結局、その夜は草の上で寝た。湿った土の匂いがして、こんなの眠れるわけがないと思って、まんじりともせずに木の間から見える夜空を見ていたけど、気がついたら眠っていた。翌朝、夜明けとともに起こされた。
「起きろ」
トウマにお尻を蹴飛ばされて、目が覚めた。地面に寝たせいで体中が痛い。朝食くらい食わせろ、トイレはどこですればいいとシャウナがトウマに突っかかっている。僕もとりあえず顔が洗いたい。ベタベタして気持ちが悪い。確かにトイレにも行きたいぞ。
「湧水のあるところで、しっかり水は飲んでおけ。食わなくても3日間くらいは行動できる」
トウマがめちゃくちゃなことを言っている。それは訓練された人間ができることであって、僕は王子ではあるけど、普通の人間だ。腹ペコだし、風呂にも入りたい。それはともかく身支度をする時間がほしかった。
「まあ、ちょっと待て。少しでも何か腹に入れておかないと、もたないだろう」
オーキッドが周辺の草むらをガサゴソしながら、何かを探している。しばらくすると分厚い草をひと抱えほど持って戻ってきた。
「こうやって皮を向いて食べるんだ。水分補給になるし、何も食べないよりマシだぞ」
大きな手で器用に皮を向いていく。恐る恐るかじると、シャリッという心地よい歯ごたえが最初にきて、少し苦味を感じる水分が口一杯にあふれた。丸一日ぶりの食糧だ。
だけど、ホッとしたのはこの時だけで、その後は前日以上に過酷な追跡劇が始まった。ガタガタの山道を結構なスピードで飛ばしていくので、すぐにお尻が痛くなった。上り下りが激しい道で湿度が高くて蒸し暑いため、馬はすぐに疲れて足取りが重たくなった。無理もない。前日も休みなく乗っているのだ。
「少し休もう。馬が倒れてしまう」
何度も声をかけて、無視されるということを繰り返した。なぜトウマはこんなに必死にマリシャを追っているのだろう? 2人はそんなに仲が良かったか? 僕の知る限りでは、そこまでではない。キサナドゥーでマリシャが最も仲良しだったのは、シャウナだ。
再び夕刻になった。アフリートが封印されているイースまで何日かかるだろう。南方から普通は馬車で5日くらいだ。しかし、パパレイ村から闇雲に山中を走り回ったので、遠回りしているかもしれない。こんなことなら近衛兵の誰かを伝令に出して、ムスラファンから追跡隊を出してもらえば良かった。その方がきっと速くて、効率も良かったはずだ。
「野営しよう」
トウマが馬を止めた。また野営だ。今夜もお風呂に入れそうもない。昨夜、寝た場所とあまり風景は変わっていない。頭上高くそびえる樹木に、地面には一面の下草。侵略し続ける森は、どこに行ってもこんな風景が広がっている。またどこかを踏みしめて、寝床にしないといけない。水場とトイレ(と言っても大小をする決められた場所というだけだが)も確保しないといけない。
トイレの場所を選ぶのは、こういう野営をする時にはすごく大事だということを知った。あまり寝床に近いと匂いがするし、かといってあまり離れていると仲間から遠ざかっているわけで、何かあった時にすぐ助けてもらえない。えっ、何かって何って?そりゃあ、ほら…。用を足している時に、いろいろと動物が出るんだよ。熊?いや、そんな大物はいなかった。ほら、あの蛇とか…うん。
一度、しゃがんでいる時に足元に蛇が出て、思わず叫び声を上げてしまった。オーキッドが走って助けにきてくれたんだ。すぐにつまみ上げて首を捻って殺して、後で焼いてくれた。いや、食べなかった。食べないだろ、普通。だって、僕のアレの近くを這いずり回っていたんだぞ。全然食べてないのに、出るものは出るんだよ。
東方は山だらけなので寝床は大体、斜面の一角を踏みならして作る。当然、斜面の上の方にトイレを作るわけにはいかない。流れ落ちてくるから。飲み水を確保するための川や、湧水のそばもダメ。水が汚れてしまう。寝床とトイレはセットで場所探しをしないと、快適(というほど快適ではないけど)な野営はできなかった。
これはオーキッドが実に得意だった。彼が「ここにしよう」と探してくる場所は、寝床とトイレと水源の位置のバランスがバッチリだった。この夜は、周辺の木から枝を切り落としてきて、簡単な小屋を作ってくれた。素晴らしい。星空が丸見えなのに比べて、随分と落ち着く。マリシャを救い出したら、ぜひとも野営担当として僕の家臣に迎えたい。本気でそう思った。
馬の状態を確認すると、良くなかった。僕の乗っていた馬は歩様がおかしいと思っていたら、爪が割れていた。トウマの馬も疲れが溜まっているようだ。どこかで馬を替えないといけない。あす、真っ直ぐ北に向かうのを諦めて少し西へ向かえば、アルトリア兄さんの城があるはずだった。そこならば替えの馬を用意してもらえるだろうし、何よりお風呂に入ってまともなものを食べて、柔らかなベッドで眠れるはずだ。あわよくば、僕たちに代わって追跡隊を出してくれるかもしれない。
お風呂や追跡隊の話はとりあえず置いといて、馬の状態が良くないこと、兄さんの城が近くにあって、そこで補給してもらえるはずだということをトウマに伝えた。ダメだ、そんな暇はないと言うかもしれないと思っていたら、僕が話し終わるや否や口を開いたのは、シャウナだった。
「そうしよう、トウマ。このままでは私たちがどうにかなってしまう。もう2日間、まともな食事もしていない。着替えや、せめて水筒くらいの装備はほしい」
助け舟を出してくれて、良かった。オーキッドも続いた。
「俺も城に立ち寄ることに賛成。このままイースまで行くのであれば、どこかで旅の装備を手に入れた方がいい。水筒もなしでよく丸2日も移動したもんだ。めちゃくちゃだ」
何日も飲まず食わずでもへっちゃらなように見えるけど、そうじゃないんだ。また訪れた新月の闇の中で、トウマは思案しているようだった。城に立ち寄るかどうかじゃない。僕たちと別れて、自分だけで追跡を続けるかどうか、考えていたのだと思う。
「マリシャを助け出すことを諦めるわけじゃない。あの子は大切な友達なんだ。あなたがこのまま一人で追いかけたとしても、私も準備を整えて必ず後を追うよ。だから、一緒に少しだけ休んで」
シャウナはトウマが考えていそうなことを先読みした。そうだろう。トウマならそう考える。ギブアップ寸前の僕たちを残して一人で走ってでも追いかけるだろう。何がそうさせるのか、まだ知らなかった。トウマを突き動かした事情は、あとで知ることになる。
結局、トウマは兄さんの城に立ち寄ることに同意してくれた。城はヴィルヘルムというところにある。クラクフのあった場所から少し西域側に行ったところだ。クラクフを占領した直後、ムスラファンはここに新たな砦を築いた。砦といってもかなり大規模で、街といった方がいい。アルトリア兄さんが率いる軍隊が常駐していて、兵器を作ったり修理する人も住んでいる。
城下にはクラクフがなくなった後、商人が住み着いてヴァルハラほどではないが、活気ある交易都市になった。そうするなら、ヴァルハラを焼き払う必要はなかったのではないかと思うのだけど。城に到着したのは日が暮れかけた時だった。馬を降りて城門を叩くと、のぞき穴が開いて見慣れた衛兵の目元が見えた。
「あっ、アルアラム様。すぐに開けます」
ここには何度も来ている。イースに行くときにはほぼ必ず立ち寄るし、滞在したこともある。アルトリア兄さんとは仲良しなんだ。やっと休める。城門をくぐったところで、へたり込んだ。