随分と脱線してしまった。なんの話をしていたんだっけ?
そうそう、守護者と神武官は設立の思想が違うという話だったね。神武官が守護者とどう違うのかという話をしよう。世界奪還が一段落した後、魔族がはびこる世界に逆戻りしないために、マリシャ女王は剣士シャインと賢者エドワードに命じて、魔族と魔法を監視する組織を作った。それが守護庁ね。
で、その後、マリシャ女王はどうしたかというと、東方に行ったの。東方は世界奪還が達成されたことを知らない人間が隠れ住んでいたし、一方で人間に敗れた魔族が逃げ込んだから、混乱していた。
だけど、そこで彼女が目にしたのは、混乱以前の問題だった。当時の東方は草木も生えない荒れた山で食糧も少なくて、魔族ですら食糧にすべき人間と遭遇できなくて餓死するという、ひどい状態だった。人間か魔族かとかいう問題以前に、住める場所にしないといけないという問題があったの。
そこで彼女は人を集めて、土地を開墾したり、治水したりする技術を教え始めた。イースからそういうことに詳しい家臣を呼び寄せて、東方を人の住める場所にするように開拓を始めた。人が住める場所を作れば当然、隠れ住んでいた魔族もそこに寄ってくる。食糧としての人間がいるだけではなく、環境がいいからね。もちろん追い払うなり、殺すなりしないといけない。そこで、魔族と戦うための技術が発達していったの。
そんな開拓兵みたいな生活をしていた人たちが、知識や技術を伝えるために設立したのが神武院なの。守護者は監視することが仕事だけど、神武官は監視が第一の仕事ではないんだ。住民の生活を守ることが第一。魔族と戦うことは第二。開拓以外に冠婚葬祭、特に葬儀を執り行うのも主な仕事だね。
みんな「泉の女神」と呼ぶ神様を信奉している。なぜ素直にマリシャ女王を神格化して崇めないんだろう?とずっと思っていたけど、これには理由がある。それは…ああ、そうそう、神武官は僧侶をイメージしてもらえばいい。戦うお坊さんって感じだ。そんなこんなでマリシャ女王のまいた種が実を結び、今では東方はこんな感じの深い森になった。相変わらず人が住むのにすごく適しているとは言い難いけど、1000年前よりは豊かな土地になったはずだ。
神武官のことはトウマに会うまでは正直、よく知らなかった。神武官は東方から出ないし、私も東方に入ったことはなかったからね。初めて見た時?東方人だ、珍しいなくらいにしか思わなかった。
キサナドゥーでは定期的に衛兵を募集していて、私はその面接官をしていたんだ。おかしな人間が宮廷に入ってきたら困るからね。私は接触しないと相手の魔力がわからないので、最後に受験者と握手をするんだ。ああ、魔力ないなとか、おっ、意外に魔力あるなとか。そういうことを判定しているわけ。まあ、大体は問題ない。今どき、私がチェックして不合格にするようなおかしい人はいないんだよ。だけど、トウマは違った。
「元神武官で体力には自信がある。討伐隊に入っていたので、実戦経験も豊富だ。とにかく金がほしい。金さえ払ってくれればなんでもやる」
これが神武官なのかと思った。守護者に白いユニホームがあるように、神武官は黒い道着を着ていると聞いていたので、最初はそうだと気がつかなかった。その時のトウマは西域の軍人がよく着ているカーキ色のパーカーに、薄緑色のズボンという出立ちだったからね。実戦テストをしてみると強かった。見たことがない足さばきで相手に近づくと、ポンポンと放り投げてしまった。もちろん即合格。で、私が握手したわけ。
あの時の気持ち悪さは、今でも忘れない。魔力があるとかないとかは、握手した時の圧力でわかるんだ。大して力を込めていないのに大きな手でギュッとやられたような感触があるのは、魔力の持ち主。マリシャのように熱さや寒さといった温度で感じる場合もある。
ところがトウマの場合、なんていうんだろうな、握った手から何かが逆流してきて、胃袋をギュッと握られた感じだった。思わず手を離したよ。トウマは不思議そうにしていたけど、もう一度、握手してもらった。こんな感触、初めてだ。私の知っている魔力ではない。だけど、何か強い力を感じる。
魔法の感知の仕方は守護者によってそれぞれで、気配で感じる人もいれば、匂いや音で感じる人もいる。私の場合は触感だ。それが告げていた。彼を野放しにしてはいけない。監視下に置かなければいけないと。それで、アルアラムにお願いして、私が管轄しているキサナドゥーの大学で雇ってもらうことにしたんだ。
手元に置いて観察してみた限りでは、トウマはとりあえず周囲に害を及ぼす人間ではなかった。愛想はなかったが、働き者だった。自分から話しかけてくることは滅多になく、こちらから話しかけるとポツポツと話してくれた。そういう人だとわかったので、興味があった神武官のことを聞いた。根掘り葉掘り聞きまくったという方が正しいかな。守護者ほど積極的に魔族の監視はしていないこと。住民の生活を守ることを第一としていること。そのためには魔族と戦うこともいとわないこと。
あの気持ちの悪い感触を解明するために、魔力のトレーニングをしたことがあるかどうかも聞いてみた。やったことがないという。なんと、神武官は魔法に関することは一切やらないのだそうだ。
トウマは孤児で、赤ん坊の時に捨てられて、神武院の先生(トウマは師父=しーふー=と呼んでいた)に拾われて育てられたのだそうだが、教えられたことといえば読み書き、そろばん、格闘術、開拓術だけだという。魔族と戦うのに魔法いらないんかい!と聞いてみたが「神武院の体術さえ身につけていれば、大概の魔族とは戦える。それに、俺は魔族を相手に訓練をしたこともある。だから、魔法がなくても大丈夫なんだ」と言っていた。
あんた、正体はわからないけど、随分と気持ちの悪い力を持ち歩いているよというと、そんな自覚はないと言った。「神武官は泉の女神に祝福されている。それじゃないのか」と言った。ひと通りの知識を習得すると試験を受けて、合格すれば晴れて神武官となる。神武院の奥にある泉に行き、みそぎを受けて泉の女神の祝福を得るのだそうだ。ふーん。守護者も勉強を終えて学院を卒業するときに、守護庁にあるシャイン像の前で誓いを立てる。「世界のために働きます」って。それと似たようなものかな?
トウマにはそういう理由で、悪いけど監視していると明かして、毎日のように握手して観測させてもらった。力が強い日もあれば、そうでない日もあった。ただ、感触は変わらなかった。内臓をつかまれて、ねじ込まれるような気持ちの悪さ。冷や汗が吹き出す、嫌な緊張感。これはなんなのだろう?
「金が貯まったら最前線に行く。日没都市を探しに行くんだ」とよく言っていた。なぜ?と聞くと「会いたい人がいる」という。さらに突っ込むと「話せば長い」と、いつもはぐらかされた。出て行くときには手紙でも持たせて、行く先の守護者に引き継いだ方がいいと思っていた。
無表情で無愛想なので、職場では私以外には親しい人はいなかった。トウマも一人でいる方が落ち着くタイプなのか、あまりこちらに寄ってくることもなかった。食事もよく一人でしていたなぁ。あの子が来るまでは。そう、マリシャだよ。
初めてトウマに紹介したのは、キサナドゥーに来て1週間くらい経った頃だった。マリシャの魔法を目の当たりにして、この子とならさらに大冒険ができるかもしれないと思った。もちろん2人だけでは心許ない。誰か腕利きの前衛が必要だ。すぐに思いついたのがトウマだった。もともと西へ行きたいという意志があるし、ちょうどいい。
トウマはマリシャを見て、珍しく驚いた顔をしていた。無表情なりに感情の動きが現れることに気づいていたけど、驚くのは珍しかった。大概のことにあまり関心がない人だからね。驚くことは滅多になかったのだけど、マリシャを見て明らかに驚いていた。そして突然、人が変わったかのように猛アタックし始めたんだ。
なんだよこのおっさん、そんな趣味があるのかと初めは思った。だってそうでしょ? トウマって詳しく聞いたことないけど、確か30歳は超えてるんだよ。14歳に興味津々って、どう考えても変でしょ? これまで誰とも親しくしようとしてこなかったのに突然、自分の娘と言っていいくらいの年の子に夢中になるなんて、おかしいよ。
だけど、恋愛感情ではないことがすぐわかった。なあんだ…と少しつまらなかったり、安心したり。なんていうのかなぁ、お兄ちゃんが妹を大事にする感じとか、それこそお父さんが娘を心配する感じとか。トウマのマリシャに対する接し方というのは、そんな感じだった。
トウマはマリシャの前では笑うんだ。なんだよ、笑えるんじゃないか!と最初は驚いた。マリシャも異国に来て、すぐに親切にしてくれる兄貴分ができたことに安心したのか、頼りにしていた。2人でお祭りに行ったときには、手なんか繋いじゃったりしてさぁ。いや、うらやましいだなんて思ってないよ!とにかくすごく仲良しになって、マリシャはトウマが私に見せない面を、あっという間に引き出してしまったんだ。
あの子の何がそんなに気に入ったの?とトウマに聞いてみたことがある。すると「昔の知り合いに似ている」と言っていた。トウマは過去のことはあまり話したがらなかった。今、思い返しても孤児だったこと、神武院で育ったこと、神武官だったこと、辞めた後、討伐隊に参加して西の砂漠にいたことくらいしか最初は知らなかった。いや、意外にたくさん知ってるな。
マリシャが魅力的だったことも否定しない。あの子は自分では大したことないと思っていたみたいだけど、そんなことはない。一番は、やっぱりあの目だよ。引き込まれそうな黒い瞳。好奇心でいつもキラキラと輝いていて、見つめられるとドキドキしたなあ。丸っこい顔も、柔らかいほっぺたもかわいかった。小さくて、思わず抱きしめたくなるんだ。
北国にも西域にも、あんなに美しい黒い瞳の人はいない。いつまでもなでていたくなる、ツヤツヤの黒髪もだ。魔法使いだから、大事なんじゃない。大切な友達で、私のことを姉のように慕ってくれるマリシャだから、大事なの。今頃、アフリートの中でどうしているんだろう。神話通りなら意識があるはずだ。守護庁で会ったとき、私たちのことがわかったかしら。そうであってほしいと祈っていた。