしまうのではないかという危惧は十分にあったが、そうはならなかった。ただ、小さな炎と煙がトウマの肩あたりから立ち上っている。全く無傷で接触できたわけではなさそうだ。


 トウマはアフリートを抱えて、一気に泉まで走った。泉は最初に見た時より、小さくなっている。随分とエントに吸い込まれてしまった。淵まで来ると、トウマはアフリートの顔を両手で挟み込んで叫んだ。


 「マリシャ! 戻ってこい!」


 追いつくとトウマの背中に手を当てた。着物に火がついて燃えている。気にしている暇はなかった。トウマを通じて接触して、アフリートの中に侵入を試みた。



 こういうことは、やったことがないわけではない。私は触覚で魔力を感知するんだけど、同時に相手の心を少し読むことができた。一番、簡単なのは嘘をついているか、いないかだ。嘘をついている人は、接触して心をのぞくと、赤く見える。まあ、そんな感じだ。だから、アフリートに触ることができれば、マリシャに声をかけることができるのではないかと思ったんだ。



 最初に見えた真っ暗な景色は、昨夜も見たトウマの〝内部〟だった。その先へ。集中力を高めて手を伸ばすと、暗闇の向こうからすごい勢いで赤いものが近づいてきた。確認する間もなく、燃え盛る炎に包まれた。息ができないほどの熱気が押し寄せる。チリチリと音がして、肌が焼けそうだ。こんなにはっきり視覚的に捉えて、しかも温度まで感じることができたのは初めてだった。やったぞ!アフリートとの接触に成功した喜びで叫び出しそうだった。で、マリシャはどこだ? 


 「マリシャ!」


 声を限りに叫んでみた。パッと一瞬、燃え広がるイメージが目の前に浮かんだ後、不意に見知らぬ女性が現れた。炎のように逆立って揺れる赤毛、赤いロングドレスには大きなスリットが入っていて、長くてきれいな足がのぞいている。西域風のエキゾチックな美人だ。これがアフリートか? 


 「おや、珍しいねえ。人間がここまで来るなんて。よく焼け死ななかったねえ」


 女性はよく通る声で言った。意思疎通ができる。間違いない、これがアフリートだ。


 「マリシャという女の子を探しに来たの。知ってるでしょう?」


 少しでも気を抜けば、熱気で一気に押し戻されそうだった。息をするのが辛い。喉や肺が焼けそうで、歯を食いしばっていないと圧力で吹き飛ばされそうだ。


 「よく知ってるよ。でも、今は返すわけにはいかないねえ。あの子を取り戻しに来たのかい? ただの人間なのに、すごいねえ」


 こんなにおしゃべりだとは知らなかった。だが、アフリートと話したいんじゃない。マリシャと話したいんだ。マリシャの意識がまだあることを確認して、戻ってくるように呼びかけたいんだ。それまでは一歩たりとも退くものか。


 「マリシャと話がしたい」


 口の中が乾燥して、言葉が発しづらい。今、自分の体がどうなっているのかがわからなかった。もしかしたら、燃えているのではないか。簡単に炎の精霊がこちらの要求を飲んでくれるとは思わなかったが、拍子抜けするほどの即答で「いいよ」と言われた。アフリートが右手をひと振りすると、またパッと目の前に燃え広がるイメージが出た後、マリシャが現れた。


 さらわれた時のままの格好だった。白いシャツに紺色のベスト、お気に入りのフリルのスカート。トウマにキサナドゥーで買ってもらったものだ。少し服装が乱れていて、垢じみているけど生きている。


 「シャウナ!」


 こちらが声をかける前に、名前を呼んでくれた。思った以上に大きな声が出ていて、元気そうで安心した。


 「助けに来たよ」


 話すのが辛い。強烈な熱気で、ものすごい勢いで体中の水分が持っていかれているのを感じる。


 「ふーむ、どうやって助けるのかねえ。さっきも言ったけど、当分は返すつもりはないよ。この子は、私の肉体として頑張ってくれないとねえ」


 アフリートの言う通りだ。接触すればなんとかなると思っていたけど、その先を私もトウマも考えていなかった。どうやって助け出すかという策が、残念ながらない。


 いや、実はこのまま泉に浸けてしまうという手を考えていた。シャナの泉なのだから、簡単に干上がってしまうことはない。逆にアフリートは炎の精霊だから、水に浸かったら消えるかどうかはともかく、大ダメージのはずだ。でも、そうすることでマリシャにもダメージを与えてしまうのではないか?そう想像すると、できなかった。


 手を引いて、連れ出すことはできないだろうか。いやいや、それとも今、目の前にいるアフリートをぶん殴れば…。


 「シャウナ、来てくれてありがとう。でも、戻って。ここにいたら、死んじゃうよ」


 マリシャが泣き出しそうな顔をしている。なんてことだ。せっかく会えたのに一時撤退だなんて。でも、マリシャの言う通りだった。もう限界だなんて思いたくなかったけど、意識が持たない。


 しっかりしろ!この体たらくはなんだ!どこが守護者だ!魔族を封じ込めて人間の世界を守るのが役目だろう!


 必死になって自分に発破をかけたけど、どんどん視界が暗くなっていく。すごく明るいところだったはずなのに、なぜこんなに灰色なんだろう。明かりが消えてしまったのか?

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