目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
第14話 王子は皇位は長兄が継ぐものだと思っている

 すぐにいつも使っている部屋に通された。とりあえずお風呂だ。トウマやオーキッドとは別の部屋になったので、2人を放っておいて風呂に行った。


 いや、たまらないね。やはり毎日、風呂に入らないと。髪も体も洗わないとダメだ。湯船に浸かりながら、あまりの気持ちの良さに居眠りしてしまった。


 部屋に戻ると衛兵が待っていて「アルトリア様が食堂でお待ちです」と言った。トウマとオーキッドはどこだろう?まさか汚いままで行ったんじゃないだろうな。食堂では、長いテーブルの一番奥に兄さんが座っていた。


 「他の人はまだ来てないの?」


 「一度、来たけど、あまりに汚れていたので、先に風呂に入ってこいと言ったよ」


 いつもと変わらぬ、威厳に満ちたたたずまいだった。座っていても背が高いことがわかる。ゆったりしたローブを着ていてもわかる、鍛え抜かれた肉体。スッと通った鼻筋にきれいに整えられた口髭が印象的だ。僕は何よりも兄さんの眼が好きだ。切長で、少し茶色がかった瞳。父上の眼差しと似ているけど、冷徹な感じの父上と違って、兄さんの視線は温かくて美しい。直毛の長髪は母上譲りだ。それを後頭部でひとまとめにしてくくっている。西域人らしい美丈夫である。ターバンを巻けば、あまりにいい男ぶりに、国中の女性が黄色い悲鳴を上げる。それでいて威厳もある。兄さんが王子だと知らない人でも、思わずその前にひざまずきたくなるようなオーラがあるんだ。


 ちなみに僕を含めた3兄弟は、みんな母親が違う。アルトリア兄さんの母上は西域の名家の出身だし、2人目のアルバース兄さんの母上は、お祖父さまに仕えていた将軍の娘だ。だから、兄弟だけどあまり似ていないし、ゴライアスの教育を受けたという点を除けば、それほど接点もない。特にアルバース兄さんは若い頃に討伐隊に参加してそのままほとんどの時間を砂漠の奥地で過ごしているので、一緒に何かをした記憶はない。今では討伐隊の指揮官だ。たまに帰って来るんだけど、これからも会う機会は少ないだろう。


 その点、アルトリア兄さんは僕とよく遊んでくれた。僕は5歳で母上から離れて宮廷に来た。忙しい父上に代わっていろいろなことを教えてくれたのは、アルトリア兄さんだった。父上とはあまり接点がなかった。それぞれの誕生日に集まって食事をするのだけど、父上に会うのはそのときくらい。そのときも父上はほとんどしゃべらない。


 「アルアラム、最近どうだ」


 「励んでおります、父上」


 「うむ」


 あとは黙って食べる。そんな感じ。アルトリア兄さんは僕より13歳年上で、僕が宮廷に行ったときには討伐隊に参加していた。帰ってくるたびに珍しいお菓子やおもちゃを持ってきて、よく遊んでくれた。剣術を教えてくれたのも、兄さんだ。


 アルバース兄さんが討伐隊に参加するようになると、アルトリア兄さんは入れ替わりにキサナドゥーに戻ってきて、都市計画の仕事をした。討伐隊に行っている間に肺病を患って、長い軍事行動に参加できなくなっていた。ヴィルヘルムに行ったのは意外だった。確かにクラクフ戦争の後、イースとの窓口として重要な拠点ではあったけど、そこに王位継承一番手の兄さんが行くのは異例に思えた。兄さんのたっての希望だった。「少しでも北の方に行った方が空気がきれいで、体にいいと思ってな」と言っていた。


 テーブルには急な来客のために精一杯のもてなしをしてくれたのであろう、パンやワイン、肉料理が並べられていた。疲れすぎて忘れていたが、ものすごくお腹が空いていた。


 「ありがとう、兄さん。助かるよ」


 シャウナが来るのを待たずに、がっついた。


 「ゆっくり食べろ。喉に詰まるぞ」


 優しい声だ。兄さんの声は本当に心が安らぐ。しばらくしてシャウナがやってきた。彼女も久々に風呂に入って、さっぱりしたようだ。キサナドゥーを出た時からずっと着ていた守護者のユニホームを脱いで、白いワンピースに着替えている。シャウナは兄さんとは面識があるので「お久しぶりです」と会釈しただけで「ああ、お腹すいた!いただきます!」と大きな肉塊を取り上げるとかぶりついた。


 少し小腹が満たされたので、兄さんに経緯を説明した。マリシャのこと、帰省のこと、エントと思われる魔物に遭遇したこと。この後もマリシャ探索を続けるつもりなので、馬と装備を用立ててほしいこと。


 「エントだって? あんなの本の中の話だろう?」


 当初、兄さんは信じてくれなかったが、シャウナも話に加わってくれて、ようやく重大なことが起きていると理解してくれた。


 「本物のエントだったとして、たった4人で太刀打ちできるのか? 俺の部隊を貸してやろうか?」


 それはありがたい。その部隊にマリシャを取り戻してもらおう。そう言いかけたところに、トウマとオーキッドがやってきた。2人に兄さんを紹介して、どこまで話をしたかも説明した。兄さんの部隊にマリシャの奪回をお願いしたらどうかという話もした。


 「それはありがたい申し出だし、部隊を出してもらうのも構わないが、俺はエントを追うことをやめない」


 そう言うトウマになぜ?と聞くと「お前には責任感ってやつがないのか?」と無表情なままで言われた。マリシャを実家まで連れて行ったのはわれわれであって、そこで起きたアクシデントなのだから、解決にあたる責務がある。全く知らない人ならともかく、マリシャは1年間とはいえ、親しくしてきた友人である。他の人に任せて撤収するのは人の道から外れる。そういうことをトウマは言った。


 言いたいことはわかる。だけど、現実的に考えて僕の力ではどうにもならない。僕は実戦をしたことがないし、他の3人みたいに魔族と戦えるスキルもない。正直、足手まといだと言ったら「逃げるのか?」という。もちろん無表情で。トウマの無表情はきつい。東方人は表情の変化に乏しい。それに輪をかけて無表情なのだから、その顔で見つめられると、すごく責められているように思える。


 「自分では付いてきただけだと思っているかもしれないけど、帰省のパーティーの責任者は、お前だ。人選したのもお前、装備を手配したのもお前。ならば、最後まで責任を取れ。他人に尻拭いをさせるんじゃない」


 いちいちごもっともだ。助けを求めて兄さんの方を見ると、苦笑いしていた。


 「彼のいう通りだ。心強い仲間が3人もいるんだし、行けるところまで行ってこいよ。援護はするから」


 その援護が事件を解決してくれることを、この時は心から祈ったね。


 そのあとオーキッドが僕たちと合流するまでの冒険譚を兄さんに話したりして、小一時間ほど食堂にいた。自然と解散ということになり、部屋に戻ったらすぐに衛兵がやってきて、兄さんが呼んでいるという。今度は自室に来いとのこと。僕たちが与えられた部屋は城の2階で、兄さんの部屋は4階だ。


 日が暮れて暗くなった廊下を抜けて、部屋に行った。兄さんはテラスに出した椅子に座っていた。横にあるもう一脚を指し示して「座れよ」という。4階は城のほぼ最上階だ。見張り用の尖塔があるので厳密には最上階ではないが、居住区という意味でいえば一番高いところにあって、城下が一望できる。明かりがあちこちに灯り、夜でも活気があった。


 「いつもここに座って、街の明かりを見ているんだ」


 兄さんは言った。


 「アレックス様の故郷を全て破壊して、お祖父さまは新たにこの街を作った。ムスラファンによる、ムスラファンのための都市だ」


 兄さんは、僕の母上のことを「アレックス様」と呼ぶ。母上にとっては悔しくて恨めしい光景に違いない。だが、僕は正直、きれいだと思った。僕は母上の悲しみを知らないし、母方のお祖父さまにも会ったことがないので恨みとか憎しみとかも湧いてこない。


 「俺は、自分でここに来ることを望んだ。一つは昔、お前に言ったけど、体のことだ。肺病にキサナドゥーの暑さは堪える。ただ、それだけじゃないんだ。本当は、クラクフの惨劇みたいなことを、二度と起こしたくないからなんだ」


 驚きはしなかった。兄さんは優しい人だ。そんなことを考えてもおかしくはない。「そうなんだ」と返事した。


 「クラクフの惨劇は、ムスラファン側ではイースの鼻面に一発食らわせてやったという快挙として評価されている。だけど、大陸的にはそうじゃない。殺しすぎ、壊しすぎたと言われている。ムスラファンにとって汚点だ。俺は、そう思っている」


 兄さんは立ち上がって一歩踏み出した。端正な顔を街の明かりがぼんやりと照らし出して、幻想的だ。


 「ヴィルヘルムは常にムスラファンとイースがにらみ合う境界線にある。ピンと張った、緊張の糸みたいなものだ。父上には今はその気はないが、いざイースと一戦交えるとなれば、ここは最前線になる。俺はムスラファンに、クラクフを潰した時のような戦争は二度としてほしくない。イースとぶつかれば、ただでは済まない。クラクフ以上に人が死ぬだろう。だから俺は、そんなことが起こらないように、ここで目を光らせているんだ」


 そんなことを伝えるために、僕を呼んだのだろうか。何か他に大事なことを伝えたかったのではないか? そう思ったとき、兄さんはこちらを向いて唐突に言った。 


 「アルアラム、王位を継げ」


 えっ?


 頭の中が一瞬、真っ白になった。王位を継ぐのは第一王子の兄さんでしょう。何を言っているんだ。僕が何か言いかけるのをさえぎって、兄さんは続けた。


 「父上が俺を指名したら、俺は王位を継ぐ。だが、俺はヴィルヘルムを動かない。実質的な王の仕事はお前がやれ。そして、父上が亡くなるか、俺が死んだら、お前が正統な王になる」


 そんなことをしたら父上はもちろん、アルバース兄さんも黙っていない。僕にはアルトリア兄さんのように威厳があるわけでもなく、アルバース兄さんのように武功があるわけでもない。何ができる。


 「なぜ、僕なんだよ」


 ようやく問いかけることができた。


 「俺は、もう長くない」


 すぐに言葉を継ぐことができなかった。次から次に何を言っているんだ。そんなわけないだろう。確かに兄さんは病気持ちだが…。


 「西の砂漠でもらってきた肺病は、どんな医者に見せても治す方法がなかった。呪いみたいなものだ。じわじわと俺の体を蝕んでいるんだ。俺がこの年になっても結婚しないのは、そのためでもあるんだよ」


 嘘だろうと言いたかった。でも、言えなかった。確かに討伐隊から帰ってきた兄さんは、以前に比べて明らかに活気を失っていた。いつも咳き込んで、治療を続けていた。そんな状態だったとは、この年になるまで知らなかった。兄さんのことを好きな女性をたくさん知っているし、仲介を頼まれたことは一度や二度ではない。なのに、なぜ結婚しないのだろうと思っていた。


 「嘘だろう?」


 今になって、ようやく言葉が出た。


 「嘘じゃない。俺がお前に嘘をついたことがあるか?」


 ない。兄さんはいつも僕には本当のことしか言わない。


 「それに、お前は兄弟の中でただ一人、戦場を知らない。それも次の王にふさわしい」


 戦場を経験した人間は、どうにもならなくなったら武力に頼る。そうするとクラクフと同じことが起きる。アルバースは絶対にダメだ。俺もダメだ。本当に戦場を知らない、お前みたいな平和な人間が、これからのムスラファンを作っていくべきなんだ。兄さんはそんなことを言った。全然、納得できなかった。そもそも兄さんが死ぬところなんて想像できなかった。僕が兄さんを差し置いて国を背負うことなんて、もっと想像できなかった。


 翌朝早く、準備してもらった装備を馬車に積んで出発した。


 「昨日の夜に話したこと、考えておいてくれよ」


 城門まで見送りに来てくれた兄さんは、僕の手を握って言った。いつも会った時、別れる時には握手してハグする。背中に手を回された時、こうするのは最後かもしれないという思いが突然込み上げて、泣きそうになった。


 「兄さん、僕がいい医者を探してくる。だから、諦めないで」


 なんとか振り絞ってそう言うと、兄さんは優しく微笑んで「ありがとう」と言った。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?