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第24話 リュウからトウマの昔話を聞いたんだけど

 日が暮れると、泉のそばに設営したテントに神武官たちがやってきた。エントは日中しか活動しないだろうから、準備するなら夜の間だと考えたらしい。泉の周囲に、エントの視界を遮るほど高い木製の柵を張り巡らした。


 「少しでも邪魔をしてやろうというわけさ」


 リュウが説明してくれた。


 「魔力で動いているのだから、少しでも消耗させたい。柵があれば動き回らないといけないし、取り除くのにも手間がかかるだろう」


 なるほど。最初は気づかなかったが、よく見るとリュウは手に弓を持っていた。


 「あなたも戦うつもりなの?」


 「もちろん。こう見えても名手なんだ」


 そう言って弓を掲げて見せてくれた。


 「鏃(やじり)に火をつけて狙撃する。物理攻撃が効くんだろ? しかも植物なんだ。火は苦手だろう」


 大丈夫だろうか。確かに弓矢ならば遠くから攻撃できるだろうが、エントは思った以上にスピードがある。一気に距離を詰められたら、あの足で逃げられるのだろうか。不安に思ったのを察したのか「大丈夫。簡単には手が届かないところからやるさ」と笑った。


 気が利くし、きちんとした大人だ。血が繋がっていないとはいえ、とてもトウマのお兄さんには思えない。こんな兄の下で育てば、もう少しコミュニケーションが上手な人に育っているはずだ。気になっていることを聞いてみた。雫はなぜトウマをぶったのか。師父に謝罪していたが、トウマが彼女にした失礼なこととは一体なんなのか。「ああ」とリュウは微笑みながら夜空を仰いだ。


 「そうだな、話せば長いんだ。ちょっと長くなってもいいか?」


 構わない。好奇心に蓋はできない。最後まで聞かないなんて選択肢はないね。


 トウマは捨て子だった。神武院の門には頻繁に捨て子が置いていかれる。暑い時期も寒い時期も問わずに、だ。なんとひどい、無責任な大人が多いんだと思わなくもないが、それが東方の現実なのだから仕方ない。そうやって祝福されずに生まれてきた子供に慈悲を与えることも、神武院の大事な役割だ。


 門の上にかかった屋根の部分には小さな部屋があり、夜になると門番がそこに入る。もちろん不審者が入ってこないか見張るためだが、夜の間に置いていかれる子供を救出するという目的もある。なかには門番が見ている前で子供を捨てていく親もいる。だけど、声をかけたりはしない。育てられなくて、神武院にすがって置いていくのだ。冬の夜中に置いていかれると、朝までに寒さで死んでしまう。夏場には野犬の餌になる可能性もある。だから、親が去ったのを見届けると、すぐに子供を回収する。トウマもそうやって拾われた子供の一人だった。


 アカネさんという師父に預けられた。師父にはすでに3歳になる実の息子がいた。それがリュウだ。弟ができて、すごくうれしかったらしい。2人は実の兄弟のように育てられた。明るくて頭がよく、同世代ではリーダーとして目立つ子供だったリュウに対し、トウマは口数が少なくておとなしく、目立たなかった。まるで最初から自分が捨て子だと知っているようだった。目立ったり、誰かより先んじたりしてはいけないと思っているような印象を受けた。


 とはいえ厄介な子供だったわけではない。よく気がつく、働き者だった。学問の傍ら、どんどん大人の仕事を手伝うものだから、刃物の使い方や料理の仕方など、普通は子供がやらないようなことを早い時期から覚えていった。これは将来、優秀な神武官になるぞというのが、師父をはじめ周囲の大人たちの評価だった。


 8年後、雫が生まれた。アカネ家はトウマ以外にもたくさん捨て子を育てている大家族だったが、師父の実の子供が久々に生まれたということで、ただでさえ普段から大騒ぎなのに、お祭りムードも加わってさらに大騒ぎになった。


 「本人に直接、聞いたわけじゃないからわからないけど、トウマが捨て子であるという認識を強くしたのは、あの頃じゃないかな」


 リュウは目を伏せた。トウマは雫の子守りをしたりして、とてもかわいがってはいたけど、この頃からアカネ家以外での仕事に以前よりも熱心に取り組むようになった。それ自体は悪いことじゃない。神武官は他人の生活を助けるのが仕事だから、家の修繕とか生活用品を自作したりとか、そういうことがたくさんできた方がいい。そして、それは自分が所属する師父以外のところへどんどん行った方が、たくさん経験できる。トウマは、早く自立したがっているように見えた。


 3きょうだいの仲がギクシャクしていたわけではない。見習いとして実際に村へ行って作業をするときには、トウマはいつもリュウと一緒だった。ついてこられる年齢になると、雫もついてきた。なんでも器用にこなし、大人相手にも臆せずにしゃべるリュウは、トウマのいいお手本だった。できないことはリュウがやっている様子を見て学び、神武院に戻ってから夜遅くまで練習していた。


 15歳になると本格的な見習いとなって、先輩神武官について遠隔地に出向く。トウマは13歳で早くも見習いとなって外に出ていたが、さらに率先して遠くへ行き、長く神武院を空けることが多くなった。雫は「また旅に出ちゃったの」と、よく口を尖らせていた。


 18歳になると、一人前の神武官となるための試験を受ける。内容は筆記試験と実技だ。実技というのは、まずはやぐらを組んだり、石を積んだりする。開拓術ってやつね。それから格闘術。これは2人1組で対戦する。実は勝ち負けはあまり関係ない。格闘術は魔族が倒せればいいし、神武官同士で戦うわけではないから。神武官同士では体格や年齢で力量に差があるので、何度やっても勝ったり負けたりする。だから、試験の結果に勝ち負けは、あまり影響しない。それは、試験を受ける青年たちもわかっている。


 事件はそこで起きた。リュウと組んだトウマは、リュウの膝を蹴りで破壊した。投げ技がうまいイメージがあるかもしれないが、トウマの本当の得意技は蹴りだ。そこまでやらなくてもいいのに一体、何を思ったのか。膝の関節を破壊されたリュウが苦痛に顔を歪めて地面に這いつくばったとき、こともあろうか残心を決めた。見ていた大人たちはドン引きした。


 試験は2人とも合格した。だけど、リュウは膝に障害が残った。野山を駆け回ることができないから、神武院に残って後進の指導を手助けする仕事に就いた。トウマは遠隔地への赴任を希望して、神武院を出て行った。そして、帰ってこなかった。


 何年も経ったある日、手紙が届いた。結婚したのを機に、神武官を辞めるという内容だった。神武官は自分の担当地域を巡回している。結婚して1ヶ所にとどまることになると当然、仕事にならない。だから…。


 一方的な報告だった。それ以来、なんの音沙汰もなかった。今回、帰ってくるまでは。雫は長兄を傷物にした上、逃げるように去っていったトウマのことを憎んだ。育ててくれた恩があるのに、裏切ったとも言った。でも、本当はずっと心配していたんだ。捨て子が、本当の血縁の家族の間に入ってはいけないと思っていたんじゃないかって。雫は、トウマが神武院を去った本当の理由を、そうなんじゃないかと思っている。それに気づいてあげられなかった自分のことが、許せないんだ。



 リュウの話は、ざっくりというとこんな感じだった。そんなことがあったなんて知らなかった。そういえば、なぜ神武官を辞めたのか聞いたことがなかった。いや、聞いて、話してくれなかったんじゃないかな。まあどっちもでいいや。そもそもだ。


 「トウマはあなたにけがをさせた後、ちゃんと謝ったの?」


 「ああ、きれいに残心を取った後、『ごめん』って言ってくれたよ。でも、本当は俺が悪いんだ。蹴り技が得意だって知っていて、警戒していなかったんだから。まさかあんな本気の技が飛んでくるなんて思っていなかった。油断していたよ」


 リュウはそういうと、右膝にそっと手を置いた。


 「足を引きずるたびに思い出すんだ。油断してはいけないって。戦いの場は、いつだって命のやりとりなんだって。トウマは大事なことを教えてくれた。あんなところで、人間同士の戦いでこんな傷を負うようなヤツが、魔族との戦いで生き残れるわけがない。俺は、外に出ない方がいい人間だということを教えてくれた。だから全然、恨みに思っていない。トウマは戦うことに純粋だっただけだ。逆に俺がちゃんとやらなかったせいで、傷つけてしまったんじゃないかと今でも思っている」


 リュウと雫の態度が違った理由が、少しわかった。トウマがここを離れた理由も、なんとなく想像できる。いづらかったのだろう。育ての親の実の子を不具にしてしまって、顔向けできなくなったのだろう。もし、想像通りの心境であるならば、私なら、ここに戻ってくることはできない。



 泉の周りで火を焚いているので、だいぶ離れたところからトウマがこちらに向かってきているのが見えた。私たちの前まで来ると「寝られるうちに寝ておけ。休めない戦いになるぞ」と言った。「わかったよ」とリュウは言ってから「奥さん、元気か?」と聞いた。


 すうっと空気が動くのがわかった。一歩も動いていないのに、トウマが離れていく気配がする。あ、これはあの不思議な感覚のせいだ。いつも握手して見せてもらっている、あの感覚。あれが空気を動かしている。


 随分と長い時間が過ぎた感じがした。遠くの焚き火の灯りで横顔を照らされたトウマは、いつもの無表情で「ああ」と答えた。違うだろう。今、心を閉ざしただろう。触っていないのに、心がギュッと閉じたのを感じた。


 思わず立ち上がって、手を取った。いつもの内臓をつかむ感覚じゃなかった。視覚が前方から一気に暗転して、足場の感覚がなくなる。恐怖で胸が詰まりそうになったそのとき、両肩を揺さぶられて現実に戻ってきた。ほおが濡れている。涙が出ていた。


 「大丈夫か?」


 ぼやけた視界の向こうに、トウマの顔がにあった。涙を拭うと、ようやく声が出た。


 「そうじゃ、ないでしょ」


 少し驚いたようだった。何がそうじゃないのか、自分でもわからない。でも、違うということだけわかった。トウマはしばらく私をにらんでから「勝手に心の中をのぞくな」と言った。

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