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第15話 王子だけどいざ戦闘になればこんなに役に立たない

 馬車は、さすがムスラファン軍所有と感心するものだった。しっかりとした幌がついていて、4頭立てだ。かなりスピードが出そうだったし、実際に速かった。街道が整備されているところでは、トウマは馬に気合を入れて飛ばした。


 「お兄さんと、なんの話をしていたの?」


 シャウナに聞かれたけど、言いたくなかった。兄さんの病状が深刻だということを知られたくなかったし、僕自身が受け止めきれていないからだった。


 「うん、まあ…身内の話だよ」


 そう言って、誤魔化した。


 道中は順調だった。クラクフ跡でアンデットというかゴーストが出たけど、シャウナが「悪さをする魔物ではないから、放っておいたらいい」というので相手にしなかった。ただ、白くてふわふわして何かがついてくるし、不気味だった。シャウナが何か唱えて手を振ると離れていった。


 マリシャを連れ去れった魔物、エントと言ったかな。どれくらい先まで行っただろう。僕たちは休養と補給のために一晩、足を止めた。あちらは夜明けから日没まで走り続けたとして、どれくらい離されただろう。マリシャは生きているのだろうか。もう殺されていたら、こうやってイースに向かっているのは徒労ではないだろうか。そもそも、魔物が向かっている先は本当にイースなのか? ああ、またネガティブなことばかり考えてしまう。


 イースというのは正式には都市の名前で、国の名前ではない。いわゆる北国と呼ばれる地域の代表都市だ。西に行くほど一面の砂漠が広がっている西域と同じように、北国は北へ行くほど深い針葉樹林になっていて、その先がどうなっているかは、まだ誰も知らない。


 イースはおそらくこの大陸で、人間が踏み入った北の端にある。小さな国くらいの地域を城壁で囲って、その中の北の端に街がある。厳密にはその城壁内がイースだが、多くの人は影響力が届く北国の広範囲をイースだと認識している。イースとムスラファンがヴィルヘルムあたりを境界線にして対抗していると見る人がいるのは、そのためだ。


 イースにはこの大陸のシステムの中心といえる守護庁がある。過去に3度行ったことがあり、見た目は背の高い城だ。西域の城とは趣が違う。西域は砂漠なので、砂嵐や暑さを避けるためにせいぜい3〜4階建てなのだけど、北国の城は競い合うように高い。深い森の中に築かれているものが多く、背が低くては遠くを見渡すことができないからだろう。監視という観点から、複数の尖塔を持っているのも特徴だ。


 守護庁にも3つの尖塔があって、複数の回廊とテラス、居住区がそれらを繋いでいて、巨大なステンドグラスを地上に突き立てたような形をしている。ブリュンヒルトという大きな湖に接していて、湖底まで掘り下げて作られた地下室がある。地下室というか、地下街だね。部屋というほど小さくないから。日が当たらないところでやりたい実験とか、貯蔵しておきたいものを置いておく倉庫があったりする。その一角に、アフリートを封印している部屋があるんだ。


 初めてイースを訪ねた時に、僕も見せてもらった。石造りの階段を降りていくと4、5人も入れば一杯になる部屋がある。奥の壁の目の高さくらいの位置に人間の頭くらいの大きさの横穴が掘ってあって、そこから覗くと槍でもないとかき出せないくらい奥に、小さな炎が揺れている。消えないように周囲には空気穴が開けてある。燃料もないのに1000年近く燃えている、それがアフリートだ。


 エントがあそこに到達できたとして、どうやってアフリートを取り戻す?まずは地下に潜る。木の化け物なんだから、根っこを使って地下へ進むのは、困難ではないと思える。人間が使う通路は狭すぎるかもしれないが、南方で地中から出てきた時に思った以上に狭いところから出現したので、体の形はある程度、変えられるのだろう。横穴も鞭のような枝や根を使えば、簡単にとはいかないかもしれないけど、炎まで手が届きそうだ。手。手なのだろうか?


 それはともかくとして、次はどうやって地上まで持っていく?木なのだから、自分につけてしまうという手があるな。自分が燃え尽きてしまわなければだけど。とはいえ、守護庁にはたくさん、それこそ山のように守護者がいる。簡単には通さないだろう。今頃、返り討ちにあっているかもしれない。マリシャも無事に保護されているかもしれない。そうなっていれば、僕たちがマリシャを回収して南方に帰って、一件落着だ。


 イースの城壁までたどり着いたのは、ヴィルヘルムを出て2日目の夕方だった。アルトリア兄さんからお金も援助してもらっていたので野営ではなく、ちゃんとした宿屋に泊まることができた。とはいえ、もういい加減にしろというくらい深夜まで走り続けて、翌朝は夜明けとともに出発したので、全くゆっくりできなかった。普通、ヴィルヘルムからイースまでは3〜4日かかる。倍くらいのスピードで来たことになる。


 門には衛兵のたぐいはいない。基本的にスルーだ。城壁をくぐると引き続き深い森ながら、だいぶ風景が変わってくる。西域や南方、東方でも見かけない大人3、4人でも抱えきれないような巨木がたくさん生えていて、昼間でも暗い。東方の木も背が高いけど、こんなに太くない。東方の森は日がよく差し込んできて下草もたくさん生えているけど、北国の森は巨大な木が陽の光をさえぎって、地面は基本的に日陰だ。東方の森のような生命の息吹を、あまり感じない。


 エントはここをどんな気持ちで通ったのだろう?魔物に気持ちがあるのかどうか知らないけど、樹木の仲間がたくさんいて、人間に囲まれているより気が安らぐのではないか。木々の間に、大型の馬車が往来できるくらい広い道が整備されている。さすが守護者の本拠地近くだなと感心する。何かあれば馬車に乗って、この道を出動するのだ。


 肝心の街は近くになるまで見えない。街の近くまで森が迫っているためだ。森を抜けると、壮麗な守護庁が見えてくるはずだった。


 「なんだ、あれ」


 オーキッドがつぶやいた。楽観的な見通しは一瞬で崩れ落ちた。守護庁が燃えている。尖塔の間にある回廊があちこち崩落して、煙が方々から立ち上っている。


 「ヤバい。間に合わなかった」


 シャウナの顔に不安の色が浮かぶ。あそこには彼女の家族がいるのだ。まず無事だろうかと思うだろう。だけど、その気持ちに寄り添えなかった。本来なら心配して、不安を取り除くような声をかけてあげるべきだったけど、あの戦場みたいなところに行かなきゃいけないのかという恐怖で、胃がひっくり返りそうだった。


 近くまで行ってみると、回廊が思った以上に崩落しているのがわかった。建物の周囲は瓦礫の山があちこちできて、大勢の守護者が口々に何か言い合いながら、走り回っていた。馬車が止まるなり、シャウナは飛び降りて駆け出した。いや、まずい。トラブルの真っ只中に飛び込んで行くぞ。とはいえ、荷台でジッとしているわけにもいかないので、僕も降りた。


 「行くぞ。気をつけろ」


 オーキッドが言う。そうだ。シャウナはもう見えなくなってしまったけど、だからといってこちらも浮き足立つわけにはいかない。暑くもない…そう、北国は西域みたいに暑くない。カラッと乾燥していて涼しい。むしろ寒いくらいだ。それなのに、脇の下に流れているのを感じるくらい汗をかいていた。また遭遇するかもしれないという恐怖。その時はオーキッドの後ろに隠れていよう。というか、馬車のそばで待っていてもいい。頭上で、何かガンガンと叩いているような音がした。


 「上だな。外から見えたテラスの方か?」


 オーキッドはこれからどう行動するか、ざっくり口に出して説明してくれるからいい。トウマは何も言わずに行ってしまう。どうすればいいのかわからないし、隠れていても構わないのかわからないから、非常に困る。


 「アル、ここに来たことあるか?」


 オーキッドの問いに思わずうなずいた。しまった、これでは道案内をさせられてしまう。不安的中、案内してくれと言われて、しぶしぶというかビクビクしながら先頭に立った。


 守護者が走り回っているけど、僕らに構う気配はない。勝手に階段を上がっていく。最も下のテラスは4階だ。そこからでも青々と静かに広がるブリュンヒルト湖を一望できる。テラスは7階、10階にもあって、最上階は15階だ。そこは貴賓室というか特別なお客を接待するスペースになっていて、僕はいつもそこで夕食をご馳走になる。湖だけではなく広大な森も見られて、何より夜は星がすごくきれいに見える。だけど、今日は星を愛でている暇はなさそうだ。


 4階まで上がっていく途中から、すごく焦げ臭かった。こんな屋内で焚き火をしているわけでもないのだろう。なのに、どこからかゴウゴウ、パチパチと火が燃えている音がする。


 50〜60人は集まれそうな広いテラスに、あれがいた。前回に見た時よりも少し大きくなっている気がする。エントだ。その隣、少し離れたところに、どこかで見たような気がする人のようなものが立っていた。人のようなものと形容したのは、明らかに人ではなかったからだ。頭があり、胴があり、腕と足があるという意味では人間の形をしているが、それはメラメラと燃えていた。炎をまとっているといえばいいだろうか。燃え盛る勢いで、長い髪が揺れていた。少女のようだ。


 テラスには10数人程度の守護者がいた。みんな緊張して、エントと炎の少女を取り囲んでいる。地面のあちこちに大きな焦げ跡があった。あの少女が何かしたのであろうということは、なんとなく想像がついた。不意に少女が腕を振り上げた。空に向けた指先から、螺旋の炎が噴き上がる。


 「避けろ!」


 オーキッドに引っ張られて、横っ飛びに逃げた。腕を振り下ろすと、炎は大蛇のようにのたうってこちらへと飛んできた。壁に衝突しても消えない。しばらく燃えたのちに、ゆらゆらと消えた。


 「ここにいた!」


 先に建物の中に入っていたシャウナが駆け込んできた。「危ないぞ、下がってろ!」。一人の守護者がこちらに向かって叫ぶ。再び少女の指先から螺旋の炎が放たれた。今後のは先ほどのより長く、太い。巨大な鞭のようにしなって別の守護者を巻き込むと、シュバッという短い衝撃音を残して、彼は煙とともに消滅した。


 「触っただけであの威力か」


 オーキッドは感心している。ヤバすぎる。すぐ撤退しよう。後ずさりしようとした時、トウマとシャウナが同時に小さく叫んだ。


 「マリシャ!」


 どこを見て発した言葉なのか、わからなかった。2人の視線の先を追うと、炎の少女を見ていた。嘘だろう? よく見ると、確かにマリシャに似ていた。僕の知っているマリシャはショートヘアなので髪の長さが違うけど、黒目がち(今は炎をまとって橙色に見えるけど)な瞳や愛嬌のある丸っこい顔は、マリシャっぽかった。でも、最後に見た時にはシャツにフリルのスカートという出立ちだったのだけど、今は赤っぽいロングドレス姿だ。


 「あの螺旋の炎は、マリシャが得意だった魔法だ。間違いない、あれ、マリシャだよ」


 シャウナが言う。何がどうなっているんだろう。なぜ、マリシャが炎の化け物になって、守護庁を襲っているのか。


 「だけど、今のあの子は、マリシャじゃない。あれ、たぶんアフリートだ」


 シャウナが絞り出すように言った。アフリートは守護庁の地下に封印されていたはずだ。魔族が復活しないように、女王マリシャが作らせた守護庁の本拠地の地下深くに。簡単に復活できるはずがない。


 「臆するな! 捕らえるんだ!」


 守護者たちは白い傘のようなものを手にして、炎の化け物に近づいていく。後でシャウナから聞いたのだけど、魔法を避けるための道具らしい。だけど、先ほどその傘ごと焼き尽くされた人がいたところを見ると、効果はあまりなさそうだ。


 と、エントが動いた。足を踏ん張るようにして根の部分がモゾッと動くと、足元の石畳がガタガタと音を立て始めた。


 「崩れるぞ!」


 またオーキッドに引き寄せられて後退する。テラスを作っていた石がガラガラと階下に向かって落ち始めた。


 「うわあ!」


 「ぎゃあ!」


 足場を失った数人の守護者が、転落していく。そこにまた炎の魔物が攻撃を放った。傘を使って避けるまもなく、数人が焼き尽くされる。敵わない。あんなのが2人もいては、到底敵わない。撤収だ、と言いかけたその時、トウマが炎の魔物に向かって駆け出した。


 「マリシャ!」


 足場が残っているところを選んで走りながら、名前を呼ぶ。


 「危ないぞ!」


 オーキッドも続いた。あんな大男がガタガタになった床を走ったら、もっと崩れてしまうと思ったが、オーキッドは意外と身軽だった。エントが枝を使って攻撃してくる。伸縮自在なのか、自分の背丈以上に伸ばしてトウマをなぎ払いにくる。それをスピードを落とさずに両腕で受け流すと、一気に炎の魔物に近づいた。


 「マリシャ、俺だ!」


 あとひと飛びで手が届きそうになったその時、オーキッドが追いついて組み止めた。ボッと音がして、少女を包んでいる炎がさらに大きく燃え上がる。触れていれば、トウマの腕が焼け落ちていただろう。オーキッドがトウマを炎の魔物から引き離した勢いで、足元の石畳がさらに崩れ落ちた。ひとっ飛びでは届かないくらいの空間が、2人と魔物たちの間にできる。


 「離せ」


 「やめとけ。触ったら死ぬぞ」


 「じゃあ、どうしろって言うんだ。このままでは逃してしまう」


 トウマはオーキッドの方に顔だけ向けて凄んだ。石畳が音を立ててさらに崩れていく。魔物たちも、もう足場がない。と、その時、2人の魔物はふわりと後方の空中へと身を翻した。炎の少女は浮力があるのか、ふわふわと落ちていく。エントは周囲の建造物に枝や根を絡ませながら、階下へと降りていった。


 「降りるよ」


 いうが早いか、シャウナは身を翻して階段を駆け降り始めた。マジか、嘘だろう。この人、追いかけていってどうしようというんだ。戻ってきたトウマとオーキッドに背中を押されるようにして、僕も階段を駆け降りた。建物を出てみると、かなり離れた湖畔に木と炎の魔物の姿が見えた。


 木はともかく、炎はメラメラと燃えているので、ここからでもよくわかる。シャウナがそっちに向かってもう走り出している。追いつくだろうか? エントは巨大なので、走るスピードは速い。それは南方で見た通りだ。だが、炎は? マリシャだとすれば、それほど速くは走れない。そんなことを考えているうちに、2人の魔物はどんどん遠ざかっていった。シャウナが「マリシャ!」と叫んでいる。

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