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第22話 トウマの故郷は思った以上にいいところだったんだけど

 山の道は大型の馬車が通るには狭すぎて、意外に時間がかかってしまった。神武院に到着するまでに3日もかかった。とはいえ、それぞれバラバラに馬に乗ったところで似たような時間がかかったと思う。


 ところで、オーキッドはどこまで同行してくれるつもりなんだろう。たぶん、回復系の魔法の使い手としては、私よりもかなり上のはずだ。一度、手を握らせてもらったが、実に豊かな魔力を感じた。温かな、治療をする人の手だ。父さんも治療魔法が得意だけど、こんな感じの手をしている。


 他にどんな魔法が使えるのか?と聞いてみると「先生からは回復系しか教わってない。あとは独学で防御系を少々」と言っていた。かなりの魔力を保持しているので、回路を作ることができれば攻撃系も使えるようになるだろう。そうすればエントたちと戦うときに、頼もしい戦力になると思い、私が知っている炎系の魔法を教えてみたが、うまくいかなかった。


 「オーキッドはいつまでついてくるの? 危険だから、もういつ離れてもらっても構わないよ」


 アルアラムが言わなくてもいいことを言った。黙ってろ。せっかく戦力になりうる末裔が協力してくれているんだから。


 「俺は、先生から困っている人を助けなさいと言われて、ここまでやってきた。今も目の前でお前たちが困っている。お嬢はもっと困っている。だから、お前たちがあっちへ行けと言わない限り、ついていく」


 ありがたいね。最初にエントと遭遇したときに、あの巨木に組み付くことができたのはオーキッドだけだし、少なくとも魔族のパワーに負けない肉体を持っている。オーキッドにエントを抑えてもらっている間に、トウマと私でアフリートの中にいるマリシャに呼びかける。アルアラムは、そうだな…本人が承諾すれば、対エントに参加してもらうか。神武院に行けば多くの神武官がいるし、彼らもエントを抑え込む方に参加してもらおう。そんな作戦を立てつつ、神武院に到着した。



 神武院は、山の斜面に張り付くようにして建っていた。広葉樹に囲まれた馬車がギリギリ通れる山道を進んでいくと、斜面に突然、石を積んだ壁が現れる。人の背丈ほどしかないので簡単に乗り越えられそうだけど、そこから向こうがただの山ではなく、人の手で作られた居住区であることを示していた。


 そこに至るまでの道中に人の背丈の倍ほどの高さの岩があり、てっぺんに若い男が腰掛けていた。麻で編んだ黒い道着を着ている。半袖でズボンも7分裾だが、腕には手首まで布を巻き、足には脚絆をつけて足袋を履いていた。これが噂に聞く神武官の制服か。なかなかイカす。男は馬車を見つけると、岩の上に立ち上がった。トウマは馬車を止めて、荷台から「神武官だ。トウマが帰ってきたと伝えてくれ」と声をかけた。若い男は岩から飛び降りると、駆け出していった。元、だろう?


 壁は低いが、門は立派だった。木製の円柱が両脇に並んでいて、その上に小さな屋根がついている。屋根の内部には見守りで使うのか、敵襲に備えるためなのか、部屋があるようだった。


 馬車を止めて門の前に降り立つと、ちょうど向こうから人が走ってくるところだった。先ほど若い男が知らせに行ったはずなので、出迎えだろうか?


 若い女性だった。東方人は北国人よりも若く見えるので、それを考慮すれば、私とそう変わらない年齢なのかもしれない。男の子のように短く刈った髪型が勇ましい。当たり前だけど、すごく東方人だ。切長の黒い瞳、黒い直毛。キリリと引き締まった眉毛からも凛々しいイメージを受ける。神武官の制服を着ているので、彼女もそうなのだろう。


 どこでスピードを落とすのかな?と思っていたら、全く勢いを弱めることなくそばまで駆け寄ってきて、避ける間もなくトウマに強烈な平手打ちを食らわした。バチッ!と派手な音がして、それに驚いたのか、馬がブルルンといなないた。


 避ける間もなくという表現は、ちょっとおかしい。私の知っているトウマなら、あんなの簡単に避けられる。想像するに避けなかったのだ。駆け寄ってきた女性は少女に見えるけど、東方ではこれでも十分に成熟した女性なのだろう。怒りに震えた声で、言った。


 「どのツラ下げて帰ってきたっ」


 怒鳴りたいのを我慢して、声のトーンを必死に抑えたような言い方だった。余程、強い怒りを胸に秘めているのだろう。トウマ、何か言った方がいいぞ。黙っていたら、もう一発、飛んでくる状況だ。彼女との間に何があったのか知らないが、とりあえず謝ってみてはどうだろう?


 ああ、ここはやっぱりトウマ自身に語ってもらわないと、見ていただけの私では、うまく表現できない。トウマは何も言わず、ゆっくりと彼女の方へと向き直った。いつもの無表情だ。何か言えってば。気まずい空気が流れ、彼女がもう一発食らわそうと手を上げた、その時だった。


 「雫(しずく)、やめなさい」


 少し遠くから声が聞こえた。門の向こうは山肌に沿うように階段になっていて、その両側に石積みと木造を組み合わせた東方っぽい建物が並んでいる。屋根は瓦葺きもあれば、茅葺きもあった。その建物の前を、杖をついた男がこちらへと歩いてくる。雫と呼ばれた女性は振り返って男の姿を確認すると、すぐにトウマに向き直ってもう一発、平手打ちを浴びせた。今度もトウマは避けなかった。浴びせ終わるや、彼女は階段を奥の方へと駆け上がっていった。


 「すまないな。避けてもいいのに」


 私たちのところまで降りてきた男は、微笑んで言った。神武官の制服を着ているが、右足を引きずって歩いている。美形だ。東方人にしては鼻筋が高く、目元が優しい。長い髪を後頭部でゆい上げている。「おかえり」と言ってトウマに近づくと、杖をついていない左腕で抱きしめた。トウマは躊躇したようで少し間があったが、男の背中に手を回すと「久しぶりだ」と言って抱き合った。


 なんだよ、東方にハグの習慣がないなんて言ったのは、どこのどいつだ? それとも、この2人は特別なのか?


 トウマを出迎えた杖の男は、名前をリュウと言った。そして、トウマに2発食らわしたのは妹で、雫というと紹介してくれた。2人はトウマを育てた師父の子供だった。ということは血のつながりはないけれど、この3人はきょうだい同然ではないのか?では、なぜ久しぶりに会った妹に、いきなりビンタされているのか?その一方で、なぜ久しぶりに会った兄(リュウの方が年上だと後で知った)とは熱い抱擁なのか?この時は3人の間に何があったのか知らなくて、頭の中は「?」だらけだった。


 リュウは礼儀正しくて、親切な人だった。


 「妹の無礼をお許しください」


 私たちにも丁寧に頭を下げてくれた。そして、自分のお母さんのところに案内してくれた。


 階段の左右にある建物はいずれも家で、その多くに師父と呼ばれる指導者が暮らしている。東方は生活が厳しいために捨て子が多く、彼や彼女らはここに引き取られて神武官として育てられている。


 師父というからずっと男性だと思っていたら、トウマの師父は女性だった。おばあちゃん、いや、まだおばちゃんくらいかな。神武官の制服ではなく、紺色の長いローブのような着物を着ていた。建物に入ると広い土間があって、囲炉裏があった。靴を脱いで上がる部屋は畳敷きで、足の裏が気持ちいい。そういえば、この辺りは湿気が多い東方にしてはカラッとしている。師父は畳に座って待っていた。


 師父の前に正座したトウマは、深々と頭を下げた。


 「今、戻りました。数々の無礼をお許しください」


 なんかやらかして飛び出したっぽいな。師父はそんなトウマを放っておいて「皆さん、遠いところ、よくお越しくださいました」と言って一礼した。そして、座布団を持ってきて私たちに座るように促すと、畳の上で何かをすりおろしていた子供に向かって「お客さまにお茶をお出ししなさい」と命じた。その間、トウマは畳に頭を擦り付けっぱなしだ。


 オーキッドは「では、遠慮なく」と言って座ってしまったが、アルアラムはすごく居心地が悪そうで、座ればいいのに何やら膝立ちになって座るのか立つのか、よくわからない体勢で落ち着かない。お膳が出され、お茶が運ばれてきた。西域で飲むお茶も香り高くて美味しいが、これはまた一味違う。燻製のような強い香りが、旅の疲れを癒してくれた。


 師父はお茶を一口すすって「頭を上げなさい」と言った。トウマは背筋を伸ばして座り直した。なぜこの人は、いつもにらむのだろう。にらんでいる意識がないのかもしれないけど、今も師父のことを真正面から見据えている。先ほど謝罪の言葉を口にしたが、謝っている雰囲気ではない。


 と、師父はプッと吹き出して「相変わらずね。あまり変わっていなくて安心したわ」と言った。そうなんだ。昔からこんな感じなんだ。それは嫌な子供だっただろうなと、あまり語ってくれない少年時代を想像する。


 「いえ、随分と変わりました。見た目はそうでなくても、中身は別物です」


 「そうかしら? 今でも私にとっては優しい少年のままだわ」


 師父は微笑んで言った。


 「優しい人であれば、雫にぶたれたりしません」


 「あらまあ、あの子、もうあなたのことをぶったの?」


 師父は大袈裟に驚いて、部屋の隅いたリュウを見た。リュウは苦笑いして肩をすくめる。


 それからトウマは師父に私たちを紹介し、これまでの経緯を簡単に説明した。魔法使いの少女を南方に送って行ったところ、復活したエントに会ったこと。守護庁でアフリートも復活したこと。2人はシャナを連れ出すために神武院に来るだろうということ。それを迎え撃つために帰ってきたこと。エントは力が強くて体も大きいので、できるだけ多くの神武官に手伝ってほしいと言って、また頭を下げた。


 「エントもアフリートも人間を依り代にして復活しました。その人間を救出したいのです。ただ、始末してしまえばいいというものではないのです。接触して、交渉しなければなりません。難しい作戦になります」


 トウマがこんなにしゃべっているのを初めて見た。なんだ、ちゃんと話せるんじゃん。口下手なので話したくないのかと思っていたけど、そうでないことを初めて知った。


 「大変なことになっているのねえ」


 師父は目を見開いて、リュウの方を見た。どうやらこの家の実権は、もう息子に譲っているみたいだ。リュウが後を継いだ。


 「師父を招集して意見を聞きましょう。みんな嫌だとは言わないでしょうけど」


 「命がけの戦いになります。死ぬのが嫌なヤツは参加してくれなくてもいい。体の不自由なヤツもだ」


 トウマが嫌な言い方をした。遠回しに、兄貴は来るなと言っている。そう言うことを、昔も言ったのだろう。それで妹に恨みを買ったと、まあそんなところか。

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