なぜ、マリシャの次に話をするのが、僕なんだ。何?彼女が指名した?この後ってイースに行くところだろう?シャウナが登場するのが筋なんじゃないのかな。えっ、まだ帰ってきてない?そうだね…まあ、いつ帰ってくるのかわからない人だから。シャウナが戻ってから、ゆっくり聞けばいいんじゃない?何、待ち切れない?だから僕に先に話せっていうわけ?そんなに暇じゃないんだけどな。全く、しようがないな。
うーん、何から話そうか。どこまで聞いたの?エントが現れたところ?そうだな…。いや、あのときは本当にまずい対応をしてしまったと思っているよ。というか、この事件の間、ずっと僕の対応はまずかった。大人として責任のある態度ではなかったと思っているし、他にできることがたくさんあったんじゃないかと反省している。
マリシャは冒険譚って言っているの?いや、あれは冒険なんてものではなかった。事件だった。そう、魔族が復活して、再び人間の世界を脅かそうとした事件だ。軍隊が動いたり、大戦争が起きたりしたわけじゃないけど、めちゃくちゃたくさん人が死んでいるし、みんなが知らないところで歴史が1000年、逆戻りしかねないことが起きかけていた。そうならなくてよかったよ。
おかげで今、こうして君に当時の話をすることができている。あの時、いろいろな選択をする場面があった。どこかで間違えていれば、こうやって安穏と生活してはいられない。君だって、生まれていなかったかもしれない。いや、僕が何かしたわけじゃない。僕は本当に、そばで見ていただけだ。トウマや、マリシャや、たくさんの人が正しい選択をしてくれたことに、感謝しないといけない。
エントが現れたとき、僕たちはマリシャの家の玄関にいた。トウマが「そこで待っていろ」と言うので、シャウナやマリシャの家族と一緒にいた。カンカン照りの暑い日で、日陰に入りたかった。南方の砂は西域と違って黄色なんだ。それが太陽に焼かれて黄金色に見えて、目が痛いほどだった。
オーキッドが地下室への階段を降りて行こうとして、体がつっかえて戻ってきた。そのときは緊迫した状況ではないと思っていて、ちょっとコミカルな風景だったから、何か言った方がいいかなと思って、シャウナの方を向いた。その瞬間だった。ドンという大きな音がして、地下室があったところが陥没して、木が出てきたんだ。
ああ、そうだ。何を言っているのか自分でもわからないけど、見てきた通りに話している。木が動いて、地下から這い出してきたんだ。幹は節くれだち、樹上には葉が生い茂っていた。枝が両腕のようだった。それを器用に動かして、穴からはい出してくるんだ。根っこも出てきた。なんていうか、大きな蜘蛛を想像してもらったらいいかな。根っこが蜘蛛の足のように動いて、前進していた。地上に出ると、思った以上に素早く動き始めた。
根っこのあたりにトウマがしがみついていた。何か叫んでいる。オーキッドが助けに行ったけど、木は枝を蔓のように使ってトウマを引き剥がすと、軽々と投げ捨てた。人間が、川に向かって小石を投げ込むみたいにね。トウマは吹き飛んで、マリシャの隣の家の壁に叩きつけられた。
ああ、このシーンも信じられなかったな。その後、地面に落ちたトウマは倒れて動かないだろうとばかり思っていたのに、何事もなかったかのようにスッと立ち上がって、オーキッドに向かって「中にマリシャがいる!」と叫んだ。普通じゃない。これが神武官なのかと思ったよ。オーキッドも近くで見ていたからわかっていたようで、木の幹に組み付いた。オーキッドは大きな人だけど、彼が組み付いても木の幹の半分くらいまでしか腕は回っていなかった。木は組みつかれていることなど気にせずに前進する。そのとき、ジョシュが「助太刀に行きます」と駆け出したんだ。
木が現れてから僕は目の前で起きていることが信じられなくて、動くことも言葉を発することもできなかった。恐怖で体が固まっていた。嘘だろう、なんだこれはという思いが頭の中をぐるぐる駆け巡って、とにかくここから逃げないと、みんなを逃さないとと思っていた。
そんな僕とは正反対に、ジョシュは勇敢だったよ。彼は僕の近習の一人だ。どこの誰ともわからない、募集試験を受けて入ってきたような人ではない。お父さんも、おじいちゃんも代々、ムスラファンのために戦った兵士だった。子供の頃からお父さんに連れられて宮廷に来ていて、本人も兵士になるつもりだったのでゴライアスが採用して、僕の近習にしたんだ。年が近かったのでよく話をしたし、毎日のように一緒に食事もした。そうだ。親しい仲だった。小さい頃から知っているから、幼馴染と言ってもいい。大事な友人だった。得体の知れない魔物が相手だったんだから、僕は彼を止めるべきだった。
だけど、動けなかった。固まったまま、ジョシュが走っていくのを見ていた。彼がオーキッドのそばまでたどり着いた時に、木はジョシュを握りつぶした。ああ、また何を言っているのかよくわからないかも知れないけど、握りつぶしたという表現しか思いつかない。太い枝が手の平のように動いてジョシュを捕まえると、ギュッと握りしめた。声も何も聞こえなかった。木はジョシュを放り投げるとオーキッドもつかみ上げて、投げ飛ばした。ジョシュは地面に叩きつけられて、そのまま動かなくなった。
「みんな逃げて!」
その時になって初めて、シャウナが叫んだ。腕をつかまれて、走り出した。待って、ジョシュを助けに行かないと。今ならまだ間に合う、救助しないと。だけど、体は意に反して木の化物から遠ざかるように走り出した。木が走り出した。うん、もうわけがわからないよね。でも、走っていたんだ。根っこを足のように動かして。君は象を見たことがある?キサナドゥーの動物園にいる。大きくて、普段はのっそりとしているけど、走ると思った以上に速いんだ。あんな感じだよ。見た目はそんなに速く動きそうもないものが想像以上に素早く動くのは、恐ろしいことだった。魔物はあちこちの家にぶつかりながら、山の方に向かって移動し始めた。
「止めろ!」
トウマだろうか。誰かが叫ぶ声が聞こえる。悲鳴。そりゃ、悲鳴も上げるよね。僕も声が出せていたら、叫んでいたと思う。でも、驚きと恐怖で、声は出せなかった。何かが衝突する音。怒号と悲鳴。どんどん遠ざかっていく。魔物は、僕を殺さなかった。ちょっとだけ安堵して、ようやく我に帰った。そうだ、ジョシュを助けに行かないと。
息は切れているのに、足が重くてなかなか前に進まなかった。ようやくジョシュが倒れているところまでたどり着いた。仰向けになって、文字通り握りつぶされていた。骨が折れたのだろう。顔や腕が変形していた。目、耳、鼻、口から血が流れていて、ひと目でもう死んでいて、手の施しようもないことがわかった。
「ジョシュ」
応えてくれるなんて思ってもいないのに、名前を呼んだ。悲しい?いや、悲しみよりも、感じたのは恐怖だった。一瞬でこんなに無惨に殺される。何も悪いことはしていないのに、未来有望な若者だったのに、まるで書き損じの紙を丸めてゴミ箱に放り込むようにして殺された。死体を目にするのは、葬儀以外では初めてだった。申し訳ないけど、顔面がひしゃげて、目を開いたまま死んでいるジョシュは、気味が悪くて怖かった。いつの間にか隣にオーキッドが立っていた。
「もう無理だ。死んでいる」
体をかがめて、僕の背中に慰めるように大きな手を置いた。さっき、この大男も木の化け物に投げ飛ばされたのに、なぜこんなにピンピンしているんだ?ジョシュがこんなことになっているのに、なぜ?マリシャの帰省に付き合っただけなのに、なぜこんな悲惨なことになっている?
死んでいる。それも、僕のよく知っている大切な友人が。泣き出して叫ぶことができれば、どんなに楽だっただろう。だけど、恐怖で固まった心と体は、そうすることを許さなかった。そうしなければいけないという思いに駆られて、なんとかジョシュの遺体に触れた。と言っても血のついていない肩の部分だったけど。こんな事態に陥っても、血のついたところを触りたくないという上品さが自分に残っていることに気づいて、すごく嫌な感じがした。それが自己嫌悪だと気づくのはもう少し後のことだ。この時の自分の感覚は、今でもジョシュの主人としても友人としてもふさわしくなかったと思っている。本人にも申し訳ないし、彼の遺族にも申し訳ない。
トウマが息を切らせて戻ってきた。
「山に逃げた。追うぞ」
僕に向かってじゃない。オーキッドに向かって言っている。そうしてくれ。これは僕の手に負えない。あんな人間をひと握りで殺してしまう化け物なんて、僕は相手にできない。トウマは神武官だから魔族専門の戦闘員だし、オーキッドも先ほどの動きを見る限り、あの木の化け物に力負けしていない。シャウナはどうするんだろう。魔族が復活しないように見張っている守護者なんだから、2人と一緒に行くのではないか。
僕は衛兵の手を借りてジョシュの遺体を馬車に乗せて、キサナドゥーに帰ろう。そして父上にこんな事態になったことを報告して、ジョシュの遺族に謝罪するんだ。ところが、トウマは僕の肩に手をかけると言った。
「立て。馬を調達するぞ」
えっ、と思った。馬を調達することだけ手伝ってほしいのだろうか? 意図が飲み込めないでいるうちに、トウマはどこからともなく鞍をつけた馬を4頭引いてきた。
「早く乗れ。今ならまだ追いつける」
何かをいう間もなく、乗せられてしまった。シャウナも一緒だ。「俺は走っていくよ。俺の巨体では馬がかわいそうだし、こう見えても走るのは速いんだ」とオーキッドは言った。