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第18章 意外にわかりあえるんじゃないかと思ったんだ

 イースの城壁を出て、だいぶ東の森っぽい雰囲気になったところまで来て、エントは止まった。今夜はここで休むという。アフリートに自分が活動停止している間の警護を頼むと言って、静かになった。きょうはかなり魔力を使ったから、しっかり回復させないといけないみたいだ。


 すぐそばで水が流れている音がする。アフリートがエントから離れて歩いていくと、小川があった。その淵に姿を映した。自分の姿を確認しているようだ。


 「今回は女の子なんだ。ありがたいねえ」


 笑っている。うれしそうだった。


 「申し訳ないねえ。だけど、あんたを殺すつもりはないから、そこで我慢しておくれ。これから私たちは一心同体だ。いや、二心同体かね? 私はあんたの肉体がないと、こうやって外を出歩くことはできない。あんたの魔力がないと、こうやって燃えさかることもできないんだ」


 淵に映っているのは、ボクだった。いや、アフリートだった。でも、姿はボクだ。少し髪が伸びた感じがするけど、見慣れた丸顔や太い眉毛や、黒目がちの眼は間違いなくボクそのものだった。ただ、全体的に赤い。燃えているように、輪郭も髪もゆらゆらしている。目も赤い。服装が変わっていた。ここに来る時には長袖シャツにチョッキを着て、下はトウマに買ってもらったフリルのスカートだった。


 でも今は、これも炎のようにゆらゆらと揺れる、赤いロングドレスだ。肩が大きく出た、まるでお姫さまが着るような形をしている。肩から、これも炎でできたマントがかかっている。魔法使いみたいだと思った。これでとんがり帽子をかぶっていたら、絵本に出てくる典型的な魔法使いに見えるだろう。


 「それにしてもあんた、すごい魔力だねえ。これは当分、人間を食べなくてもいいねえ」


 アフリートは勝手にしゃべっている。やはり、魔力を補給するために人間を食べるのか。思わず「そんなこと、させないよ」と叫んだ。この時はまだコミュニケーションが取れるとは知らなかったので「おやおや、威勢がいいねえ」と返事されて、びっくりした。


 不意に、目の前に女性が現れた。長い髪が逆立って、蝋燭の炎のように揺れ動いている。西域人のようなはっきりとした目鼻立ちだが、北国人のような冷徹さも感じる。人間だったら、明らかに美人と断言できる顔立ちだ。


 先ほど見た、赤いロングドレスを着ている。少し違うのは長いスリットが入っていて、そこから細い引き締まった長い足が見えていることだ。すごく若いというわけではないが、年寄りにも見えない。見た目は、人間で言えば30歳くらいだろうか。いや、もう少し年上かもしれない。


 その女性は「話せる元気があるんだ。すごいねえ」とさっきから耳元で聞こえている声で言った。ああ、なるほど。これがアフリートの本来の姿なんだ。精霊なので外から人間が見れば、小さな炎にしか見えない。そして、こうやって受肉しないと動き回ることもできない。神話の時は、受肉した相手が男だったんだ。


 「もう知っていると思うけど、アフリートだよ。あんた、名前はなんて言うんだい?」


 「マリシャ・B・パパレイ。あんたたちを倒した女王の名前と一緒だよ」


 ビビる必要がないことがわかってきて、少し胸を張って言ってみた。アフリートはふえっとかなんか、そんな驚いたような声を出したあと、プッと吹き出して笑い始めた。何がおかしいのだろう。意味がわからない。腹を抱えて笑ってから、アフリートはやっと口を開いた。


 「ああ、すまない。あまりにも面白くて、笑ってしまった。そうか、人間は今でもあのお嬢ちゃんを慕っているんだねえ。いかにも人間らしい」


 そう言いながら、目元をぬぐっている。笑いすぎて涙が出たのだろうか。しかし、炎の魔物なのに、体内から水分が出るというのも、おかしな話だ。ここに来るまでの間、かなりエントと会話をしたので、これくらいのクラスの魔物になれば人間と同じか、それ以上の知性を持っていることはわかっていた。


 もちろん人間の常識が通じないことは多々ある。だけど、ボクはこうしてコミュニケーションが取れて、少し安心した。だってアフリートは神話の時に、受肉対象者と交渉して、肉体を切り離しているのだ。つまり、今回もこうして話ができるのなら、ボクを解放して大人しくなってくれる可能性がある。とっととボクの肉体から出ていけと言えばいいだろうか。あまりにもストレートだけど、まずはそれを言ってみた。だけど「それは無理だねえ」と即答された。


 「だって、エントと約束したんだもの。また世界の果てを目指す旅に行こうねえって。エントは約束を守ってくれた。次は、私に似合う器を持ってきてくれるっていうね。その通り、あんたを持ってきてくれた。だから、私もエントとの約束を守らないとねえ」


 約束のために動いているなんて義理堅い。そう言うのを簡単に破棄して、自由奔放に動いてしまうのが魔族なんじゃないのか?


 「まあ、世界の果てまで無事に辿り着いたら、あんたを解放するかどうか、考えてやってもいいかもしれないねえ。ただ、それもあんた以上に、しっくりと来る肉体があればの話だけどねえ」


 うーん。アフリートに乗っ取られたままなら、いつか世界の果てに行けるかもしれないのか。それはそれで魅力的ではある。ただ、道中でまた人間をたくさん殺すのはダメだ。さっき守護庁で相当な人数をすでに殺してしまったが、何もできない自分が情けなかった。さらに人間を捕まえて食うとなれば、ボクの歯で誰かの肉を噛み切ったり、ボクの胃で誰かを消化したりすることになるわけで、想像しただけで気持ちが悪くなる。それだけはさせるわけにはいかない。


 「人間を殺すのはダメだ。もし、またさっきみたいに殺したり、食ったりするようなことがあったら、ボクは自殺するぞ」


 手も足も思うように動かせないのでどうやって自殺するのかはわからなかったけど、脅しで言ってみた。アフリートは切長の目を見開いて「それは困るねえ」と言った。てっきり、また笑って、どうやって自殺するんだい、できるものならやってごらんと言われると思っていた。どうやら揺さぶりは効いたようだ。


 「私とあんたは、運命共同体なんだ。そんな物騒なことは言わず、まあ仲良くやろうじゃないか」


 どうやら、こちらがコントロールできることがあるらしい。早くそれを見つけないと。


 アフリートはおしゃべりだった。エントが眠っている夜の間、話す相手がボクしかいなかったということもあったのかもしれないが、とにかくよく話をした。なぜ世界の果てを目指すのか?という、エントにもした質問をしてみた。


 「あんた、世界の果てに行ってみたくはないのかい?」


 返事もせずに、逆質問された。いや、行ってみたい。興味はある。


 「だろう? そういうことだよ」


 どうやらこちらも、ただの好奇心のようだ。アフリートは魔族に言い伝えられている、世界の果ての話を教えてくれた。これはエントからは聞けなかった話で、とても興味深かった。魔族の言い伝えによれば、世界の果ては生と死が交わるところらしい。死んだ魔族の魂は世界の果てへ行き、そこから死の世界へ行く。死の世界を旅して、あちらでも世界の果てまでたどり着くと、また生きている世界に戻ってくるという。そうやって魔族は何度も、いわゆる生まれ変わりを繰り返しているのだそうだ。


 「生きたまま世界の果てまで行って死の世界を覗くと、死んだ仲間に会えるのだそうだよ。面白いねえ。私の親にも会えるかねえ」


 精霊にも親がいるのか。まずそこが気になったが、なるほど魔族は人間より長生きで、200年くらい生きる者はざらにいる。とはいえ不死ではない。いつか死ぬ。人間も死んだ後はどうなる?という話は好きだけど、彼らもそういう話が好きなのだ。その答えの一つが、世界の果てなのだ。そこに行けば、死んだらどうなるか、わかると思っているのだろう。


 無口なエントとは違い、アフリートはとにかくおしゃべりだった。神話の時に受肉していた人間とは相性が悪く、それで旅を続けることを断念したという話もしてくれた。


 「男の老人だったんだ。魔力の容量は大きかったけど、何しろ魔術に貪欲でねえ。あれやこれやとうるさいし、干渉してくるし、もう面倒臭くてねえ。息も体も臭いもの、我慢できなかったねえ」


 話をしていて気づいたのだが、このアフリートという魔族、なかなかきれい好きだ。ボクが清潔にしていたことがとても気に入ったようで「マリシャは素晴らしい器だねえ」とよくほめてくれた。炎なので風呂に入るわけにはいかないが、自分の炎でよく体を拭いていた。「きれいにしておかないと、うまく燃えないからねえ」という。


 ちなみに火力は自在にコントロールできて、守護庁で暴れた時のように鉄を溶かす温度にすることもできれば、もっと低温になることもできた。夜は森の中で過ごしたため、火災を起こさないように岩の上に座っていた。そういう時の温度は一夜明けても少し焦げ跡がつく程度だった。とはいえ炎なので、木のエントには触らなかった。「あいつ、燃えてしまうからねえ」と寂しそうに言っていた。


 次はどこに行くのか、大体察しはついた。もう一人、神話の時代に人間に敗れて封印されたのは、シャナだ。水の精霊で、エントが乾燥地帯でも活動できるように水分を供給していた。ただ、このシャナという魔物は神話にあまり記載がなく、エントやアフリートや今も逃亡中とされているシェイドのように人間相手に大立ち回りをした描写がほぼない。


 「ねえ、シャナってどんな人なの」


 アフリートに聞いてみた。


 「そうだねえ。まあ、あまり魔物っぽくないねえ。地味というか、存在感がないというかねえ」


 だから神話にもあまり出てこないのか。


 「あの子、今回はついてきてくれるかねえ。嫌だと言っても、連れて行くんだけどねえ」


 前回は、乗り気ではなかったのか? 


 「そうだねえ。あの子は世界の果てとか、あまり興味がなかったからねえ。あんた、知っているかい? シャナは前回の時には、自らパーティーから降りたんだよ」


 えっ、そうなんだ。人間に倒されて、東方の泉に封印されたって、サラッと書いてあったような記憶があるんだけど。


 「ちょっと違うねえ。まあ、いろいろあってねえ。あの子、女王様の言うことを聞いちまったのさ。だから、今でも女王様のお墓の近くにいるんだよ」


 それは知らなかった。裏話だ。シャナに無事に会うことができれば、聞いてみよう。


 エントは、イースに行った時ほど急がなかった。アフリートという武器を手に入れたからだろう。日が昇ると、馬が歩く程度のスピードで東南へと向かった。その後ろを、アフリートが宙をふわふわと漂いながらついていく。運動量が多いと、魔力の消費も激しいのだろう。東の山中では人間に出会う機会もほとんどなく、人間を食べて魔力を補給することもできない。アフリートがいうには、そもそも魔力をたくさん持っている人間を食べないと、魔力補給にはならないのだそうだ。栄養のあまりないものを食べても、お腹がふくれるだけで、あまり意味がないのと似ている。


 「腹が減ったねえ。あんたみたいに、私も日光で栄養補給できたらいいんだけどねえ」


 と言いながら、アフリートは森の中で見つけた鳥やリスといった小動物を捕まえて食べていた。料理なんかしない。捕まえて、そのまんまバリバリ食べちゃう。血まみれになるし、動物の内臓なんかがドロドロ出てくるのが最初は見ていられなかった。「焼いてから食べて」と頼んでみたが、どうやら生で食べるのが好きなようで、聞き入れてくれなかった。


 困ったことに段々と目の前で小動物を生きたまま食べることに、ボクも慣れてきてしまった。アフリートは、歯がどうにかなっちゃうんじゃないかというくらい骨までガリガリとかじるものだから、見ていてヒヤヒヤした。ボクの肉体を乗っ取っているから、リスだの鳥だのをかじっているのは、ボクの歯なのだ。人間の歯は、生肉を食いちぎるようにはできていない。


 「東の山は、こんなに緑が深かったかな? 随分と景色が変わったな」


 エントは相変わらず、空気が抜けたようなかすれた声で行った。


 「あちらもこちらも、シャナの気配だらけだ」


 時々、立ち止まって、周囲を見回す。


 「そうだねえ。濃くなったり薄くなったりしてわかりにくいけど、これをたどっていけばシャナのいる場所に行き着くはずさ」


 そうか、2人はシャナが今、どこにいるのか知らないんだ。ならば、今回はトウマたちの方が、先に到着できるかもしれない。だからどうしたという気がしないでもないけど、先手を打てるに越したことはない。


 「あいつ、今度は素直について来てくれるかな?」


 エントが気にしている。


 「どうだろうねえ。前回も、あんたが有無を言わさずに連れて行ったからねえ。嫌だと言っても、今回もどうせ無理やり連れて行くんだろう?」


 エントはヒュヒュヒュという独特の音を出して笑った。


 「シェイドはずっと西の果ての方にいる。昔のままなら、西は水が本当にない地域だ。嫌だと言っても、連れて行くさ。まあ、あいつが人間側に付くこともないだろうからな。ゆっくり探し出してやることにしよう」


 エントの顔は、最初に見た時はお兄ちゃんそのものだったけど、今では随分と形が変わってきた。これが、この魔物の本来の顔なのだろう。高い鼻に切長の目。あごも尖っていて全体的に鋭い印象だ。復活した当初は、お兄ちゃんの体を使っていたからまだ名残があったけど、どんどん同化しているということだろう。


 エントの中には、アフリートとボクの関係のように、お兄ちゃんの魂が残っているのだろうか。もしそうならば助け出さないといけない。確認するにはエントかアフリートに直接、聞けばいいのだけど、そうするのは怖かった。すでにいないとなれば、お兄ちゃんは死んだということになるからだ。


 トウマたちは今頃、どこだろう。神武院に直行していれば、たぶんボクたちよりも先に着くはずだ。神武官たちと一緒に、この2人と対峙することになるはずだ。そこでなんとかしてくれればいいけど。


 トウマは守護庁で、エントの攻撃を受け流した。さすが元神武官だ。こういうパワー系の魔物とは相性が良さそうに思える。問題はアフリートだ。彼女がフルパワーで魔法を使えば、守護庁みたいに人間はみんな焼き殺されてしまう。誰か魔法をはね返すなり、防御するなりできる人が、あちらのパーティーにいればいいのだけど。


 ああ、本来ならその役目は、ボクがやるべきことなのだ。なんてったって魔法使いなんだから。シャウナはボクの魔法を毎晩、目の前で見ていたので何か対策を考えてくれるのではないだろうか?オーキッドは治療魔法を使っていたから、応用すれば攻撃魔法にも対処できないだろうか?こうやって意識があって、情報も持っているのに、それをみんなに伝えられないのがもどかしい。


 次に会った時に、誰でもいい、パーティーの誰かとコミュニケーションが取れればいいのに。ちょっと必死になって考えてみよう。何しろボクは魔法使いなのだ。アフリートが前回、受肉していた人間は彼女の行動に干渉していたというし、話をする以外に、こちら側から何か働きかけることができるはずだ。


 その夜は、きれいな満月だった。


 「見ろ、ああいう月の光は魔力補給になるんだ」


 エントは眠ってしまったが、アフリートは少し開けたところに出て、全身に月明かりを浴びている。確かに魔力が体内にみなぎってくるのを感じる。人間を食べる以外にも、こんな方法があるんじゃないか。アフリートが火力を最低限に抑えると、体の輪郭が月の光と反応して、キラキラと黄金色に輝いた。ボクの右手を月にかざして「ああ、美しいねえ。また、こんなものが見られるとは思ってもいなかったよ。うれしいねえ」と誰に話しかけるでもなく、しゃべっている。


 魔族が美しいとか、うれしいとか、そういうことを感じているのも、彼女に受肉されないと知ることはなかった。そんな感情があるのならば、人間を殺したらかわいそうとか、ボクの体を勝手に使って申し訳ないとか、そういうことも感じてくれればいいのにと思いながら、アフリートと一緒に月をいつまでも眺めていた。


 この後は、シャナの気配を追いながら東の山の中をあちこちうろつくことになる。小動物を食べて栄養補給していたとはいえ、ガッツリと魔力補給ができない影響は徐々に出始めていた。飛んでいると、足が引っかかってつまずくんだ。あれ、高さが足りないぞ?って。「もっと高く飛んでいるつもりなんだけどねえ」とアフリートも言っていた。エントは水分と日光でなんとかなっていたけど、アフリートは魔力が減った状態で、神武院に乗り込むことになってしまったんだ。

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